逃げるな!
「……随分静かだな」
結界の解析を終え、とてもじゃないが複製は不可という判断が下された後に気づいた。さっきまで攻撃を仕掛けていたというのに気づけば嫌に静かだという事に。
見回せば軍人、騎士、魔術師も魔族達の動向に注目していた。軍人、騎士は特にピリピリした空気を放っている。
「各員、戦闘準備。……気を引き締めろ」
軍大将、エルンストが顔を引き締め気を高める。長年軍に従事してきたエルンストの勘が危険を告げている。ブリジット中将もエルンストの気配を察して既に部下に指示を飛ばしたところだった。
数秒、逼迫した空気が流れた。
そして。
『『『我らが神よ。真の神よ。今ここに我らがの血肉を捧げ奉る。御身の喜びは我らが喜び。御身の怒りは我らが怒り。御身の悲しみは我らが悲しみ。我らの力は御身の力。我らが祈りを受け取り給え。我らが祈りを力に変え、御身の力になり給え。御身の願いは我らが願い』』』
「「「!?」」」
何処からともなく聞こえてきた怪しげな呪文。一早く反応したのはフロイドだった。
「召喚術っ! 術者の詠唱を止めろ!!」
「了解!!」
素早く反応した魔術師達だったが詠唱を止める事は叶わなかった。
『『『我らが悲願。我らが神よ! 今ここに降り立ち給え! 我らが神、クルムよ!!』』』
足元から風が吹き上げ始めたと思ったら辺りは闇色に包まれ魔法陣が現れた。青光りする魔法陣に描かれているのは古代文字。
「禁術に指定されている古代の召喚魔法……。これには生贄が必要です」
「禁術……一体何を召喚しようとしてっ!?」
グンッ
体験した事のない圧力。体が上から押さえつけられ崩れるような錯覚が襲う。息を吸う事も吐く事も出来ない苦しさ、重圧、そして何より堪えたのは言い知れぬ恐怖。
「「「……っ!!」」」
対抗措置として精神攻撃に対する防御結界を個々人に施していくフロイドとジェフ。魔術師の中でもこの恐怖の中どうにかして結界を張れる人間は少なく、彼らの他にはニ、三人と言ったところだ。魔術に関して全く素地のない騎士や警官隊を中心に震えながらも結界を施したおかげで幸い、精神が壊れる者はいなかった。だが、屈強な騎士や軍人であってもその恐怖に打ち勝つ事など出来ない。多くの者達が膝を付き汗を流し呼吸を乱した。
「くっ……そ……!」
身体の震えが止まらない中、リオネルは召喚魔法陣を睨み付ける。
青光りする魔法陣の中、いつの間にか二つの影が現れた。その二つの影がゆらゆらと揺れ、どんどん輪郭がハッキリしていく。
「! ヴァージルと……、アレクシスか?」
「馬鹿な……! 二人は、城の地下牢にっ」
虚ろな表情を見せる二人は意識がハッキリしないのか、こちらの呼びかけに応えない。まるで何かに操られているかのように魔法陣の中に入っていく。
『『『今、生贄を。神の血肉となるように。神のお力になるように』』』
「止まれ!! ヴァージル! アレクセイ!!」
「戻って来い!! アレクセイ! 叔父上!!」
「何をしているんだヴァージル!! 戻れ!!」
国王、リオネル、ブリジット中将がそれぞれ声を張り上げ戻ってくるように叫ぶが虚ろな表情のままで二人は歩みを止めることは無い。次第に魔法陣から闇色の霧が立ち込め始めた。
「「「……っ!!」」」
強烈な瘴気と魔力が込みあがり、より重圧がかかる。中には涙を流し始める者やガタガタ体が震え痙攣を引き起こす者達が続出し始めた。戦闘どころではない。
〝絶望〟
そんな言葉が頭に過る。言葉の意味を知ってはいても、これまで経験した事がないそれは、言葉に言い表す事など到底できない。声に出す事も出来ない。かつてこれほどの感情を感じた事があっただろうか?
