教皇ディオン・ウジェーヌ
残酷描写あります。
苦手な方は注意してください。
クレプス教教皇。
ディオン・ウジェーヌ。御年75歳を迎えるクレプス教最高指導者は目の前に広がる光景に苦虫を噛む思いだった。
*****
その日、いつものように朝の礼拝を終え教皇の仕事を熟していた。クレプス教教皇は実質クラシオン共和国の頂点に君臨する。国の決定には必ず教皇のサインが必要である為、教会の仕事と政治家としての仕事を両立させる必要がある。
若い頃から野心家でこの地位に登り詰める為には何でもやった。教皇の座に就いたのは今から10年前。最近では書類仕事も辛く文字も見えにくい。
そろそろ引退も頭をよぎるが死ぬまでは教皇であり続ける。この地位に就いた時からそう決めていた。
ふぅーっと大きく息を吐き、一息入れる為部下に茶を用意させる。
疲れた目を揉み解していると、ふと違和感を覚える。
「……? おい、どうした」
先程戻ってきて茶を淹れていたはずだ。なのに、全く音がしない事に気づいた。不思議に思い、目を開けるとそこには誰もいない。
(さっき戻ってきたはずだが……)
見回すが人影もなければ気配もない。疲れのせいか……。と、思い至る直前。
『親愛なるクレプス教教皇、ディオン・ウジェーヌ教皇猊下』
「!!?」
どこからともなく年若い女の声が響く。この部屋には教皇しかおらず、大前提としてこの執務室は女人禁制にしている。よって女の声が聞こえる事自体がおかしいのだ。
「何者だ!! どこに居る!! どうやって入って来た!!」
教皇の執務室は教会の最奥。ここまで来るには聖騎士の警備を掻い潜る必要がある。それでなくても多くの人間の出入りがある。誰にも見つからずここまで来ることはほぼ不可能なのだ。なのに。
(誰か手引きする者が? 目的はなんだ、金……いや、次期教皇の座か?)
女を使って篭絡させるつもりか。これまでも幾度となくそういったハニートラップだのなんだの経験してきたウジェーヌだが、今回はどうも様子がおかしい。
『突然の事で申し訳ありません。私はシリル王国第一王子直属魔術師のリズと申します』
「シリル王国……黒太子の国か。魔族の国の魔術師が一体何の用だ!!」
非常事態を知らせる為の緊急連絡用魔道具を作動させるが全く反応がしない。何度も起動を試みるがうんともすんとも言わない。
『外部への連絡は遮断させてもらっています。いくら魔道具を起動させようと無駄ですよ』
ちっ! と、舌打ちをしたウジェーヌはどこにもいない女に向かって声を荒げる。
「貴様の目的はなんだ!! 魔族に肩入れする蛮族め!! 神の怒りを受ける事になるぞ!!」
『神に頼って生きてないので怒りを買っても返品します。ですのでお気になさらず。それより本題ですが……』
この女っ! 神の存在を何だと思っている!
湧き上がる怒りをどうにか抑え、心を落ち着かせる。
(落ち着け……。乗せられるな。相手のペースに乗ってしまったらそれこそ思うつぼだ)
伊達にここまで上り詰めた訳ではない。
聖職者と言えど権力を欲するのは人の性。神の道を目指したきっかけは人それぞれだろうが、一度入れば教会内の派閥やらなんやらで俗世と変わりない事に絶望する。そこからは教会内の醜い争いに目を逸らしただ神に祈るか、ウジェーヌのように開き直って上を目指すか。
「シリル王国第一王子の魔術師……。何が目的だ」
冷静さを取り戻したウジェーヌ。どこに居るかもわからないが故に、まっすぐ正面を睨む。それまでの焦りがどこへ行ったのか、雰囲気が変わった事をリズも察知する。
『我が主の命により、貴殿にはこれからこちらの指示に従って貰います。抵抗するならどうぞ。その場合、手足の一本二本飛ぶことになりますが』
「ふんっ! そんな脅しに誰が……!? ぎゃぁぁぁぁぁ!!?」
「次、左手行きます。自分で移動してもらいたいので足はまだ残しておきますが代わりにどうするかな……。眼球貰っておきますか」
「なっ! ぐぎゃああぁぁぁぁ!??」
反論したので即実行。手始めに右手首から先を貰った。まだ抵抗しそうだったので左手。その次は宣言通りに眼球を貰う。
『指示に従う気になりましたか?』
「うっぐぐぅぅっ! き、貴様ぁぁ!!」
痛みを耐え、何処にいるかもわからない相手を睨み付ける。左右の手首から先は無く、痛みが脳天を突き抜け気が狂いそうになりながらもウジェーヌは抵抗を試みる。
だが、そんなウジェーヌを嘲笑うかのように今度は右目の眼球を奪われた。
「ぎゃああぁっあぁ!!」
既にない右手で奪われた右目を抑える。
(ありえない、ありえないありえない!)
