14. RE:Genesis復活の狼煙
翌日の昼下がり。ギルドの医務室には、重苦しい空気が漂っていた。
ベッドの上で上半身を起こしたタケルは、信じられないものを見るような目でヴァルガンを見つめていた。
「は? 辞退……?」
夏祭りの参加がどうなったか、話をすべて聞いたタケルの声が震える。
「何言ってるんですか!? 辞退って……自分から断ったってことですか!?」
「そうだ。貴様の回復を優先した結果だ」
ヴァルガンは腕を組み、平然と答える。その態度が、タケルの導火線に火をつけた。
「ふざけるなよッ!!」
タケルは布団を跳ね除け、点滴スタンドを引きずるようにしてヴァルガンに詰め寄った。
「なんで、もう少しで届いたのに! 俺が寝てる間に勝手なことしないでくれ!!」
涙がポロポロと溢れ落ちる。悔しさ、情けなさ、そして絶望。
自分が倒れなければ、自分がもっと頑丈だったらヴァルガンを夏祭りのステージに立たせられたのに。足手まといになってしまったという自己嫌悪が広がっていく。
「俺の体調なんてどうなってもいい! ヴァルガンがステージに立てないなら、全部意味がないんだ! 俺がどれだけ準備したと思ってるんだ!? どれだけ……!」
タケルはヴァルガンの胸をドンと叩いた。微力な拳、そこには悲痛な叫びが込められていた。
「落ち着け」
ヴァルガンはタケルの両肩を掴み、正面を向かせた。
「なぜだ。なぜそこまで、己を殺して我を輝かせようとする?」
「そんなこと──」
「いいや、殺している」
ヴァルガンの真紅の瞳が、心の奥底を覗き込む。タケルはなぜアイドルを応援するのか、なぜ何よりも優先するのか。その本心の在り処を。
「ただの忠誠心ではない。貴様のその異常な献身は……まるで『自分自身』を消そうとしているように見えるぞ」
「……」
図星だった。
その言葉を聞き、タケルの力が抜ける。支えを失った人形のように、ベッドにすとんと座った。沈黙がその場を支配する。だが、ヴァルガンはタケルが自分から話すのをただ待っていた。
「……俺には、何もなかった」
タケルは俯いたまま、ポツリと語り出した。
「特別な何かになれるって、そう信じてたけど……俺はただの『その他大勢』だった。スポーツをやっても三流、勉強もそこそこ」
「……」
「ずっと空っぽだった。だから、がむしゃらに働いて、社会の歯車になることで……自分が必要とされていると思い込みたかった」
タケルの脳裏に灰色の日常が蘇る。満員電車、終わらない残業、誰からも感謝されない日々。ブラック企業はある意味、空っぽの彼にとってはちょうどよかった。とにかく働いてさえいれば、認めてくれるから。
「でも、アイドルを応援している時だけは違った。ああ、俺も生きてるんだって実感を得られた」
少しずつ着実に、夢に向かってステップアップしていくアイドルたちの姿。とても眩しくて、かつて憧れた『特別な物語』の象徴だった。
「夢が叶ってすごい。頑張れ、俺が応援して支えるから。キラキラしたアイドルをそうやって応援している時だけ、俺の空っぽな人生も少しだけ輝いて見えた……」
タケルは顔を上げ、涙に濡れた瞳で訴えた。
「……ヴァルガンには才能がある、力がある! だから、俺みたいにならないでほしいんだ! 俺を踏み台にしてでも、一番高い場所に行って輝いてほしいんだよ!!」
タケルの自己犠牲の正体、それは自分には価値がないという強烈な劣等感。推しの光の中に自分を埋没させることでしか、生きる意味を見出せない悲しきファンの性。
「……」
ヴァルガンは何も言わなかった。
慰めることも、否定することもしない。鼻を一度鳴らすと、懐からくしゃくしゃになった紙切れを取り出してタケルの顔面に無造作に放った。
「ぶふっ!?」
「見ろ」
「え、何……?」
涙を拭いもせず、タケルは顔に張り付いた紙を剥がして視線を落とした。そこには思いつきをそのまま書いたような乱筆で、次回ライブに向けた構成案らしきものが書かれていた。
「我なりに次の『教官ライブ』のプランを考えた。貴様が寝ている間、暇だったからな」
「ヴァルガンが、自分で……?」
