手紙
王宮内にあてがわれた仕事部屋で一人の男が椅子に座っていた。共同で仕事をする事を前提に作られたこの部屋に、今は一人だけ。始業時間にはまだ早く、誰かが来る気配もない。
男の名はデリック・ヒュー・ラヴクラフト。伯爵家の三男でありながら、その優秀さからリオネル殿下の最側近と呼ばれる男。そんな男が早朝の時間に一人何をやっているのか。
彼の前にあるのは見覚えのある魔道具。血縁関係を証明する為に作られたあの魔道具があった。
「あれ……? 早いなデリック」
「……おはようございます」
ガチャッと扉を開け入ってきたのは第一王子。ラヴクラフトが仕える主だ。
自分に早いなという割に自分も随分早い時間帯に執務室にやってくるなんて。普段通りを装っているがリオネルもフロイドとリズの事には思う所があるという事。それでも国益の為には婚姻無効は最善の手。その後王女とフロイドが婚姻を結ぼうが結ぶまいかはさておきに、だ。
「それ……。誰との?」
「……」
目の前にある魔道具に興味を示したリオネルはラヴクラフトの後ろから覗き込む。
そして、息を呑む。
「……っこれは、デリック!!」
「……」
試しに、ほんの出来心だった。
もしかしたらという思いがデリックにはあったのだ。
「―――……」
蚊の鳴くようなか細い声が紡いだ名は、リオネルの予想通りの名前だった。
*****
親愛なるフロイド・グリーンフィールド様。
この手紙を読んでいる頃には私は王都を離れている事でしょう。手紙でのお別れになる事、どうかお許しください。
手紙を届けたのはジェフ・アシュトンと言って南方東方諸国を回っている間に見つけた見込みある青年です。私の持てる全てを叩き込んだのでかなり使い勝手の良い人材になっているはずです。リオネル殿下に任せていますがフロイド様も好きにお使いください。
さて、フロイド様。
三年、いえ、もう四年近く婚姻を続け私を妻として扱って下さいましてありがとうございました。この三年は会う機会もなく本心を言えばとても寂しい思いをしておりましたが、その間にやり取りをした手紙は何よりの宝物です。これを胸に、今後の人生を最後まで歩いていくことが出来ます。
貴方は私にとって直視出来ないほど光り輝く太陽でした。
闇の中、暗い道を歩くしか出来なかった私が堂々陽の中を歩けるようになったのはフロイド様のおかげです。感謝してもしきれないほど感謝しております。
だからこそ、苦しい思いもありました。
平民以下の奴隷以下にも等しい私が、貴方様のような光り輝く存在の隣に立つ資格などないのに。汚らわしい私の存在が、貴方様を穢してしまうのではないか。婚姻を結んだあの日からその思いが消えた事はありません。ですので今回婚姻無効となった事を、寂しいと思いながらも何処かほっとしている自分もいるのです。これは貴方様に対してとても失礼な事だと十分承知ではありますが、やはり重荷に思っていたということでしょう。
私は私が思っている以上に自分に自信がなかった。貴方の隣に立つことが出来ない。婚姻無効はそんな私の弱さからくる逃げなのです。
全てを投げ出して逃げる事をどうぞお許しください。
そして厚かましいお願いではありますが、どうかご自身の幸せについて今一度お考え直しいただきたいのです。
私は近い将来生涯を終えるでしょう。ですが、貴方様にはこれから先も長い人生が待っています。決して後を追うなど考えませんようお願い申し上げます。また、生きる屍になるようなことがありませんよう、重ねてお願い申し上げます。
貴方様は侯爵家の嫡男。健康であるなら子を残すことはもはや義務。どうか目を背けることなく貴族として義務を果たしていただきたいのです。勿論、義務として妻を迎えるのではなく貴方様が新たに愛した女性であるなら喜ばしい事です。
いずれいなくなる私を想うよりも、貴方と共に生きる方を愛して欲しい。
それがあの王女様でなくてもいいのです。貴方様が愛せる方ならきっと、侯爵様達も喜んで協力してくださるでしょう。
正直に申し上げるならば、私が貴方様の隣に立ちたいとは思います。ですがそれは叶う事のない私の願望に過ぎません。
フロイド様。
私は貴方様を心の底から愛しています。ですのでこの魂の繋がりは解消いたします。だって、私は貴方様と来世でも一緒になると決めているのですから不要です。愛が重いというのかもしれませんが、今度生まれ変わった時は私が貴方様を見つけに行きます。貴方様に他にいい人がいようと、必死にアピールして私を選んでもらえるように頑張りますので、お覚悟下さいませ。
そして出来れば、フロイド様には同じくグリーンフィールド家に生を受けていただければと思っております。グリーンフィールド家の血の呪いの話が聞き及んでおりますが、私にとってはこれ以上ないくらい安心するものです。私を愛して下さったら、フロイド様はずっと私を見てよそ見などしませんでしょう? 来世はきっと嫉妬深い私になるでしょうけど、受け入れていただけますか?
