レベル5(後編) 閲覧危険度★★★★☆
私達は、黒いソファの置かれた来客室に通された。
出迎えたのは、タンクトップシャツにジーンズ、髪をヘアゴムでひとつ結びにした女性だった。二条城 双美。被害者の担任で、体育教師の女性だ。
「そう……ですか。あの子が……」
私達の話を聞いた彼女は、そう、ひとことだけぽつりと呟いた。私は渇ききった喉にがぶりと冷えた麦茶を流し込みたい衝動を堪えて、彼女への追及を続ける。
「……あまり驚かれないんですね」
「……ショックですよ。けど……心の何処かで、こんな日が来るんじゃないかって」
二条城先生は?を強張らせている。どういう事? 受け持ちの生徒が惨殺される日を覚悟している教師なんているのかしら? 予想外の言葉に驚いたことを悟られぬよう、努めて冷静に振る舞う。
「すみませんが、お伺いします。鹿島さん、普段の素行に何か問題でも――?」
「素行不良というほどではありません。たまに体調不良と嘘をついて平日に旅行に出かけることもありましたが……」
それは素行不良というんじゃないのかしら。というツッコミを喉元で堪える。学生時代は勉強一筋で無遅刻無欠席が当たり前だった私からすれば、余計に。
二条城先生の話では、少なくとも、校則を破って派手な装飾品を身に付けたり、酒やタバコや暴力沙汰や同級生に対するストーカー行為といったような、目立つ問題行動を起こす生徒では無かったという。
「では何故、『こんな日が来るんじゃないか』と――?」
「あの子、オカルト狂 って言うんでしょうか。危険な噂や事件に首を突っ込むことが多かったみたいで」
懐かしむような、後悔するような、そんな口振りだった。オカルトマニア……ここ最近は、めっきり聞かなくなった言葉だ。
「最近多発している猟奇殺人や行方不明事件についても調べて回ってたこともあって……危ないからやめなさいって注意したんですけどね」
もっと強く止めていれば、と目頭を押さえる彼女に、私はハンカチを差し出す。彼女が落ち着いてから、私達は、核心に迫る話――行方不明になる直前の行動について確認した。
「何か、言っていませんでしたか? 誰かと旅行に行くとか」
「そういえば、オカルト同好会の友達と旅行に行く約束をしたと言っていました」
「オカルト同好会……そういえば、在学中に聞いたこともあったような……まだ残っていたんですね」
文化祭の日、特別棟で廃墟の写真やホラー小説の展示をやっているのを、ドア越しにちらっと見たくらいだ。こぢんまりと活動していたらしく、あまり印象には残っていない。
「いえ。同好会は数年前に無くなりました。彼女、OBとも連絡をとっていた事があって、私はてっきりその方達と行くのだと……」
「一応、OBの方にも聞き込みをさせて頂きたいのですが、連絡先を教えていただいても……」
「はい。お願いします」
二条城先生は席からノートパソコンを持ってくると、覚束ない手でカタカタとキータッチをする。暫くすると近くのプリンタがガーガーと鳴き、名簿を吐き出す。
「……そういえばあの子、旅行に行く前、妙な事を言っていたんです」
名簿を手渡される際、ふと思い出したように、彼女の口から呟きが零れ落ちた。
「はあ。それは、なんと」
「ええと――『ずっとずっと、ウチらをよんどったんや。鼻を落とされて、瞼も唇も縫い合わされた化け物が。ずっと』――と」
……なにそれ……。
そうですかそれは妙な事ですねなどとキャッチボールを返せる筈もない。私は頭を下げて聴取のお礼を述べると、足早に来客室を後にした。
やはり、どうにも嫌な感じがする。
「ねえ。『コトリバコ』――って、知ってる?」
K学でひと通りの聞き込みを終えた私達は、パトカーで署に帰るところだった。私は胸の奥にもやもやと閊える毛玉のような問を、部下に投げつける。
「え? ええ、有名な都市伝説ですよね。どんな話だったかな……」
「……別に、調べなくてもいいわ」
コトリバコ。一時期ネットを騒然とさせた、恐怖の都市伝説。別段オカルトやら都市伝説やらに詳しくない私ですら、名前くらい聞いたことはある。
けれど、あの通話履歴にあった言葉は、『コトリバゴ』――オカルトマニアの鹿島八尋が、そんな間違いをするだろうか。
ただの間違いじゃない。
これが、意図的なものだとしたら。
嫌な感じだ。
とてつもなく、嫌な感じがする。
「あっ――! すみません、降ろしてください!」
「――はあ!?」
私の思考の渦を、部下の大声が引き裂いた。路肩にパトカーを停まらせると、彼は慌てた様子で車から飛び降りる。
「調べ物しようとして気づいたんです、さっきの学校に、スマホ忘れちゃって! すみません、取りに戻りますので先に帰っていてください!」
「ちょ、なにやってんの。というか、私が帰ったら、アンタどうやって帰るつもりなの!?」
「自分の勝手で、ご迷惑はかけられません! タクシーを拾いますから、大丈夫です!」
