第4話 今宵の月見は紅茶とともに
今年の七夕は休日と重なっている。
あれからすぐに、志水さんに変則アフタヌーンティーリベンジを申し込んだところ、楽しそうにOKして下さった。
もちろんあやねも「参加したい!」とのこと。
「あ、でもね、今回はあやねが、お父さんお母さんにも食べさせてあげたい! って言うものだからね、泰蔵さんと史帆も来てもらおうと思っているの」
「え? でもそれだと弦二郎さんが……」
泰蔵と史帆はいわゆる「見えない人」だ。
なので、今は亡き弦二郎さんは参加してもらっても良いが、この2人にとっては「そこにいない人」になってしまう。
それでも史帆の方は、志水の娘だけあって、ぼんやりとだが、いなくてもいるという感覚はわかる。けれど話しかけても答えが返ってこないのは、さすがの弦二郎さんも寂しいことだろう。
なので、今回の変則アフタヌーンティーは、七夕前日である土曜日の午後に、坂ノ下一家の3人と志水だけで行うことになった。
神さま方は納得したのかって?
そりゃあはじめはブーブー文句たらたらだったのだが。
「七夕の当日はちょうど店が休みだからさ、神さまにはあんま関係ないだろうけど、その日に笹の葉さらさらアフタヌーンティーすればいいんじゃない?」
感情なく微笑みながら言った冬里のその提案に、神さま方は無言で首を縦にガクガク振る。あの《すさのお》ですらちょっと引き気味で賛成したくらいだ。
さすがは冬里、神さまをも黙らせるその笑顔、恐るべし?
そんないきさつがあって、土曜日の午後。
「CLOSE」の札がかけられた『はるぶすと』のドアがカランと開けられる。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
シュウが声をかけた先には、親方こと坂ノ下 泰蔵さん、史帆さん、あやねちゃん、そして滝之上 志水さんが笑顔で立っていた。
「あー、本日はお招きいただきありがとうございます。なんだ、その、わしまで」
「お父さん、緊張しすぎ」
しゃっちょこばって挨拶を述べ始めた泰蔵に、あやねがあきれたように、でも優しく笑いつつ声をかけている。
「そうですよ、それにお招きしたのは、あやねと私よ、ねえ」
志水さんもおどけてそんな風に言う。緊張を解きほぐそうとしてくれたのだろう。
「ねえ」
あやねと顔を見合わせて首をかしげるその様に、ようやく泰蔵も笑顔を見せた。
「あ、ハハハそうだったな。いやいや、こんな結婚式に参列するみたいな正装は久々なんでつい」
そういう泰蔵は、正装といいつつ、普通のスーツ姿なのだが。
長年現場一筋だった泰蔵にとって、ただのスーツも緊張に値するものらしい。
だが、史帆も志水も本日はおめかししているし、あやねも白っぽい可愛いワンピースでお洒落をして嬉しそうだ。
なにげなくそれらを見ていた泰蔵が、ハッと気が付いたように手を打つ。
「鞍馬くん! もしかして今日は、あやねを下さい、とか宣言するためにこの場を用意したのかね?!」
またまた始まりました、親方の早とちり。
「お父さん!」
「もう、本当にあなたったら」
驚くあやねと、あきれる史帆と。
「まあまあ」
志水は本当に可笑しそうだ。
「泰蔵さんったら、どうしてもあやねちゃんにお嫁に行って欲しいみたいね」
志水の発言に、泰蔵はまたハッと気が付く。
「お嫁に行く? ……いやいやいやいや! わしはあやねを嫁になんぞやらんぞ!」
「あら、でも鞍馬さんにならいいのよね?」
史帆の指摘に口ごもる泰蔵。
「え? あ、うう、……いや、ちがう! 鞍馬くんなら、きっと婿に入ってくれる! それならあやねはどこにも行かんだろう? どうだね鞍馬くん。鞍馬くんがダメなら、紫水くんでも朝倉くんでも」
これにはそこにいた全員がほとほとあきれかえる始末。
「もう! 勝手に決めないでっていつも言ってるでしょ! あやねの人生はあやねがきちんと決めるんだから」
「うう……、すまん、あやね」
工務店の職人を大勢とりまとめる親方も、あやねにかかっては形無しだ。
最初にそんなドタバタがあったものの、個室の1つに案内されてからはスムーズに事が運んでいく。
