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寂しいよ


醜くドロドロしたその物体。



(ここが殿下の心の中……。そしてアレは、殿下の心そのもの)



蠢くソレはお世辞にも美しいとは言えるものではない。だが、アレが殿下そのもの。殿下の本当の、内に秘めた感情の塊。

生まれてから12年の間、〝北の塔〟に幽閉され続け外との関わりを断たれ、執事によって王子としての尊厳も奪われた。聖獣様と出会い、今度は王太子として王宮で生活する事になってもこれまでの『黒持ち』に対する差別がすぐに治まるはずもない。陰でどころか、殿下の前で明らかに嫌悪を剥き出しにする使用人、怯えて世話も出来ないメイド、侍従、守る価値無しと勝手に判断しサボる騎士……。そういう連中は王の名の元、堂々と処罰を下していったが、だからと言って殿下の心が癒える訳でも、言葉を無かった事にすることは出来ない。

鋭い言葉の棘は知らず知らずに相手の心に刺さり抜けず、その後も一生付きまとう。それをバネにしてとか、今ではもう気にならないとか、そこまでのレベルに行くには時間も掛かる。一度きちんと自分と向き合う必要があった。なのに、殿下は折角与えられた責務だと、日々を多忙に過ごしていた。必要ない存在から必要な存在となった殿下。それが、どれだけ嬉しかったのだろう。自分の心に蓋をして押し殺し、今日まで懸命に励んできたアデルハイト王太子殿下。



『本当ニ、必要ダト、思ワレテイルト?』


「!」



蠢く黒いソレは殿下の背丈ほどまで膨らみ、こちらを見ているかのように真っ直ぐ対峙する。伸びた触手が徐々に本体に取り込まれ、大きくなっていく。



『人ハオ前ヲ裏切ル。信用ナンテデキナイ。ワカッテイルハズダ』


『五月蝿いよ。お前は黙っていなさい』


『ソウヤッテ、マタ、僕ヲ殺ソウトスル。悪イノハ僕ナノ?』


『いいや。違うよ。でも、君だってわかっているだろう?』



初代国王と会話を始めたソレを、殿下は茫然として見つめている。

アレは殿下自身。殿下の感情の、暗い部分をかき集めたもの。醜いと思う。でも、それが殿下自身。



『勝手ニ産ンデ、望ンダモノト違ッタカラ、捨テラレタ!! 僕ノセイジャナイ! バケモノニナリタクナカッタ! ソンナノ、望ンデナイ! 憎イ! 憎イ憎イ憎イ!!』


「「「!!」」」



大きく膨張し始めたソレは、体を振って暴れ始めた。ソレから飛んできた水飛沫の様なものが周囲に飛散すると、そこから更に同じような黒いドロドロした物体がいくつも現れた。



『ふぅ、またお掃除しなきゃ……だね!!』



初代国王シリル様の手に握られたままだった大きな鎌。大きく擦りかざして新たに生まれた者達を刈り取っていく。あの鎌に切られた物体は成長を止め、その後ボロボロと崩れ跡形もなく消え去っていった。あれがもしそのまま成長し続けていったとしたら……。


考えるのはやめよう。問題なのは殿下であっても先の未来の話ではなく今、この瞬間の殿下の事なのだ。



「あれが、僕……。本当の僕の姿。……なんて、醜いんだ」



ポロリとこぼした殿下の言葉。殿下も気づいたのだ。アレが殿下そのものであるという事に。



「私は私の心を覗いたこともなければ対峙した事もありませんが、あんなモノじゃないですか? 人だって感情があるのだし、それを理性で抑えつけているだけで上っ面を保ってるだけですもの」


「だが、あれを美しいとは思えないだろう? アレは僕なんだ。あんなのが、僕……。僕が育ててしまった、僕自身の、負の感情。僕は、本当は僕は……ッ」


「〝王太子なんか望んでいないのに〟?」


「!」


「〝捨てたくせに〟〝望んでないくせに〟〝本当は兄上の方が良いんだろう?〟〝汚らわしい『黒持ち』って今も思っているんだろ〟あとは―――、〝早く死ねと思っているんだろ〟とか?」


