プロローグ
俺の人生は何かが常に欠けていて、とてもつまらないものだった。
生活に不自由は無い。人並みの幸せを感じ、人並みの人生を歩んできた。
それでも心に空いた小さな穴は塞がることはなく、ずっと残っている。
俺に欠けた何かとは何か、考えたことは幾度もあるが、ついぞ答えは出なかった。
ふと空を見る。
空は灰色の雲で覆われていて、ゆっくりと動いている。灰色の雲と、もどかしくなるような鈍重な動きはまるで今の俺の気持ちを表しているかのようで、なんだか嫌な気分になった。
………いつまでも立ち止まっていて良いのだろうか。停滞は常に進化を続ける人間にとって、最も不要なものであり、慎重に物事を進める人間にとって最も重要なものだ。
俺はどちらかと言えば前者だろう。
空に向けた目を下げ、前を見据える。
とりあえず、家に帰ろう。
さっきまで降っていた雨で濡れた道路は民家からの明かりで鈍い反射光を放ち、黒く湿っている。
ーーーー異変に気付いたのは次の角を曲がった瞬間だった。
「声が………消えた?」
今は夕方、本来ならばこの住宅地は仲睦まじい家族の談話がいたるところから聞こえてくるのだが、それがいきなり聞こえなくなった。それだけではない、カラスなどの鳥の鳴き声も消え、挙げ句の果てには自分の足音まで消えた。
「オカルトにはあまり興味無いんだがな………」
とにかく、親の無事を確認しよう。音が消えたのは分かったが、人間が消えている証拠などどこにも無いのだ。
思い立てばすぐ実行。
自分が出せる最高速度で住宅地の中を駆ける。水たまりに踏み込んで足が濡れようが構わず走り続ける。気付けば、家が目の前に見えていた。
玄関を開け、ドタバタと靴を脱いでリビングに直行する。この時間帯ならば親がいるはずだ。
「今帰った!」
そう叫んで勢いよくドアを開けリビングに突入する。電気が付いていないリビングは薄暗く、人の気配は無い。
「………どうなっている」
親はいない。
ならばと思い、家中を探す。
クローゼット、キッチン、書斎、親の部屋、俺の部屋、トイレ、和室、色々探し回ったが、結局見つからなかった。
「あとは風呂か」
洗面所を通って風呂場の扉を開け放つ。
案の定、そこにも誰もいなかった。
「やはり誰もいない……か………」
「いるじゃありませんか。ここに」
「ッ⁉︎」
振り向こうとすると、後ろから抱きつかれて頭に大きく柔らかいものを乗せられる。
「離せッ!」
「暴れないで落ち着きなさい、危害は加えませんよ」
後ろの奴がそう言うと、体に力が入らなくなる。後ろの奴はさらに言葉を続ける。
「帰りが遅いのでお風呂を借りました。なかなか気持ち良かったですよ。ああ、それと、怖い思いをさせてしまってごめんなさいね。こういう方法でしかこちらの世界には干渉できないので」
「………この頭の上のでかいのはなんだ」
「分かりませんか?私の胸です胸、触ります?」
「………いや、いい」
質問したいことはいくつもあるが、一つ気になったのはこれが胸だということだ。俺の身長は175、後ろの奴は恐らく女だが、身長が冗談でも低いとは言えない俺の頭に胸を置いているこいつの身長は多分200以上ではないだろうか。だとしたら相当な大女である。
「取り敢えず離してくれないか。状況がイマイチ飲み込めない。まぁ、原因はお前なんだろうがな」
「………離したら暴れます?」
「それは馬鹿がすることだ」
「………いいでしょう」
拘束が解かれ、体が軽くなる。振り向いた俺の視界に入ったのは、バスタオル一枚の金髪の女だった。
整った顔と白い肌は西洋人形を思わせ、一生に一度お目にかかれるかどうかぐらいの美人だ。腰まで垂れた綺麗な金髪はすこし濡れていて、色気を強調している。
だが、特筆すべきはその大きさだ。
胸も確かに大きいが、胸ではない。身長である。俺の予想通り、女は俺より遥かにでかい。2メートルは軽く越えている。
俺がジッと女を見つめていると、女が口を開いた。
「………やはり私の身長が気になりますか。分かってはいましたが。大きいといけないんですか?戦神だから大きいのは当たり前じゃないですか!なのにみんな私を避けて………男神まで私を避けるんですよ⁉︎ちょっと大きいからって、もう結婚適齢期過ぎちゃいますよ!うっ……グスッ……貴方も大きいのは嫌ですか、嫌ですよね。男はか弱い乙女を守りたいんですよね。私みたいなのには見向きもしないんですよね……ううっ、私も農耕神とか商業神になりたかったなぁ………うぇぇぇぇぇん!最高神様の馬鹿ぁ!」