この時期、店の入り口に短冊を下げた笹が飾られるのだが、今日は特別に個室にも飾られている。その横にテーブルが置かれ、色とりどりの短冊と筆記用具が用意されていた。
「ようこそ! まずはこちらで短冊に願い事を書いてください。あ、強制ではないっすから、願い事はひっそりしたいという方は書かなくて良いっすよー」
説明係の夏樹が元気よく言う横で、最初にペンを取ったのはなんと泰蔵。
考える事もなくすらすらと書いた短冊には〔あやねに良い婿がきますように〕と、当然の願い事が掻かれていた。
それを見なかった振りをした、他の3人は……。
〔おばあちゃん、お父さん、お母さん、いつまでも元気で長生きしてね〕byあやね
〔皆が幸せに暮らせますように〕by史帆
〔皆が平和で幸せに暮らせますように〕by志水
と、なんともほのぼのとした願い事を書いていた。
部屋には冬里も待機していたのだが、ふうん、という顔でそれらを見ていたが、いたずらっぽく微笑んだ。
「〈どうしましたかな?〉」
ふと声がしたので、こころもち上に目線をやる冬里。
そこには、なんと本日欠席のはずの弦二郎さんがいる。
「〈いえいえ、あまりにも皆さんお利口なので。けれどねがいごとは1つではありませんよね、だれにとっても〉」
「〈ほほう、するどい指摘ですな〉」
「〈ふふ、わかってるくせに〉」
この会話は、いわゆるテレパシーみたいなものでやり取りされている。
こちらに微笑む志水には聞こえているようだが、あやねは別のことに気を取られて気づかなかったようだ。
弦二郎の登場と同時に、閉じられていた個室の扉が大きく開かれたからだ。
「お待たせしました、それではアフタヌーンティーをはじめさせていただきますので、皆様お席にお着きください」
給仕用の正装に着替えたシュウが、1人ずつテーブルに案内し椅子を引き、着席してもらう。
テーブルにはあらかじめセッティングがなされていて、あやねを意識してかカラフルな食器と、挿絵付きのメニューが立てて置かれていた。
「おお」
「本格的ねえ」
少し緊張気味のあやねに優しく微笑む志水と弦二郎。
ここでようやく弦二郎に気づいたあやねだが、その弦二郎が唇の前で人差し指をたてて「内緒だよ」とおどけて言うので、ニッコリ笑って志水を見る。
泰蔵と史帆が並んで座り、その向かいにあやねと志水。……と、あれあれ? お向かいの2人には見えていないが、弦二郎が志水のひとつ向こうに済まして座っている。その様子に、あやねの緊張がほどけていく。
「今日は暑いのでまず冷たいお飲み物を。あやねちゃんは炭酸、えっとシュワっとするの、大丈夫ですか?」
夏樹が聞くと、あやねは「うーん、ちょっと苦手」と言い、夏樹が「かしこまりました!」と元気に返事する。
そして他の大人たちには「アルコール、大丈夫ですか?」と聞いている。
「もちろんだ」
「そうねえ、今日は特別かな」
「ホホ、そうね、では私も頂こうかしら」
三者三様に了解を得たところで、大人たちにはシャンパンを、そしてあやねにはシャンパンと見まがうような美しい透明のリンゴジュースがサーブされた。
あやねが心配そうに志水の向こうを見ると、なんと、皆とおなじタイミングで、弦二郎の前にシャンパングラスがすいっと現れる。
どうなっているのだろうと、目を丸くするあやねに、志水がこっそりとウインクをした。
良かった、おじいちゃんもちゃんと楽しめるんだ。
嬉しくなったあやねは、かんぱーいをしたあとでリンゴジュースをひとくち飲み、そのみずみずしさに思わず声が出る。
「美味しーい」
それを合図に、アフタヌーンティースタンドが運ばれてきた。
二段重ねになっていて、下の段がセイボリー、上の段がスイーツだ(もちろん進化形の)
「わあ、可愛い~」
「見てるだけで幸せになれるわね」
「うむ、さすがは彼らだ」
そのあと焼きたてのスコーンが提供される。ゴツゴツしておらず表面が綺麗な、いわゆるホテルのスコーンだ。
また目を輝かせるゲストの面々。
こうしてアフタヌーンティーは進んで行く。
心躍るひとときを、どうぞ『はるぶすと』で。
あれ? と思われた方もいらっしゃいますよね。