「……っアレクシス!! 戻れ!!」
「「「……!!」」」
目の前が真っ暗になるような感覚の中、一人の男が声を上げ立ち上がった。
「……ジェフ」
ジェフ・アシュトン。
フロイドの側近として控える彼はいつもフロイドの後ろに立ち上司と部下に挟まれながら奔走していた。止まることなく、手を抜くことなく、真っ直ぐ前を進むそんな男。声を荒げることなく下す的確な指示は魔術師達の中でも信頼をもぎ取っていたいたのだが、そんな彼が元はといえ、アレクシスに対して声を張り上げた姿は同僚達も目を丸くした。
「アレクシス!! 戻って来い!! そっちはお前が行っていい場所ではない!」
「……」
絶望渦巻くこの中で唯一声を張り上げ、立ち上がり止めようとするたった一人の男。同じ環境のはずなのに何故ジェフだけが耐えられているのだろうか?
「戻れ……! 戻って来い!! まだ間に合う! お前の人生を、今ならまだやり直せる!」
「……っ」
「俺もそうだった! 何をやっても何も勝てる事が無くて諦めて、腐って、憎んで、でも構ってほしくて! 自分はここにいるって必死にアピールしてた! それがどれだけ滑稽であったか、今ならわかる! それでもその時はそれしか出来なかった!」
「……」
「流れに任せて、風潮に乗って、何の疑問も持たずにただ成すがままで……。そうして逆鱗に触れたっ! 一度死んだ! 情けない事に生かされて今ここにいる。だけどそれがどれだけ幸せな事か! 生きなければ知ることすら叶わない!! 自分の人生から逃げるな!!」
「……っ」
息も出来ないような重圧感の中、ジェフ・アシュトンは立ち上がり元王子アレクシスに向かって声を上げ続けた。接点などない筈なのにまるで知っているかのような口ぶりに、その場にいた者達は驚いたがそれどころではない。
ジェフは立ち上がり声を上げる事が出来たがとてもではないが真似出来るものではないのだ。
軍大将、エルグストンは歯を食いしばりながらもジェフと元王子アレクシスとのやり取りを視界に入れる。まさか、その思いが彼を駆り立てたのだ。
(ジェフ・アシュトン……まさか、な)
国王アーサーもまた同じ思いだ。まさか、そんなはずはない。だが、もしかしたら……そんな思いで潰されそうな圧の中、彼らのやり取りを見守る。
「アレクシス!」
「……セオドア、兄上?」
「戻れ! 戻ってきてくれ! お前が死んだら悲しむ人間だっているんだ!」
「……そんな人はいない。母上も……父上も、父上じゃなかったけど……俺は、いらない存在なんだ。誰かも必要とされない……落ちこぼれで、弱虫で、卑屈で……。見下す事でしか、自分を保てなかった愚か者なんだ……。立場も弁えず、恨んで憎んで……。俺にはもう、誰にも顔向けできない……」
あまりに静かに涙を流すアレクシス。王子と言う立場は母の不貞が暴露された途端に脆くも崩れ去り、人生を過ごして来た王宮をすぐに追い出されてからは転落の人生を送って来た。
いつもどうして、何故自分が、誰の所為で、と頭の中でグルグル考える日々。母はあっさり処刑され祖父の家も取り潰しとなり頼れる人がいなかった。
せめてもの情けだと、国王であるアーサーが南の辺境伯家に頼み面倒を見て貰えるように計らってくれたがアレクシスは今までの華美な生活が忘れられず、辺境伯の制止も聞かずに飛び出した。配下がこっそりつけていたがアレクシスが現実を知る為に手を貸すことは無く、結局ガラの悪い男達に絡まれ金目の物はごっそり奪われ暴行された。
男達が去った後、惨めに土に顔を埋めながら涙を流すアレクシス。どこで間違ったのだ、と譫言のように呟きながら涙を流し続けた。
