第零話 剣を振り上げし危険な鈍才
ある一人の少年は憧れた。
父のように強く勇ましい剣士に。
彼は父親譲りの赤茶色の髪に、母親譲りの薄緑の瞳を持って生まれた男の子。現在は六歳であり、剣術の稽古は毎日欠かさない真面目な子である。
そんな彼を道歩く中で度々目にする町の者らは、皆こう思うはずだ──将来立派な剣士になるのだろうと。
しかし──
『懲りずに……やめたらいいのにねぇ』
『ルカットさんは止めないのかしら?』
現実はそんな言葉を聴かせてはくれなかった。
彼の振るう剣には、“黒い風”が纏わりついている。
黒い風。それを人々は、不吉だと言って指を差す。
一ヶ月、二ヶ月、剣を何度振ろうとも上達しない。
周囲からはひたすら無理だ無理だと言われる日々。
それでも──彼は剣を振るう。
「イグレット、姿勢が崩れてるぞ」
「はい……! 父さん!」
父親が──
「イグレット〜それが終わったら休憩するのよ〜」
「は、はい! 母さん!」
母親が──
「……はぁあっ!!」
彼には、信じてくれるその二人が居るから。
少年の名はイグレット・アルトリエ。
黒き風を宿す、不吉な鈍才の男の子である。
ーーー
永獄1645年3月21日。
イグレットは父親のルカットと二人きりで話していた。庭を前にした縁側で、横に並んで座った状態で。
「父さん……僕、強くなれるんでしょうか」
「自分を疑うな。なれる。俺の息子だぞ?」
ルカット・アルトリエはここ、オラシオンという王国では名の知れた剣士である。赤茶色の髪の毛を後ろで結び、頬に大きな古傷を刻んだ顔、金色の瞳も相まって男らしいと評判である。
「……はい父さん」
ルカットに頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「ただな、イグレット。俺はオマエが剣を握りたくないと言えば、いつだってやめさせてやる。オマエは、俺のようになってほしいが……なれ、とも言いたくない」
(どっち……なの?)
そう思うイグレットは、ルカットに聞いてみる。
「ど、どっちですか父さん」
すると、彼は軽く笑いながら言った。
「くははは、要するに、好きに生きろってことだ」
好きに生きろ。
イグレットは、そんな言葉を言ってくれる父が大好きだ。その言葉で肩から重荷が降りる感覚を味わう。
ーーー
「イグレット〜、将来お嫁さんを迎えるってなったら、料理が出来るようにならないとダメよ?」
イグレットはよく、母親であるユラコアの料理を手伝う。もっとも、これは日課なので彼は嫌がったりしない。
「はい母さん」
ユラコアは焦茶の髪を短く切り揃え、薄緑の瞳をよく輝かせている。彼女は笑顔を見せることが多く、元気で真面目な人だと評判らしい。
「ほら、野菜洗ってみなさい?」
父のルカットはかなり適当な性格をしているが、母のユラコアはしっかり者という言葉が似合う。そのせいか、たまにお節介の域に達することもあるのだ。
「あ〜! ダメよ〜、野菜を洗うときはもっと丁寧に洗いなさい? 粗雑なのは嫌われちゃうわよ!」
──このように。
「ご、ごめんなさい」
(……母さんが全部やったら楽じゃないのかな)
ほんの少しイラッとするイグレット。
「まあちょっとずつ慣れていきましょ?」
彼女はいつもウキウキとしているので、こちらがイライラしていても、それに流されてすぐに忘れてしまう。
「ちょっとずつ……わかりました」
ーーー
永獄 1645年8月8日。
この日はイグレットの誕生日。夜が更けた頃、少し豪華な食事を終えたイグレットは、自室に向かってベッドの上に寝転がる。
天井から視線を逸らして部屋の隅を見ると、父のルカットが自身に贈ってくれた剣が見えた。
(明日から……本物の剣を持って稽古……!)
七歳になったにも関わらず、相変わらずイグレットの剣士としての実力はお粗末。まっすぐ剣を振り下ろすことも出来ないのである。
(もっともっと頑張って……そしたら父さんと一緒に魔物を倒したり……できるかも!)