そう、あの厚かましい(誰が厚かましいですって!)由利香がいませんでしたね。
その訳は、すぐにわかります―――
∽ ∽ ∽
翌日の午後。
今日は神さま方をご招待しての、アフタヌーンティーの日だ。
会場は、「今回は俺んちで開催したいなあ~」と、可愛く? 目をウルウルなんかして姉と兄にお願いした《すさのお》の家だ。
《あまてらす》にははっきり言ってこれっぽっちも効かないのだが、《つくよみ》には効果は抜群だ!
そんな風に頼まれては嫌と言えない《つくよみ》は、「わかったよ」と《すさのお》の頭をポンポンしながら笑って言う。
「へっへえー、ありがとう兄上」
と《すさのお》は、無邪気に笑いつつ早速神さま方に周知していく。
〈今年の七夕は三日月が美しいんだけどな〉と思いつつも、今回はそこまで執着しているわけではない《つくよみ》なのだが。
けど。
けれど。
先日のシュウの様子を見てから少しばかり気になっているので、宴のあとに誘ってみて聞けるなら訳を聞きたいと思う《つくよみ》がいた。
さて、アフタヌーンティーというのは、いつもの宴会のように大騒ぎが出来ないと聞いて、参加をやーめたと仰る神さまもいらっしゃったため、そんなに大々的にはならなさそうだ。
その代わり、手を上げる女神さまが沢山いらっしゃった。やはり「おしゃれ」な催しはどこの世界でもレディの憧れらしい。
以前、シュウに会いに来た《たかおかみのかみ》と、同じく水を司る《くらおかみのかみ》も姿を現した。おふたりが来られたためか、しとしとながらも線を引いたような美しい雨が降っている。
「おお、《くらおかみ》《たかおかみ》、久しぶりだな」
「うわさの、千年人の料理を頂きたく」
「鞍馬たちがくるには、いましばしかかりそうだったので」
「お、お前さんたちのところへ行くって言ったのか」
ふいと微笑む《たかおかみ》に、うんうんと頷く《すさのお》は、2人を待合室へと案内した。
その頃キッチンでは。
「わ~、いつものごとく、美味しそうだねえ」
今日も、ひょいと現れた《おおくに》が料理の邪魔? をしている。
「つまみ食いはやめてよねえ」
そんな《おおくに》も、冬里のニッコリにはかなわないご様子。
「冬里こわいよ~、ちょっと見学に来ただけなのに~」
「あ、でも《おおくに》さん。つまみ食いは無理っすけど」
夏樹が言いながら、下に控えているアニメネズミに目配せする。
「《おおくに》しゃま。サンドイッチを作ったときに出来た、パンの耳でございます。これでしたらいくらでも召し上がってくだしゃいませ」
「ほう? パンの耳? ……あ、知ってる。人の子界のパン屋で、なんか、たーくさん入ったのが安ーく売られてる、あれだよね」
そう言いながら、ひょいと1つつまんで口に入れる。
「あ、美味しい」
「どれどれ」
すると後ろからぬっと手が伸びてきた。
「お、なかなか美味えじゃねえか」
そこにはヤオヨロズが。
「ホントにお前たちはよ。どれ、……美味い!」
そして《すさのお》も来た。
やんやと騒ぐ彼らに、
「料理の邪魔ばっかしないでよねえ~」
さっきよりもっとニーーーーッコリしながら言う冬里。
「「「!」」」
さすがの彼らもそれには、ひゅっと身を縮める。
とは言え、まだ、本気で怒ったのではなかったらしい。
「はい」
と、パンの耳を山盛りにした皿を《おおくに》に渡すと言った。
「これでうるさい野郎どもを黙らせといてよ」
「う、うん。わかったよ」
《おおくに》が返事して、3人の神さまはすごすごと待合室へ行くのだった。
アフタヌーンティーは、さすがに地べたに円陣を組んで、と言うわけには行かない。
なので、シュウたちの依頼で、『はるぶすと』の個室に置かれているようなテーブルと椅子が、会場となる客間にほどよく間隔を空けて配置されている。
「それでは、アフタヌーンティーをはじめさせていただきます。皆様お席にどうぞ」
昨日と同じように、給仕の正装に着替えたシュウが入り口で述べた。
特に座席は決まっていないが、そこは臨機応変の神さま方。
誰が案内することもなく、綺麗に席が埋まっていく。
そして!
