第一話 あと三人だった
生まれ変わってもラーメンが食べたい!
そんなあなたにおススメの一杯となっております。
なお、ご注文いただいても異世界転生の保証はございません。
それでは、どうぞご賞味くださいませ!
行列の十七番目
午前十一時四十分。
俺は住宅街にあるラーメン店の行列の十七番目に並んでいた。
お目当てのラーメンは今日が初日の限定メニューだ。
店の名前は「麺処 潮騒」。
店主が三年かけて創り上げたという一日三十食限定の塩ラーメン。
開店前から並んだ甲斐あってスープの香りはもう風に乗って届いている。
鶏と魚介とかすかな柑橘。
想像しただけで口の中に唾液があふれてくる。
たまらない。
俺は期待に胸を膨らませながら、俺は手元の雑誌に目を落とした。
角が丸くなるまで読み込んだ『ラーメンWalker』の最新号だ。
付箋だらけのページには今日の一杯の特集が載っている。
思えば、十五年近く俺の休日はラーメンを中心に回っていた。
気になる店を雑誌で見つけては電車に乗って並んで食べて星をつける。
そんな休日を俺は飽きることなく繰り返してきた。
仕事は平凡な事務職。特別な才能もなければ、恋人もいない。
自慢できるような人生ではなかったかもしれない。
でも、行列の先で湯気を上げるラーメンどんぶりだけはいつだって俺を裏切らなかった。
一口目のスープをすすった瞬間に広がる幸福。麺を噛み締めたときの食感。最後の一滴まで飲み干したあとの満足感。
あの一杯に出会うためなら、何時間だって並べる。
俺にとってラーメンとは、それほど特別な存在だった。
前に並んでいた大学生くらいの青年がちらりと俺の雑誌を見て嬉しそうに声を掛けてきた。
「それ最新号ですよね?今日から始まる限定ラーメンはご存じでしたか?」
青年の目が輝いている。どうやら、彼も相当なラーメン好きらしい。
「もちろんですよ。三年前の店主さんの予告があったときからずーっと待ってましたよ」
「僕もこの日を楽しみにしてたんです。塩って一番ごまかしが効かないんですよね。醤油や味噌ならタレの力で多少は誤魔化せる。でも、塩はスープの出来がそのまま出る」
「分かります!だからこそ、塩ラーメンは店本来の実力が表れるんですよね!」
「ですよね!」
初対面だというのに、俺たちは顔を見合わせて熱く頷き合った。
こういう瞬間があるから、ラーメン好きはやめられない。
行列の仲間というのは、実にいいものだ。
同じ一杯を待ち望み、同じ期待を胸に抱いている。それだけで、見知らぬ相手とも話が弾む。
俺は雑誌をめくった。
雑誌をめくると「失敗しない麺の茹で方」という小さなコラムの端に昔の自分の字でメモが残っていた。
『かん水ってすごい。あれがないと麺は麺にならない』
かん水。
中華麺特有の黄色い色、そしてコシを作るアルカリ性の物質。
小麦粉と水だけでも麺は作れる。だが、かん水を加えることであの独特の食感と風味が生まれる。
ラーメン好きなら一度は語りたくなる定番の豆知識である。
当時の俺は、ラーメンの知識を得るたびに感心していた。
食べるだけでは飽き足らず、いつか自分でも理想の一杯を作ってみたい。
そんなことを考えたこともある。
もっとも、そのために人生を懸けるつもりまではなかった。
このときの俺は、まさかこのメモが自分の人生に付きまとうことになるとはこれっぽっちも思っていなかった。
前の客が一人また一人と店に吸い込まれていく。
あと十二人。
あと十人。
行列が少しずつ進むたびに、俺の期待も膨らんでいった。
腹の虫が情けない音を立てる。
朝食を軽めに済ませてきたのは、この一杯を最高の状態で迎えるためだ。
あと五人。
あと三人。
いよいよだ。
暖簾がもう目の前にあった。
紺地に白く染め抜かれた「潮」の一文字が風で揺れている。
前に並ぶ三人の背中の向こうから麺を湯に放つ音と店主の「いらっしゃい!」という声が聞こえた。
湯切りの音まで聞こえてきそうだ。
どんぶりに注がれる黄金色のスープ。そこに泳ぐ細麺。仕上げに浮かべられる柑橘の皮。
まだ食べてもいないのに、頭の中では完璧な一杯が完成していた。
『ああ、やっと食える。』
三年待ったんだ。絶対にうまいに決まっている。
そう思った時だった。
背後で甲高いブレーキ音がした。
振り向く暇もなかった。
響く轟音。
誰かの悲鳴。
そして、何かに強く弾き飛ばされる感覚。
雑誌が手から離れて宙に舞うのが見えた。
痛みは思ったほどなかった。
ただ体の感覚がすうっと遠のいていく。
視界の端で、雑誌がアスファルトに落ちた。
ページが風にめくられ、付箋だらけの特集記事が一瞬だけ目に入る。
アスファルトの冷たさ。
遠くで鳴り出したサイレン。
そして、風に乗って届く塩ラーメンの香り。
……ああ。
あと三人だったのに。
あと三人で、念願の一杯にありつけたのに。
不思議と、恐怖はなかった。
ただただ、悔しかった。
十五年近くラーメンを食べ歩いてきた俺が、人生で一番楽しみにしていた一杯を目の前にして食べられない。
こんな理不尽があっていいのか。
これが悔しくなくて、何が悔しい。
せめて一口。
一口だけでも、あの塩ラーメンを食べたかった。
薄れていく意識の中で、俺は強く強く願った。
「生まれ変わってもラーメンが食べたい」
それが前世の俺の最後の言葉だった。
お読みいただきありがとうございます!!
ラーメンへの愛を胸に新しい物語が始まりました!
これから少しずつ投稿していきますので、楽しんでいただけたら嬉しいです!
どうぞよろしくお願いいたします!!




