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金髪のチンピラ

いつもはバスケットボール部とバレーボール部が占拠している体育館には、びっしりとパイプ椅子が敷き詰められ、「講演会会場」へと変貌を遂げていた。それでもどこか汗臭さを感じるのは、私の気のせいかもしれない。

椅子には既に疎らに聴講に来た人間が座っている。講演の内容というより、時の人を一目見ようと押しかけた人間が多そうだ。予想したとおりマスコミもいるようで、堂々と後ろでカメラを設置しようとしている。


「本当に前園ヨウイチってすごい人なんやなぁ」


体育館を見回しながらサナが言った。確かにそんな偉人が自分の高校の先輩であることは実感がない。

私達は真ん中よりも後ろめの席を選び、4人で並んで座った。私は気分が悪くなる可能性があったので、通路側に座った。


「みんな前園ヨウイチを見たいだけなんだよ」


エソラが笑顔で言った。私は心の中で「私達以外は」と付け足す。勿論、エソラもそう思いながら言ったのだろう。

何度も言うが、私達の目的は前園ヨウイチではない。前園ヨウイチの傍をうろつく「半身」に用があるのだ。前園ヨウイチがセルを発明した秘話やら、彼の苦労話などに全く興味がない。自分でも聴講者として最悪の態度だとは思う。


「まぁ、ただで見られるの、ラッキーなのかもしれんよ。最近は講演会とかにもあんまり顔を出さないっていうし」

「そうなの?」

「うん。昔は結構引っ張りダコでテレビとかにもすごい出てたけどさ、最近はそういうマスメディアだけじゃなくて、こういう講演会もあんまりしないみたい」


確かに小学生の時、私は前園ヨウイチを芸能人と勘違いしていたくらいだから、随分テレビに出ていたのだろう。ふざけたバラエティーにも、真剣なドキュメンタリーにも対応できる器用な人柄が功を奏してか、彼はほぼ毎日テレビに出ていたような記憶がうっすらある。


「彼がまさか自分の通う高校の先輩だなんてあの頃は思いもしなかったけど」


私が呟くように言うと、サナは深く頷いて私に同意した。


「まあ、セルを作って私達に平和をくれた張本人なんやから、感謝しても罰は当たらんよね」


私は曖昧に頷いた。そこで「違う」と言って激しく首を振ってサナと戦うことは無意味に思われた。コアを拒絶する世界が変われば、世界のあり方が変われば、サナも気付くだろうに。


エソラが私達の会話を聞いているのか聞いていないのか判断できなかった。ただ彼は焦げ茶色の染まった瞳を粗末なステージに向けている。その横顔はあの時の川辺で見たものと一緒だった。私の心臓の鼓動を多少なりとも急かしてくる。瞳や髪の毛をあまりに見つめていると、ニスが剥がれ落ちるように、あの元の色がはみ出してしまうような気がしたので、私は思わず目を逸らした。


来場者の数は私の予想を遥かに超えていた。ぎっしりと並んでいる椅子では足りずに、後ろには立ち見する人までいるほどに。不純な動機でここにいる自分が、ドカッと座っていることに少し罪悪感を感じたものの席を譲るほどの体力が私には無かった。奇妙な冷や汗が掌やワキの下に滲んでいる。


「ごめん・・・ちょっと」


始まる2分前に私は立ち上がり、会場を抜け出した。気持ち悪い。もういいだろう? 外に出てもいいだろう? としつこく、朝食で食べたトーストに投げかけられるような気分だった。

掻き分けて走り去る私を見る、聴講者達の表情から予想するに随分顔色は悪かったのだろう。


女子トイレに駆け込み、私は再度嘔吐した。こうして再度私の胃の中は空になった。それなのに、相変わらず気持ち悪さは残したままだ。

トイレから出てきた時、頭上の校内スピーカーからゆったりと話始める男の声が聞こえてきた。


『どうも、こんにちは。前園ヨウイチと申します』


どうやら既に始まったようだ。体育館に戻らなければ、と思う気持ちは強かったけれど、少し休んでから入るべきだという気持ちもあった。このまま人間がぎゅうぎゅうに詰まった体育館に入るのは、無謀な気がする。チェキ達に心配をかけるだろうな、と思いながらも、私の足は体育館裏のベンチに向かっていた。とりあえず、この気持ち悪さを克服してからにしよう。


『自分の母校で、このような機会を用意していただいて、私は幸せ者ですね』


私はベンチに腰掛けて、その講演に耳を傾けていた。目を閉じ、吹き付ける穏やかな風を感じていると多少嫌悪感が和らいだ。


『この学校も随分変わりましたね。私がここにいた頃は体育館はもっと向こうにあったのですよ。皆さんは知らないでしょうね。あの頃がとても懐かしい。私はバスケットボールに明け暮れていました』


