第39話:鋼鉄の接吻、嵐呼ぶ白兵戦
黒煙を噴き上げながら雲海へと没したはずの銀狼が、死の淵から這い上がる亡霊のように再び姿を現したのは、リベルタ号が勝利の安堵に包まれたわずか数十秒後のことだった。
ズドンッ!
船底から突き上げるような衝撃が走り、リベルタ号の船体が大きく傾いた。
食堂のテーブルの上で、空になったスープ皿が音を立てて滑り落ちる。
「なっ……何事だニャ!?」
操舵輪にしがみつくキリルが悲鳴を上げる。
モニターには、船体の左舷後方に何かが食らいついている映像が映し出されていた。
それは、片翼をもがれ、機体中が油と煤で汚れたザインの隊長機だった。
墜落寸前、彼らはリベルタ号に向けて強制接舷用のアンカーを撃ち込み、文字通り道連れにする覚悟で船体にしがみついたのだ。
「しつこい客だ。……玄関から入れないなら、窓を割ってでも入る気か」
レンが舌打ちをする間もなく、外部スピーカーから金属が擦れる不快な音が響く。
敵機のハッチが爆砕され、そこから銀色のスーツに身を包んだ数名の人影が、暴風雨の吹き荒れるリベルタ号の甲板へと飛び移ってきた。
「総員、白兵戦用意! 甲板で迎撃する!」
レンの号令が飛ぶ。
誰よりも早く反応したのは、巨躯の元騎士団長、ガイウスだった。
彼は愛用の大剣――リベルタ号の装甲板を削り出して作った無骨な鉄塊――を背中から引き抜き、猛獣のような咆哮と共にブリッジを飛び出した。
「騎士の風上にも置けぬ暗殺者どもめ! このガイウスが引導を渡してくれる!」
甲板に出ると、そこはすでに地獄のような有様だった。
北の空から迫る雷雲の影響で、叩きつけるような雨と、立っているのもやっとの暴風が吹き荒れている。
濡れた鉄の床は氷のように滑りやすく、一歩間違えれば雲の下の奈落へと真っ逆さまだ。
その過酷なステージの上に、三人の白銀の騎士たちが立っていた。
先頭に立つのは隊長のザイン。
彼のバイザーは半分砕け、そこから覗く瞳は憎悪と狂気で血走っていた。
彼らの腕には、船体を貫いたのと同じ穿孔弾が装着され、鋭い杭が雨の中で冷たく光っている。
「逃がさん……! 貴様らごときドブネズミに、我ら白銀の騎士が屈辱を味わわされたまま終わってたまるか!」
ザインが叫び、パイルバンカーを構えて突進してくる。
その速度は、強化外骨格スーツの補助によって人間離れしていた。
「騎士を名乗るな、下郎!」
ガイウスが立ちはだかり、大剣を横薙ぎに一閃する。
剛剣の風圧が雨粒を弾き飛ばす。
だが、ザインは空中で軌道を捻じ曲げ、紙一重でそれを回避した。
背面のブースターが青い光を噴き、ガイウスの懐へと潜り込む。
「遅い!」
ガギンッ!
ザインの腕から射出された杭が、ガイウスの胸当てを直撃した。
火花が散り、ガイウスの巨体が後方へとタタラを踏む。
だが、杭は貫通していなかった。
ガイウスが装備しているのは、レンが深淵の甲殻類から作り出した超硬度アーマーだ。
「ぬんッ!」
ガイウスは衝撃を筋肉の鎧で受け止めると、そのままザインの腕を鷲掴みにした。
「捕まえたぞ、小バエが!」
「なっ、離せ!」
ザインがブースターを全開にして振りほどこうとするが、ガイウスの万力のような握力は緩まない。
そこへ、他の二人の暗殺者が左右から襲いかかる。
彼らはガイウスの死角を突き、関節の隙間を狙ってナイフを突き出した。
「隙ありだニャ!」
右から迫った暗殺者の顔面に、どこからともなく飛来した影がドロップキックを叩き込んだ。
キリルだ。
彼は濡れた甲板などものともせず、四つん這いの姿勢で獣のように駆け回り、マストや手すりを足場にして立体的に攻撃を仕掛ける。
「ちょこまかと……!」
「ここは俺の庭だニャ! スラムの屋根より足場がいいくらいだニャ!」
キリルは爪を閃かせ、暗殺者のスーツの関節部分を引き裂いていく。
一方、左から迫った暗殺者の前には、静かにレンが立ち塞がった。
レンの手には武器がない。
ただ、その義手が雨の中で青白く発光しているだけだ。
「死ね!」
暗殺者がパイルバンカーを突き出す。
音速を超えて射出された鉄杭が、レンの眉間を狙う。
だが、レンは避けなかった。
彼は瞬時に左手をかざし、迫り来る杭の先端を、あろうことか素手で掴み取った。
キィィィィィン!
激しい金属音が鼓膜を劈く。
レンのブーツが甲板を削り、火花を散らしながら数メートル後退する。
だが、杭はレンの手のひらで完全に停止していた。
「ば、馬鹿な……!? パイルバンカーを止めた!?」
暗殺者が愕然とする。
レンはニヤリと笑い、掴んだ杭に魔力を逆流させた。
「構造は理解した。……加速機構には圧縮空気と魔力カートリッジのハイブリッドを使っているな。悪くない設計だが、安全装置が甘い」
クラフト・暴発。
レンが魔力を送り込むと、暗殺者の腕に装着された装置が赤く発光し始めた。
内部の圧力が限界を超え、異常な熱を発する。
「う、腕が!? 熱い、外れない!?」
「素材としては上等だ。いただくぞ」
レンが指を鳴らす。
ボンッ!
