第83話 ポルガンの憂鬱
地球
2031年11月15日土曜。
ポルガンの誕生日まで、あと2ヶ月と0日。
精神と時の空間。
206日目。
時の間に居られる時間、あと280日。
精神と時の空間――休憩室。
大きな作業用テーブルの上には、地球産の宝石や魔石、金属部品が所狭しと並べられていた。
その中心で、リリーが高級魔道具の製作を進めている。
細い指先から流れ出す魔力が、銀色の装飾へ染み込んでいくたび、複雑な魔法陣が淡い光を放った。
「真央、そこを押さえていろ。」
「ここ?」
「ああ。ずらすなよ。」
「分かってるわよ。」
真央がリリーの隣へ身を寄せる。
二人の肩が触れ合うほど近い。
リリーは魔道具へ集中しているように見えたが、ときどき真央の髪を指で梳いたり、耳元で何かを囁いたりしていた。
その度に真央はくすぐったそうに笑う。
少し離れた席に座っていたポルガンは、地球産のスワロフスキーが埋め込まれた指輪を手にしていた。
本来なら真央へ贈るつもりで選んだ物だった。
ところが、先ほどから何度も手を滑らせ、テーブルへ落としている。
カラン。
また軽い音が響いた。
真央が顔を上げる。
「ポルガン君、大丈夫?」
「ああ。大丈夫だよ。」
ポルガンは笑顔を作り、指輪を拾い上げる。
その直後、リリーが真央の頬へそっと口付けた。
「ちょっと、リリー。」
真央が驚いて頬を押さえる。
「動くからだ。」
「キスする必要ないでしょ。」
「集中力が足りない罰だ。」
リリーは何事もなかったように魔道具へ視線を戻した。
傍から見れば、仲の良いアベックにしか見えない。
ポルガンはしばらく二人を見つめていたが、何も言わずに立ち上がった。
「ポルガン君?」
真央の声にも振り返らず、休憩室を出ていく。
「待って、ポルガン君!」
真央も慌てて後を追った。
扉が閉じる。
残されたリリーは、作業の手を止めた。
その顔には、隠し切れない苛立ちが浮かんでいる。
「女の嫉妬も醜いねぇ。」
少し離れた場所で京扇子を弄んでいた五十嵐が、面白そうに笑った。
「黙れ! 五十嵐!」
リリーが鋭く睨む。
「それより、お前達はそろそろ指導に回る頃じゃないのか? 魔力の使い方は覚えただろう。」
「滞りなく進んでるぜ。」
五十嵐は椅子から立ち上がった。
「そろそろ、あのおかまちゃんの指導に当たりたいくらいだ。いい加減、幼稚園児に教わるのもな。」
京扇子を開き、軽く舞う。
扇子から淡い光の粒が舞い上がり、休憩室の窓の外へ広がっていく。
殺風景だった景色が一変した。
色とりどりの花が咲き乱れ、澄んだ川が流れ、遠くには霞に包まれた山々が浮かぶ。桃の香りまで再現されている。
まるで桃源郷のような美しい風景だった。
「だな。」
五十嵐の取り巻き二人が、クスクスと笑う。
その笑い声を聞いたリアが、ぴたりと動きを止めた。
「今、リアとナルの悪口言ったよね? 五十嵐さん。」
リアの瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
「え?」
五十嵐の顔が引き攣った。
「幼稚園児って言った。」
「いや、違う。そういう意味じゃ――」
「五十嵐が、ナル達の悪口言った!」
ナルも泣き出した。
「うわあああん!」
「待て待て! 悪かった! 泣くな!」
五十嵐は慌てて扇子を振る。
桃源郷の景色が消え、代わりに仮面ライターと船体ヒーローが並んで登場した。
二大ヒーローが決めポーズを取り、派手な爆発が起こる。
しかし――。
「違うううう!」
リアがさらに大きな声で泣いた。
「こわいいい!」
ナルも泣き叫ぶ。
「なら、これはどうだ!」
扇子を振る。
今度はパウバートロールの仲間達が現れ、可愛らしく踊り始めた。
