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第6話

私たちは昭人くんの提案で、翌日の昼頃の便でロンドンを発つことになった。


だから――


その夜は、美月と二人でロンドンの“最後”を少しだけ長く味わった。


特別なことをしたわけじゃない。


ただ、街を歩いて、店をのぞいて、くだらない話をして。


それでも――


「これで最後かあ」


そんな言葉が、何度か口に出た。


翌日。


飛行機は予定通りに飛び、夕方にはローマに着いた。


フィウミチーノ空港


ロンドンよりも、少しだけやわらかい空気。


夕方の光が、街の色をあたたかくしていた。


ホテルにチェックインして、少しだけ部屋で休む。


移動の疲れが、じわっと出てくる。


でも、それすらも心地よかった。


「行こっか」


時間になり、私たちはレストランへ向かった。


ローマといえば――パスタ。


「やっぱり、カルボナーラでしょ」


美月がそう言って、私たちは同じものを頼んだ。


一口食べて、思わず顔を見合わせる。


「……おいしい」


「ね」


ロンドンではアフタヌーンティーで少し背伸びした気分を味わったけれど、


ローマはまた違う。


もっと自然で、もっと近い。


どちらも好きだった。


(どっちも最高だなあ)


そんなことを思いながら、つい頬がゆるむ。


食事を終えると、自然と“明日の話”になった。


「明日は、バチカン美術館に行きます」


昭人くんが静かに言う。


「朝一番の方が、比較的空いているので……少し早いですが、大丈夫ですか?」


私は美月と顔を見合わせた。


「うん、大丈夫」


「問題ないよ」


気づけば、すっかり“おまかせ状態”だった。


でも、それが不安じゃない。


むしろ、その方が安心できる。


「そのあと、トレビの泉にも行けます」


「トレビの泉?」


「うん、聞いたことある」


正直、詳しくは知らない。


でも――


(まあ、いいか)


あえて調べていない。


その方が、きっと楽しい。


「楽しみだね」


「うん」


二人で小さく笑う。


その日は、昨日とは違って、早めに部屋に戻った。


「明日、早いしね」


「だね」


ベッドに入ると、すぐに眠気がやってきた。


翌朝。


まだ外が完全に明るくなりきる前に、目が覚めた。


支度をしてロビーに降りると――


やっぱり、いた。


昭人くん。


すでに待っている。


「……おはようございます」


「おはよう」


「おはよう」


私と美月は顔を見合わせて、小さく笑った。


「昭人くん、ありがとう」


「ありがとう」


自然と、言葉が出る。


昭人くんは、少しだけ照れたように目を伏せた。


「チェックアウトも済ませてあります」


「えっ、もう?」


「はい」


(何時に起きたんだろう……)


思わずそんなことを考える。


でも、それを聞くのはやめた。


なんとなく、聞かない方がいい気がしたから。


外に出ると、朝の空気が少しだけ冷たかった。


まだ人も少ない。


街が、これから動き出す前の静けさ。


手配していたタクシーに乗り込む。


三人並んで座る。


窓の外には、静かなローマの街。


「バチカンまで、どれくらい?」


美月が聞く。


「そんなにかかりません」


昭人くんが答える。


車が走り出す。


朝の光が、少しずつ街を照らしていく。


(……なんか)


ロンドンの時とは、少し違う気がした。


理由は分からない。


でも――


空気が、少しだけ変わった気がした。


そのまま、私たちは――


バチカン美術館へ向かった。


中に入った瞬間、空気が変わった。


さっきまでのローマの朝とは、明らかに違う。


人の声はあるのに、どこか静かで――


足音だけが、やけに響く。


「……すごいね」


美月が小さく呟く。


私は返事ができなかった。


ただ、前に進む。


廊下を抜けるたびに、景色が変わる。


壁。


天井。


どこを見ても、絵で埋め尽くされている。


色。


形。


人の表情。


すべてが、細かい。


近くで見ると分かる。


一つひとつ、手で描かれている。


(……なんで、ここまで)


ふと、そんな疑問が浮かぶ。


「奈々、見て」


美月に呼ばれて顔を上げた。


――天井いっぱいに広がる絵。


思わず、息が止まる。


人の姿が、空に浮かんでいる。


何かを求める手。


それに応えるように伸びる手。


動き出しそうなほど、生きている。


(これ……)


言葉が出てこない。


ただ、見上げることしかできなかった。


周りの人たちも、同じように立ち止まっている。


誰も騒がない。


写真を撮る人もいるけれど、


どこか遠慮しているように見える。


(……なんでだろう)


ただの絵なのに。


ただの観光地のはずなのに。


胸の奥に、何かが引っかかる。


ロンドンで感じた“違和感”とは違う。


もっと、近い。


もっと、重い。


「……ねえ」


美月が、少しだけ震えた声で言う。


「これさ……」


言いかけて、止まる。


私はその先を待った。


でも、美月は言葉にしなかった。


ただ、もう一度、天井を見上げる。


私も、同じように見上げた。


(……神様のため?)


昨日、頭をよぎった言葉が、また浮かぶ。


こんなにも時間をかけて。


こんなにも細かく。


こんなにも大きく。


誰かに見せるためだけじゃない。


(じゃあ、誰のために?)


答えは出ない。


でも――


「奈々」


美月が、小さく言った。


「なんか……すごくない?」


「……うん」


それしか言えなかった。


すごい。


でも、それだけじゃない。


何かがある。


でも、それが何なのかは分からない。


私はしばらく、その場から動けなかった。


上を見上げたまま、思う。


(ここまで、するんだ)


その感覚だけが、はっきりと残った。



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