末っ子の悩み その2
この家の地下には秘密の空間がある。リーシャが魔法の試し打ちをするために、土魔法を行使して作った練習場だ。ノアも竜の力を開放するときに時々使用している。
以前、ルシアとエリアルが竜の姿に戻るための訓練をしたのもこの練習場だ。
3人は地下の練習場へと続く階段を降りていった。
練習場の広さは、ノアが黒竜の姿で本来の大きさに戻ったとしても、ギリギリではあるが入れるくらいの広さがある。
その中心まで行くと、ルシアが場を仕切り始めた。
「よし、じゃあさっそく始めるぞ! エリアル、前に兄貴に言われたこと覚えてるか?」
「……?」
エリアルはきょとんとした顔で首をかしげた。
それを見たノアとルシアは、顔を見合わせた。お互い想定していなかったわけではない。
ルシアは苦笑し、ノアは眉間に皺を寄せ溜息をついた。
「やっぱ覚えてないみたいだぞ、これ……」
「……想定内だ……」
以前練習をした時から、数か月経過している。見事に忘却してしまったようだ。
エリアルのことなので教えたことを思い出す見込みはないだろうと、ノアは初めから諦めたていた。また1から教え込むしかない。
「いいか、イメージは頭へ血を集める感じだ。本気で怒ったときの感覚を思い出せ。そうしたら徐々に体の内側から熱がこみあげてくる。その熱を体の外へ押し出すように力を込めろ」
「頭に血を集めるって、そんなことできるの?」
「……ただのイメージだ。本当にするわけじゃない。前も言っただろ」
「うーん、言われたような気はするけど……やってみる!」
想定はしていたけれど、実際に見事なまでにきれいさっぱり忘れているエリアルに直面し、何故こんな風に育ってしまったのだろうとノアは片手で頭を抱えた。
思いたたる節は……なくもない、か……
エリアルは教えられたことを実践しようと目を閉じ、全身に力を込め始めた。
「ふぬうううううう‼」
数分後。エリアルの体に変化は見られない。
ノアは、一生懸命唸っているエリアルを見ながら思考を巡らせ始めた。
どう言うのが、エリアルにとってわかりやすいか。一番近い感覚が、激怒した時の感覚のはずだが。
擬態に関しては、何が出来ている、出来ていないと周りが判断することができない。外野ができることといえば、いかにイメージをうまく伝えられるか、ということくらいだ。
ノアの横で、自分なりに考えを巡らせていたルシアが「あっ」っと何かに気がついたような声を出した。
「どうした、ルシア」
「あのさ、兄貴。俺、思ったんだけど、エリアルって本気で怒ったことないんじゃね? 俺らが甘やかしすぎたせいで、怒ってカッとなる? イメージがわかんねーとか」
「……そうか。言われてみれば……確かにそうだな……」
思い返してみると、エリアルが怒る事があっても、それは駄々をこねる程度のもの。それにヒートアップする前にノアたちの方が大体折れてしまう。性格自体ものほほんとしているため、我を忘れるほど怒っている姿は目にしたことはないように思えた。
けれどそれを言えばルシアも似たようなものだ。
ルシアもどちらかというと温厚な性格で怒りの感情とは程遠いように思えた。先日のラディウスに威嚇していたという話を聞いたノアが驚いたくらいだ。
「だが、それならば、何故お前はできたんだ? あの頃のお前も怒りとは無縁だったように思うのだが?」
もしかしたらルシアが擬態を解いた時の事を聞けば参考になるのではと思い、ノアは尋ねてみた。ルシアはきょとんとしている。
「俺? 俺は怒りの感覚とか関係なしに、頭に血が集まる感覚ってこんなかなぁ、って思ってやったらできたけど」
「……そうか」
単に筋がよかっただけで参考にはならない返答だった。頭の回転は良くないけれど、大体のことはすんなりとできるようになってしまうのがルシアだった事をノアは失念していた。
「ふぬうううううううう‼」
2人が考えている間もエリアルはひたすら力を込めて唸り続けていた。いい加減やめなければ、頭の血管が切れるのではないかと思うほどだ。
「早々にコツをつかませるにはどうしたものかな」
「頭に血を集める感覚を覚えさせるなら、逆さに吊るのはどうだ?」
「お前……意外にむごいことを考えるな」
「そうか? それが一番手っ取り早く覚えられると思ったんだけどなぁ」