「いいから落ち着け」
「痛っ!」
なにやら暴走を始めた女にチョップを食らわす。戦神やら男神やら最高神やら気になる単語も出たので早く説明してほしいのが本音だ。
「お前には現状を説明する義務がある………違うか?」
「グスッ……そうですね、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。では今貴方が置かれている状況をお話ししましょう」
「ああ、頼む」
「最初に、私のことから話しましょう。私の名はレフォーテ。数多の世界を統べる神々の一柱です。貴方を私が管理する世界に招待すべく、この世界を管理する神に許可を取って訪れました」
「………この音の無い世界はお前が造ったものなのか?」
「はい、この世界は私達神々が下界に降りるときに必要なもので、音が聞こえない、という現象は空間の歪みからたまたま発生したものです」
「何のために俺をその世界に連れて行こうとしている?」
「私が管理する世界を救うためです。私達はあまり下界に干渉できないので貴方にやって貰おうかと」
「何故俺なんだ?」
「………貴方は、自分には何かが足りないと思ったことはありませんか?それで、苦しい思いをしたことがありませんか?」
「?…あるが、それがどうした」
「貴方の魂はある部分が欠けています。そのせいで貴方は『自分には何かが足りない』と思ったのでしょう。そして、あちらの世界で貴方は、足りない部分を得ることができる可能性がある。だから貴方にしました」
「………その、ある部分、てのはなんだ」
「『感情』です。感情全てを失っているわけではありませんが、それでも大部分を失っています。特に、『愛情』なんかはごっそりなくなってますね。言われたことはありませんか?喜怒哀楽が少ない人ですね、とか」
確かに似たようなことを言われたことは何度もある。笑いはするが爆笑したことはない。泣きはするが号泣したことはない。怒りはするが激怒したことはない。
『感情の起伏が少ない奴だな。人生損してるぞ』
親友にもそう言われた記憶がある。
………欠けたものを得る、か………
「………その世界、どんな世界なんだ?」
「行く気になったんですね。貴方に行ってもらう世界は、分かりやすく言えば剣と魔法のフャンタジー世界です。ま、魔法を使える種族は限られているので人間である貴方は魔法を使えませんが。そのかわり、強力な能力を与えます。その世界では能力持ちはかなり珍しいんですよ?」
「その世界で俺はなにをすればいい?」
「『邪神』を止めてほしいのです。邪神と言っても魔獣の一種で、強力すぎる力から邪神と呼ばれているだけですが。しかしその邪神、とにかく強いのです。単純な力だけなら中級神と同格でしょう。封印した時には12人の能力持ちが犠牲になっています。今現在、アレンシア帝国という国の何者かが邪神の封印を解こうと躍起になっています。貴方にはそれを帝国内部から止めてほしいのです。私以外の神が治める国以外の全ての国にアレンシア帝国を止める指示を出していますが、アレンシア帝国自体の国力が桁違いでなかなか攻めあぐねています。ですから貴方には帝国に潜入してもらい、各国を支援してほしいのです。各国には貴方が来ることを事前に伝えているので無碍にされることも無いでしょう。万が一邪神が解き放たれた場合は討伐をお願いします」
「分かった。それで、俺に与える能力はどんな能力なんだ?」
「貴方に与えるのは『遮断』です。まあ、防御系の能力の中では最上位と言っても過言ではないでしょう。応用も効きますし。後は全体的な体の機能の強化と多種類の武器を使いこなせる才能を与えます」
「随分太っ腹だな」
「もちろんです。というか、そこまでしないとあの世界で生き残るのは不可能ですよ。質問は以上ですか?以上なら送らせていただきますが」
「ああ、頼む」
「では外に出ましょう。家の中は狭すぎます」
外に出ると、巨大な門が見えた。どうやらこれで送るらしい。
「この中に入ればあちらに行けます。では、御武運を」
「ああ、善処するさ」
扉に片脚を入れたところで、礼を言っていなかったことを思い出し振り向く。
「レフォーテ、色々ありがとう。………あと、俺は身長がいくら高かろうがあまり気にしないし、充分魅力的だと思うぞ」
俺の言葉で固まったレフォーテを尻目に、扉を通る。
体が光に包まれ、俺の意識は遠のいていった。