なんと言うことでしょう、客間の入り口を通ると、女神さまの装いが艶やかに変化するのです!
「わあ、素敵……」
そして、その様子を目ハートで見ている女子が1名。
もうおわかりでしょう。なんと由利香と椿は、本日のアフタヌーンティーにお招きされていたのだ。
「そなたの衣装もなかなかのもの。さ、入ろうぞ」
すると後ろから声がして、そこには太陽をまとった《あまてらすおおみのかみ》が立っていた。
その美しいこと美しいこと。
客間のあちこちから、ほう、とも、おお、ともつかない感嘆の声が聞こえる。
さすがの由利香もぽかんと声を失っている。
あ、もちろん椿も!
「そこに突っ立ってると、料理が運べないんだけど?」
そんな2人を正気に戻すのは、やはり冬里だ。
後ろで言われてハッと我に返った椿と由利香。
「わかってるわよ、もう」
と言いつつ、差し出された椿の腕に手を絡めて客間に入って行く2人。
「ええと、どこに座れば良いのかしら」
「聞いてないよね」
結婚式の披露宴のように座席が決まっているわけではないので、椿と由利香はしばし歩みを止める。
と!
勝手に足が動いて、2人はヤオヨロズとニチリンがいる席に到着し、しかも椅子を引く事もなく、すっと着席してしまう。
「ええ?」
「すごいね」
「おう、待ってたぜえ」
「今日は楽しみましょうねえ」
豪快に笑うヤオヨロズと相変わらず可愛いニチリンだった。
ここまでまわりを見る余裕もなかった由利香だが、いったん席についてそのテーブルセッティングを見た途端、思わず声が漏れてしまった。
「すてき……」
「ねえ、ほんとうに夢見るようなセッティングよねえ」
ニチリンもため息をつくほどだ。
普通はここまで凝らないのだろうが、今日は津々浦々から来て下さった女神さま方に大いに敬意を表し、満足して頂けるようにだろう。
乾杯のシャンパンを持ったシュウ、冬里、夏樹の3人が各々のテーブルを回っていく。
すべてつぎ終わったところで、今回、会場を提供してくれた《すさのお》が乾杯の音頭を取り、アフタヌーンティーが始まった。
アフタヌーンティー自体は、以前、夏樹が作ったような伝統的な3段重ねのもの。
けれどそれが提供される空間が。
食器やカトラリーの美しさが。
サーブして回る給仕たちの優雅さが。
もちろん料理は言うまでもなく。
夢心地のひとときを、『はるぶすと』の3人よりのおもてなしを、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。
こうして変則アフタヌーンティー2日目も、滞りなく過ぎていった。
今日は《つくよみ》が言っていたように、三日月がことのほか美しい。
お天気は雨だったはず?