この執務室は魔術反射の術が仕込まれている。このような攻撃魔術を仕掛けられたら自動的に無効化。更に術者に跳ね返る仕様になっている。
(常設されている魔術は毎日点検されている! 今日も異常はなかった……! なのに、なのに何故!)
あまりの痛みに膝をついた教皇ウジェーヌ。痛みも流れ出る血液も血の匂いも本物。
本気だ。
ウジェーヌはこの時漸く気づいた。この魔術師は本気で殺すと宣言したら躊躇いなど一切せずに殺す、そんな人間だと。
逆らえば次はどうなるか。既にない両手と右目が物語っている。
「……っぐ、何をすればいい……」
『ベランダに出て国民の前に出て下されば結構。後は指示があるまで動かないで下さい』
この状態で国民の前に出ろという指示に、頭が沸騰しそうなウジェーヌ。両足は無事だとはいえ、痛みと出血でフラフラだというのに、こんな姿を国民に晒せというのか!
だが反論しようものなら今度は左目が犠牲になるだけだ。ウジェーヌは渋々歩き出す。
クレプス教本部を置くソルラージュ大聖堂。全てのクレプス教信者が一生に一度は礼拝したいと願うこの大聖堂には外に溢れた信者からも教皇の姿を一目見る事が出来るようにとベランダが設けられている。
そこに教皇が姿を見せるのは新年とクレプス教にとって重大な神クルムがこの世に姿を現したとされる6月20日。その他祭事や大きな厄災が起こった場合に教皇はここから信者に向かって言葉をかけるのだ。
神の代行者ともいえる教皇を一目見る事が出来ないかと望む信者はベランダの見える広場へ足を運ぶ。案の定、ウジェーヌも想像した通りに多くの信者が僅かな可能性をかけて広場に集まっていた。
「教皇様!!」
「おぉ! 教皇様がお見えになったぞ!!」
「あぁ、なんて幸運だろう!」
何も知らない国民は教皇の姿を見ただけで歓声を上げる。これから何が起きるかも知らずに。
ただ、教皇は違和感を覚えた。
(なんだ!? 何故誰も私の心配をしない!?)
気丈に振る舞っていたがそれでも可笑しい。右目も両手もなく、血も流れ出て祭服も赤く染まっているというのに、皆が皆歓声を上げるばかりでウジェーヌを気遣う様子が一切ない。悲鳴が上がってもいいし、異変に気付いた他の司祭達が駆けつけてもいい筈なのに、それがない。
「一体……どういうことだ?」
意味が解らないとばかりにポツリと漏らしたウジェーヌだが、それについての答えが返ってくることは無かった。
「おい! 何だあれは!?」
「何……?」
「えぇ!? 嘘、どうなってる!?」
騒めきだした広場に我に返った教皇は一体次はなんだと前のめりになる。眼下では国民が空を指差し驚いているではないか。それにつられて教皇も空を見上げる。良く晴れた青空で雲一つない。ただ、そこには予想しなかった光景が映る。
「あれは……!? まさか!!」
空に映し出されたのはクレプス教聖騎士団。
そしてクラシオン共和国軍と同盟国軍と属国からの混成部隊。それを率いているマティアス・ジュイノー副騎士団長ではないか! それに、シリル王国側と見られる軍人達。
『我らは魔族を打ち取る。それが教皇猊下からのご命令であり我らの役目! 邪魔建てするというなら容赦はしない!』
シリル王国へ王太子を名乗る魔族討伐に向かった軍勢7万の姿が信じられない事にこのクラシオン共和国の空に映し出されているではないか!