魔王が自ら構成を考える。その成長に、タケルは胸を打たれ──かけた。
【魔王ヴァルガン・教官ライブ構成案】
「オープニング」
登場と同時に『覇王の咆哮』を使用。観客の三割を気絶させ静寂を作り出し、聞き取りやすい環境を作る。
「自己紹介MC」
我の偉大さを説く。三時間。
「ファンサ(交流)」
ハイタッチ会を実施。 接近してきた愚民の手を全力で握り潰し、その強度で信仰心を試す。(骨折可)
「ラスト」
会場を更地にする。
「…………」
すべて読み終わると涙は一瞬で引いた。代わりに、冷や汗が噴き出す。
タケルの手が震える。恐怖と怒りからだ。これはライブのセットリストではない、テロの犯行予告。
「どうだ。特にハイタッチは妙案だろう? 貴様が以前言っていた『ファンとの触れ合い』を物理的に解釈した」
「……」
「あまりの完成度に言葉も出ないか」
「ふざけんなあああああっ!!」
タケルは点滴の管を引きちぎらんばかりの勢いで跳ね起きた。
涙は完全に乾いていた。プロデューサーとしての本能が、死にかけていた心と体を強制的に叩き起こしたのだ。
「初手で三割気絶させてどうする、客が減ってんだよ! それにMCで三時間ってどういう構成だよ拷問か!?」
「む? では二時間に」
「時間の問題じゃねぇ! あとハイタッチは握力測定じゃねぇんだよ! 骨折可ってなんだ、免責事項みたいに書くな!」
タケルはサイドテーブルから赤ペンを引ったくると、鬼の形相で紙面にバツ印を書き殴り始めた。
「あのなヴァルガン! ハイタッチってのはこう、ソフトに! 『来てくれてありがとう』の気持ちを込めて手のひらを合わせるんだ! 腕力は込めるな、愛を込めろ!」
「安静にしておらんと死ぬぞ」
「こんなもん世に出されたら俺が社会的に死ぬわ!!」
ぜぇぜぇと息を切らしながら、タケルは修正案を書き連ねていく。その顔には、先ほどまでの悲壮感は微塵もなかった。あるのは手のかかる担当アイドルをどうにかしなければならないという、焦燥と使命感だけ。
その様子をヴァルガンは満足げに見下ろしていた。
「……フン。やはり貴様の指揮がないと、我はただの暴君になってしまうらしい」
「え?」
不意に聞こえた言葉に、タケルはペンの動きを止めた。ヴァルガンは笑みを浮かべ、書き直されたプランを指差した。
「見ろ。貴様の文字が入っただけで、それは『イベント』に変わった」
「あ……」
「貴様は、自分が空っぽだと言ったな。ならば、今の我を作ったのは誰だ? 我と共にビラを配ったのは? 大雨の中で我の名前を叫んだのは? 絶望的なノルマを笑顔でこなしたのは?」
ヴァルガンは、タケルの胸に拳を当てた。
「それはすべて、貴様という人間の『力』だ。貴様がいなければ、我はただの不審者として討伐されていたかもしれん。貴様がいたから、我は『アイドル』になれたのだ」
ヴァルガンの拳から伝わる熱が、冷え切っていたタケルの心を溶かしていく。
「我が目指す頂は、我一人の野望ではない」
「……」
「我と貴様、二人の野望だ」
医務室の静寂の中、ヴァルガンの声だけが力強く響く。
「どれだけ豪華だろうと、貴様のいないステージは我にとってつまらん玉座だ。我を一人にするな、相棒」
タケルは呆然と、自分の手元を見た。赤ペンで埋め尽くされた紙。そこには確かに、タケルにしか描けない『魔王の活かし方』があった。
──俺を踏み台にしろ? とんだ思い上がりだ。踏み台どころか自分がいないと、この魔王様は観客の骨を折りかねないのだから。
「……はは、確かに。こんなの放っておけるわけがない」
タケルは力なく、だが確かに笑った。
「修正、続けるか。このままだと出禁どころか指名手配だ」
「うむ。頼んだぞ」
窓の外から、祭りの準備を進める音が微かに聞こえる。タケルは袖で乱暴に顔を拭うと笑いながらペンを走らせた。
「よっしゃ、まずはMCの短縮からだ! 三時間を三分に削るぞ!」
「それでは我の偉大さが伝わらんではないか」
「歌で伝えろって言ってんだよ!!」
医務室に、いつもの騒がしい日常が戻ってきた。最強のユニット『RE:Genesis』の復活は目前に迫っていた。




