責任
歩みを止め、子供のようにボロボロ泣きじゃくるアレクシスの横で、未だ虚ろな表情で魔法陣に進む男が一人。
王弟ヴァージル。
アレクシスとジェフやリオネルのやり取りを隣で訊いていた彼だが歩みを止めることは無かった。彼の心は既に折れている。兄から愛しい女性を救う為、ひっそりとその時を待っていた。今日がその時と立ち上がったのだが結果は惨敗。弟としても、男としてもアーサーに敵わなかったのだ。
「ヴァージル……!」
「戻れ、ヴァージル!」
姉と兄がこぞって名を呼び引き留めようとするが、ヴァージルは振り返らない。振り返る事など、出来ない。
『『『神の力となれ、それが選ばれた者の最上の歓び。神の中で永遠となれ!』』』
「兄上……姉上……」
「ヴァージル!」
「ヴァージル!!」
光り輝く魔法陣に吸い込まれるようにして消えようとしている王弟。その姿をただ見る事しか出来ない事に歯噛みをするしかない他の面々達。必死に起き上がろうとするが足が震えて上手く立てない上に、今も尚苦しい程の重圧感が襲ってくる。
何処から見ているのか、詠唱者はまだ見つからない。精神干渉を行っているのかヴァージルは虚ろなままだ。
アーサーとブリジット中将がヴァージルを止めようとするが体がいう事を訊かない。
国民を危険に追いやり、人間の存亡の危機に向かわせたのはヴァージルだ。決して許される事はない。だが、それでもこのまま行かせる事は出来ない。してはいけない気がしてならないのだ。それ以前に、例え罪を犯したとしても血の繋がった弟だ。得体の知れない声の成すがままにされるなどさせたくないのだ。
歩みを止めないヴァージル。皆が皆、ダメかと思ったその時。
「ヴァージル様!」
「「「!!」」」
その声は凛としながらも、慈愛に満ちた優しい声色。あたりに響くその声の主の正体は、王妃ジュリエット。魔術で映し出された王妃の顔は少し強張っていたが、決してヴァージルを憎んでの表情ではない。戦場に出る事は足手まといになると判断をした上での後方支援を行うしかない、ジュリエットの不甲斐なさと、愛する人たちが危険を冒しているという事への罪悪感からだった。
「ジュリー!? 一体……どうやって?」
「これは……! 三人娘か!」
「「「あたりですー!」」」
「おうきゅう、てうす」
「てき、はいじょする」
「リズさまのめいれい」
「「「てきつかまえたー!!」」」
「「「はぁっ!!?」」」
キャーッ! と姦しく騒ぐアデルハイトの護衛兼侍女の精霊三人娘。気まぐれでアデルハイトの直属である彼女達の姿が見えなかったのは気づいていたが、恐らくアデルハイトを捜索していたのだろうと思っていた。だが実際はリズの命令で王宮の警備にあたっていたという事だった。あの少しの時間で指示していたなんて、なんて人だと誰もがリズに対して畏敬の念を抱いた。
だが、それならどうしてヴァージルやアレクシスの逃亡を見逃したのか。
「わたしたちより、つよいちから、はたらいた(ずーん…)」
「ひっそり、ちかろう、みはってた。でも、さからえなかった(ずーん…)」
「やく、たたなかった……(ずーーーん)」
「「「ごめんなさい……」」」
「あ、あのっ! この子たちは城の警備や私の護衛の他にも、避難してきた民達の誘導や怪しい動きをする人間の拘束に尽力して下さっていたのです」
役に立たなかったと泣き出しそうな顔をする三人娘のフローラ、アクア、ステラ。その三人娘を擁護するようにジュリエットは庇う。そんなジュリエットにパァッと笑みを浮かべて抱きつく三人娘。
「「「おうひさま、すきーーー!!!」」」
「あら、嬉しい。でも、今はちょっと待ってね?」
「「「はーい!!」」」
変わらずきゃっきゃっきゃっ騒ぐ三人娘の後ろにズタボロになった者が数名映った。きっと彼らが敵で彼女達が捕まえる為にボコったんだろう。
嬉しそうに王妃に抱きつく三人の頭を優しく撫で、少し静かにするように促す。そして前に向き直った。
「ヴァージル様」
「……っ」
顔を背けるヴァージルに王妃は凛とした声で名を呼びかける。それに対し、ビクッと怯えたようにして顔を背けるヴァージル。ヴァージルの心は折れていたが愛した女性への想いは消えていない。しかし合わせる顔を持っていないから愛しくて仕方ないジュリエットの呼びかけにも答えることは無い。
「貴方様が行った事、とても許される事ではありません」
「……」
「国に混乱を招いただけではない。人を存亡の危機に追いやった事、責任を取るにしても事が大きすぎます」
「……」
俯くヴァージルは何も言わず背を向けたまま。
アーサーは二人の事を黙って見守る。息苦しさも恐怖も変わりはないが、目を背けることは出来ない。自分の最愛の女性を想う実の弟という複雑な関係。これまでそんな素振りなど見せた事がなかった弟が、こんな凶行に走る程追い詰められていたとはアーサーは考えもしなかったのだ。
ヴァージルの想いを知っていたとしてもジュリエットを手放すという判断は出来ないだろうが、それでも〝もし知っていれば〟と考えてしまう。そして結局ジュリエットと別れたくないという判断をするのだろう。
「ヴァージル様。……私が辛い時、貴方様は私に会いに来てくれましたね」
優しい声で語ったのは側妃を娶ってからのジュリエットの苦しい時期の事。
「貴方は何も言わず、ただ他愛無い話をしてくださった。……励ますようなことも、陛下を貶すようなことも、側妃達を嫌悪することもなく、ただ、私を見て下さいましたね」
