青い月の半身
しなやかな赤みがかった猫毛を撫でながら、彼はチェキを見て、私を見た。相変わらずうっすらと笑みを浮かべたまま、「粗茶ですが」などと似合わないことを口にした。
「器用なものだな」
チェキはふっと頬を緩ませた。
「お前からはコアの気配がしない」
「すっかり消してるから。コアナンバー2のあんただろうと分からないよ」
そういえばチェキに聞いたことがある。ヒトの形をしたコアであったとしても、コアにはそれがコアであるとはっきりと分かるらしい。それは人間が男女を判断できるように、単純かつ容易なことだそうだ。だが時にそういった気配を隠せる者が存在する。チェキもその1人だ。彼は用心して、いつもその気配を消して生活をしている。コアが厳重に取り締まられているこの世界で生きていくには必要なことなのかもしれない。
というより、エソラの言うコアナンバー2とはどういうことだろう。私が怪訝な表情を浮かべていると、「ナンバー1はリヒト様だから」と説明にもならないことを傍らにいたサンデが言った。
「実はここに呼んだのはおれなんだ」
犬歯をにっと出してエソラが笑った。無邪気な少年のように見えた。
「さっきチェキが言ったように、ろくでもない話がしたくて」
3人で描く正三角形が4人になり平行四辺形を描いた。チェキはあぐらをかいて座り、白い脹ら脛をポリポリと掻いている。
「サンデとナオトには既に話したんだ。率直に言えば、事態はあまり思わしくない方向に動いている」
内容とは裏腹に、エソラの声はあまり深刻な色を帯びていなかった。物語を読み聞かせるような、優しさや温かさすら感じる口調だった。
「邪悪な意思が再び動き出そうとしている」
邪悪な意思。先ほどからその曖昧なキーワードのような言葉が放たれているが、私には意味が分からない。話に水をさすのは多少、はばかれたものの訊かずにはいられなかった。私の問いを誰も咎めなかった。エソラがしばし目を伏せてからゆっくりと語りだした。
「邪悪な意思とは命蝕を創った存在のことだよ。彼は自らを星の思念体と称したから、サンデ達は『星』と呼んでいるみたいだけど」
「星……?」
「星は自らの悲願を叶えるために、世界を巻き込んだ壮大な破壊を画策した。それが20年前だ」
20年前。日本にミサイルが投下され、報復としてアメリカにコアが派遣され破壊の限りを尽くした。当然私はそこにいない。まだ私は命として存在すらしていない。
「セツナの両親はそれと戦っていた。そして勝った。自らの振るう青い刃と引き替えにね。青い刃は邪悪な意思を飲み込み、その強大な力に耐えきれず粉々に砕け散った。それが星が降った日。どう?つながった?」
エソラの語る歴史は、どの世界史の教科書にも載っていない。それは誰も知らない裏側の歴史だから。
「あんまり昔をほじくるとチェキの顔色が今以上に悪くなりそうだから、この辺にしておくよ。ただ、安心していい。一度絶たれた操り人形の糸はもう元に戻ることはない」
エソラがちらりとチェキを見やる。確かにいつもの白い顔が青白く、表情も曇っている。私は好奇心で質問をしたことを恥じ、深く後悔した。
私はチェキの過去も裏側の歴史も一部しか知らない。私が知っていることは、「世界が20年前の全てをコアに押しつけて、歪んだ偽りの姿をしていること」「チェキがコアであり私の両親の友人であること」「彼が星が降った日に深く関与していること」くらいだ。あまり知ろうとすれば、大切なものを傷つけ、多くを失ってしまうのではないかという不安に駆られた。しかし頭の片隅でエソラの声が聞こえる。
「裏側の世界を見てみろよ」
その声は、熱い烙印を押されるようにくっきりと私の脳裏に残っている。私が裏側を見ることに一体どれほどの意味があるのだろうと思いつつも、目を逸らし続けることに苛立ち憤怒する自分がいるような気もする。
「さっきサンデが言ったように、おれは青い刃の半身。おれは産まれたときから疼きを感じている」
「疼き?」
「共鳴と言った方がいいだろう。世界中に散らばった砂の石、つまりはおれの一部を感じている。おれは石を求め、石はおれを求めている」
大きめの緑色のTシャツから伸びている白い華奢な右腕を、左腕でさすりながらエソラは言った。
「だから、おれはまだ世界に小さな青の欠片が存在していることを知っている。大事なのは今から告げることだが」
彼はゆっくりと息を吐いた。
「おれの半身がこの国にいる。ヒトの形を持ち、失われたはずの邪悪な意思を引き継いだ者が」
大人しく話を聞いていただけのチェキが声を上げた。目を大きく開き、頬が不自然に強ばっている。一方で、サンデは目を伏せたままじっとしている。以前に聞いた訃報を重ねて聞き、嘆いているように見えた。
「おれは1年前にこの姿を得て産まれたけれど、半身はその時には既に存在していたと思う。いつかは分からないけれど」
「会ったことはあるのか?」
「見たことは」
「見かけた、という意味か?」
エソラは首を横に振る。
「見に行ったんだ。大学の講演会に来てたから」
「講演会?」
「うん。チェキは前園ヨウイチって知ってる?」
「当たり前だろう。セルを発明した科学者の名前だ」
不思議なことに、同胞が捕らわれ隔離される檻を開発した男に対してチェキは敬意を払っていることを私は知っている。私が何故だと訊ねて、「偉大な科学者を尊敬するのは普通のことだろう」とやんわりと返されてしまったのを思い出す。
「おれは疼きの感覚を頼りに、半身を探した。そしたら前園の講演会会場にいたんだ」
「前園が?有り得ないだろう」
「いや、あいつじゃない」
私の頭の中はパニックになりつつある。前園ヨウイチの名前が飛び出した段階で、私の頭の中では慌ただしく会議が始まっている。今すぐスケジュール帳を見て頭を整理すべきかもしれない。
確か来週……――。
「じゃあ誰なんだ」
「前園の付き人みたいなやつだった。講演中も後ろに立ってたし」
無名の付き人ならば、いくら博識のチェキでも名前は分からないだろう。
「単刀直入に言うなら、半身を放置しておくとまた悪夢が起こる。おれはやつを止めるべきだと思っている」
「……一縷の望みを以て言わせてもらうのだが」
チェキが珍しく辿々しい口調で言った。
「お前の半身は、本当に星の意思を持つ者なのか?」
エソラは一瞬同情したような瞳をしたが、きっぱりと「間違いない」と言った。
「半身は星そのものだよ。おれが言うのだから間違いない。あんたが信じようと信じまいと、あいつはもう動き出している」
「何を知っている?」
エソラは頬を人差し指で掻きながら、どう説明すべきか思案しているようだった。
「おれ達は元々ひとつだったわけで一瞬だけど、おれが星でもあったわけだよね。だから既におれから抜け出てしまった星の計画も少しは把握している。星はね、青い刃に負ける前から、リヒトの身体を奪う計画とは別に、もう1つの計画を立てていたんだ。それがセル計画。コアを一カ所で保管し、一気に凝縮させ究極の肉体を生み出す計画だ」
「何だと?」
「勿論、その肉体は星のものになるんだ。ね、充分『邪悪な意思』だろう?」
エソラは相変わらずうっすらと微笑を浮かべている。それが先ほどとは異なり冷笑であることに気付き、私は背筋に氷を当てられたように身体を震わせた。
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