それでも二人は泣き止まない。
五十嵐の額に汗が浮かぶ。
「くそっ。何なら泣き止むんだ。」
「ネパール君!」
リアが泣きながら叫んだ。
「ネパール君がいい!」
ナルも続く。
「ネパール君、出せるの?」
「任せろ!」
五十嵐が勢いよく扇子を振る。
丸みを帯びた可愛らしい動物のネパール君が現れ、短い手足を動かしながら二人へ近付いていく。
リアとナルの泣き声が、ぴたりと止まった。
五十嵐は胸を撫で下ろす。
さらに裏声を使い、ネパール君の物真似を始めた。
「泣いちゃうと、オイラが哀しくなるねパ。」
「似てない!」
リアが笑う。
「変な声!」
ナルも笑い出した。
休憩室に笑い声が戻る。
五十嵐は満足そうに頷いたが、ふと先ほどのポルガンの様子を思い出した。
いつものポルガンなら、真央とリリーがふざけていても、あそこまで露骨に落ち込むことはない。
「なあ。」
五十嵐は、まだネパール君を動かしながらリリーへ視線を向けた。
「ポルガンのことを教えてくれ。この世界のことも、オイラ達はまだよく知らないねパ。」
最後だけ裏声になり、リアとナルがまた笑う。
リリーは腕を組んだ。
「僕も詳しくは知らない。」
途中からこの計画へ参加したリリーも、ポルガンが抱える呪いの全貌までは聞かされていなかった。
「天才パンダの許可を貰おう。取り敢えず、ポルガンの所へ行く。五十嵐、お前も来い。」
「俺もか?」
「映像魔法が使えるだろう。役に立つかもしれない。」
リリーはリアとナルを見る。
「二人とも、本気を出して指導担当者に魔法を見せてやれ。僕と五十嵐は少し出てくる。」
「うん! 分かった!」
ナルが勢いよく手を上げた。
「ナルの魔法を見せるよ!」
ナルは四次元収納から、コヌトコで父親に買ってもらった五体の恐竜フィギュアを取り出した。
ティラノサウルス。
トリケラトプス。
ステゴサウルス。
ブラキオサウルス。
プテラノドン。
ナルが小さな両手へ魔力を集める。
「大きくなーれ!」
五体の恐竜フィギュアが光に包まれた。
次の瞬間、休憩室の窓の外へ巨大な恐竜達が出現する。
地面が揺れた。
ナルは続けて疑似魂を吹き込む。
恐竜達が咆哮を上げ、それぞれ意思を持ったように歩き始めた。
「リアもやる!」
リアはマトカマギアの五人のフィギュアを並べた。
魔力を注ぎ込むと、五人の魔法少女達も巨大化していく。
「ナルの恐竜と戦わせるよ!」
窓の外で、恐竜対マギアのキャラクターによる戦いが始まった。
巨大な尻尾が地面を薙ぎ払い、魔法少女の放った光線が空を切り裂く。
砂煙が一気に舞い上がった。
「すげぇ!」
五十嵐が思わず窓へ駆け寄る。
「規格外過ぎるだろ! やっぱり勇者の子供達は違うな!」
指導員達も、口を開けたまま戦いを見つめている。
「行くぞ、五十嵐。」
リリーに促され、五十嵐は名残惜しそうに休憩室を出た。
二人が廊下を進むと、すぐにポルガンと真央の姿が見つかった。
「ポルガン君、どうしたの?」
真央が心配そうに問いかける。
「らしくないよ。リリーのことが気に入らないの?」
ポルガンは困ったように笑った。
「ごめん。今更って感じかな。」
「え?」
「君は可愛いし、幼馴染の女の子に俺はヤキモチなんて妬かないよ。」
言葉とは裏腹に、表情は沈んでいる。
「あのね、俺の誕生日が、あと二ヶ月になったからさ。」
ポルガンは視線を落とした。
「何て言うか……とにかく、パンダさんの所へちょっと行ってくるよ。」
「ポルガン君、待って。」
「ごめん、真央ちゃん。」
ポルガンの姿が消えた。
「ポルガン君!」
真央が手を伸ばすが、間に合わない。
後ろからリリーと五十嵐が近付いてくる。
「ああ。タイミングが悪かったな。」
