エデンの言語
チェレーゼはしばらくしたら落ち着いたようで、ひとくち水を飲んでから、ゆっくりと話し始めた。
「神は私たちを自らの似姿として造られました。であれば、神が人へ預言を行うように、人にもテレパシーの能力がついていると考えるのが自然です。そして、それが証明され、すべての人は生まれつき、テレパシーの力を持っていることが判明しました」
「そうなの?」
「そうです。いま、まさに使っています。テレパシー……つまり、言葉ではなく、脳内で考えたこと……イメージした映像やニュアンス……それらを翻訳して伝える技術を、我々は持っている。もちろん、他の宇宙の人々もそうです」
他の宇宙。さっきの図を思い出す。宇宙1、2、3(ピグイタン)、4(地球)……つまりは。
「私も?」
「そうです。だから私たちは話せているんです。本当は、全然違う言葉で、全然違う発音で喋っているんですよ……このメモの文字、知らないでしょう。でも、読めているはずです」
私は言われたとおりちらりとメモを見て、絵本も見た。まるで見たことがない文字が書かれているが、私にはきちんと読めている。
「うん、うん、それ、不思議だった」
「それがテレパシー……神が人に与えた、原初魔法のひとつです。でも、地球の人々が異なる言語同士では会話できないように、わたしたちも最初から、これができたわけではありません。補助輪が必要でした。私たちが本来持つこの奇跡を増強する大魔法……それが、」
チェレーゼはどこからかマーカーを持ってきていて、メモ書きにぴっと線を引いた。
「エデンの言語」
私は目を見開いた。なるほど、それが、エデンの言語! キーボードがQWERTYなのも、私の言葉が通じるのも、全部全部それのおかげなのか! 全く素晴らしい世界だ。いやはや、世界はひとつらしいが、こんなことが地球でもできるとは信じがたい。やっぱりこの世界は夢だと思う。
でも、「私からの言葉も通じている」というのが……地球人もテレパシーできる、動かぬ根拠なのだとしたら。この知識を持ち帰ったら、すごい天才になれるんじゃ? いや、頭がおかしくなったと思われるだけだろうな。
「この大魔法は、地球……んんっ、エデンの言語では多分伝わりませんね……。この惑星の全土で使用されています。ですから私たちはこうして話ができるし、あなたはタイピングができるし、異国の出身と言っても怪しまれないのです」
「へえ〜、テレパシーしてる自覚なんかなかったのに……」
「科学的な話は省略しますが……注意していただきたいのは、エデンの言語は、あくまで神の模倣ですから、完璧ではないこと。近いニュアンスの言葉で適当に置き換わってしまったり、直訳されて少し変なニュアンスになったり、あるいは、たまたま共通の語彙があって、すれ違いが生じたりしてしまうことがあります」
チェレーゼはため息をついた。
「"異世界"なんかはそうですね。こちらにもある概念ですから、あなたが私たちをファンタジックなフィクションとしてみていることが伝わったというわけです」
「お、怒ってる……?」
「怒ってはいませんよ。ただ、とかくここは現実なのです。そして主の存在も」
「やっぱ怒ってる……」
怒ってません、と言いながら、チェレーゼはペンを置き、また祈ってから、自分も荒々しくパンをつかんでちぎり食べた。その彼女の顔は、『よーしよーし、ごめんねぇ、おかしあげるからねぇ』と声をかけても収まらないときの豆もちと同じだ。つまり、彼女は怒っている。
「とにかく、その絵本読んでおいてください。聖典は常識の教科書です。別に、神を賛美する必要はないんです。ただ、そちらでだって、地球は平面だという人がいたら浮くでしょう?」
「浮くね」
「神がいないと思っていると知れたら、そのぐらい浮きます。かなりの違和感を相手に与えます。本当に気をつけてください……すぐには難しいかもしれませんが」
話しているうちにパンを食べ終わり、チェレーゼは何やらお祈りをしていた。その間にお皿を重ねてシンクへ持っていったら、チェレーゼは礼を言いながらやってきて、さっさとバターナイフやら何やら一切合切を洗い始めた。溜め込みたくないタイプなのだろう。
私は何か手伝えることはないか、というか魔法とかはこういうとき使えないのか、とそわそわしたが、特にない、魔法も使わない、とすげなく断られた。しかたなく先ほどまで座っていた椅子へ帰ろうとしたところで、背中から声が降ってきた。
「ああ、待ってください。そういえば」
「なに?」
よく聞いてくださいね、とチェレーゼは前置きして、蛇口もきゅっと止めた。
「この惑星の名前は、───と言います。聞こえた音でこの惑星に名前をつけてください。そうしたら紛らわしくなくなりますから」
そういうものなのか、と思いながら、頑張って発音を思い出す。全くの異国の言語で、声さえ異なって聞こえるほどだった。難しい。英語の授業は苦手だった。リピートアフタミー? と先生に言われるたび、苦い顔をしていた思い出がある。
「えっと……メンヒェックァリテ、みたいに聞こえた!」
それでも頑張って答えると、チェレーゼはじとっとした目でコチラを見ていた。
「……全然違いますね。───です」
「メヒェリエ?」
「……もうそれでいいです」
「メヒェリエね。おけおけ」
「あ、ちゃんと聞こえるようになりました。定義づけされたんですね……エデンの言語も、まだ少し改善の余地がありますねえ」
それからもう一度水を出し、皿洗いをテキパキと終えたチェレーゼは、ぱっぱと手を払いテーブルへ戻っていった。私は鴨のお散歩のようについていく。彼女は鏡を出してきて、前髪をあの不思議な髪型に編んでいる。それを眺めながら、私は質問を続ける。
「エデンの言語って、誰がつくったの? 大昔からあるの?」
「私の父が作りました。50年前のことです」
「へっ?」
「ファーザー・エイリム。ピグイタン王国の大神官……有名人ですよ」
「えー、すご! めっちゃすごいじゃん!」
私が飛び跳ねるほどの勢いで褒めると、チェレーゼは恥ずかしそうに苦笑した。
「正確には父を含めた、ンプァクト全土の大魔法使いの連合が作ったんですけれどね。基本構造を解明したのは、信仰科学研究者であったエイリムだと言われています。神の沈黙を破った男……皆からそう呼ばれています。信仰の厚い人です」
「まるで他人みたいに話すねえ」
「まあ、父と言っても、直属の上司ですし……それに、私は養子ですから。弟と一緒に引き取られたんです。でも、ファーザー・エイリムの娘であることは、誇らしいです」
チェレーゼは、ふふ、と、照れくさそうに呟き、編んでいる髪をリボンでまとめると、また祈りの動作をした。複雑そうな髪型に見えるが、毎朝やっていれば慣れるのだろう。
「エデンの言語を完成まで導き……他の宇宙へも聖典を伝え広めるのが、私の夢なんです。それでいうと、今日は一歩前進しました」
もう必要ない鏡をよけてから、私をその澄んだ水色の瞳で見つめて、口角を上げて話しはじめる。その顔にもう怒りはない。
「最初は、荒唐無稽な話だと思ってたでしょう。でも、今は信じてくれたのが伝わってきます。きっとこれなら大丈夫、お外に出ても浮きません」
そうだといいけどね、と言いながら、私も笑った。信じる気になったのは、理屈とか信心とかじゃなくて……父が解明したと話すその横顔が、今まで見た誰のどの顔よりも、ずっと愛らしかったからだ。




