13. ゼウス様の望みはわたくしの望みです
全ての土地にレトの出産場所となる事を禁じてからもう半年以上もの月日が経ちました。
その間、テミス様の予言を知ったピュトンがあの女を追いかけ回しているそうですわよ。身重な体で大変よね。それに加えて産む場所だって無いのに、これからどうするのか見物です。
さてさて、あの女がどうしているのか覗いて見ましょう。
この盆に水を張って力を使うと、天界から地上の様子を見下ろして眺める事が出来ますの。便利でしょ?
ただ心で念じれば特定の人物を映すとか、そんな便利な事は出来ません。空から俯瞰するような感じと言ったらいいでしょうか。
ええと、レトはどこかしら。数日前には海岸の方へと向かっていっていたようですけど、まさか海の中で産もうとしているのかしら? 海神でも無ければ流石にそれは難しいですわよね。
えーと、えーと………………んんっ?!
小島のような岩に大きな腹を抱えた女が居ますわ。
まさかあれはレト?! それも産気づいているのか、息が荒そうです。
「イリス! イリス!!」
「はい、何か御用でしょうか?」
「どうなっているのこれは?! 貴女とアレスにはわたくしの命に逆らうことの無いように、土地を見張るように言ったはずですわ!!」
「はい。しっかりと見張っておりました」
「それならこの水面に映っているのは何なのです?!」
「その岩はアステリア様でございます」
「あっ、アステリア?!」
前にお話しした通り、アステリアは岩に変えられてしまったレトの妹。
彼女は島ではなく、ただ海を彷徨い漂っている岩に過ぎないので、わたくしの出した命令からは外れます。それならアステリアにも今から禁止令を出すべきかしら……。
でも、彼女はあの様な姿にされてまでも自分の貞操を守ったんですもの。同情こそすれ、姉を裏切らせるのは流石に心苦しいですわね。
でもレトにはゼウス様の子を産んで欲しくなんてないし……。
うううっ、悩ましい。
あっ! そうですわ!!
「イリス、エイレイテュイアを呼んできてちょうだい」
「え゛っ?! い、今ですか?」
「そう。い・ま・す・ぐ!!」
「ですが……」
「はやくなさい!」
すごすごとイリスがエイレイテュイアを呼びに行きました。
わたくしの娘エイレイテュイアはお産を司る女神。あの子が居なければレトは出産できません。
うふふ。名案でしょう?
わたくしの心の痛みに比べれば、陣痛の痛みなんて大したこと無いですわ! うんと苦しんだらいいのよ!!
*
時々盆に張った水面からレトの様子を眺めると、お産しようにも出来ないでいるレトを心配した女神達が集まっております。
今日で陣痛が始まってから9日目。
わたくしもエイレイテュイアがあの女の所にこっそりと行く事なんて無いように、眠らずに見張っております。でも流石に眠気と疲労でキツくなってきました。
9日間も陣痛に苦しむレトの方が大変ですって?!
皆様はどちらの味方なんですの?!!
でも……でも確かに陣痛ってとぉっーても痛いですわよね。わたくしも4人の子を産みましたが、ゼウス様の子で無かったら何人も産みたいなんて思いません。
とは言えこうなると、引き際が分からなくなってきました。
一言、エイレイテュイアにレトの元へ行くように言えばいいのに。わたくしのプライドが邪魔をするのです。
うとうととして目を閉じていると、誰かが部屋へと入ってくる気配がしました。
――イリス?
ああ、エイレイテュイアを連れて行くのね。
「何をしているの!」って言うべきかしら。ううん、このまま目を閉じて寝ているフリをしておきましょう。
本当は分かっております。
こんな事は無駄だと。
それでも、わたくしが愛する男の子をほかの女が産むのは許せないのです。
狭量でしょうか? なんとでも言ってくださいまし。
2人の気配が部屋から消えてしばらくすると、別の誰かがやって来るのが分かりました。
「ヘラ、起きているんだろう?」
「ゼウス様っ?!」
「こんなに泣き腫らしてしまって」
涙を拭ってくださる手を、今回は払うに気はなれません。思いっきり甘えてしまいたいです。
ゼウス様の顔を見るとますます涙が零れ落ちてきます。
「イリスを叱ってはいけないよ。女神達や、僕の命を受けて動いているんだからね」
「ふっ……ひっく……分かっておりますわ、ちゃ、ちゃんと。レトの子が必要なのでしょう? なんでわたくしでは……ひっく……無かったのかしら……なんで……っ」
「僕の妻は君1人だけだよ。分かったら安心して、少し休みなさい」
規則的に頭を撫でて下さる手が心地よくて、もう一度目を瞑ります。
もう疲労がピークに達して、そのままゼウス様の腕の中で眠りに落ちてしまいました。
何時間経ったのでしょうか。異変に気が付いて目を覚ますと、いつの間にかベッドに寝かされていました。
「目を覚ましたかい?」
「はい……。これは……産まれたのですか?」
ゼウス様の居る窓際へと近付き外を眺めると、暖かい風と日差し、そして季節外れに花が咲き乱れはまるで大地が微笑んでいるかのようです。
空を見上げれば歓喜の舞を踊るように白鳥が飛び、大きな虹のアーチが。
この世の全てが、ゼウス様とレトの子の誕生を祝っているのでしょう。
それ程までに生まれてきた神は、威光を放ち皆に望まれていたのです。
思わず唇をかみ締めると血の味がします。
それでもわたくしは神々の女王。
気高くなければなりません。
「それでは迎えに行かねばなりませんわね。遣いの者をよこしましょう」
泣き腫らした顔で迎え入れるなんて、みっともない真似をするつもりはありません。
すぐに沐浴の準備をするように娘のへべに指示します。
「ふふっ、いよいよこれから僕の思うがままに世界を動かせる。そしてヘラ、もちろん君の望む世界も見せてあげるよ。もちろんまだ足りないパーツはあるけれど、それはこれからゆっくりと揃えていくとしよう」
わたくしの望む世界。それはゼウス様が望む世界です。
ゼウス様の望みこそわたくしの望み。
この方の望みを叶える為ならば、いかなる道でも共に参りましょう。
「わたくし、ゼウス様の為に頑張りますわね」
「ううん? 君は頑張らなくてもいいんだよ?」
ネクタルよりも甘い口付けに、これまでの事全てを帳消しにしてしまいそうです。
騙されているですって?
だって好きなんですもの。どうしようもない程に。
わたくしの事だけを見て愛して欲しいなどという望みもちょっぴりあったりしますが、それはまあ、おいおいという事で。