リリーが溜息をついた。
「僕達もパンダに会いたい。真央、ポルガンを追えるよね。僕に捕まれ。五十嵐、お前もだ。」
「イケメン君扱いじゃないのかよ。」
「黙って掴まれ。」
五十嵐とリリーが真央へ触れる。
真央が転移魔法を発動した。
しかし、飛んだ瞬間――。
透明な壁に弾き返された。
三人は勢いよく床へ倒れ込む。
「痛っ!」
「何だ、今のは!」
「ポルガン君に拒否されたわ!周囲に張られたバリアの反応よ。」
真央が立ち上がり、服の埃を払う。
「許可のない人間を拒絶したみたい。」
「なら、どうする。」
「まだポルガン君の所へ行く方法くらいあるわ。」
真央は顔を上げた。
「娘娘! 来てちょうだい!」
呼び声に応じるように、空間が揺らぐ。
直後、娘娘が姿を現した。
「真央様、お呼びですか?」
「ポルガン君の所へ連れていって。」
「分かりました。」
娘娘は三人へ手を伸ばした。
◇
コヌトコ――バックヤード。
巨大な冷凍庫や冷蔵庫が並ぶ一角で、パンダはソフトクリームを食べていた。
仕事の合間に隠れて食べているらしく、口元には白いクリームが少し付いている。
「ポルガンの月誕生日が近いにゃね。」
パンダが言った。
ポルガンは答えない。
しばらくパンダを見つめた後、突然その小さな身体を抱き締めた。
パンダは驚いたものの、逃げなかった。
「あと二ヶ月しかないんだ。」
ポルガンの声は震えていた。
「正直、怖いんだ。」
腕に力が入る。
「今が幸せ過ぎるから。」
パンダは黙って聞いている。
「昨日も一昨日も眠れなかった。」
「怖くて、不安で……。」
ポルガンの肩が震えた。
「こんなこと、真央さんには言えなくて。」
「うん。そうにゃね。」
パンダはソフトクリームを近くの台へ置き、ポルガンの背中を優しく触れた。
「でも、この世界がより良くなることを、みんな祈ってるにゃ。」
「みんなで頑張ってるから、きっと上手くいくにゃよ。ポルガン。」
「パンダさん……。」
「怖い時は怖いって言っていいにゃ。領主だからって、何でも一人で抱える必要はないにゃよ。」
パンダは顔を上げる。
「娘娘、真央、リリー、五十嵐。そこにいるんだろ? 出てくるにゃ。」
物陰から、四人が姿を現した。
「やっぱり気付いてたのね。」
真央が気まずそうに言う。
ポルガンは慌ててパンダから離れた。
「真央さん……。」
「お前達、パンダに話を聞きたいのかにゃ?」
パンダはソフトクリームを再び手に取った。
「知ってることなら、何でも答えるにゃよ。」
五十嵐が頭を下げる。
「じゃあ、天才パンダさんの知っていることを、俺達にも聞かせてください。」
「分かったにゃ。」
パンダは頷いた。
「社員指導もずいぶん捗ったことだし、移動するにゃ。」
四次元ポシェットから、何処でもゲートを取り出す。
「何処でもゲートにゃ。潜るにゃよ。」
一同がゲートを潜ると、そこは指導員候補生たちが待機している大部屋だった。
数十人の候補生たちが席に着き、パンダたちの到着を待っている。
「パンダ様、お帰りなさい。」
一斉に頭を下げる候補生たち。
パンダは軽く手を振った。
「堅苦しい挨拶はいいにゃ。今日は、お前達にも知っておいてほしい話があるにゃ。」
候補生たちは表情を引き締め、静かに耳を傾けた。
そこでパンダは、プロメテーウスが受け続けている三千年の呪いについて話した。
人々の罪を背負い、長い年月を苦しみ続けてきたこと。
その呪いが、あと二ヶ月で解除されること。
そして、次の贖罪者として選ばれる可能性がある者達のこと。
話を聞いている間、ポルガンは真央とリリーに両側から抱き締められていた。
それでも身体の震えは止まらない。
