再会縁起
神林希総は会社で一人の若手社員と廊下ですれ違った。
社員は脇に避けて一礼する。希総はその社員の顔に見覚えがあったので、社員が首から下げている社員証で名前を確認した。
「元気そうで何よりだ」
と声を掛けた。
社長室に戻った後、社員データを検索して先ほどの社員の経歴を確認する。
「高専を卒業して、入社三年目か」
紅茶を出した秘書がこれを聞きつけて、
「先ほどの社員はお知り合いでしたか?」
「ああ。小学校時代の同級生だった」
そんなことまで覚えているのかと驚く秘書に、
「彼はいわゆる不登校児童でね」
紅茶を一口飲んで、
「たまたま僕の隣の席だったので、家を訪ねたんだ」
普通ならば門前払いされても不思議の無い所であるが、
「名前を名乗ったらすんなり通してくれたよ」
希総が神林と言う名前の持つ力の大きさを自覚した最初かもしれない。
「学校は行かなくてもいいけれど、勉強は必要だと思ったから。少しお節介を焼いたんだ」
希総は通信用のタブレットを渡して、オンラインの家庭教師を付けた。
「兄さんが引き受けてくれたよ。あの人も学校へ行かずに初等教育を修めた人だったからね」
「それは、瀬尾官房長官の話ですよね」
「そうだよ。あの当時はそんな大層な肩書きもなかったしねえ」
と笑う希総。
「そう言えば、その後どうなったかは聞いていなかった」
希総は妻の掟を介して、異母兄矩総の政策秘書である滝川千種に連絡を付けた。
矩総から接触があったのがそれから三日後。二人が受け継いだAIを使った極秘通信路で、彼らの間では裏ルートと呼ばれている。
「そちらからアクセスしてもらっても良かったのに」
と矩総。
「お忙しいだろうと思って」
「それはお互い様だろうね」
「個人的なことで時間を割いてもらうのが申し訳なくて」
「むしろこのルートは個人的なことに使うべきだろうに。公的なことなら表から来てもらわないとこちらも困る」
「うちの母もそれで苦労していましたね」
二人の父である瀬尾総一郎が総理を務めていた頃は、希総の母希代乃は総一郎との逢瀬には非常に気を使っていたものだ。
「さて問い合わせの件だけれど」
と話を戻す矩総。
「彼は二年半ほど教えたんだけれど、いわゆるギフテッドと言うやつでね。理数系に関しては卓越した才能を発揮して、僕が教えられるレベルを超えてしまったんだ」
後は専門的な先生に付くか、自学自習しかないのだけれど、
「バランスの悪いことに、難しい漢字が読めないんだ」
興味のあることしか学習しないタイプで、それが不登校の原因の半分だった。
「学校側もマンツーマンの特別教育が受けられるところへの転校を提案したのだけれど、親御さんが過剰に反応して学校へ寄越さなくなったと言う具合だよ」
「それは兄さんの例とも近いですね」
と希総。
「彼は好き嫌いがはっきりしている偏食家で、文字が書いてあればなんでも読んで吸収してしまう雑食の兄さんとは真逆ではありますが」
「僕の場合は家庭環境に恵まれていたとも言えるね」
矩総は対処療法としてどこの家庭にもある辞書を頭から読破するように提案した。
「僕が使った六法全書は一般家庭にはないからね」
社会的にはまだ子供である矩総に出来たのはここまでで、
「その後は希代乃さんにお願いした」
この件について親子の対話があったのは明後日の事。
「彼が元気でやっているなら骨を折った甲斐があったわね」
「母さんは具体的に何をどうしたの?」
「貴方はどこまで聞いたのかしら?」
希総は兄から聞いた情報を語った。
「ではその続きから話しましょう」
希代乃の初手は天宮家の内情調査。
「当時の調査部はまだ発展途上で今ほどの能力は無かったけれど」
ともあれ天宮家には問題があった。少なくとも昴少年の才能を受け止める度量は無いと判断した希代乃は、
「多少荒っぽいやり方ではあったけれど」
児相を介入させて親から引き離す事にした。
「子供から教育の機会を奪うのは広い意味で虐待になりますからね」
「親御さん。特に母親の方は行き詰っていたようで、むしろホッとしていたわ」
父親の方は神林の社員であったので、職場を移動させた。
「扶養手当を増やして、まあ増額分はそのまま子供の教育に当てられるように手配したのだけれど」
それでは足りずに希代乃の作った基金から奨学金を付与した。
「大学には行かなかったんですね」
「本人が早く働きたいと希望したのよ」
「それで就職先が神林警備保障ですか」
「彼は高専で電子工学を専攻していてね」
天宮昴は警備保障で警備機械システムの研究開発に勤しんでいる。
「超青田買いですね」
と希総に言われて、
「私の基金で学業を修めたのは彼が初めてではないし」
とちょっと拗ねる希代乃。近しい身内にだけ見せるギャップである。息子の希総は見慣れているが、嫁の掟には新鮮な驚きである。
「正式な基金を設ける前まで遡ると百人を超えるけれど、神林系の企業に就職したのは二割くらいよ」
それ以外の人間は成功に応じて基金への出資が努力目標となっている。受けた恩を次の世代へ送る恩送り制度である。
基金創設のきっかけは第一号である瀬尾総太郎氏の提案であった。