神さまにとっては、それもあまり関係のないこと。
シュウは今、《つくよみ》に誘われて、御月見山にある彼の屋敷に招待されていた。
相変わらず雨は線を引いたように降っているのだが、ここから見ると、月のまわりだけ雲が開けて、その美しい姿を見せている。
「お待たせしました」
「ああ、クラマ、ごめんね。客人に紅茶を入れさせるなんて」
「いえ、私が入れますと言ったので」
「ありがとう」
ティカップを受け取りながら、《つくよみ》が微笑んで言う。
「今日のアフタヌーンティー、ほんとうに美味しかった。それに演出も」
「ありがとうございます」
「マナーがわからないって言う古参のじいさんたちが、あたふたしてたけどね」
するとその言葉を聞いたシュウが、くすりと微笑む。
「そうやって遊ばれるのも、また一興ですよね」
「ばれてたか」
そうなのだ。
古参のじいさんとは言え、そこはやはり神さま。マナーなどお手の物なのだが、しゃっちょこばって食べるのはどうも面白みがない、と、わざとそんな風におどけてみせるのだ。
神さまは、楽しいことが大好きだから。
「それにしても、シュウのスコーン。とてもとても素敵だった」
「ありがとうございます」
今日のアフタヌーンティーは、サンドイッチとスイーツは夏樹と冬里が担当し、スコーンは珍しくシュウが作りたいと言ったので、2人ともこころよくお任せした。
伝統のごつごつしたスコーンを作っていると、シュウはふと昔を思い出す。
「まだ現れてすぐの頃、冬里に頼まれて、領主のお嬢様に料理を教えていました。その時にご一緒にスコーンを焼いたのを思い出しまして」
「ああ、薔薇の君?」
《つくよみ》の言い方に苦笑を隠せないシュウ。
「楽しい呼び方ですね。……そう、特に本気を込めようとは思っていなかったのですが、ヴィアンお嬢様の一生懸命なお姿を思い浮かべると、温かい気持ちになって、それが影響したのかも知れませんね」
「……ああ、それで」
《つくよみ》は思い出すように空を見上げて「だからあんなにあたたかい」と、つぶやいていた。
そして紅茶を一口飲むと、シュウを誘った訳を話し出す。
「今日誘ったのはね。デパートで会ったとき、スコーンを作りたいと言いつつ少し寂しそうだったからだよ。それって、薔薇の君を思ってだったのかな」
「そうでしたか、それはご心配をおかけしました」
言いながら軽く頭を下げて、シュウは話を続ける。
「あのとき、二種類のスコーンを焼いてみようかと思いつきまして。ひとつは今日の伝統的なスコーン。もう一つは、見た目を重視した、いわゆるホテルのスコーンです。それで……」
シュウにホテルのスコーンを伝授したのは、アレンだった。ごつごつした見た目を気にする貴族もいるので、しょうがなしに作ったのだそうだ。
「アレンは私にとって、師匠と呼べる方の1人です。けれどお別れも言えず逃げるように屋敷を出てしまったので、思い出すといつも申し訳なく思ってしまうのですよ」
《つくよみ》は、頷きながらシュウの話を聞いていたが、理由がわかったことでホッとしたようだ。
「そんな事があったんだね。けどクラマが寂しそうにしてた理由がわかって良かったよ。心配だから何とか出来ないかなと思って、でも僕では頼りないかもと思って、月にもお願いして出て来てもらってたんだよ」
と、雲の隙間から覗く三日月を見る。
こころなしか月が微笑むように瞬いている。
そんな風に言ってくれる《つくよみ》に、シュウは心底驚いたようだ。
しばらく無言でまじまじと彼の顔を眺めていたが。
シュウは座っていたソファから立ち上がると、すっと膝を折って《つくよみ》の前に跪く。
そして、不思議そうにしている《つくよみ》の手を取ると、その甲に唇を落としたのだ。
「わ」
「お心遣い、ありがとうごさいます」
手の甲にする口づけは、尊敬の証。
シュウは《つくよみ》の優しさに、心遣いに、本当に感動したのだ。
それを合図に、
今まで現れていた三日月が、雲のカーテンを引くように隠れていく。
――もうわたしはいらないね――
紅茶の良い香りが、あたりに漂っていた。