「……」



殿下の表情でわかる。間違ってない。殿下は確かにそう思っているんだ。

完璧とまで言われた最も王位に近い兄を差し置いて、聖獣から認められた事で王太子となった自分を快く思っていない人間は王宮の中にそれなりの数がいる。側妃達が断罪され、第二王子のアーヴィン殿下やゼーレ様が直接手を下した第三王子セオドア殿下を支持してきた連中からすり寄られたが、内心自分の今後の立場が心配なだけでアデルハイト殿下自身は未だに穢れた存在だと信じ切っている。


それがわからない殿下ではないのだ。それが『黒持ち』特有の能力なのかは知らないが、兎に角悪感情を察するのは造作もないこと。王宮ではその手の感情など溢れかえっていた事だろう。



「よろしいのでは? 人など、結局可愛いのは自分だけ。それの何が悪いので?」


「……僕は王太子だ。もう、自分の我儘を通す事など出来ない立場だ。国を、民を守らなければならない。僕はその為の歯車になると決めたんだ……。なのに……なのにっ! 僕は……!」



思いつめた表情の殿下。これまで放置されてきたのが一変して王太子としての役目を求められた。殿下にとって嬉しさの反面、今更感が強かったのだろう。だが、聖獣ゼーレ様に認められた殿下に王太子の任を放棄して自由に生きる事は出来なかった。

力無く膝から崩れる殿下は、体は大きくなっても出会った時のままの、小さな子供のようだった。


ぽんっ



「!?」


『ないちゃ、めー、よ』


「……ッはは、そうだね」



幼い『黒持ち』の少女が殿下の前に立ち、力なく下げられていた頭にその小さな手を置いて慰める。お姉さんのように振る舞うその様子に、思わず淡い笑みがこぼれてしまった。



「僕の心は暗い。それが、魔神に付け入る隙を与えてしまったんだろう?」


「……」


「初代様……シリル様のおかげで食い止められていた。さっきのように僕の醜い感情を切り裂いてさ」



殿下は目の前の幼い少女の頭をひと撫でするとその子に向かって微笑み立ち上がる。少女も立ち上がった殿下を見て満足そうな顔をした後、元の『黒持ち』達が集まる一角に戻っていった。



「シリル様に感謝を。あの日……立太子の儀の日からずっと……私を守って下さっていたのですね」


『……すまないね。君を巻き込んでしまって』



申し訳なさそうに謝罪するシリル様に、殿下は首を振る。



「謝っていただく理由がありません。私は……おかげで生きて来られた。貴方様がいなかったら……リズが出て行ったあの日、壊れていた事でしょう」


『あの日は、確かにこれまでで一番大変だったよ』


「すみませんでした?」


「リズは悪くない。私の、心の弱さが原因だ」



まさかそれほどまで追い詰められていたとは思いもしなかった。好かれている事は自覚していたけれど、それはあくまで姉と弟の様な感覚だとばかり思っていた。もっとも、姉と弟が別れるというのも辛い話なのかもしれないが。



「リズ。私、アデルハイト・ウィリアム・ラファティは、貴女を心の底から愛し生涯愛する事を誓います。貴女が例え、他に愛する人がいたとしても、私の愛は貴女にのみ捧げます。……好きだよリズ。僕の最愛の人、リズを忘れる事なんて僕には出来ないから」


「……殿下」


「あの手紙に書いてあった〝愛する人を長い人生の中で見つけて、私を過去の人とするように〟ってさ。悪いけどそんな事出来ないよ。今もこれからも、ずっとその先も、僕はリズを愛し続ける。……過去の人になんかできないよ。したくない。だから許して?」



いつの間にか辺りは薄っすら明るくなっていた。殿下の心の靄が晴れているという事なのだろう。



「リズをこれから先も思い続ける事、僕の生涯をかけて君を想い続ける事を、許してほしい。君が、僕の心の中からいなくなるなんて、考えられない。そんなことに成ったら、僕は一人で立つことも出来ないんだよ。他に愛する人を見つけてなんて言わないで。僕に君を愛し続けさせて。……お願いっ、……いなくならないで……一人は……いやだ……」


