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訪問

私は黒のクーペに揺られながら一枚のメモを見つめている。行儀が悪いとは知っているが、私は助手席で膝を抱えて座っている。メモには黒のボールペンで漢字がつらつらと書かれている。それが、私達の行き先であり、サンデの家の住所だ。


「これってそんなに遠くないよねぇ」


私が訊ねる。明らかに私の家から車で10分以内に着くだろう。チェキは短く「そうだな」と言った。


「ねぇ。サンデのことなんだけど……」


私はあのニット帽をかぶった日本人離れした顔を思い出す。


「彼はチェキの友達なんだよね」

「友達、というのは正しくないな。同志だった」

「同志?」

「強引に友という言葉を使うなら、戦友というべきか。彼と会うのはお前が生まれて以来だった」


久しぶりの再会を私が邪魔をしてしまったのではないかという不安が私を襲ったが、心を読み取るように「気にするな」とチェキが先手を打った。


「私はあの男と馴れ合う関係ではない。今から彼に会うのも、重大な話があるというからだ。それ以外の理由はない」


素っ気無い態度だが、若輩者の私にはチェキの心が読み取れそうにない。照れ隠しをしているのではないかという疑惑もわずかに抱きながら、一方でチェキが馴れ合う存在などこの世に存在しないのではないかと思ったりもする。チェキはいつもクールで世界の全てを達観している。目線を同じにしてニコニコ笑うチェキは、想像ができない。


「チェキは自分のことを全然話してくれないね」


ぼそっと不満を告げると、チェキは目を丸くしてこちらを見た。信号が赤になって、停車中とはいえ、運転中に私に視線を向けることは珍しいことだ。


「いきなりどうした」

「いや、なんとなく。私ってチェキとずーっと一緒にいるのに全然チェキのこと知らないなって思ったの」

「セツナに自らのことを話す必要性について、あまり考えたことがなかった。私に興味があるのか?」


冷やかす口調ではなかった。ただ、必要か必要ではないのか、その事実を確認しようとしているだけだとすぐに分かった。


「思春期なんだよ。いろいろ興味があるんだよね」

「思春期か。私にはなかったものだ」


私はふと先日の不思議な夢を思い出す。チェキが子供のように、暗闇で泣いている夢。あのような脆く壊れそうなチェキを私が頭の中で創り出せたことがすごいことだと思う。彼に脆さはない。私は少なくとも、チェキにそのような弱さは存在しないのではないかと思っている。


「ねぇ。チェキはいつコアになったの?」


彼はしばらく黙っていたけれど、信号が青になり車が走り出すと同時に口を開いた。


「4歳の時だ」

「4歳……」

「それ以前の記憶はない。私は4歳の時からこの姿だった。コアはヒトであったり、犬であったり、植物であったり、コアとなる前の生命としての記憶が残っているが、私にはそれがない」


チェキは淡々と語った。決して感情的になることはない。寝床で昔話を語るようだった。


「赤子の頃の記憶など誰も知らない。ある意味、私は楽だったのかもしれないな。自我が生まれた頃には既にコアだったのだから」

「どういうこと?」


チェキの瞳が少しきらりと光った気がした。


「ある日突然コアになるということは辛いことなんだ」


また反則技だ。チェキは世界中の女子を虜にしてしまうあの目をこちらに向けた。


「着いたぞ」

「え?」

「降りろ」


ぽっかり口を開けたままの私に一言そう言って、彼は思い切りハンドブレーキを引いた。


前方には決して住み良いとは言いがたいようなアパートがあった。少し色褪せた白壁に「コーポ双葉」と書かれている。4階建ての古いアパート。単身赴任のサラリーマンや下宿する大学生がたくさん住んでいそうだ。


「ここの303だよ」


私はメモを見ながらチェキに告げた。303ということは3階にあるのだろう。夏バテで脱力しきった私の体は3階まで登り切れるのだろうか。

蝉がミンミンと喧しい声で鳴いている。ギラギラと差し込む太陽の光に、私の皮膚は悲鳴をあげている。


「行こうか」


チェキが歩き出し、私はその背中を追いかけた。階段のところどころに蝉や蛾の死骸が落ちている。大家さんもこんな日に掃除はしないだろうな、と納得する。それにしても虫の死骸が目立つなぁと思っているとチェキが「汚い」と短くなじった。


「私はここに住めそうにない」

「だろうね」


チェキの綺麗好きは共に住んでいると嫌というほど感じることだ。部屋には埃が一切ない。あの家で汚いのは私の自室だけで、他の場所は徹底的に清潔に保たれている。カップ麺やら脱いだ服やらが散らばる汚い部屋に埋もれたチェキの姿も想像できないなと私は心の中で小さく笑った。


303号室の扉の前でぜぇぜぇと息を切らしている私の横には整然と立っているチェキがいる。彼はその長い指で、扉の横にあるインターホンを押した。


ピンポーンと平凡な音がした。


そのまま扉を見つめて、それが開くのを待つ。待ち続ける。

しかしながら扉は1分経っても開かなかった。私は不安を感じ、ポケットに入れた住所が書かれたメモをもう一度確認する。


「あってるはずだけど」


私がそう言うと同時に、扉の向こうでガチャガチャと鍵か何かをいじる音がして、ゆっくりと扉が開いた。


「待ってたよ、チェキ、セツナ」


そこに立っている存在が自分の予想とは異なったので、私はパニックに陥った。チェキも混乱しただろうが、きっと私の方が混乱したはずだ。そこに立っていた者は私の知り合いなのだから。


「エソラ?」


寝癖のついた猫毛を撫でながらあの川辺で出会った青年が立っている。扉の向こうで彼はにっこりと微笑んだ。私は戸惑いを隠せないまま、彼の微笑みを見つめていた。


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