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第一話 「同じ魔導撮影機ですね!」

エルディア大陸――アステリア伯爵領。


 その日の俺は、伯爵ではなかった。


 いや、正確には。


 伯爵であることを忘れたかった。


 領都から少し離れた場所にある、小高い丘。


 地元では《星見の丘》と呼ばれているそこには、見渡す限りの麦畑が広がっていた。


 夕方。


 傾き始めた太陽が、麦の穂を黄金色に染めていく。


 風が吹くたび、丘一面が大きな波のように揺れた。


「……よし」


 俺は肩から提げていた黒い魔導撮影機を構える。


 ――魔導撮影機。


 光を感光媒体へ焼きつけ、景色を一枚の写真として残すための道具だ。


 まだ扱える者はそれほど多くない。


 ましてや、こんなものを持って一人で領内を歩き回る伯爵なんて、そうはいないだろう。


 俺はファインダーを覗いた。


 黄金の麦畑。


 遠くに見える山々。


 その向こうへ沈もうとしている夕陽。


「……もう少し、こっちか」


 一歩、右へ。


 いや。


 違うな。


 一歩戻る。


「…………」


 もう一度ファインダーを覗く。


 なんか違う。


 少ししゃがんでみる。


「…………」


 これも違う。


 立ち上がる。


「うーん……」


 難しい。


 目の前にある景色は、こんなにも綺麗なのに。


 いざ一枚の写真に収めようとすると、途端にどう撮ればいいのか分からなくなる。


 俺はもう一度、魔導撮影機を構えた。


 そのときだった。


「――あっ!」


「……?」


 後ろから、女性の声が聞こえた。


 振り返る。


 丘を登ってきた一人の女性が、俺を見ていた。


 金色の髪が、夕陽を受けて柔らかく輝いている。


 そして――。


 俺は彼女の手元を見て、目を見開いた。


 魔導撮影機。


 しかも。


「同じ魔導撮影機ですね!」


「え?」


 彼女は嬉しそうに、自分の魔導撮影機を少し持ち上げてみせた。


 本当だ。


 俺が持っているものと同じ型だった。


 彼女はそのまま俺のそばまでやってくると、人懐っこい笑顔を浮かべた。


「何撮ってるんですか?」


「えっ……あ……」


 突然話しかけられて、頭が真っ白になる。


 こういうとき、伯爵としてなら普通に話せる。


 領民の前に立つことだってある。


 挨拶もできる。


 必要なら長い話だってする。


 なのに。


 魔導撮影機を持った女の子に突然話しかけられただけで――。


「風景を……」


 それしか出てこなかった。


 彼女が小さく吹き出す。


 恥ずかしい。


「この丘、綺麗ですもんね」


「……うん」


 彼女は俺の隣に立ち、麦畑の向こうへ目を向けた。


 風が吹く。


 黄金色の穂が、一斉に揺れる。


「私も、ここを撮りに来たんです」


「そうなんだ」


「はい!」


 彼女は魔導撮影機を構えた。


 さっきまで俺が悪戦苦闘していた景色へ、迷うことなくレンズを向ける。


 俺もつられるように、もう一度魔導撮影機を構えた。


 二人並んで。


 同じ景色にレンズを向ける。


 けれど、きっと。


 俺と彼女では、残す一枚は違う。


 同じ場所に立っていても。


 同じ夕陽を見ていても。


 何を綺麗だと思うのか。


 何を残したいと思うのか。


 それは人によって違う。


 だから――写真は面白い。


 俺はファインダーの中に広がる景色を、もう一度じっくりと見た。


 風に揺れる麦。


 夕陽。


 その光の中で魔導撮影機を構える、彼女の姿。


 そして。


 静かにシャッターを切った。


 カシャ。


 小さな機械音が、丘の上に響いた。


      *


「そういえば」


 しばらく撮影を続けたあと、彼女がこちらを向いた。


「まだ名前、聞いてませんでした」


「あ……」


 そうだった。


「俺はケント」


「ケントさん」


 彼女は一度、確かめるように俺の名前を口にしてから笑った。


「私はフウカ。フウカ・リーヴェルです」


「フウカ……」


「はい!」


 フウカ・リーヴェル。


 その名前を、俺は心の中でもう一度繰り返した。


「ケントさんは、よくここで撮るんですか?」


「いや。今日はなんとなく来てみただけ」


「なんとなく?」


「うん。魔導撮影機を持って歩いてたら、ここまで来ちゃって」


 フウカが楽しそうに笑う。


「分かります、それ」


「分かる?」


「撮りながら歩いてると、いつの間にかすごいところまで行っちゃうんですよね」


「ああ……それは分かる」


 不思議だった。


 さっきまでまともに返事すらできなかったのに。


 撮影の話になると、少しずつ言葉が出てくる。


 何を撮るのか。


 どんな景色が好きなのか。


 魔導撮影機を持って、どこまで歩いたことがあるのか。


 話しているうちに、いつの間にか太陽はかなり低くなっていた。


「あっ……もうこんな時間」