「殿下……」


「さみしいよぉ、やだよぉ!! なんで、僕を置いて行くんだよぉ!! 一緒に、連れてってよ……。一人にしないで……」



泣きじゃくる姿に漸く気づいた。



(あぁ、寂しいって、言えなかったんだ)



寂しいって、言葉に出してしまったらもっと寂しくなる。無いのに欲しくなる。有る者を羨んでしまう。だから、〝寂しい〟を口に出来なかったんだ。何とも思ってない、平気だよ、だってそれが僕の普通だものって……。そう、言い聞かせないと寂しくて死んでしまいそうになったんですね。



「気づかなくて、気づいてあげられなくて、ごめんなさい……。ごめんなさい、〝寂しい〟は辛いです。私も、平気なフリをしてきたから……知らないフリをしていた方が、楽だったから……、ごめ、なさっ、ごめんなさい……!」



自然と涙が零れる。そうしたら次から次へと止まらなくなって、止め方なんてわからない。死んでも尚、涙を流すことが出来るとは思わなかった。死ねば、痛みも悲しみも苦しみも感じなくなるのだと、そう思っていたのに。


痛いよ。とても痛い。心が痛い。


この小さな子供の様な殿下を、私は置いて逝く。置いて逝く私と、置いて逝かれる殿下。同じようで違う、私と殿下。



「死にたくなかったっ……! もっと生きていたかった……! 知らない事も、やりたいこともたくさんあったっ! 私だけ、取り残されるようで……怖かった……! まだ、生きていたかった……」



仲間達の前で言う本音。これは彼らも同じはずだ。私だけじゃない。だから、仕方がない事。わがまま言っちゃダメだってわかっていたのに、言葉にしてしまったら、その思いが溢れ出して止まらない。



「なんで、死ななきゃならないのぉ!? 何で!? わたし、何もしてない、何もしてないよぉ!! 恨まれるようなこと、捨てられなきゃならないようなこと、何もしてないのにぃ!! なんで、なんでよぉ……?」


『……!』



泣きじゃくる私は子供のようだろう。今更どうしようもない。魂はこの後殿下の中で眠り、肉体は既に結晶化して後は崩壊を待つのみ。

今更、帰る場所も、肉体もない。

全ては既に私の死を前提に動き出している。それを今更、覆す事など出来ようはずもない。



「リズ、僕の中で眠るのなら僕が傍にいる。僕が死んで天に帰る時まで、僕がリズの傍にいるよ。だから、寂しくない。寂しくないんだよ。リズも、僕も。なのに、リズは僕を忘れろなんて言うから……。ごめんね? 僕の事、嫌いになった……?」



恐る恐るそう問いかける殿下。迷子の子供の様なその表情に胸が潰れる思いだ。



「……嫌いになるはずがございません。リズも、殿下を愛しております」


「うん……愛してる」



ふふっと笑い合い、額同士をくっつけて手を握り合い、しばらくそのまま目を閉じた。



「あったかいね」


「ええ、温かい」



涙が出る程、温かい。



「殿下のお傍に。夢の中でなら、会えるかもしれません」


「うん。……約束」


「はい、約束です」



小指同士を絡ませ、約束を交わす。辺りはもう、すっかり明るくなっていた。



『さぁ。君達がいちゃついてる間に新たな仲間も合流した。……魔神の手には、もう落ちないね?』


「はい! 私はもう、大丈夫です。決して、この身を明け渡すような事はありません」



力強い瞳で真っ直ぐにシリル様に向かう殿下に、もう迷いも憂いもない。

新たな仲間は面白くなさそうだけど、こればっかりは仕方ないと諦めてもらうしかないね。



「魔神、魔王、そしてイェルサ。この三名に、しっかり代償を払ってもらいましょう」



そう言って笑う殿下は、どこか楽しそうで、どこか黒いモノを感じた。



(……あれ? リオネル殿下に似てる、だと?)


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