ルシアとしてはいい案だと思っていたらしく、残念そうな顔をし肩を落とした。
けれどルシアは突然背筋を伸ばしたかと思うと、ハッとした顔をした。
「ダメだ! そんなことしたら落ちた時に頭打っちまう! やっぱ無しだ、無し‼」
慌てて自分の言った言葉を否定した。けれど、ノアはルシアの言葉に、そういう以前の問題だろうにと思っていた。
練習のためと言え、逆さ吊りは弟相手にするような行為ではないだろう……
そう言いたいノアだったけれど、言ったところでルシアからはよくわからないというのんきな表情しか返ってこないだろうと思い、口を噤んだ。
「俺さ、エリアルが頑張りたいって思ってるなら、それを尊重してやるべきだとは思うんだ。けどあいつ、あんまり加減ってやつを知らないから心配なんだよな」
腕を組んだルシアは、エリアエルに届かないような声でノアに語りかけた。エリアルの事を見る表情からは心配が見てとれる。
「ああ。そこは同意だな」
エリアルは今も休憩をはさむことなく努力を続けている。
けれど、どうにもノアの言っていることが理解できないエリアルの努力では、ノアの言うイメージに辿り着けそうもない。
このまま続けると、本当にエリアルの頭の方が危険かもしれないな。
エリアルはノアの言った言葉そのまま、頭に血を集めようとして力み続けている。このままでは脳の血管が傷ついてしまうかもしれない。
「そろそろ休憩させた方がいい、か」
ノアがエリアルを休ませるため足を進めようとした時、ルシアから無意識に零れ落ちたような声が聞こえてきた。
「……やっぱあいつは今のままでいいと思うんだけどなぁ」
「おい。どうした、ルシア」
ルシアはノアが動き出すより先にエリアルの側へ行き、そっと肩に手をのせた。
その手の感覚に気がついたエリアルは、ルシアの事を見て不思議そうな顔をした。
「? なに?」
「あのさ、リーシャのこともお前のことも俺らが、ちゃんと守ってやるから、お前はそのままでいてくれないか? 足手まといだとか思ったりは、ぜっっっったいにしないから」
ルシアの発言にノアは頭を押さえた。
ルシアのこの言葉が、エリアルの面倒をみるのが嫌になったからではないという事はわかっている。これから毎日のようにこんなに力いっぱいな練習をしていては倒れてしまうのではないかと心配になっただけのはずだ。
けれど、そんな思いなどエリアルが気づくはずがない。むしろ今のエリアルにとっては地雷といっていい言葉だ。
「なんで⁉ なんで、そんなこと言うの⁉ 僕だってにぃちゃんたちと同じ竜なんだよ⁉ 兄弟なんだよ⁉ にぃちゃんたちが元の姿に戻れるなら僕だって戻れるはずなんだよ⁉ それに今回は付き合ってくれるって言ったじゃん‼」
「けど、この姿でいても何の支障もないだろ? 戦う必要がある場面だって、そうあるわけじゃないんだし」
「ヤダヤダヤダヤダ‼ 僕だってねぇちゃんのために何かしたいんだ‼ ゼッタイにあきらめない‼」
エリアルは大声で喚いた。また面倒なことになったと思いつつ、ノアは荒ぶるエリアルを見た。そこで気がついた。
涙越しに見える瞳が、人間のものではなくなってきている。エリアルはかなりの御立腹のようだ。
荒療治ではあるが、もう一押しすればいけるかもしれないな……
ノアはエリアルがさらに喚き散らすことを承知の上で鋭い言葉を向けることにした。
「エリアル。正直言うと俺は、お前は元の姿に戻れる見込みはないと思っている。努力して全てのことがうまくいくわけじゃないんだ」
「けどっ! こうやってねぇちゃんと同じ姿になれたんだよ! だったら……」
「その姿になれたのは偶然だろ? 俺たちは人の姿になろうと思ってこの姿を手に入れたわけではない。ただ偶然にこの姿を手にしただけ。だから意識的に変化させる才能がお前にはなかったんだ。諦めろ」
ノアの言葉に俯くエリアルの体が小刻みに震え始めた。
「……じゃないもん……」
いつも優しい兄2人から否定されたエリアルは、悲しみの感情よりも大きなこれまでこれまでで1番と言えるほどの怒りに近い感情に支配されているらしい。
ノアもリーシャを失うのではないかと思った時に感じた、全身の毛が逆立つような、内側から煮えたぎる何かが沸きだしてくるような感覚に。