 フウカが空を見る。


 俺もつられて見上げた。


 夕陽はもう、山の向こうへ消えようとしている。


「そろそろ戻らないと」


「そうだな」


 魔導撮影機をしまい、丘を下り始める。


 ほんの少し前まで知らない者同士だった俺たちは、自然と並んで歩いていた。


 今日撮った写真がどんな一枚になったのか。


 それが分かるのは、まだ先だ。


 感光媒体を現像し、定着させる。


 像が姿を現すのは、それからだ。


 失敗しているかもしれない。


 思っていたものとは全然違う写真になっているかもしれない。


 でも。


 それも含めて、楽しみだった。


 今日という日の光が、いったいどんな形で残っているのか。


 そして――。


 今日、偶然出会った彼女は。


 同じ景色を、どんなふうに残したのだろう。


      *


 夕刻。


 領都へ戻った俺は、《星灯り亭》へ立ち寄っていた。


「あっ、ケントさん!」


「……フウカ?」


 聞き覚えのある声に振り向く。


 そこにいたのは、ついさっき星見の丘で別れたばかりのフウカだった。


「また会いましたね!」


「ほんとだな」


 まさか、こんなに早く再会するとは思わなかった。


 フウカも同じだったらしく、楽しそうに笑っている。


「すごい偶然ですね」


「ああ」


「ケントさんもここ、よく来るんですか?」


「まあ……時々」


 そのときだった。


 店の奥から出てきた者が、俺の姿を見て足を止めた。


「――伯爵様?」


「…………」


 まずい。


「え?」


 恐る恐る横を見る。


 フウカは声をかけてきた相手を見ていた。


 そして。


 ゆっくりと俺を見る。


「……アステリア?」


「…………」


「……伯爵?」


「…………」


「ケントさんが!?」


 フウカの声が店内に響き渡った。


 周囲の客まで一斉にこちらを向く。


「……伯爵様?」


 ざわり、と店内が騒がしくなる。


 俺は観念した。


「あ……」


 フウカが固まっている。


「ケントさん……伯爵なんですか?」


「……うん」


「…………」


 フウカは完全に停止した。


 やがて、顔がみるみる赤くなっていく。


「私……さっき……」


「うん」


「伯爵様に……」


「うん」


「『何撮ってるんですか?』って……」


「言ってたね」


「うわああああああっ!」


 フウカは真っ赤になって頭を抱えた。


「知らなかったんです!」


「いや、言ってなかったから」


「だって普通、伯爵様が一人で魔導撮影機持って丘にいるなんて思わないじゃないですか!」


「まあ……そうだよな」


「しかも私、普通に話しかけちゃって……!」


 俺は思わず笑った。


「いいんだよ」


「え?」


「むしろ、その方がよかった」


 フウカが顔を上げる。


「撮ってるときくらいは、ただの撮影好きのケントでいたいから」


「…………」


「だから、さっきみたいに普通に話してくれた方が嬉しい」


 フウカはしばらく俺を見ていた。


 やがて。


「……じゃあ」


 少しだけ、さっきまでの笑顔が戻った。


「ケントさん、でいいですか?」


「もちろん」


「……よかった」


      *


 《星灯り亭》を出るころには、辺りはすっかり暗くなっていた。


 店の前で、フウカは魔導撮影機を胸元に抱えたまま俺を見ている。


 何かを言いたそうにしているのは分かった。


「どうしたの?」


「……あの」


 少し迷ってから、フウカが口を開いた。


「また……撮りに行きませんか?」


「…………」


「今日みたいに。今度は一緒に」


「……いいよ」


「!」


 ぱっと表情が明るくなる。


「というか――俺も誘おうかなって思ってた」


「えっ?」


「フウカさんの写真、もっと見たいし。人を撮るのも教えてほしい」


「……ほんとに?」


「うん。ただし」


「ただし……?」


「次から『伯爵様』は禁止」


「えぇっ!?」


 フウカが目を丸くした。


「撮影してる時だけでいいから。普通にケントで」


「でも……領主様ですよね?」


「それ言ったら罰として一枚撮る」


「なんですか、その罰」


「人物撮影の練習」


「私が被写体なんですか!?」


「先生がフウカさんなんだから」


「教える側なのに撮られるんですか!?」


「嫌なら伯爵様って呼んでも――」


「ケントさん!」


「早いな」


「もうっ!」


 また二人で笑った。


 こうして――次の約束が決まった。


      *


 数日後。


 アステリア伯爵領の郊外――《星降りの丘》。


 街を見下ろせる小高い丘に、俺とフウカの姿があった。


「……すご」


 眼下にはアステリアの街。


 遠くにはアルヴェリア王国の王都へ続く街道。


 そして風に揺れる草原の向こうを、雲の影がゆっくりと流れていく。


 俺はすぐに魔導撮影機を構えた。


「やっぱり」


 隣から笑い声が聞こえる。


「何が?」


