待ち合わせ
「おはよう」
私がそう言うと、チェキは豆鉄砲を食らったような顔をしていた。既に私はブレザーの制服に着替えて、私の分のトーストと2人分のホットコーヒーを食卓に並べていた。
「セツナ。身体はもういいのか?」
チェキが心配するのも無理はない。一昨日の夜から嘔吐と熱で倒れていて、昨日もひたすら寝込んでいた私が、チェキよりも早く起きて朝食を用意することなど、信じられないことだ。私本人ですらそう思う。
「うん。昨日ずっと寝てたら、早く起きちゃったの」
私は笑顔でそう言った。実を言うと、完治していないという自覚はあった。早朝に目が覚めたのも、トイレに駆け込んで、胃液のようなものを吐き出して以降、眠れなかったからだ。
「無理はするな」
チェキは見透かすような目でそう言って、朝食の並んだテーブルに向かい合った。寝ぼけていたり、寝癖が酷いなど、先ほどまで眠っていたという気配は一切ない。洗練された表情で、いつもどおりのチェキだった。
「大丈夫。今日は行けそうだよ」
私が完璧な笑顔を浮かべていても、チェキは頬を強張らせたまま、じっと私を見つめていた。私ごときの完璧は、チェキに見抜かれてもおかしくはないと多少の覚悟はあった。
どんなに辛くても、今日は講演会に足を運ぶべきだと私は思っている。外部の人間が見られる講演会だといっても、おそらく観に来るのは生徒の身内ばかりだ。前園ヨウイチは、時の人なので、多少はマスコミも来るかもしれないけれど、それにしてもチェキとサンデとエソラが3人だけで乗り込むには目立つ恐れがある。学園の生徒である私とサナがいれば、その違和感も多少は緩和される可能性があるだろう。チェキが捕らわれていなくなるくらいならば、できるだけの努力をしてその危険率を下げるように努めるべきだ。
「まぁいい。お前が無理をしてでも今日乗り込むことは分かっていたことだからな」
「さすがだね。分かってる」
チェキは溜め息を吐いてからホットコーヒーに口をつけた。香ばしい豆の香りがダイニングに満ちていた。
私は胃の中が気持ち悪いものの、体力をつけるためにトーストを無理矢理口の中に放り込んだ。たとえ後に口から吐き出してしまうものであったとしても、食べないよりはいいだろう。
「ねぇ。確認したいんだけど」
「何を?」
「今日は前園ヨウイチの側近がエソラの半身であることを確認するために行くんだよね?」
「あぁ。その通りだ」
「じゃあ、チェキ達はそれを確認してどうするの?」
私が訊ねるとチェキは口につけたマグカップをお皿においた。
「今日は確認するだけだ。それ以上のことはしない。不服か?」
「いや。そういうわけじゃないんだけど」
「私達が半身の存在に気付いたことを知られては厄介だ。星に見つかりたくはない。行動を起こすならばもっと現状を知り、計画を立てるべきだ。あまり悠長なことを言っている時間がないのも確かだが」
なんとなく、ほっと胸を撫で下ろした。チェキがこれで捕らえられるという可能性が随分低くなる。
「なんだ。安心したのか?」
チェキにはお見通しのようで、少し笑みを浮かべながら尋ねた。
「手荒なことをして、チェキが送還されるのはイヤだから」
私がそう言うと、彼は「そうか」と穏やかに笑った。
「大丈夫だ。私はお前を守るために存在している」
「え?」
「私が捕まれ拘束されれば、セツナを守れないだろう?」
真正面から刺すような茶色の瞳でそのような気障な台詞を言われて、私はドギマギした。目のやり場に困ったので、私は窓の外から差し込む柔らかい朝日を眺めていた。
「まぁ、お前は半身のことなど気にせずに普通に公聴していてくれ。心配は無用だ」
そう言ってチェキは湯気の立ち昇るブラックコーヒーを啜った。
その後私達はチェキのクーペで、学園へと向かった。
時刻は9時20分。講演会は午前10時からなので、随分早く着いてしまった。まだ、サナもエソラもサンデも着ていないようだ。とはいえ、既に講演会の臨時スタッフは慌しく準備に追われており、バタバタと走り回っているのがわかった。
「結構、大きい講演会なんだね」
私が問うと、チェキは無表情のまま「そうだな」と同意した。
「前園ヨウイチは21世紀のアインシュタインだと言われている」
「そうなの?」
「あぁ。私もそう思う」
チェキはいつもよりどこか緊張しているようで、あの余裕のある笑みはない。むしろ険しい瞳で辺りを見回し、どこか警戒しているように見えた。
私は小声でチェキに問う。
「ねぇ。気配ってチェキにも分かるんだよね?」
「そうだな。ただのコアならば」
「半身は分かるのかな?」
チェキは少し首を傾げたまま天を仰ぎ、やがてゆっくりと首を横に振った。
「その可能性は低いだろうな。エソラがあそこまで気配を消せるならば、半身も充分に気配を消せるだろう」
「そうなんだ」
「まぁ。美少年が美女の真似事をするようなものだ。衣服で覆われてしまえば判別は極めて難しい」
チェキの例えを聞いて、私はすぐに桐谷リヒトの顔を浮かべた。完璧な美。未だに彼が男で、私の伯父であることは信じがたいことだ。
10分が経つ頃には来客が増えた。スタッフの忙しそうな緊迫した声も、やってきた人の声で掻き消されるようなほどに騒がしくなっている。
「セツナ。チェキさん」
やがて私と同様、紺のブレザーを身に纏ったサナがやってきた。
「久しぶりです。チェキさん」
丁重に頭を下げるサナは少し緊張しているのだろう。声はいつもより高めだった。
「久しぶりだね。いつもセツナがお世話になってます」
どこぞの親が言うような台詞をチェキが口にすることが滑稽に思えた。丁寧に頭を下げ、先ほどまで硬直していた顔の筋肉が解れ、柔らかい笑みを浮かべている。
「で、あの噂の彼は?」
サナが少し冷やかすような笑みを浮かべて私に訊ねた。冷やかしても私は彼の何でもないのに、と思いつつも私は普通に対応した。
「まだ、みたいだね。もうすぐ来るんじゃないかな」
「楽しみだなぁ。とっても格好いい人だったら、私、ときめいちゃうかもしれんなぁ」
サナは目を輝かせながら、どこか遠くを見つめている。その視線の先には、美化された大人びたエソラの顔があるのだろうが、実際は茶髪に青い目をもつ童顔のただの奇妙な少年だ。
「お待たせ」
背後からの声でエソラがやってきたのがすぐに分かった。私は振り返り、目を疑った。
そこに立っていたのは、あの赤茶色の髪の毛を漆黒に染め、焦げ茶色の瞳をしたエソラだった。
「遅くなってしまったかな」
「え、エソラ?」
「そうだよ。そんなに驚かなくてもいいだろ?」
私が驚いている理由は分かっているのだろうが、彼は全くしらばっくれ、サナに向き合った。
「サナ、ちゃんだよね。セツナから聞いてる」
私はサナの事をエソラに話した覚えは全くないが、とりあえず深くは考えないことにした。
「こちらこそ。エソラ、君っていうんだね」
「そうだよ。変わった名前だろ」
屈託のない笑みを浮かべるこの男もコアなんだよ、とセツナは心の中でサナに囁いた。勿論その声が彼女に届くわけはない。
「連れは後で来るよ。先に行こう」
外部からの来訪者であるエソラに何故か手を引かれながら私達は講演会会場の体育館を目指した。




