ストリートビュー(前編) 閲覧危険度★☆☆☆☆
N県G市、K学園高校、特別棟
普段は一部の同好会生徒か用務員くらいしか居ない閑散とした校舎が、今は多くの生徒で賑やかに溢れ返っている。下校時刻はとっくに回ったというのに。
ピロティーには不釣り合いなほど大きなブルーシートが広げられている。切り出された巨大なベニヤ板はスプレーでカラフルに塗られ、いつもは目立たないクラスの美術部員によるアートが、全力で自己主張をしている。
感情を持たない二つの無機質が、その準備の忙しさを他の何よりも雄弁に物語っていた。
そう。K学園は今、文化祭シーズン。
生徒達はクラスや部活の出し物のために、狭い特別棟をひっきりなしに駆け回っていた。
私は狐島 公。K学園高校に通う、極々平凡な高校二年生。女子だ。座右の銘は『何事も程々が一番』。
「……なあ。うちのクラスの出し物って、お好み焼き屋か、たこ焼き屋になったんだっけ?」
私は職員室で借りたノートパソコンを叩き、予算管理簿.xlsm を開いてクラスの予算申請をチェックしていた。が、それがどうにも目を疑うような内容であったため、自分の記憶に齟齬が無いか確認をする。
確か先月のホームルームでクレープ屋に決まった筈だ。ここが別の世界線とか、私の記憶が何者かに操作された、などという事が無ければ。
「ふふっ。妄想のし過ぎでついにボケたんですか公さん。こないだの多数決でクレープ屋に決まったでしょう」
そう答えたのは、クラスメイトの友人Rだった。というか、その信じがたい申請を押し通そうとしてきた張本人なのだが。
「そうか。じゃあこの申請書にある『マヨネーズ5kg』っていうのは妖精か魔女の仕業かな」
「はあ……妖精だの魔女だの。そんなもの居るわけないでしょう? そういうのはラノベの中だけにしてくださいね」
くそっ。皮肉が通じなかったか。
妙に滑ったみたいになって恥ずかしかった私は、銀色の髪をくしゃくしゃとかき上げる。
「いや犯人はわかってるんだけどね。普通はクレープにマヨネーズそんなに使わないからね」
「いまどきのトレンドを知らないんですか? 生クリームの代わりにマヨネーズを使うのが本場の主流なんですよ」
「いや嘘つけよ」
私が申請を却下すると、友人Rは聞こえるように舌打ちをした。私もスイーツのトレンドに明るいわけではないが、そんなゲテモノ料理が流行るわけないというのは流石にわかる。
こういうのは、Rと仲のいいM子の方が頼りになるんだけどな……。テニス同好会の出し物の準備が忙しいらしく、今日は此方に来ていない。遊び人で尻軽だし、普段は私との馬は合わないけどさ。
ちなみに彼女はエシレバターと、インスタ映えしそうなトッピング、コストトで買えるオススメの製菓用品をいくつか提案してくれた。
不要な材料等の振い落としを終えた後は、申請された金額が妥当なものかチェックが必要だ。呪詛を吐き続けているマヨ狂のちんちくりんを尻目に、ネットショッピングのサイトを見て見積をする。
が、これがなかなか思い通りにならない。
ネットの海というのは、恐ろしい魔物が潜んでいる。一度ダイブすると、あのラノベ書籍化してたのか、とか、まとめサイトの反応はどうかな、とか、原作は――とか、余計な誘惑が私の右手指を引っ張っていく。
「……ラノベと学祭に何か関係が?」
友人Rが、背中越しに冷ややかな声をかけてくる。……いつまで見てるんだよ!