だからこそ、貴方様には子を、子孫を残していただきたいのです。貴方様にはご兄弟がいることは承知の上ですが、貴方様の子孫である来世の貴方様と一緒になりとうございます。今生の奥様に貴方様をお譲りいたしますので、来世は私の夫となって下さいませ。今度は堂々、婚姻を結べるような人間になりますので。
自分勝手な長い文になってしまい申し訳ございません。
ですが最後に、一言だけ。
リズは、フロイド・グリーンフィールド様の妻となれて幸せでした。
今後のご多幸を陰ながらお祈り申し上げます。
貴方を愛するリズより
*****
手紙を読み終えたフロイドはその場に脱力する。
手紙を握り締め、涙を流す姿はおいて行かれた子供のようだ。
ジェフはそっと隠蔽魔術と防音の魔術を掛けた。師であるリズから教えられたこの魔術。フロイドはその気配にハッと顔を上げるが、掛けた相手は目の前にある男。だというのに何故かリズの気配がする。
混乱するフロイドに対してジェフは微笑み種明かしを行う。
「私の使う術式はリズ様直伝。通常使う魔術にリズ様が組み込んだ術式ですので気配が似ているのだと思います」
「リズの……術式……」
「グリーンフィールド様はリズ様と魂の繋がりを経てあの方の魔力の質や癖など無意識に記憶しているようです。私はリズ様によって魔術を叩き込まれたのであの方の癖も覚えてしまっているのです。懐かしさを感じるのは、そのせいでしょう」
「……」
フロイドの今後を心配してジェフに彼の事を頼んできたリズはわざとジェフに自分の癖を教え込ませたのはジェフを通してリズの幻影を見せる為。フロイドならわかってくれると信じてリズの複製としてジェフを作り上げた。自死など選ばないように、心が死ぬような事がないように。フロイドの傍で常にリズが見ていると思わせるように。
「……っリズは、私をよく知っている」
ジェフという青年を通してリズを感じられる。この先永遠に失われる愛しい人の気配をこの青年を通して感じることが出来る。リズを失った後も、生きていけるかもしれない。それほど彼の気配はリズに似ていた。
「アデルハイト殿下には貴方様が必要です。その為には貴方様には酷でも、生きて貰わねばならない。だからリズ様は私に自分の面影を残したのです。……貴方様に生きてもらうために」
「……っ!」
「今日一日は思う存分お泣きください。しかし明日からは……貴方様は貴方様の人生を歩んでいただきたい。それが、リズ様の望みです」
「―――……、あぁ。そう、する」
力なく座り込んでいたフロイドは手紙を大切にしまい、懐にしまう。顔を上げたフロイドの顔は先ほどとは見違えるほどにすっきりしていた。泣いたとわかるほどに赤くなった目だが隠すこともせず真っ直ぐジェフを見据える。
「自死など、しない。必ず最期まで生きる。……リズの分まで」
「……まだ、お亡くなりになった訳ではありませんよ」
「当然だ!! リズは、最期の瞬間まで必死に生きる。そんな女性だ」
「……えぇ。そうでございます」
泣き腫らした目を雑にこすり歩き出すフロイド。
向かうのはアデルハイト殿下の執務室。
「ジェフ。お前はリオネル殿下の元に向かえ。私は王太子殿下の元に向かう」
「はい。そのつもりです」
別れた二人はそれぞれの目的の人物がいるであろう執務室に向かい歩き始める。フロイドはもう、前を向いている。前を向き、歩き出す事が出来たのはリズのおかげだ。彼女の努力と思いを無駄にしない為にもフロイドは歩き出さなければならなかった。
正直自分の幸せにはリズが必要不可欠だという事実は変わらない。リズがいないと幸せも感じない。いくらリズが望んだとしても、そればかりは叶えてやる事は出来ないだろう。
だけど、このまま人形のようにして生きるのは彼女が望むところではない。彼女の望みはフロイドの幸せと貴族としての義務を果たす事。そこに愛があればなお良し。リズ以上の女性と出会えるかもわからないし、愛することも出来ないかもしれない。それでもリズが望むなら努力してみようとは思う。
最後まで愛せなかったとしても妻として迎えるのであれば大切にしよう。だけど妻を迎える条件は付けてもいいだろうか。難しいかもしれないが、リズを思う事を許してくれる女性がいい。相手にとっては不誠実だろうか。でも、一年に一度くらい。
彼女を想って泣いてもいいだろうか。
そんな条件を呑んでくれる女性を見つけよう。そしてその日以外は、その女性を大切にしよう。それならリズも許してくれるだろうか……?
