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襲来

 

 リズが王都を去り、正式にフロイドとの婚姻無効が成立した二か月後。


 それは突然やって来た。



『親愛なるシリル王国民の皆様、はじめまして。私は神クルムを信仰する者。名をエヴァン・コールドリッジと申します。魔族に汚染された哀れな子羊達よ……! 今こそ神クルムが邪悪なる王太子を排除し、あなた方を解放するでしょう! さぁ! 皆! 神に跪きなさい!!』



 王都上空に突如として浮かび上がった映像には一人の男が恍惚とした表情を浮かべる。それはもう、これから起こる事に胸躍らせる少年のようなキラキラとした顔で。



「な、なんだ?」

「あれ、何?」

「いたずらか?」



 王都民の誰もが上空を見上げ口々に何事かと声を上げる。神クルムを知る人間もいるが今日この日に何かが起こるなど微塵も思っていない。それに、跪けとは一体何事だ。

 黒太子アデルハイトの献身はシリル王国民なら誰もが知るほどに有名になっていた。三年前のクラシオン共和国の侵攻はシリル王国を恐怖に陥れた。平和な時代であったにも関わらず、いきなり軍事侵攻が始まったとなれば考えられることはただ一つ。


 王太子アデルハイトの討伐。


『黒持ち』の名称を『イェルサの民』に統一するという御触れがあったが国民からすれば名称が変わろうと魔族である事に変わりはない。魔族を王太子とするのも引っ掛かりを感じる。いくら聖獣様が指名したからと言って、簡単には受け入れる事が出来ないのだった。


 アデルハイトは自分がどれほど異端な存在なのかを客観的に理解していた。自分が何をしたって正当な評価など貰えるはずがないと。だがしかし、評価がもらえずとも王太子となったからには責務を全うしなければならない。それもこれまでの王太子以上の出来が必要だ。一つでも間違えば「やはり魔族の王子など」と言われるのが関の山。重度のプレッシャーに耐えながら三年。王太子アデルハイトは徐々に民からも認められつつあった。


 アデルハイトがプレッシャーを耐え国民からの評価を得る事が出来たのは、彼の元護衛魔術師であるリズの存在が大きい。彼女の背を見てアデルハイトは成長して行ったのだ。立場は違えどリズには味方となる人間はほぼいなかったのに対し、アデルハイトには信頼できる兄とその側近達、何より聖獣ゼーレや、まだ関係は微妙だが両親達がいる。


 リズには、誰もいなかった。



(甘えていられない。何をしてもダメでも何もしないはもっとダメ! やるよ、やってやる。絶対、()()()()()()()()()()を創るんだ……!)



 理不尽な暴力で死んでいった同胞達。そんな彼らに誇れる世界を創る事がアデルハイトの目標であった。王位を継いだ後、何十年もかかるであろう偏見との戦いに今ここで負ける訳にはいかないのだ。



「確認取れました! 行方不明になっていたエヴァン・コールドリッジに間違いありません」


「現在地の特定は現在まだ出来ていません」


「! 膨大な魔力反応あり!! 王都上空に何か来ます!!」


「防御結界展開!! 国民を守れ!!」


「避難誘導を! 騎士団、警官隊も総動員して避難先に誘導せよ!」


「―――!! 空間が……、これは、召喚魔法……?」


「馬鹿な……! これほど巨大な召喚陣を、どうやって……!?」



 王宮内は慌ただしく文官、武官問わず駆けずり回る。突如王都上空にエヴァン・コールドリッジの姿が現れたかと思えば今度は巨大な召喚魔法陣が現れたのだ。巨大な魔法陣は王宮がすっぽり入ってしまうほど。それまでは快晴だったというのに今は薄暗く魔法陣だけが不気味な紫色の光を放っている。禍々しい魔力が溢れ出し空間が歪んでいく。


 その間宮廷魔術師だけでなく騎士団所属の魔術師や普段研究職に就いている者まで総動員して防御結界を張る。騎士団や警官隊が協力して指定避難先に誘導するが国民はパニック状態に陥ってしまった。宥め迅速に避難誘導するが思う様にいかない。



「……なんて事だ……」



 空が闇色に染まり禍々しいオーラを放ちながら魔法陣が一層輝いた。そして、そこから現れたのは……



「……魔族、それに魔獣かっ!?」


「そんな……! でも、聖獣様の結界がっ!」



 魔法陣から現れたのは闇の眷族達。我々が魔族と呼ぶ彼らは次々に魔法陣からまるで蜘蛛の子を散らすように現れては四方に散っていく。

 人型の者もいれば異形の姿をとる者、獣そのものの姿をとる者。様々な姿をしているが彼らが魔族であることには変わりはない。何故なら。


 彼らの目は人を餌として捉えている。


 捕食者の目を向けられた事で、我々人族がどれほど矮小で脆弱な被捕食者であるのかを理解してしまった。体の奥底から湧き出る本能的な恐怖に支配され、多くの人間はその場から動く事が出来ず精神が崩壊する。



「あ、はははっ! あはははははっ!!」

「ひゃはははっ! ひぃぃひひひひ!!」

「あはははははぁーーーはははははっ」



 膝から崩れ魔族と目が合った者達は皆恐怖で笑い出す。気が狂い、今がどういう状況なのかもわからないほど笑い転げるが、目が逸らされることはない。蛇に睨まれた蛙と言えばいいのか、兎に角魔族と目が合っただけで人族は気が狂ってしまうほどに強者だという事だ。日頃から厳しい訓練を受けている騎士ですら子供のように泣き出し最早救助どころではなかった。