「あと二ヶ月で、プロメテーウス様の呪いは解除される。」
ポルガンが絞り出すように言った。
「その後、俺とパンダさんと、真央さんのお父さんが、次の贖罪者に選ばれる。」
部屋の空気が重くなる。
「そして、三千年間、呪いを受け継ぐことになるんだ。」
五十嵐の顔から、いつもの軽薄な笑みが消えた。
取り巻き達も言葉を失う。
パンダは腕を組む。
「ポルガンは一昨日も昨夜も、眠れなかったそうにゃ。」
真央とリリーを見る。
「二人は一緒に、ポルガンが眠れるまで傍にいてやってほしいにゃ。」
「もちろん。」
真央がすぐに答えた。
「言われなくてもそうする。」
リリーも頷く。
パンダは五十嵐へ視線を向けた。
「五十嵐、お前は――。」
何かを思い付いたように、ポルガンへ向き直る。
「ポルガン。お前の母親の形見か何かはあるにゃ?」
「あります。」
ポルガンは胸元へ手を伸ばした。
「昨日、父上から月誕生日祝いに貰ったものです。」
金色のペンダントを取り出す。
「母様が生きていた頃の、魔法ホログラム映像です。」
ポルガンはペンダントを大切そうに見つめる。
「これからは、いつでも俺の傍に母様がいてくれます。」
無理に笑顔を作り、真央へ視線を向けた。
「だから大丈夫です。」
「真央さんは、リリーとお幸せに過ごしてください。」
「何言ってるの。」
真央の表情が曇る。
ポルガンはペンダントを開いた。映像だけでなく、撮影された当時の香りまで再現されている。
金色の光が溢れ、空中に映像が浮かび上がる。
そこには、金色の瞳をした美しい女性が映っていた。
大きなお腹を両手で支え、幸せそうに微笑んでいる。
『領主様、恥ずかしいわ。』
若き日のポルガンの父親の声が聞こえる。
『お腹の子の名前は決めたか?』
女性は優しくお腹を撫でた。
『ええ、領主様。男の子ならポルガン。女の子ならパレアナと名付けますわ。』
『良い名前だ。』
映像はそこで途切れ、再び最初から繰り返された。
『領主様、恥ずかしいわ。』
ポルガンは静かにペンダントを閉じる。
パンダは五十嵐を見る。
「お前、名前なんだっけ?」
「五十嵐です。」
「お前、映像の操作が上手いにゃよね。」
「まあ、それなりには。」
「ポルガンがよく眠れるように、泡沫の夢を見せてやるにゃ。」
パンダはリリーを指差した。
「リリーを媒体にして使うにゃ。真央は、そのままの姿で構わんにゃ。」
「僕を?」
リリーが眉をひそめる。
「嫌なら別の奴を探すにゃ。」
「嫌とは言っていない。」
「なら決まりにゃ。」
パンダは立ち上がった。
「パンダはレオンと深雪の所へ行くにゃ。」
指導員達にも目を向ける。
「お前達は、それぞれの作業場へ戻るか、指導員としての仕事を開始するにゃ。」
「分かりました。」
一同が答える。
「ナルとリアは、花火師と舞台演出の指導へ行くにゃ。」
「分かった、ママ!」
遠くからリアの声が返ってきた。
「恐竜片付けてから行く!」
ナルの声も続く。
パンダは満足そうに頷いた。
「じゃあ、後は頼んだにゃ。」
姿を消す。
それぞれが忙しく動き始めた。
「行こう、ポルガン君。」
真央が優しく促す。
「眠らないと倒れちゃうよ。」
ポルガンは頷いたものの、表情は晴れない。
◇
大きな貴族用の寝室。
豪華な天蓋付きのベッドへ、リリー、ポルガン、真央の三人が腰を下ろした。
向かい側に置かれた別のベッドへ、五十嵐が座る。
「リリーさん。身体、借りますよ。」
「好きにしろ。」
リリーは不機嫌そうに答えた。
五十嵐は京扇子を開く。
ポルガンから借りた金色のペンダントを片手に持ち、扇子で静かに仰いだ。
ペンダントの隙間から、金色の光が漏れ始める。
光は糸のように伸び、リリーの身体へ吸い込まれていった。