楽しみである。ワクワクが止まらない。未来のことを考えると自然と体が疼く。
(……おしっこいきたい)
ただその時、用を足したくなった。興奮しすぎたせいだろうか、寝る前にするのを忘れたせいだろうか。とりあえずどちらでも良い、イグレットはベッドから起き上がって自室を出る。
自身が住まう家は二階建てで少し大きめである。自室は二階なので、廊下を歩いて階段を降りて一階に行き、廊下を歩く中──
「わかってる。ちゃんと考えてる」
「本当に考えてるの……!?」
一つの部屋の中から、ルカットとユラコアの声が聞こえた。先ほどまで食事をしていた部屋だ。
イグレットは気になって立ち止まってしまう。
「イグレットはもう七歳よ? 早く私たちが決めなきゃ、強制的に連れていかれちゃうのよ!」
(連れていかれる……?)
「連れてなんて行かせるわけないだろ!」
父の大きな声、少し肩がビクッとしてしまった。
「じゃあ……どうするのよ」
母の気疲れた声、息を呑み込むイグレット。
「もう……2年探した。最終手段よりも良い手段を。でも、結局見つからなかった。だから……離れるしかないだろ、オラシオン王国を……」
イグレットは話の全容がいまいち理解しきれなかった。全く聞いたことのない話だ。加えて二人のあんな声色も初めて。情報が呑み込みきれない。
「……ギルド生活をしようたって、永久追放なんでしょう? どうするの? 新しい国、新しい町で商売なんて出来るわけないし……エテルノ王国と関係がある国には行けないのよ!」
(エテルノ……? どこの国? それに永久追放ってどういうこと……? 新しい町? なに? わ、わかんないよ……)
イグレットは顔を俯かせながら、暗い廊下の中で立ち尽くす。どうすれば良いかわからない、尿意などもう微塵も感じない。
「……小国に傭兵として俺が行く。そしたらオマエらも一緒にそこで暮らせるように──」
「バカ言わないで!!」
ビクッと体が跳ねた。母のユラコアがあんなに大きい声を出すなど、あり得ることがないと思っていた。
「小国で傭兵なんて! あなたが使い潰される運命しかないじゃないの!!」
「だったらどうすればいいんだ! 黒い風が危険だからってエテルノ王国にイグレット一人で行かせるのか!? だったら俺が耐えれば良いだろ!」
そこから両者、言い合うように言葉をぶつけ始める。
「イグレットも大事だし、あなたも大事なの! 私は二人がいなきゃダメなの!!」
「俺が死ぬとは限った話じゃないだろ!」
「その可能性がかなりあるから嫌なの!!」
「だったらどうするんだ! 人目のつかない山奥で魔物に怯えて暮らすなんて言うつもりか!?」
「違う! 違うわよ! 小国に傭兵で住まうのがダメなのよ!」
「じゃあどうやって住むんだよ! 住む方法なんて商売やるか傭兵の二択だ! 俺たちが商売できるものなんてあるのか!?」
「それは……!」
イグレットは、部屋の扉を勢いよく開ける。
「イグレット……」
真っ先に名を呼んだのはルカット。
二人は驚いた様子でこちらを見ている。
「僕は……連れていかれちゃうの?」
自身が不安そうに言うと、ユラコアは駆け寄ってきて、膝立ちになりながら抱きしめてくれた。
「連れていかせるわけないでしょ……私たち三人は、ずっと一緒よ。心配しないでイグレット」
ユラコアの肩の先に見えるルカットの顔は、とても苦しそうに何かを堪えている顔だった。そのせいか、イグレットはなんとなく察してしまう。
「僕の……黒い風が悪いの?」
そう思った。評判は耳にしている。
両親は一回も黒い風を責めたりしなかった。
それでも、イグレットは気が付いている。
「悪くない」
だが、ルカットが即答した。
「イグレット。オマエが悪いわけがないだろ?」
近づいてきて、目線を合わせてくる。
「何も悪くない。父さんに任せろ」
苦笑いするルカット。
「……」
無言のユラコア。
「はい……」
今、自身の母であるユラコアはどんな顔しているのだろうか。ただ、見てはいけない気がする。何かが崩れてしまいそうだったから。
ーーー
それから五日ほど経った時、イグレットらはオラシオン王国を発つ。ルカットからは新天地でやりたいことがあると言われたが、この前のあれを目の当たりにして、イグレットが騙されることなどない。
なんとなく全てを察していた。
自身の黒い風の魔力。
これは、危険なもので不吉なのだ。だから、自分たちはオラシオン王国を離れなきゃいけない。
この国に悔いはない。
しかし、自身が住んでいた家には悔いがある。
七歳にして故郷から家族と共に離れたイグレット。
彼はここから、今までの当たり前が少しずつ崩れていく様を、その目に焼き付けることとなる。
少年、黒に纏われ異質──
イグレット・アルトリエ。彼は如何様にして、剣士になるという夢を果たすのであろうか。
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