小規模な爆発が起き、暗殺者のパイルバンカーが内部から破裂した。
武器を失い、腕を負傷した暗殺者が悲鳴を上げて転げ回る。
レンはその隙を見逃さず、暗殺者の胸倉を掴んで引き寄せた。
そして、彼が着ている銀色のスーツに手を触れる。
「このスーツの迷彩回路、どういう仕組みだ? ……なるほど、ミスリル繊維に光魔法を編み込んであるのか」
レンの解析は一瞬で終わった。
彼は無造作にスーツの首元にある制御ユニットを引きちぎった。
スーツの機能が停止し、銀色の輝きが失われる。
「返せ! それは国家機密だぞ!」
「知ったことか。俺の船の修理パーツだ」
レンは無力化した暗殺者を蹴り飛ばし、甲板の端へと転がした。
殺しはしない。
この高さから落ちればどうなるか、それは運次第だ。
一方、ガイウスに捕まっていたザインも、必死の抵抗を続けていた。
彼は隠し持っていたプラズマナイフを起動し、ガイウスの腕を切りつけようとする。
だが、その刃が届く前に、レンが背後からザインのパイルバンカーを掴んだ。
「隊長さんよ。随分と執着心が強いな」
「貴様……レン! 貴様さえいなければ、我々の任務は完璧だったのだ!」
「任務? くだらないな。お前らが守ろうとしているのは、腐った貴族の安眠だろう」
レンは冷徹に言い放ち、ザインの腕からパイルバンカーを強引に引き剥がした。
バキバキと音を立てて固定具が砕ける。
「ぐあああっ!」
「この杭打機、船底のフジツボ落としに使えそうだ。貰っておく」
レンは奪い取った武器を放り投げ、丸腰になったザインの前に立った。
雨に打たれながら、二人の視線が交錯する。
エリート暗殺者の狂気と、Fランクの職人の冷徹。
勝敗はすでに決していた。
「くそっ……こんな、こんな薄汚い船に……!」
ザインが最後の悪足掻きで拳を振り上げる。
だが、レンはその拳を軽く受け流し、カウンターで鳩尾に掌底を叩き込んだ。
衝撃波が背中へと突き抜ける。
ガハッ。
ザインが膝から崩れ落ちる。
レンは倒れたザインの襟首を掴み、引きずって船べりまで運んだ。
眼下には、荒れ狂う雲海と、黒い嵐が口を開けて待っている。
「ここが終点だ。……お前らの好きな『見えない場所』へ帰るんだな」
「ま、待て……助け……」
ザインの懇願を無視し、レンは手を離した。
強風に煽られ、白銀の騎士は木の葉のように吹き飛ばされていく。
その悲鳴は、瞬く間に轟音の中へと消えていった。
「片付いたか」
ガイウスが大剣についた雨水を払い、鞘に収める。
キリルもまた、甲板の手すりに飛び乗り、周囲を警戒していた。
「残りの一人は逃げたみたいだニャ。根性なしだニャ」
「深追いは無用だ。……それより、本番はここからだぞ」
レンは視線を前方に向けた。
リベルタ号の目の前には、世界を隔てる壁のような、巨大な雷雲の渦が迫っていた。
天空の墓場を取り囲む、天然の要塞『轟雷帯』だ。
紫色の稲妻が無数に走り、空気が焼ける臭いがここまで漂ってくる。
「リア! 進路そのまま! あの嵐の中心へ突っ込むぞ!」
レンがブリッジに向かって叫ぶ。
スピーカーから、リアの緊張した、しかし力強い声が返ってきた。
「はい! 魔眼、最大出力! 雷の通り道を見切ります!」
「よし、全員掴まれ! 振り落とされるなよ!」
リベルタ号のエンジンが限界まで唸りを上げる。
レンたちは奪い取った白銀の装備を抱え、急いで船内へと退避した。
ハッチが閉ざされた直後、リベルタ号は巨大な竜の顎のような雷雲の中へと飲み込まれていった。
視界がホワイトアウトするほどの閃光。
鼓膜を引き裂く雷鳴。
船体は木の葉のように揺さぶられるが、リアのナビゲートとキリルの神懸かり的な操舵によって、奇跡的に直撃を免れて進んでいく。
そして、長く苦しい乱気流を抜けた先。
突然、風が止んだ。
「……抜けたか?」
レンがモニターを覗き込む。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
黒雲のドーナツ状の壁に囲まれた、ぽっかりと空いた青空の空間。
その静寂の空に、無数の島々が浮遊していた。
いや、島ではない。
それは、苔と蔦に覆われた、巨大な古代戦艦の残骸たちだった。
「ここが……天空の墓場……」
誰かの呟きが漏れる。
数百年、あるいは数千年前に空を支配していた鋼鉄の巨人たちが、静かに眠る場所。
レンの職人としての血が、ドクンドクンと高鳴り始めた。
ここにあるのはただのゴミではない。
世界を変える力を秘めた、宝の山だ。
「上陸準備だ。……さあ、宝探しの時間だぞ」
レンの瞳が、少年のように輝き出した。