「景色見つけた瞬間、私のこと忘れましたよね?」


「……え」


「図星だ」


「いや! 忘れてないって!」


「じゃあ私、何してました?」


「…………」


「はい、アウトー!」


「ごめんって!」


 フウカは笑いながら、俺より少し先へ歩いていく。


 そのとき――強い風が丘を抜けた。


「わっ……!」


 金色の髪と青いリボンが、ふわりと風に舞う。


「…………」


 気づけば、俺は魔導撮影機を構えていた。


 けれど――。


 シャッターを切れない。


「……ケントさん?」


「いや、その……」


「撮らないんですか?」


「人に向けると急に緊張する」


「昨日あれだけ『人物撮影の練習』って言ってたのに!?」


「風景は文句言わないから!」


「私だって文句言いませんよ」


 フウカは笑いながら、少し離れた場所に立った。


 ポーズを決めるわけでもない。


 ただ自然に、遠くの街を眺める。


「私がいないと思って」


「それ無理じゃない?」


「じゃあ……」


 少し考えてから、フウカは振り返った。


「景色の一部だと思ってください」


「景色の……一部」


 もう一度、ファインダーを覗く。


 青い空。


 草原。


 遠くの街。


 そして、その中に立つフウカ。


 今度は不思議と――指が動いた。


 カシャ。


「……撮れた?」


「撮れた」


「どうでした?」


「……分からない」


 俺は苦笑した。


「現像してみないと」


「あっ、そうでした」


 フウカも笑う。


「じゃあ、ちゃんと写ってることを祈っておきます」


「急に不安になること言わないでくれる?」


「だってケントさん、ものすごく緊張してたから」


「……否定できない」


「でも」


 フウカは少しだけ照れたように、視線を逸らした。


「ちゃんと写ってたら、大切にしてくださいね」


「もちろん」


 何気ない一枚だった。


 まだ恋人でもない。


 ましてや、未来のことなど何ひとつ知らない二人。


 数日後。


 現像と定着を終えた感光媒体から焼きつけた一枚を見て、フウカはしばらく黙り込んだ。


「……ケントさん」


「うん?」


「これ……人物写真じゃないです」


「えっ!?」


「完全に『絶景の前に、たまたま女の人がいた』写真です」


「ダメじゃん!」


 思わず頭を抱えた俺を見て、フウカが声を上げて笑った。


「でも――」


 彼女はもう一度、写真を見る。


「……好きですよ、私」


「…………」


「だってこれ、たぶん――」


 フウカは微笑んだ。


「ケントさんが最初に撮った、私の写真でしょう?」


「……そうなるね」


「じゃあ、大切にしてください」


「もちろん」


 このときの俺は、まだ知らなかった。


 この何気ない一枚が――。


 俺が生涯、手放すことのない写真になることを。


      *


 《星降りの丘》での撮影を続けているうちに、太陽が傾き始めた。


「ケントさん! こっち!」


「なに?」


「今、光すごく綺麗!」


 二人で丘の反対側へ走る。


 その先に広がっていたのは――。


 黄金色に染まったアステリアの大地。


「わぁ……!」


「……これは撮る」


「ですよね」


 二人並んで魔導撮影機を構える。


 カシャ。


 カシャ。


 同じ景色を、違う視点で切り取っていく。


 やがて日が沈み――空に最初の星が現れた。


「……ケントさん」


「ん?」


「今日、楽しかったです」


「俺も」


「また行きましょうね」


「もちろん」


 そこで俺は、ふと思いつく。


「そうだ。次は――」


 しかし。


 遠くから、馬の蹄の音が響いた。


 二人で振り返る。


 丘へ向かって、一騎の騎士が猛烈な勢いで駆けてくる。


「……?」


 騎士は俺たちの前で馬を止めると、息を切らしながら地面へ降り立った。


「ケント伯爵!」


 さっきまで笑っていた俺の表情が変わる。


「王都アルヴェリアより――至急の召喚状です」


「……王都?」


 フウカが呟いた。


「はい」


 騎士が差し出した封書。


 そこには――。


 アルヴェリア王家の紋章が刻まれていた。


「…………」


 俺は封書を受け取る。


 まだ、このときの俺たちは知らない。


 この一通の召喚状が――。


 二人だけの小さな撮影旅行を、遥かに大きな物語へ繋げていくことを。


 そして。


 王都で俺たちを待つ人物の名を。


 サクラ・アルヴェリア。


 アルヴェリア王国――女王。


「……女王陛下から?」


 風が吹き抜ける。


 俺の手の中で、王家の紋章が刻まれた封書が小さく揺れた。


 星見の丘で始まった、ほんの小さな出会い。


 その物語は今――。


 王都アルヴェリアへと繋がろうとしていた。


          ――第1話 了


次回 第二話「王都アルヴェリア

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