辺境伯自ら迎えに来たが、それでもアレクシスはその手を取る事はなかった。意地になっていたのか、自暴自棄になっていたのか今ではもうわからない。辺境伯はアレクシスを一人の人間として決して差別することなく接していたが、当時のアレクシスには解らなかったのだ。
そうして逃げ出すように走り出して。走って走って走って。出会ってしまった。
クレプス教信者、ラヴクラフト伯爵に。
弱っていたアレクシスを保護して身綺麗にして温かい食事とふかふかのベッドを用意した。憔悴していたアレクシスに、付け入る事など容易い。
『黒持ち』を王太子としている今の王国は危うい、神の怒りに触れる行為だ、このままでは国王にも神罰が下る。止められるのは貴方しかいない。魔族を擁護する今の王家には国を任せてはいけない。貴方が国をまとめ上げるのです。このような過ちを正さなくてはいけない。それが出来るのは貴方だけ。
そうしてアレクシスは国を正す為に今日まで潜んでいたのだった。
「本当は、解ってた。騙されてることも、乗せられている事も。でも、抜け出せなかった……。唯の平民として生きていく事が怖かった。何も出来ない俺が……何もしようとしなかった俺が、一人でこれから先生きていくなんて、考えられなかったんだ」
あの判断は間違いだったのか。アーサーはアレクシスを追い込んだ責任を感じていた。もっと時間をかけても良かったのではないか。あの時はまだ14歳だったアレクシス。我が子として成長を見守って来て、情が湧かない筈がない。血の繋がりはなくても、アレクシスは我が子だったというのに。
せめて生きる術を、と思い辺境伯家に預けたが厄介払いと受け取ったのだ。もっと、心に寄り添う事は出来た筈なのに。
悔いるアーサーだが、それが最善であった事には変わりない。
アレクシスの処分に多くの貴族は処刑もしくは労働奴隷が妥当と考える者が多かった。知らなかったとはいえ、王族を名乗りその権力を振りかざして来たのだ。それをどうにか穏便にと、アレクシスを辺境伯領送りに、サイラスとチェルシーは修道院に送られた。
結果がこのザマだ。己の判断が甘かった所為で国民を脅かすどころか人間の存亡の窮地に立たされることになってしまった。後悔しても遅いが、己の判断を悔やむ。
「陛下の判断は妥当……、しかし、それを踏みにじったのは……アレクシスです」
苦し気にそう口にしたのはリオネル。アレクシスをただの一度も弟と見た事などなかったと公言した男。傷つきボロボロになった心にとどめを刺したのは間違いなく、リオネルの言葉だった。
「発言をっ撤回するつもりは、ないっ! そうやって……うじうじして、誰かが、助けてくれるのをただ待つだけで……努力もしないっ助けるのが、当然という態度を取る、お前が……嫌いだ!」
「っ!」
「ずっと、ずっと、嫌いだ……! オレがっ! 才能だけで、成り立ってるとっそう思ってる奴らが全員! 大っ嫌いだ……! 努力なしでっ成り立っていると……本気で思ってたのか……!!」
「……兄上」
人知れず努力を重ねてきたリオネル。物覚えは良かったが、何もしないで来た訳じゃない。王太子に最も近い男と言われるだけあって、リオネルは非常に優秀だったがそれには陰ながらの努力が実を結んだ結果。
やらなければただの凡人。己の立場と王国の未来を考えれば、その当時は自分が王太子になり次の王となるのが一番丸く収まると理解していたからこその、たゆまぬ努力の賜物だった。
それを才能だ、元からの頭の出来が違う、神から与えられ祝福だのと片付けられてきたのは今でも腹が立つ。何も知らないで何を勝手な事を。
「何も、知らないなら……見てろ! オレが、これまで、今後もどれだけ努力しているのかっ! 才能なんざ、育てなきゃ開花もしねぇんだって! その眼で確かめろ……!」
「っ!!」
「逃げるな……! アレクシス!!」
「~~~~っはい」