国民も驚き、戸惑いの声が上がり始めている。聖騎士特有の銀の鎧を身に付けたジュイノーは今確かに教皇からの命令と言った。
「魔族の事だろ?」
「でも、相手は普通の人間にしか見えないけど……」
「黒太子っていう魔族の国の討伐だ! 何が問題あるってんだ!!」
国民の動揺は次第に魔族討伐へと向かったマティアス・ジュイノーの称賛と激励、そして教皇への感謝に変わっていった。そこに件の黒太子と言われる王太子アデルハイトの姿が映ると声は過激さを増していく。
「アレが魔族! 殺せ、殺してしまえ!!」
「あぁ! なんと恐ろしい!」
「真っ黒な髪。何て不気味なの……!」
国民の素直な感想がそこら中から聞こえてくる。騒ぎを聞き付けた教会関係者も集まり教皇は一先ず落ち着いた。だが、それもすぐに再び混乱へと落とされる事になる。
「両手と右目……ですか? ちゃんと両手もありますし、右目もありますが……?」
「何だと……? では、この痛みや流れる血の感触に匂いは……一体……?」
困惑を通り越して上手く頭が働かない。怪我もないならこの痛みはなんだ。血が流れ過ぎてクラクラするというのに、血すら流れていないという。それに上空の光景も。
「一体なんだ!? 何が目的だ!!」
何処にいるのかわからない魔術師の女に向かって叫び出す教皇。そんな教皇に驚きを隠せない司祭達。普段は怒りの感情など見せない教皇が、目の前で、国民の前だという事も忘れて感情を顕わにしている。だが、そんな事はお構いなしに映像は流れ続けた。
『お聞きくださいましたか、皆様!! このクレプス教というのは、黒髪である事を理由になんの落ち度も過失もない国を悪と見做し侵略する事を公然とやってのける宗教だと!! たかだか! 髪色だけで判断をする! そんな幼稚な宗教だと!!』
映ったのはシリル王国第一王子リオネル・エルネスト・ラファティ。美しいその男が促し次々に映し出されたのは大陸南方、東方諸国の各国代表者達。そのほとんどが黒髪であった。
「なっ、魔族があんなに!?」
「みんな魔族なのか?」
「でも、黒髪だし……」
(やられた)
目的はこれか。
国民の前で黒髪=魔族という式に疑問を抱かせること。事実、広場に集まった中には疑念を持った人間も多そうだ。しかもご丁寧にクラシオン共和国全体から映像が引き延ばされ、大陸全体が映し出された事によって国の大きさと世界の広さが浮き彫りになった。
大陸南方、東方諸国は豊かな大地で食料も豊富。国全体の面積も大きくそこに住む人間の数も多い。今まで大国だと信じて疑わなかった理想が現実を知った瞬間だった。
いずれは民族的に黒髪がそこまで珍しい髪色でない事も知る事になる。
そんなことになってしまったら、これまでの教えどころか教会そのものが崩壊する。
(奴らはこれを、国民に教会への疑念を抱かせることこそが目的だったのだ!)
頭を抱える教皇をよそに、映像は流れ続けマティアス・ジュイノーは教会の教えに従った。国と国との関係性よりも教会の教えを取ったジュイノーはまさしく敬虔な信者である。しかし、国を裏で操る教皇からすればこのジュイノーの判断は誤りであったとしか言いようがない。
(クソっ……! 信仰深いのも考え物だな……!)
世界のパワーバランスが崩れるきっかけにもなるこの判断。下手をすれば国も教会もなくなる可能性だって出てきてしまった。
未だにない両手で頭を抱えていると、あの美しい男の声がこちらに向けられた。
『お聞きになった通り、南方東方諸国はそちらと一切の関係を断つと宣言された。勿論我が国もだ。クレプス教教皇ディオン・ウジェーヌ。我が国に刃を向けた事、どう責任を取るおつもりか説明願おう』
男から見ても美しいと言わざるを得ないリオネルだが、今はその微笑みが悪魔の笑みに見えるのは気のせいではない筈。ウジェーヌは苦虫を噛む思いだった。
ありがとうございました。
次回から投稿頻度が落ちるかと思いますが、引き続きよろしくお願いします!