『あぁ……! 何と哀れな子羊達でしょう。神よ、どうか彼の者達に慈悲を』



 恐怖に支配された首都プレアデス。阿鼻叫喚の中エヴァン・コールドリッジだけはそれを楽しむかのように微笑みながら王都民達の恐怖で歪んだ姿を鑑賞し、満足そうな表情を浮かべる。まるで劇を楽しむかのようなその姿に緊急対策本部に集まったそれぞれの責任者は凍り付く。紅茶片手に人が壊れ行く様を見て笑えるなど、とても同じ人間だとは誰も思うはずがないのだ。



「上空の魔族達は地上に降りてくるのか」


「下りずとも人などあの様です! 目が合っただけで発狂する!」


「皆、落ち着け!! こちらには聖獣様の結界もあるのだ! そう易々と破られる訳がない!!」



 魔術師、騎士、警官、軍人、消防や医療従事者、平民から集まって組織した自警団など、役目は違えど根底になるのは人を守り、救うという目的は同じ。この時ばかりは平民だの貴族だのと言っている暇はなかった。そんな余裕すらなく上空の魔族達は王都に侵入しようと結界の破壊を試みる。


 されどそれは聖獣ゼーレが施した神聖結界。相反する属性の結界を突破するにはいくら魔族と言えど時間がかかる上に今は魔術師達が更に結界を張っている。結界を破ろうとする度に普段では目視出来ない結界が薄い緑の光を放ち衝撃を受けている事がわかる。それは安心を齎すと同時にいつまで耐えられるのかという不安をも掻き立てた。



『……手引きした者がいるのか』


「「「!!!」」」


『言っておくがアデルハイトではないぞ。()()()()()()は何処の誰よりも国の為に奔走している。……裏切者の始末はアーサーに任せよう』



 颯爽と現れたのは件の聖獣ゼーレ。獣型の神々しい獅子の姿でやって来たゼーレは王都上空を見上げると憎々し気に奴らを睨み付け、先の言葉を発した。そこには明確な怒りの感情が現れており、ただの人でしかない者達には畏怖を通り越したほどの恐怖を感じる程。


 緊急対策本部が置かれたのは王宮の一角。会議などにも使われる大広間で指揮をとる事になった。そこへ遅れてやってきたのは国王アーサーと王太子アデルハイトと第一王子リオネルだ。彼らはここに来るまでに手早く指示を出し情報収集を行っていた。城下の様子はアデルハイトの護衛となった三人娘の内、ステラが街に下り国民目線での魔族と惨状を伝えた。国王アーサーとリオネルも各自で指示を下しながらやって来た。



「陛下!!」


「王太子殿下、第一王子殿下!!」


「すまぬ、待たせた」



 そう言って中央に用意された長机に歩み、状況の確認とアデルハイトがステラを通じての現状報告を行う。ゼーレは今でも殺気だっており、緊張から息苦しい面持ちの対策本部メンバー達。




「民の避難はどうなっている」


「はっ! 現在、騎士団と警官隊が避難誘導に当たっております!」



 国王は対策本部に設けられた城下の映像を険しい顔をしながら見つめ、現状確認を行う。アデルハイト、リオネルも街の惨状を悲痛な面持ちで見つめている。ステラを介して街の惨状を中継するアデルハイトは初めて見る魔族に対して無性に怒りを覚えていた。『イェルサの民』と呼ばれつつあるが、まだまだ『黒持ち』は魔族の血を引く汚らわしい存在であるという偏見はなくならない。

 その穢れた存在を今日初めて出会った。



「ふん、魔族か。……僕もリズも、少なくとも人を食糧には見た事などないな」


「「「……っ!!」」」


「魔族にとって、どうやら人は餌のようだね」


「「「……」」」



 髪も、黒だけでなく金や青、桃色に紫など多種多様。髪が黒=魔族という根拠が崩れ落ちたな、と。寂しそうに呟くアデルハイトにその場にいた全員が俯き、何も言えなかった。これまで信じられていた魔族の特徴の一つである黒髪。永きに渡り差別され、迫害された歴史を持つ『黒持ち』であるアデルハイトにとって、この事実は受け入れがたい。


 しかし、それは後回しにしなければならない。現在も結界内に侵入を試みる魔族達は魔力弾を撃ち込み結界が綻ぶのを待っている。破られてしまえば被害は甚大。



「結界の強化を。ゼーレ様。僕の魔力もお使いください。……奴らの好きにはさせない」



 ドロッとした光を宿さない藍の瞳に宿るのは仄暗い怒り。例えようもない程に悲惨な状況に追い込まれ死んでいった同胞達の、無念を思えばこそ。これは『黒持ち』でしか理解されない、されたくない感情である。


 王太子の静かなる怒りを感じ取った面々は顔を青褪めさせ、己の行いを振り返る。髪が黒というだけで蔑んできた愚かな行い。三年前のクラシオン共和国の侵略を食い止めた王太子付き護衛魔術師に、感謝をしたことがあっただろうか……。彼女がいなければゼーレ様は姿を御隠れになったままで結界もこれほど強固にはなっていなかっただろうに。



『アデルハイトよ。お主の力も落ち着きつつあるな。まだ少し先でと思っていたが仕方あるまい。……更に強化するぞ。決して中に入れる……な……っ!!?』


「「「!!!?」」」



 ゾワッ!とした背筋が凍り付く感覚が襲い掛かる。体全体を何かに捕まれたかのように動く事も出来ないが、心臓だけはバクバクと鼓動を打ち立てる。



「こんにちは。シリル王国の皆様」



 どうにか首だけでも振り返ると、扉の前に立っていたのはエヴァン・コールドリッジ。そして。



「アレクシスっ、それに……ヴァージル」



 コールドリッジ司祭の後ろに立つのはこの国の元王子と現王弟の姿があった。



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