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16. 「ここにいる」と世界に証明するために

 公園に到着した頃には、空は灰色に染まっていた。湿った風が肌にまとわりつき、嫌な予感がする。だが、タケルはそれを振り払うように手を叩いた。


「さあ、リハーサルをやりましょう! 魔王様、立ち位置へ!」


 手作りのステージ──補強された木箱の上へ、タケルが手直しした衣装をまとった魔王ヴァルガンが立つ。廃材で作った模造品に魔導拡声器を取り付けた、即席のスタンドマイクを握る。

 背中の『RE:Genesis』の金糸が、曇天の下でも鈍く輝いている。カッコいい。タケルは素直にそう思えた。


「音響、チェック。ワンツー。……よし、オッケー!」


 タケルは機材のツマミを調整した。ヴァルガンが軽く声を出すと、公園の隅々までクリアに響き渡る。特訓の成果だ。

 これならいける。廃材や中古で必死に集めた機材も上手く動作している。通りすがりの人も、この声を聞けば絶対に足を止めるはずだ。今日こそ最初の一歩を踏み出せる。


 ポツリ。


 冷たいものが、タケルの頬に当たった。

 え? と思って空を見上げる間もなく──


 ザアアアアアアアアッ!!


 バケツをひっくり返したような、凄まじい豪雨が降り注いだ。予兆もへったくれもない、突然の暴力的な雨。


「うわっ!?」

「なんだこの雨は!」

「帰ろう! 洗濯物が!」


 公園にいた数少ない人々──親子連れやベンチで休んでいた老人たちが、悲鳴を上げて屋根のある場所へと駆け込んでいく。あっという間に、公園から人影が消えた。残されたのは激しい雨音と、立ち尽くすタケルとヴァルガンだけ。


「嘘だろ……」


 タケルは呆然とした。手作りのステージが濡れていく。毎日作ったビラが雨水を含んで重くなり、インクが滲んでいく。「RE:Genesis始動」の文字が、ドロドロに溶けて流れていく。


「なんでだよ……! こんなの、あんまりだろ!!」


 タケルは叫んだが、その声は雨音にかき消された。慌てて機材にシートを被せ、濡れないように守る。なけなしの金で集めた大事な商売道具だ、壊すわけにはいかない。


「魔王様、中止です! 中止にしましょう!」


 タケルはステージに向かって叫んだ。


「こんな雨じゃ誰も来ません! 機材も危ないし、風邪を引きます! 出直しましょう!」


 賢明な判断だった。プロデューサーとして、演者の体調管理と機材の保全を優先するのは当然のこと。この状況では客が来ないというのも、わかりきっている。


 だが、ヴァルガンは動かなかった。


 フードから雨水が滴り落ち、パーカーが肌に張り付いている。それでも、マイクを握る手は微動だにしない。


「……魔王様?」

「軍師よ」


 雨音の向こうから、ヴァルガンの低い声が届いた。


「戦場において、雨天中止などというルールはない」

「でも!」

「これは本番だ。我の魂を刻む儀式だ」


 ヴァルガンはタケルを見た。その瞳は雨に濡れてなお、燃えるように赤く輝いていた。彼は歌う気だ。観客がいなくても、天候が最悪でも。


「ここにいる」と世界に証明するために。


(自分の誇りのために歌うつもりなんだ……)


 タケルは唇を噛んだ。そうだ、この人は魔王だ。そのプライドのため、アイドルとして立ち上がるために歌うと言うのなら、それを止める権利はない。


「……わかりました」


 タケルは覚悟を決めた。濡れた手で、シートの下にある魔導ラジカセの再生ボタンを探る。


「音響、スタートします!」


 ポチッ。


 『灰色のバラード』のイントロ、切なげなピアノソロが流れ始めた。雨音にかき消されそうな、頼りない音量。だが、ヴァルガンが口を開くと……世界が変わった。


「♪……冷たい雨に打たれて……」


 声が雨音を切り裂いた。轟音ではない。静かな、しかし鋭い切っ先のような歌声。濡れた空気を震わせ、空間を支配する重低音。

 歌詞とシチュエーションが、奇跡的なまでにリンクしていた。冷たい雨。孤独。喪失。それらがヴァルガンの演技ではなく現実として乗った歌声は、タケルの心臓を鷲掴みにした。


(すごい……)


 タケルは震えた。寒さではない、武者震いだ。誰もいない公園、豪雨でびしょ濡れのステージ、最悪の環境。なのに、目の前の光景はどんなドームライブに負けないくらい神々しく見えた。


「ヴァルガーン!!」


 タケルはずぶ濡れのまま叫んだ。懐から、愛用のペンライトを取り出す。この世界に来て初めて使う、彼の魂の灯火。


 カチッとスイッチを入れ、深紅の光が灯る。


「最高だー! カッコいいぞー!!」


 タケルはペンライトを振り回した。誰もいない公園、たった一人の観客。傍から見れば、狂気じみた光景だろう。大雨の中、ガタイのいい男が歌い、別の男が光る棒を振って叫んでいるのだから。でも、そんなことはどうでもいい。

 タケルが大声を出すたびに雨水が口に入り、しょっぱい味がする。涙も混じっているかもしれない。それでも、笑顔だけは崩さない。


(俺はプロデューサーだ! 彼の「一番のファン」なんだ! 推しが最高のパフォーマンスをしているのに、ファンが暗い顔をしてどうする!)

「♪……このくすんだ世界から、見上げる空……」


 サビの最後、ヴァルガンがビシッと指を差す。その指先は、真っ直ぐにタケルを向いていた。タケルだけに向けられた、最強のファンサ。


「うおおおおお!! 一生ついていくぞおおお!!」


 タケルは泣きながら叫び、ペンライトを必死に振り続ける。雨音も寒さも惨めさも、全てが熱狂の中に溶けていく。

 世界から隔離されたような、二人だけのライブ空間。それは間違いなく伝説の始まりに相応しい、最高に熱くて、最高に痛々しいステージだった。

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