「……っ」
「私はそれが嬉しかった。王妃としての矜持を保たせてくれた。でも、私は愚かにもこう思っていました。……こうして傍にいて下さるのが陛下であったのなら、と」
「……」
伏し目がちに語る王妃ジュリエット。彼女の最も辛い時期、自分を保つことが出来たのはヴァージルと大切な息子であるリオネルの存在が大きかった。リオネルだけでも、ヴァージルだけでもダメだったのだと今ではそう思っている。……例え呪詛の種を植え付けたのがそのヴァージルであったとしても。
「貴方がいたから私は今日まで生きて来れた。まずはお礼を申し上げます。本当に、ありがとう。貴方の優しさにどれだけ救われたか分かりません。本当に、本当に感謝しております」
「っ」
「私はとても非道い女です。貴方様の優しさに甘え、陛下の代わりにしていたのですから。そうして甘えてなお、貴方様が陛下でない事に落胆し勝手に傷つき恨み、憎んでいたのですから」
「っ……が、う」
「この惨状、元を正せば私の弱さと優柔不断さが招いたこと。……側妃を娶る事になった際、潔く離縁を選んでいれば良かったのですから」
「違う!! そんな事ありません!!」
「ジュリーッ!」
「責任を取るのであれば私も同罪。……どうか、お一人で抱えないでくださいませ」
「ちが、ちがう……! 私が、私が全て……!」
王妃の責任を取る発言に振り返ったヴァージル。涙を流し必死に否定する。
悪いのは全て私だ、勝手に貴女を想い続けていた、振り向いてくれなくても、想いが報われなくても、一番近い所に居れなくても……!
「君の、逃げ場所になりたかった……! 兄上とリオネルを愛している君を愛していた私の……自己満足に過ぎないが、……泣いている君を、見たくなかった……! ただ、それだけ……それだけなんだ……」
幼い頃に出会って今日この日まで、ずっとジュリエットだけを見てきたヴァージル。縁談がなかった訳ではない。王弟として万が一の為に子を残す義務もあったが、どうしてもジュリエット以外の女性とは駄目だった。アーサーが側妃を娶り、その後すぐジュリエットが妊娠している事がわかった時、もう生涯独身でいる事を心に決めた。自分の心はジュリエットにのみ捧げる。……例え報われないと解っていても。
「……貴女様が責任を負う事はありません。全てはこの私の責任です」
フッと朗らかに笑うヴァージル。憑き物が取れたかのようなその晴れやかな笑顔に、アーサーは嫌な予感がした。
「ヴァージル!!」
「兄上。どうか義姉上を大切になさって下さい。……私が出来なかった、したかった事です」
今までの険しい顔とは裏腹なその表情。まるでもう、何も未練はないというその顔にアーサーだけではなくブリジット中将も嫌な予感がした。
「ヴァージル、何を考えている?」
姉を真っ直ぐ見つめ、目を細めて笑うヴァージル。愛しい人や大切な人に向けるヴァージルの昔から変わらない笑顔。
「姉上。エルグストンも、お互いを大切になさってくださいね。ふふっ! これは姉上達には必要ない言葉かもしれませんけどね?」
「ヴァージル殿下! 一体何を……」
エルグストンとブリジットは上司と部下の関係ではあるが、ブリジットが入隊しエルグストンが教育係になった際、エルグストンの猛烈な求愛を何度も繰り返しあしらうのが面倒くさくなってきたブリジットが受け入れた事で結婚したという、軍では有名な夫婦である。
そんなエルグストンに妻である姉を大切に、などわざわざいう必要もないだろう。それでも口にしたのはヴァージルの姉に対する愛情の現れだ。
「……此度の事、我が命で償いきれるものではない事は重々承知しております」
魔法陣は未だに青光りしており嫌な重圧も健在だ。それがこの魔法陣から発生しているのは間違いないのだが、発動してしまったこれを止める術を魔術師団の中でも誰も持ち合わせていなかった。フロイドは気力を振り絞り術の解除を試みているが複雑な上に古代の失われた魔術であることから解析するだけで手いっぱい。部下の力を借りてもまだ半分も解析できていない。
解るのはこの召喚魔法で召喚されるモノが何か途轍もないモノであるという事だけ。
人の手には負えない、触れてはいけない存在だという事。
「兄上、姉上。……義姉上に義兄上。どうかお達者で。今更ですが、愛しております」
ニコッと笑って魔法陣に飛び込んだ。そしてその体は一瞬で霧状となって消えてしまった。
「「「ヴァージルーーー!!!」」」
何も残さず消えてしまった王弟、ヴァージル。
その後すぐに青光りしていた魔法陣の光が消え、禍々しく凶悪な重圧感も消えた。
何故、どうして、ヴァージルはどうなった!?
重圧が嘘のようだ。だが、本当に? 召喚は失敗したというのか? そもそも何を召喚しようとしていた? 精霊三人娘が『逆らえなかった』という存在とは?
「ヴァージル……」
国王アーサーはきつく手を握り締めた。
弟や最愛の妻であるジュリエットがいう『責任』
『責任』があるとすれば他でもない。アーサーはアーサー自身にこそ、それがあると信じている。国の長として、夫として、父親として、兄として。
全てが中途半端だった。中途半端に情けをかけた事が、逆に皆を傷つけ取り返しのつかない事になってしまった。手を差し伸べるのであれば最後まで責任を持つべきだったのに。
「王どころか……人としても私は失格だ」
ポツリと呟くアーサーの握り拳は赤く滲んでいた……