希代乃から借りた学費で医者になった総太郎は、返済を免除された金額を次の誰かに役立てて欲しいと申し出た。厳密には婿入り先の島津家(彼にとっては母の実家でもある)が半分を負担したのである。
「報告を怠った事は謝るわ」
と希代乃に言われ、
「いや。僕も彼に関しては失念していましたし」
と恐縮する希総。
「報告ですか」
隣で聞いていた掟が首を傾げて、
「それなら矩総君から入るのが筋だったのでは」
「矩総君も、私に話せば事足りるとおもったのね」
と希代乃。
「不登校児に家庭教師を紹介するなんて、普通の小学二年生が単独で思いつくアイディアではないものねえ」
母親の希代乃と相談した上で頼んできたと思っても不思議はない。
「考えてみれば頼まれた方もまだ小学三年生相当の年ですもの」
「色々とバグってますね」
と笑い合う嫁と姑であった。
希総が一足先に席を立って、
「私が報告と言う表現をしたときに怪訝そうにしていたわね」
と希代乃。隣に座っていた希総は気が付かなかっただろうが、
「母親と息子の関係では珍しいかなと思いましたけれど」
「私としては、なるべく早くに当主の座を譲りたいのよ」
「まだお若いのに」
「だからこそよ」
希代乃はゆっくりと言葉を紡いだ。
「なるほど」
まだ若いと言われるうちに引退したい。それは息子にも伝えてあるが、
「あの子は年の割にはしっかりしているけれど、やはり後ろで支えてくれる人は必要だから」
それ以上の言葉は必要ない。
「この子と一緒に」
掟はお腹に手を当てて応えた。
話はこれで終わらない。
矩総は同じ時期に春真からも家庭教師を頼まれていたのだと言う。
と言う事で希総は春真と連絡を付けた。
「やあ。おめでとう」
春真とは頻繁に連絡を取り合っているが、彼の第一声はこれだった。
「兄さんの方はまだなの?」
「俺の方は、みーしゃが卒業してからだな」
春真は妻の美紗緒を愛称で呼んだ。
「真冬さんが兄さんを産んだのは在学中だったと思うけれど」
「自分で言うのもなんだけれど、母の継承に関しては男子を産んだことで強化された面があるからねえ」
春真自身も、妻の美紗緒の持参金が大きい。二人の間に子が生まれれば強力な跡継ぎの誕生となるが、
「みーしゃとしては、入るときに特例だったから、出るときはどこからも文句が出ないようにと思っているんだよ」
「あれからもう四年近くになるんだねえ」
「さて本題だけれど」
と春真。
「俺の方はガチのイジメ案件でね」
あれは小四の時になる。
ある朝登校したら、机に落書きされた同級生を見た。
随分と子供っぽい手口だなあと思いながら、俺は机を交換してくれと申し入れた。
で、昼休みに工具一式をドローンで運んでもらって修繕した。
表面をサンダーで削ってニスを塗って完了。
「随分と大仰なことをやったねえ」
犯人を挑発するためさ。
連中は実に分かりやすくて、放課後に校舎裏へ呼びつけられたよ。
「声を掛けれくれれば良かったのに」
俺一人で手に余るようなら助力を頼んだだろうけれどね。
四年の頃だと俺はまだ今ほど大きくなかったから、連中も嘗めていたんだろうなあ。
人数は五人。
俺は父さんから伝授された喧嘩の極意を実践した。
原則は、相手の弱点を突くこと。相手の強みを発揮させない事。これは仕事でも大いに役に立っている。
「僕は徹底した分析調査でそれを実現するけれど、兄さんは直感で動くからなあ」
大人数を相手するときは、囲まれる前に逃げろ。その場合でも原則が生きる。
弱い所を突いて突破するか、頭を潰して烏合の衆にするか。
ここで選んだのは後者。
連中のボスが誰なのかは分かっていたので、囲まれる前に間合いを詰めて顔面へ左の掌底突きをぶち込んだ。
あの当時はまだ成長期前だったから向こうも俺を嘗めていたんだろうねえ。
取り巻き連中が卑怯だと喚いたけれど、一人を大勢で取り囲むのは卑怯じゃないのかと返したら絶句して。倒れているボスを置き去りにして逃げ去ってしまった。
置き去りにされたボスに、イジメられた生徒に謝るように諭したのだけれど、翌日から学校に来なくなってしまった。
そう。俺が兄さんに紹介したのはいじめっ子の方なんだよ。
後から聞いた話では、事情を知った父親がブチ切れて息子を殴ったらしい。自業自得ではあるけれど、踏んだり蹴ったりである。
彼は頭を強打して御堂病院へ入院。そこで矩総のリモート授業を受けることになった。
父親が謝りに来たけれど、相手が違うだろうと真冬に追い返された。
「父親はいじめをやった事よりも、御堂の御曹司とケンカしたことを重要視したらしいねえ」
父親は町工場を経営していて、速水精機の下請けだったのだ。
「御堂と速水の関係を知らなかったのですね」
「速水は御堂以外とも手広くやっているからねえ」
「それで彼の方はどうなったのですか?」
「そっちほど出来が良くなかったから」
普通に工業高校を出て親の工場を継いだ。父親の方は真冬の不興を買った所為で早々に第一線を退くことになった。
「経営の方は大丈夫なんですか?」
「その辺は御堂から社員を送り込んでサポートしているよ」
「体よく傘下に取り込んだんですね」
「結果として取引先が増えたんだよ。特に兄さんの後援会で知り合った神林の社員からも仕事を貰っているらしい」
「縁は異なものですねえ」




