13. 王の撤退戦、あるいは新たなる進撃
茜色に染まった空の下、ルミナ・シティは祭りの準備に追われる人々の熱気で満ちていた。提灯の明かりが灯り始め、どこからともなく笛や太鼓を練習する音が聞こえてくる。
そんな賑わいとは裏腹に、三つの影が重い足取りで石畳を踏みしめていた。先頭を行くのはヴァルガン。その背中はいつになく大きく、そして近寄りがたいほどの決意を漂わせていた。その後ろにガルドとセレイナが神妙な面持ちで続く。
「……なぁ、本当にいいのか?」
沈黙に耐えきれず、ガルドはヴァルガンに問いかけた。
「タケルが聞いたら泣くぞ。あれだけ必死になって掴もうとしたチャンスなんだ」
「構わん。気付いていながら止めなかった我の責でもある」
ヴァルガンは振り返らず、ただ前を見据えて答えた。
「あやつの体を治すのが先決、それだけだ」
その声には迷いがない。だが、握りしめられた拳には、血管が浮き上がるほどの力が込められていた。王としての決断と、相棒の夢を一時的にでも断つことへの葛藤。それらをすべて飲み込み、ヴァルガンは進んでいく。
*
夏祭り実行委員会本部。
普段は会議室として使われている広い部屋に通されたヴァルガンたちは、重苦しい空気の中で委員長と対峙していた。委員長は、机の上に置かれた書類──先日の審査ライブの報告書──に目を落とし、複雑な表情を浮かべていた。
そこには、審査員たちの「パフォーマンスに見るべき点がある」「独特の表現力があり合格水準」というコメントが並んでいる。だが、最後に記された「途中放棄」の文字がすべてを台無しにしていた。
「呼び出したのは他でもない。先日の件について、君たちから直接説明を聞きたくてね」
委員長は疲れたように眉間を揉み、ふぅ……と息を吐く。
「事情は聞いている。プロデューサーが倒れたそうだな」
「ああ」
「体調を崩したことは同情する。だが、ここはプロの世界だ。どんな理由があろうと、ステージを放棄した事実は重い。どうするつもりだ?」
「説明など不要だ」
ヴァルガンは単刀直入に切り出した。
「今回の夏祭り、RE:Genesisは辞退する」
「えっ……?」
委員長が目を丸くした。隣に控えていたガルドとセレイナも、小さく息を呑む。
まさか、こんなにあっさりと撤退を選ぶとは。
「本気かね? 君たちの実力なら合格は確実だったのに……。謝罪と今後の再発防止の確約があれば、こちらも柔軟に対応するつもりだが」
委員長は改めて尋ねる。本心では、彼らを落としたくないのだ。あのパフォーマンスは注目を集められると、事前審査を見て確信していたからこそ。
「いらん」
委員長の提案を聞いたヴァルガンは首を横に振る。
「プロデューサーの体調不良によるキャンセルだ。あやつ無しでのパフォーマンスは不可能と判断した、覆すつもりはない」
潔い宣言。言い訳もしなければ、情状酌量も求めない。
委員長はヴァルガンの真紅の瞳をじっと見つめた。そこにあるのは、諦めや逃避ではない。大切な相棒を守るための揺るぎない覚悟。
(……良い目をしている)
委員長は小さく笑い、手元の書類にサインをした。
「そうか、わかったよ。残念だが辞退を受理しよう。また来年、万全の状態での挑戦を待っているよ」
「フン、気が向いたらな」
*
ギルドへの帰り道。
すっかり日が落ち、祭りの提灯が幻想的に街を彩っていた。行き交う人々は笑顔で、祭りがもうすぐ始まる期待に胸を膨らませている。
その光景が、今は皮肉にしか見えなかった。
「……本当によかったんですか? 今ならまだ、やっぱり参加すると伝えれば間に合うと思います」
「お前らが決めることではあるんだが、なんつーかよ……あいつが今までやったことが無駄になっちまうんじゃねぇか? タケルが起きたら、なんて言うつもりだ」
ガルドは納得がいかない様子で、頭をガシガシとかいた。
二人の問いかけに、ヴァルガンは足を止めて振り返る。その顔には落ち込んだ様子などなく、不敵な笑みを浮かべていた。
「勘違いするな。我はタケルの努力を無駄にするつもりなど、毛頭ない」
ヴァルガンは夜空に輝く月を見上げた。満月が、彼の顔を青白く照らす。
「夏祭りという『枠』など些細なこと。場所など、どこでもよい。我が歌えば、そこが世界の中心になる。そうだろう?」
ヴァルガンは両手を広げ、街全体が自分の所有物と宣言するように告げた。
その言葉にガルドとセレイナはハッとした。電撃に打たれたような衝撃が走る。そうだ。この男は、ただ指をくわえて待っているような器ではない。
タケルが回復したその時こそが、本当の夏祭りの始まりだとヴァルガンは確信しているのだ。既存のルールや枠組みに囚われない、魔王らしい絶対的な自信。
「ガッハッハ! 違げぇねぇ、お前が歌えばそこがステージだな!」
ガルドが膝を叩いて豪快に笑った。胸のつかえが取れたような、晴れやかな顔。
「……そんなカッコいいこと言われたら、応援するしかないですね」
セレイナも眼鏡の奥で目を細め、小さく笑う。三人の間に、新たな連帯感が生まれた瞬間だった。
「タケルが寝ている間に準備を進めるぞ。奴が起きた時、腰を抜かすような『サプライズ』をな。軍師の策を超える、王の企みを見せてやろう」
「おう、乗った! ギルドの総力を挙げて手伝うぜ!」
「微力ながら、私も事務処理と根回しでお手伝いします」
三人は顔を見合わせて笑った。
撤退ではない。これは次なる大勝利のための助走だ。
*
ギルドの医務室。
窓の外から聞こえてくる祭りの準備の音に包まれながら、タケルは深く眠っていた。彼が知らないところで、もっと大きな計画が動き出していることを知らずに。その寝顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。