大した話はするつもりはないのだろう。あくまで高校での講演会なので、楽しく分かりやすくというスタンスで開かれているはずだ。セルの仕組みやら、難しい科学を持ち出すような場ではない。


『少し悲しい話をしますと、バスケットボール部を引退して間もなく、私は親を失くしました。皆さんはご存知かもしれませんね。私の親は突如命蝕により消えてなくなりました』


勿論知っている。前園ヨウイチは命蝕で親を失くし、それを克服するための研究を続けてきた。神からの天罰にさえ思える恐ろしい災禍に、科学的に挑むその無謀な姿は人々の胸を打ち称賛された。


『親を命蝕で失ったことは私の転機でした。ひたすら勉強し名門と呼ばれるT大に合格し、ガムシャラにただ研究に没頭したのです。皆さんは勉強は好きですか? あぁ・・・好きではないと言いたいような顔をしている方が多いですね。私にとって勉強は好きとかではなかったんです。むしろ嫌いだったと思います。では何故私が勉学に励むことができたのか。それは執念です。人は執念で嫌いなことだってやり遂げることができるのです』


私は大きく深呼吸をした。湿った空気が一気に体内に入り込み、胃の中のモヤモヤがほんの少し緩和されたような気がした。ベンチに深く腰掛け、私は天を仰いだ。空は青く、今日は雲が流れるのが早いなと思った。


その時だった。


「何してるの?」


見知らぬ若い男に声をかけられた。私は男の容姿を見て警戒した。男は見た目、ただのチンピラだった。金髪で耳に小さなシルバーのピアスをつけている。黒いTシャツに黒いスキニージーンズをはいていて全身真っ黒だったせいで、悪魔のようにも見えた。


「キミ、聴きにきたの?」


男は無邪気に訊ねてくる。街中でナンパをされたことがあるが、その時に似ている。


「顔色、悪いね。大丈夫?」


男は私の前に立ち、顔を覗き込んだ。顔が思いの外近くて、私は思わず仰け反りそうになった。そんな慌てる私の様子を見て、彼は声を上げて笑った。


「そんな警戒しないでよ。俺は悪魔じゃない」

「は?」

「いや、キミ、俺のこと恐ろしい悪魔のような目で見るからさ」


男はニコニコと微笑みながら、私に視線を合わせるようにしてその場にしゃがみこんだ。


「勿論、ナンパしにきたわけでもない。俺は講演会のスタッフで見回りをしてるだけだ」

「すたっふ・・・?」

「一応訊くけど、キミ、テロリストじゃないよね」


私はぷっと吹き出して笑った。


「そんなこと訊かれて、『はい、そうです』なんていうテロリスト、いないよ」


私が指摘すると、男は優雅な笑みを浮かべて「そうだね」と言った。


「顔色がよくなったみたいだね。むしろ、頬が赤くなって健康的になった」

「え。うそ」


私は両手を自分の頬に触れた。先ほどまで無かった体温がほんのりと掌に伝わり、気がつくと先ほどまでの重苦しい胃の気持ち悪さはなくなっている。


「講演会に来たのか違うのかは知らないけどさ、前園先生の話、面白いから聴いた方がいいよ」

「うん。まぁここにいても彼の話は聞こえるけれど」

「まあね。その通りだ」

「貴方、大学生?」


見た感じで言うと、彼は大学生かフリーターでバイトをしているのだと予想した。高校生には決して見えないし、その垢抜けた金髪からは社会人とは考えにくい。


「惜しいなあ。大学院生だよ。正確に言うなら、博士課程だけど高校生のキミには分からないかな」

「博士課程ってことは、25、26くらい? そのわりには若く見えるけれど」

「正解は27だ」


男はゆっくりと立ち上がった。立ち上がる際、柔らかい土の上に彼のポケットから何かが落ちた。私は最初はそれが小銭入れに見えた。私の足元に落ちたそれを拾ってから付着した土を軽く払い、男に手渡した。


「財布、落としたら大変だよ」


私が指摘すると、彼は緩やかに首を横に振った。


「これは財布じゃないよ。名刺入れだ」

「名刺?」


名刺と彼の容姿が全然マッチしないので私が首を傾げると、男は得意げに名刺入れに指を突っ込み、一枚の白い紙を私に手渡した。



『T大生命工学研究所助教 佐原リョウ』



「助手? 大学院生じゃないの?」

「まだ博士号が取れていないからね」


私はその素っ気無い名刺に再び視線を落とした。金髪のチンピラのような男がT大の助教をしていることがにわかに信じがたい。


「じゃ、俺行くよ。サボってたら怒られる」

「うん。ありがとう。佐原さんのお陰で元気になった」


彼はにやっと笑って、首を振った。


「サハラ、でいいよ。じゃあね」


私はサハラと名乗った金髪の男が歩き去るのを見ていた。そういえば、以前にもこのようなことがあったような気がするが、若干頭痛がするので考えないことした。






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