講演会
騒がしい聴衆は校長がステージに上がると同時に静かになった。会場が暗くなりスポットライトが彼を照らすせいか、彼の薄くなった頭が良く輝いている。
「お待たせしました。ただいまより、特別講演会を始めさせていただきます」
溢れんばかりの人で詰まった体育館は驚くほどの蒸し暑さだった。じっとりと湧き出す汗を拭うサナの横で、平然とした顔のままステージを見つめるチェキとエソラは異質な存在だった。彼らだけが冷房の完備された快適な空間にいるように思われてもおかしくはない。
「この夢のような講演会を開くことができたのは、本日講演いただく前園教授がここの卒業生であるからです。前園教授は後輩である貴方達のためにお忙しい中、わざわざお越し下さいました。前園先生は皆さんご存じの通り、セルを開発し日本だけではなく世界の平和に貢献した著名な方です。セルがなければ、人間はコアに食い潰され、その脅威に怯えながら生きていたでしょう。今の平和があるのはセルのお陰なのです」
学生もその親もマスコミも校長の言葉に心酔するように、黙って話を聞いていた。中には深く頷き、賛同をアピールする者もいた。
「さて、早速前園先生に登場していただきましょう。前園先生、どうぞこちらへ」
校長が段幕の向こうに呼びかけると、ゆったりとした足取りで白髪頭のスーツの男が現れた。目が落ち窪み、口はへの字に曲がっている。
「どうも、こんにちは。前園ヨウイチと申します」
前園は表情を和らげることなく、緊迫した様子で自己紹介を始めた。内容は砕けたものになりつつあったけれど、場が和むことはなかった。そのまま彼は学生時代の話やバスケットボールの話をしたけれど、チェキの耳にはちっとも入っていかなかった。彼はその背後に立つ若い男を注意深く観察していた。
男は黒いスーツを着ていた。ボディガードにしては華奢過ぎるし、補佐役にしては若すぎる。間違えて撮影現場に紛れ込んでしまったエキストラのように彼は滑稽だった。だからこそ怪しい。彼からはコアの気配がしないけれど、隠している可能性も十分にある。自分のように。
チェキは横に座っているエソラに視線をやった。エソラの眼は虚ろで、チェキのように背後の黒服を見ているのではなかった。彼はこの空間全てに意識を飛ばし、その反響を傍受しているのだろう。やがてエソラは眼を伏せて首を横に振り「いない」と小さく呟いた。
半身がいないと分かると、エソラは途端に脱力し退屈そうな顔をした。分かりやすく「はぁ」と深い溜め息を吐き、腰を滑らせてパイプ椅子に座った。講演会を聞きにきた者の礼儀としては、最悪のものだ。チェキが周りの者にこの無礼を謝るべきではないだろうかと一瞬迷うほどに。
講演会はチェキにとって物足りない内容だった。セルを創るために必要だったものは計画性とチームプレイだと語る前園は今日のために高校生を意識した台本を用意したのだろう。
講演は50分ほどで終わったけれど、その間セツナが帰ってこないことがチェキは気にかかっていた。どこかで倒れているのではないかとも思ったけれど、この人で埋め尽くされた会場を抜け出すことは不可能に思えた。チェキの力を以てすればここから消えて、会場の外へ抜け出すことは簡単なことだが、コアであることを知られるわけにいかないので控えるべきだろう。
やがて壮大な拍手音と共に会場が明るくなり、質疑応答の時間になった。
「せっかくの機会ですから、質問をたくさんしましょう」と語る校長はどこか誇らしげだった。
一斉にまばらに手が上がり、校長がランダムに当てた。
「前園先生のような科学者になるには、どうすればいいですか」という優等生の質問も、「セルを開発してどれくらい儲けられたんですか」という邪道な質問も飛び交う中、チェキはひたすら苛ついていた。
セツナがいない、この状態が彼から落ち着きを奪った。
そんな時、すっと横でサナが手を挙げた。その表情は真剣そのもので、セツナへの心配にとり憑かれたチェキでさえ冷水をかけられたように我に返った。彼女は颯爽と立ち上がり、澄んだ声で言った。
「セルに入れられたコアはどうなるのですか?」
周囲がぎょっとした様子でサナを見ていた。何故そんなことを訊ねるのだと責めるように鋭い視線が集まる。そんな中校長が空気を読み、「キミねぇ」と困った顔をしながらサナを宥めようとする。「何でそんなこと訊くの?」と問う校長の眼は明らかに嘲笑と迷惑の色を含んでいた。
「私達はセルとか、コアとか、あんまり知らないなぁって思うんです。ただ知りたいだけです」
強い口調だった。
「セルってどこにあるんですか? 拘置所は地図に載ってるのに、セルは地図に載ってないんですよね」
サナが質問を重ねる度に前園は目を逸らし、背を丸めた。まるで尋問を受ける被告人のようだとチェキは思った。
「そ、それは……」
前園の呟きがマイクを通して聞こえると同時に最前列の方から「前園!」と叫ぶ声がした。そこから噴き出すように放たれる気配は紛れもなくコアのものだ。
茶髪のウェーブパーマの中年女性が立ち上がり両手をステージに立つ前園に向けた。
チェキにはテロリストだとすぐに分かった。だが会場の聴衆には、つまりただの人間には彼女がコアであることが分からない。
「よくも……仲間を……!」
前園を恨むコアは多い。セルが作られたせいで、コア狩りが始まったのだから仕方ないのかもしれない。おそらく彼女は前園の暗殺を目的に侵入したのだろう。
「お前など殺してやる!死ね!!」
甲高い声が会場に響きわたり、ようやく聴衆がテロの現場に居合わせたことに気付いた。緩んだ場の空気が一瞬凍り付き、膨らんだ当惑が一気に爆発した。
「コアだ!」
誰かの一言で会場は騒然とした。ギャーとかキャーとか叫びながら、パイプ椅子を蹴散らしながら、皆が駆け足で走り出した。その混沌の中でもサナは動き出さなかったことにチェキは驚いた。彼女とチェキとエソラだけが、コアと向かい合う前園に釘付けになっていた。
コアは両手から赤い炎を放出した。渦巻く炎は真っ直ぐに前園を捉えていた。彼は焼き尽くされるとチェキは瞬間に判断し、サナを身体に引き寄せて顔を埋めさせその視界を閉ざした。若い少女が見るには、残酷でグロテスクなものだからだ。
しかし、彼の予想は大きく異なった。猛る炎は前園に届くことなく消えてしまったのだ。
「そこにいたのか」
先ほどまで蝋人形のように前園の背後にいた黒服の男が言った。不思議なことに悲鳴に満たされたこの空間でさえ、男の声はチェキの耳に届いた。
「さあ。狩りの時間だ」