「学校の備品でネットサーフィンとはいいご身分ですねー」
「ほ、ほら! 学園モノとかあるだろ? 学園祭の描写がメニューのヒントになると思って!」
「チラッと悪役令嬢転生ものって見えましたが? しかも18禁の」
「き、気のせい気のせい……」
「ちょ――ーっと、戻るボタン押してみましょうか?」
Rは私のマウスに無理やり手を重ねると、カチカチとページを移動させようとする。私も意地になって抵抗し、次々とリンクを踏んでジャンプを繰り返す。
「や、やめろマヨ馬鹿!」
「ふふ。いいんですよ黙っててあげても! その代わりマヨネーズ10kgのクレープを学祭で――」
「しれっと増えてるじゃないか!!」
――そのときだった。
赤色の警告画面がディスプレイに現れ、警告音が鳴る。嘘だろ……私達は目を丸くして、表示された文字列を読み上げる。
『不正なプログラムがインストールされました』
「……や、やっちまいましたか……これ……どどど、どうしましょう……」
Rは額に冷や汗を垂らし、声は不安で震えている。
「だっ、大丈夫だ。任せろ……」
私はノートパソコンを折り畳むと、硬い椅子を蹴って立ち上がる。急いで廊下に出ると、日は傾き夕焼けが長方形に世界を彩っている。
二つ隣のクラスに、パソコンに強いヤツが居る。確か今日も、この特別棟にきているはずだ。……まだ残っていてくれるといいが……。
――――
――
「おかえりなさいませ! 御主人様っ」
フリフリのメイド服で出迎えられた私達は、薄型のパソコンを片手に、扉の前で口をぽかんと開けていた。スカートをちょんと摘んでお辞儀をする姿が夕焼けに映え、とても絵になっている。そのまま暫く見惚れていたが、はっと我に返って友人の名を呼ぶ。
「み、みどみど!?」
「なんと!? ボクのカンペキな変装を見破るとは――流石コキミ、ボクのライバルだけはある!」
友人MMは腰に手をあててうんうんと頷く。ああ、いつもの雰囲気に戻った。あまりにもイメージが変わっていたので、驚いた。
しかし知っているやつのコスプレというのは、なんていうか、こう。……悪くないな。
「メイド喫茶ですか。馬子にも衣装とはよくいったものですね」
「うむ! 今日は衣装合わせと、ついでにパンフレット用の撮影会中なのだっ! コキミとレンも来てくれるだろ?」
私がもちろんと頷くと、友人MMはぱあっと太陽のように顔を輝かせる。眩しい。
話を聞くと、彼女の撮影は既に終わり、暇なのでひとりで接客の練習をしていたのだという。私達は彼女に頭を下げると、ウイルスに感染したパソコンを手渡す。
「ふっ、偶にはライバルに塩を送ってやるとするか! ――どれどれぇ?」
「塩よりマヨ」
「すまん。なんとかできそうか?」
パソコンを受取ったMMは近くの机に座り、カチカチと中のファイルを開いていく。
「んー、これ、仮想通貨の自動採掘ツールだぞ。きっとウェブの広告なんかから感染したんだな!」
MMが言うには、ランサムウェアとかいうのを改造したソフトで、仮想通貨を自動で採掘させるらしい。怪しいプログラムを除去して、念の為セキュリティソフトでフルスキャンをして貰った。
仮想通貨……前に体育の二条城先生が言ってたやつか。株みたいなものらしいが、ウイルスが出回るなんてな。
「助かったよ、みどみど。これで先生に叱られなくて済みそうだ」
首の皮一枚繋がったな。カチューシャを避けて頭を撫でてやると、彼女は顔を少し赤くして「ふへへ……」と照れ臭そうににやけた。
「そっそうだコキミ! この近くにさ、またいい感じの広場見つけたんだ! 今度の休みは、そこでやろう!」
「勿論いいけど……この間の場所じゃ駄目なのか?」
パソコンには、閑散とした広場の光景が、ストリートビューで映し出されている。MMが『やろう』と言っているのは、いつも一緒にやっているARゲームの事だ。
彼女と私はそこのランカーなのだが、私が彼女に連戦連勝している事で躍起になって絡まれるようになった。
「あ、あそこは風向きが合わなかったからな! ボクの実力を発揮するに至らなかったんだ!」
MMは、ぷくっと子リスのように?を膨らませる。彼女は負けたときの言い訳に、よく広場のコンディションを引き合いに出す。その結果、私は街の至る所に連れ回されていた。
「わかった。みどみどには世話になってるしね」
「ふふふ、今度こそ叩きのめしてやるからな!」
「はいはい、かかっておいで」
「ストリートビューですか。ちょいと懐かしいですねー」カチカチ
MMはドヤ顔をすると、ビシッと私の胸元に指を突きつける。
私達が二人の世界に入ってしまったからだろうか、暇を持て余したマヨ狂はつまらなそうに返って来たパソコンで遊び始めた。
「モズ子のマンションは確かこちらでしたねー……洗濯物とか干してねーかな……あ、栞先輩手振ってる。まーたこの人は黄色い看板のラーメン屋に並んでますね……」カチカチ
「それでなそれでなっ、この広場の近くに美味しいパンケーキを出す喫茶店があってな! よかったら一緒に行かないか?」
「ああ、いいよ。今日のお礼もしなきゃね」
「やったっ!」
私の言葉に、ガッツポーズで無邪気に喜ぶMM。だが、そんな彼女の可愛さに浸るのも束の間、『うぎゃー!』という悲鳴で、私達は二人の世界から現実に呼び戻された。
「なっ、脅かすなよ、れんれん! まさかまたウイルスか!?」
「ちっ、ちちち、違いますよ! これっ……みてください!!」
突き出されたPC画面を見た私達は、すんでのところで悲鳴を飲み込んだ。
撮影地点は、私達の今いる場所、K学園高校の正門付近を指している。だがその画面には、学園の風景は映されていなかった。
細身の青いビジネススーツの男が、色白の顔を近づけて、唇を不気味に歪め、嗤っていたのだ。
前編はまったく怖くないです
この回は後編が本番