金色の光がリリーの身体を包んだ。
その瞬間、部屋に淡い香りが広がる。
金木犀と白檀。
それに、長い間大切にしまわれていた絹と木の匂い。
ポルガンは息を止めた。
「……母様の衣装箪笥の匂いだ。」
母親の記憶などない。
それでも、父上が決して処分できなかった衣装箪笥を開けるたび、この香りがした。
母が確かにこの世界に生きていたと、幼いポルガンへ教えてくれる香りだった。
リリーの輪郭が揺らぐ。
髪の色が変わり、瞳が金色に染まる。
やがて、ポルガンの母親の姿へ変わった。
「ポルガン。」
優しい声が響く。
「愛する息子、ポルガン。」
ポルガンの目が大きく見開かれた。
「母様……。」
堪え切れず、母親の姿をしたリリーへ縋り付く。
「母様。俺の命を救ってくれて、ありがとうございました。」
声が震える。
「話したいことが、いろいろあるんです。」
真央を振り返る。
「彼女は魔王真央。」
「俺の大好きな婚約者です。」
真央は照れたように微笑む。
「リリーって恋敵がいるけど、俺は負けてません。」
母親の姿をしたリリーの表情が、ほんの少しだけ歪んだ。
五十嵐が見せているのは、映像を利用した幻だ。
姿や声は母親でも、中身はリリーのままだった。
それでも、母を求めて縋り付くポルガンを跳ね除けることはできなかった。
彼には――。
いや、彼女には。
リリーは優しくポルガンを抱き寄せ、ゆっくりと髪を撫でた。
「よくここまで大きくなりましたね、ポルガン。」
その声は、少し震えていた。
「母様……俺、怖いんです。」
ポルガンは子供のように、母親の胸元へ顔を埋める。
「呪いが怖い。」
「眠るのも怖い。」
「目が覚めるたびに、誕生日が近付いている気がして。」
真央がポルガンの背中へ手を添える。
「今が幸せ過ぎるんです。」
ポルガンの声が掠れる。
「父上がいて、真央さんがいて、パンダさん達がいて。」
「だから、全部なくなるのが怖い。」
母親の姿をしたリリーは、何も言わず、髪を撫で続けた。
「俺、こんなに幸せになって良かったんでしょうか。」
「もちろんです。」
リリーは静かに答えた。
「あなたは、幸せになるために生まれてきたのです。」
ポルガンの肩が震える。
「でも、俺が生まれたせいで、母様は。」
「違います。」
リリーは、ポルガンの頬へ手を添えた。
「あなたの命を救ったことを、母は後悔していません。」
「あなたが生きて、笑って、誰かを愛した。」
「それだけで、母は幸せです。」
ポルガンの瞳から、涙が零れ落ちた。
「あなたは一人ではありません。」
「父上も、真央さんも、パンダさんも、レオンさんも、深雪さんも。」
「たくさんの人が、あなたのために戦っています。」
「だから、一人で運命を背負わなくていいのです。」
ポルガンは小さく頷いた。
「はい……。」
真央はポルガンの手を握る。
「私も最後まで一緒だよ。」
「真央さん。」
「強い領主様じゃなくてもいい。」
真央は、優しく笑った。
「私の前では泣いていいよ。」
「私は領主様じゃなくて、ポルガン君が好きなんだから。」
ポルガンは真央の手を強く握り返した。
「ありがとう、真央さん。」
「それに、リリーのことは心配しなくてもいいから。」
「何でだ。」
母親の姿をしたリリーが不満そうに言う。
「私が選ぶのはポルガン君だもの。」
「お前、僕のことも好きだろう。」
「好きだけど、結婚するのはポルガン君よ。」
「勝手な女だ。」
「リリーに言われたくないわ。」
二人の言い争いを聞き、ポルガンが小さく笑った。
その笑顔を見て、五十嵐は扇子を静かに閉じる。
「少し元気が戻ったみたいだな。」
「五十嵐さん。」
真央が振り返る。
「ありがとう。」