そんな事しなくてもこのまま一緒に学校まで戻るわよ、と言いたかった。が、すぐに思い直す。
牛の歩みのような自動運転車――この足枷のせいで、既に警視への報告予定時刻を二時間は超過している。それに、今から来た道を引き返していたら、戻りの道では帰宅ラッシュに捕まるだろう。
「ごめんなさい! 本当に、本当にごめんなさい!」
部下は何度も頭を下げ、まるで逃げるようにパトカーから離れて行った。
仕方ないわねと、自動運転車に再発進を命じる。パトカーは後方のカメラで車の流れを確認し、ウインカーを点滅させて合流のチャンスを待っている。が、勢を殺さずに通り過ぎる鉄の群れは、なかなか合流を許さない。
もうこの機能《自動運転》、切ってしまおうか。でもそうすると交通課から上司に注意勧告され、上司から私に指導が入るのよね……。
苛立ちながらハンドルにもたれ掛かると、車の前に、何か落ちているのが見える。
違う。生き物だ。
何か道路の上で寝そべっている。
「みゃー」
なんとも間の悪いことに。
グオンとエンジン音がして、車体が加速しながら前進を始める。
「――ッ! 危なっ!」
私は慌ててブレーキペダルを思い切り踏み込む。車体が、悲鳴のような唸り声をあげる。
ぐちゃり。と、肉の潰れる嫌な感触が足の裏に広がる。
パトカーは、3mほど前進して、緩やかに停車した。
覚悟を決めて震える顔を上げ、フロントガラスから前方の道路を覗き込む。
「みゃー」
黒猫は、うまく車の下に潜り込んだらしい。尻尾を振って、たかたかと歩道の生垣に逃げ込んで行った。
安堵と同時に、しまった。と思い出す。確か、自動運転機能を切らずにブレーキペダルを踏んではいけないのだった。
交通課にどやされるなと何気なく足元を見ると、
血濡れの男児が、私の脚に踏み潰されて、醜く折れ曲がり死んでいた。
「いいぃぃっ!?」
息を呑み、逃げるように座席の上に脚をあげる。
ぐしゃぐしゃに血のシミが広がる、ストライプの衣服。黒く潰れた瞳が、恨めしく、苦しそうにこちらを睨んでいる。
そんな、まさか――
私は半ばパニックになり、運転席側のドアを開けて外に逃げようとする。しかし、ドアのロックを解除することができない。助手席側のドアに手を伸ばすが、こちらも開かない。
私は諦めて、後ろの座席に移動しようとした。しかし、それは出来なかった。
後ろの座席には、既に『先客』が居たのだ。
痩せた中年の男女と、小さな女児。潰れた男児とお揃いのストライプを着ている。
何、こいつら、いつ、乗って来たのよ!?
まずい。逃げ場がない。
私は、凍りつき動けなかった。
彼らは暫く、虚ろな目を忙しなくぎょろぎょろと動かしていたが、やがて一点に視点を定める。
私の足元で潰れている、男児の死体に。
途端に彼等の表情が強張り、狭い車内に絶叫が木霊する。
『いやあああああああぁ どうしてしっかりしてえぇ』
『どうしたんだ どこか痛むのかっ 頼む目を開けてくれ』
中年の男女は叫びながら、シートの間から身を乗り出して私の足元の男児を助け起こそうとする。
『おぉにいちゃんが潰れちゃったあぁ 踏み潰されて動かなくなっちゃったあ』
女児は大声をあげて泣きじゃくっている。
『骨が折れてるわ 首も真っ直ぐにしなきゃああぁどうして』
中年女は私の膝に顔を埋め咽び泣く。
中年男は私を押し退けて男児に触れようとしていたが、不意にぐるりと振り向くと私の身体に?みかかってくる。
魂が抜けるかのように鬼気迫る表情がふっと消え、低く唸るようにこう言った。
『おまえが』
その言葉に呼応するかのように、中年女が私の顔を腰の位置から見上げ、女児が私の顔を頭上から覗き込む。
虚ろな、やつれた顔で、口々に。
『おまえが』
『おまえがあ』
『おまえがあ』
私は、そのまま意識を失った。
――――
――
『目的地、周辺です。おつかれさまでした』
陽も傾き、空はオレンジ色に染まっている。
赤いサイレンを掻き鳴らしながら、パトカーは警察署内の駐車場に到着した。設定された緩やかな停車ではなく、異音をあげて故障したかのように停車する。
待てど、運転手が降りてくる気配はない。
鳴り止まないサイレンに、警察署職員達は何事かと集まってきた。ひとりがサイレンを止め、運転席を確認する。
運転席は、無人だった。
車全体から漂う酷い異音に、顔を顰める。
急ぎ持って来させた予備のキーで座席を確認し、次にトランクを開けたが何も見つからない。猫でも死んでいるのかとエンジンルームを開けた。
ぼたぼたと、赤黒い液体が、ぼたぼたと、滴り落ちる。
車が壊れたように止まったのは、これのせいだったのだろうか。
奇妙な肉の塊がエンジンルームの機械に挟まり、何の肉だったのかわからないくらい滅茶苦茶に捻り潰れていた。
――
――――
おまえがあたらしい
ブレーキになりなさい