*****
リズが残した手紙はフロイドだけでなく、世話になった人間に王都を出た後に届く様に仕掛けをしていた。
グリーンフィールド家に手紙が届いたのは昼前。差出人の名を見て嫌な予感がしたバーセル侯爵夫人であるマデリーンは急ぎ手紙を開封。そこにはマナーレッスンの礼の他、自分がフロイドの妻として数年も時間を奪ってしまった事に対する謝罪が書かれていた。
残り少ない寿命の事、フロイドの新たなる妻に対するフォローの願い、そして短い時間ではあったが母娘として接してくれた事にたいする感謝が綴られていた。
手紙を読み終えたマデリーンは息子フロイドと同じように脱力し、その場に座り込んでしまう。慌てる使用人達を手で制し、手紙を胸に涙を流した。
「馬鹿な娘……っ何も、遠慮なんかする必要など、無かったというのにっ」
『表立ってお邸を訪ねることが出来なかったのでお義母様とお話する時間も少なかったのが心残りですが、私に『お義母様』と呼ばせていただく許可を与えて下さった事、とても嬉しかったです』
「あなたは……もうっ私の娘なのよっ! 馬鹿娘っ」
『私のような不出来な嫁を迎えて下さったグリーンフィールド家には感謝の念が絶えません。今後、ご子息が選ぶであろう女性についてどうかお力添えをお願い申し上げます。ご子息が選ばれた女性ですからきっと良き方だと思いますが、心の中の本心までは覗けぬものです。心は見えず、されど傷つきやすい。どんなに虚勢を張っても一度傷ついたものは簡単には治りません。どうか、どうかよく見守ってほしいのです』
「よく、解っているじゃない。……あの子、義務でももらったからには大切にするでしょうけど」
『ご子息は義務でも娶ったからには大切にするでしょう。しかし、それが伝わらなければ冷遇されていると感じてしまうやもしれません。……選ばれた時点で、その方は特別なのですが恐らくわかりにくいと思います』
リズは特別愛された。愛情も正面から送られた。だから実際どうかはわからないが、フロイドの中で最も大切な女性がリズであることはこの先一生変わらないだろう。だからこそ、リズと同じように愛情を正面から伝える事はないかもしれないという、リズの懸念が書かれていた。
「……愛する人の、今後のパートナーになる女性の事まで心配するの……? 自分の事、心配なさいよっ」
大粒の涙を流す侯爵夫人と困惑する使用人達。気丈で気高く炎の女神と称される夫人が、一目も憚らず涙するなんて。夫人付きの侍女も長年仕えてきたがこんな姿は初めて見た。
『最後となりましたが、私を娘として厳しくも優しくご指導くださりましてありがとうございました。私に〝家族〟を教えて下さり、ありがとうございました。受け入れて下さり、ありがとうございました。
これからのご多幸を願っています。
健康で長生きしてくださいね、お義母様!
貴女の娘、リズより』
手紙はリズの思いつくがまま、感謝をしたい人間には全員に送られた。
送られた手紙は大切に保管され後世にまで残る貴重な資料として歴史学者達から手厚い保護を受ける事になる。
私生活が落ち着き、更新できました。ストックがほとんどない状態なのでまだまだ亀更新になるかもですが……。
物語もいよいよ終盤です。今後ともよろしくお願いします!