「礼なんか要らねぇよ。」
五十嵐は照れ臭そうに頭を掻いた。
「俺は頼まれた仕事をしただけだ。」
リリーの姿が、少しずつ元へ戻っていく。
金色の髪が消え、いつもの姿へ戻った。
魔法が解けても、ポルガンはその手を離さなかった。
リリーが困ったように見下ろす。
「もう僕は母親じゃないぞ。」
「分かってます。」
ポルガンは涙を拭った。
「でも、少しだけ甘えさせてください。」
リリーは一瞬、目を見開いた。
やがて諦めたように息を吐く。
「全く、お前は。」
再びポルガンの髪を撫でる。
「真央が妬くぞ。」
「妬かないわ。」
真央もポルガンの隣へ横になる。
「今だけは特別よ。」
「今だけか。」
「毎晩だと、リリーが本当にポルガン君を奪いそうだから。」
「奪ってやろうか。」
「駄目。」
「二人とも、俺の前で喧嘩しないでください。」
ポルガンが弱々しく笑う。
五十嵐は立ち上がった。
「俺の仕事はここまでだな。」
「まさか人を笑わせるより、安心して泣かせる方が難しいとは思わなかったぜ。」
扉へ向かう。
「五十嵐。」
リリーが呼び止めた。
「何だ。」
「今日のことは、他の者へ話すな。」
「分かってる。」
五十嵐は振り返らずに答えた。
「男が泣いた話を言い触らすほど、野暮じゃねぇよ。」
部屋を出る。
廊下へ出た五十嵐は、一度だけ扉を振り返った。
「案外、悪くねぇ仕事かもしれないな。」
小さく呟き、指導員達の待つ作業場へ向かって歩き出した。
部屋では、ポルガンが真央の肩へ寄り掛かっていた。
リリーは反対側に座り、静かに髪を撫で続けている。
「母様と、もっと話したかったな。」
ポルガンが呟く。
「何を話したかったの?」
真央が聞く。
「今日あったこと全部。」
ポルガンは目を閉じた。
「父上が月誕生日を祝ってくれたこと。」
「真央さんと婚約できたこと。」
「パンダさん達と出会えたこと。」
「この世界を、少しずつ良くできていること。」
「それから……。」
声が次第に小さくなる。
「俺は今、幸せだって。」
真央はポルガンの額へ口付けた。
「きっと、全部届いてるよ。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
ポルガンの呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。
やがて静かな寝息が聞こえ始めた。
「寝たわね。」
真央が小声で言う。
「ああ。」
リリーも静かに答えた。
眠るポルガンの頬には、涙の跡が残っていた。
真央がそっと拭う。
「強がりなんだから。」
「お前に心配を掛けたくなかったんだろう。」
リリーはポルガンの寝顔を見つめた。
「馬鹿な男だ。」
「優しいのよ。」
「知っている。」
リリーは視線を逸らした。
窓の外から、遠くで巨大な恐竜が咆哮する音と、リアとナルの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
精神と時の空間では、今日も多くの者達が訓練を続けている。
世界を救うため。
ポルガンを救うため。
そして、誰も贖罪者にしない未来を作るため。
リリーは眠るポルガンの髪を、もう一度だけ優しく撫でた。
「……幸せになれ。」
その言葉には、恋敵としての悔しさも、仲間としての願いも、すべてが込められていた。
ポルガンの誕生日まで、あと二ヶ月。
残された時間は、少しずつ減り続けていた。
五十嵐です。
こんにちは、良い子達オイラは納豆菌の妖精ネパール君だねぱー!
辞めてください五十嵐さん!
そうですよ、五十嵐さんのキャラじゃないですよ!
取り巻き二人は、変な裏声で話す五十嵐を全力で止めた。