「ムリじゃないもん! にぃちゃんたちの、バカァァァァァァァァァァ‼‼」
「‼」
エリアル叫びと同時に、周りに強烈な突風が吹き荒れた。
体が人の肌から、黒い鱗の鎧をまとった姿に変わり、爪や牙は鋭く尖っていく。そして小柄な人間の姿は影も形もなくなり、エリアルが立っていた場所にはうずくまった姿の巨大な黒竜が現れた。
突然のことに驚いたルシアが目を見開き、感嘆の声を上げた。
「おお! なんか知らねぇけど、竜の姿に戻れたじゃねぇか!」
エリアルはルシアの声を聞き、自分の体を確かめた。思い描いていた姿がそこにある。
「‼ やっ、痛っ‼」
喜びのあまり巨大化していることを失念していたエリアルは、いつものように全身で喜びを表現しようとしたところ頭を天井にぶつけてしまった。
あまりの痛みにエリアルは頭を押さえてうずくまった。
「あっ! おい、大丈夫か⁉」
「うん、大丈夫。平気。それよりルシアにぃちゃん、僕できたよ! ムリじゃなかった! ノアにぃちゃんも! 見たでしょ?」
竜の体から発せられる人のような声からは、喜びがあふれていることが伝わってくる。
ノアはエリアルを見た。見上げるその表情は穏やかなものだった。
「ああ、無理じゃなかったな。すまなかったな、ひどいことを言って」
「? なんで謝るの?」
「ふっ。お前が気にしていないならそれでいい」
「?」
本気で言ったわけではないけれど、エリアルを傷つけるようなことを言ってしまったためノアは謝った。けれど、嬉しさで興奮しているエリアルの頭の中では、先ほどの発言など些細なことに感じられているようで、全く気にしていない様子だった。
エリアルが兄2人に、頑張ったことを誇らしげに話していると、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。
「ただいまぁ。上に誰もいないから出かけたのかと思ったよ。みんなここにいたんだね、って、うわぁ!」
足音の正体はこの家の本来の主で、3兄弟が溺愛しているリーシャだった。
リーシャは地下の練習場で思ってもみない姿を目にして、体をビクリと震わせた。一瞬、攻撃の構えまでとっていた。
けれど黒竜の足元にいるノアとルシアの2人を目にして、すぐに状況を理解したらしい。
戸惑い気味にエリアルを指差した。
「え? もしかしてこれ、エリアル……?」
「リーシャねぇちゃん‼ 僕、元の姿に戻れたよ‼」
「ほんとにエリアルなの⁉ よかったじゃない! 頑張ったんだね!」
「うん‼」
エリアルはリーシャに顔をよせ、嬉しそうに頬ずりをした。
その頬を、リーシャは努力をねぎらうように優しく撫でた。
「あっ、そうそう! 王都でおやつ買ってきたから、上がってみんなで食べようよ」
「食べる――!」
食欲旺盛のエリアルは、おやつ食べたさに今の姿を忘れ、今のままの姿で階段の方へ近づこうとした。
誰がどう考えても上へと続く通路を通れるはずがない。
「待って! その姿じゃ、階段上れないから人の姿にならないと!」
「そっか! わかったぁ!」
エリアルは先ほどの感覚を思い出そうと、目を閉じた。
その場に沈黙が流れ、数分が経過した。けれどそこにはあるのは未だに竜の姿。
エリアルが目を開いた。
「ねぇねぇ。どうやって人になればいいの?」
エリアルは大きな頭をクイっと横に傾けた。
言われて、ノアはエリアルに人間への戻り方を教えていなかった事を思い出した。
「さっきと同じだ。違うのは熱を押し出すのではなく、とどめるようにすればいい」
「わかった! ふぬぅぅぅぅ‼」
エリアルの力み声がしばらくの間、また響き続けた。
ただそれだけ。人間になる気配は全くなかった。
リーシャ、ノア、ルシアは、ある可能性に気づいてしまった。そして、3人の顔はそろって蒼白になった。
その思いを口にしたのはリーシャだった。
「まさか、人の姿に戻れないんじゃあ……」
結局、この日エリアルが人の姿になることはなかった。完全に擬態を習得できたのは、この日から3日後のこと。
その間、ノアは頭を抱えたのは言わずもがな。その苛立ちのせいでリーシャはとばっちりを食らう羽目になったのだった。
書き上げたので、変な時間帯に投稿してみました!
でわ、また!