3.初めての酒場
メイドと別れ、厨房をあとにしたフレンは、公爵家の荷馬車に揺られていた。
御者はノア、フレンは荷台に腰かけている。
貴族のタウンハウスが立ち並ぶ貴族街は、王都の小高い丘の中腹にあった。丘を下りきると民の暮らす区画に入る。ちなみに、丘の頂上にあるのは王宮だ。
車輪の音を聞きながら、フレンは眼下に広がる王都の街並みを眺めた。
季節は春、わずかに霞がかった空の下で、橙に統一された家々の瓦屋根が目に鮮やかだ。
御者席から、ノアの声が聞こえてきた。
「フレン、あなたはひとりっ子なのでしたね。もしも王太子と結婚していたら、公爵家の跡継ぎはどうなっていたのですか」
フレンはノアに聞こえるように、少し声を張る。
「わたしが輿入れした時点で、公爵家の分家から養子を迎える予定だったのよ。でも、父はその話を一度、白紙にしたみたい。当然よね、婚約破棄された売れ残りのわたしが家にいたら、養子だってのびのび過ごせないもの」
「そんなことはありませんよ。ですが、無理して他家に嫁がなくてもいいのではないでしょうか。フレンが婿を迎え、女公爵になる。そんな未来もあるかもしれませんよ」
「わたしが? そんなの、ありえないわ」
フレンはくすくすと笑った。
やがて馬車は、商店街へと到着した。ここにある店から、リース公爵家は食料品を仕入れている。
フレンはノアに手伝われて、荷馬車から降りると、店を探して周囲を見回した。
――なんだか、以前より人通りが少なくなったみたい。
フレンは王太子の婚約者として、王都を視察したことがあった。
商店街は、王都でいちばん活気のある場所だ。ところが、通行人はまばらで、行列ができるほど人気だったパン屋や食堂も、空いているようだった。
フレンは、一軒の店の前で足を止める。
「あったわ。ここが、公爵家に小麦粉を届けてくれているお店よ」
ノアが、意外そうに眉を上げた。
「思ったより、小規模な店ですね。大店から商品を仕入れているものとばかり思っていました」
「父は、市民に根差したお店に支援をしたいと思っているようなの。このお店は誠実で、今までうちへの納品を欠かしたことがなかったのよ」
そう話しながら、フレンは商店の扉を開ける。からんからん、と扉の上部に取り付けられたベルが鳴った。
カウンターの奥で、退屈そうに座っている男が「いらっしゃい」と気の抜けた声を出す。
「こんにちは。わたしは、リース公爵の娘のフレンです。こちらは、わたしの騎士のノア。荷馬車を持参したので、小麦粉を売っていただけませんか?」
すると、男がぱっと立ち上がった。
「リース公爵令嬢……? ご無礼をお許しください!」
「いいんです、気にしていませんから。それで、小麦粉なのですが……。屋敷に届けていただけない理由があるのでしょうか」
フレンの問いに続き、ノアも質問を重ねた。
「噂では、王都の治安が悪化しているとか。それが関係しているのですか」
はい、と男が頭を下げる。
「何度も、公爵家に小麦粉を納品しようとしたのですが、そのたびに黒鷲騎士たちに荷を改められ、商店街を出入りするための通行税だとか、公爵家までの護衛料だとか名目をつけて、金をむしり取られるのです。おかげで、どんなに公爵家にひいきにしていただいても、儲けが出ず……」
黒鷲騎士というのは、王都を守護する黒鷲騎士団に所属する者たちのことだ。
男の言葉に、ノアが秀麗な眉を寄せた。
「それはおかしいですね。通行税がかかるのは、外部から王都に入るときだけです。王都の中で通行税をとるなど、完全に違法だ」
「公爵家への護衛というのもおかしいわ。商店街から貴族街までは、馬車を使えばすぐ着く距離にあるのだもの」
フレンの発言に、男はうなだれる。
「仰る通りです。ですが、権力と武力を持った騎士たちに、逆らうことはできないのですよ」
今回は、公爵家側から商品を購入しに来てくれたので、と男は大量に小麦粉を売ってくれた。
男とノアに手伝ってもらい、荷馬車に小麦粉の入ったいくつもの麻袋を乗せる。
次に向かったのは、砂糖を取り扱う食材店だ。ここでも、納品の遅れの理由は同じだった。
食材店の店主は話す。
「砂糖は、市民にとっては高級品ですから、黒鷲騎士たちの取り立ては他店より更に厳しいのです。騎士たちの横暴は、なにも店だけではありません。道を歩く市民にさえ、治安維持料として金銭を要求しているのですよ」
「王都で、そんなにひどいことが起きていたなんて……」
フレンは、今まで王太子の婚約者でありながら、市民が困っていることにすら気づかなかったのだ。そう考えると、民への申し訳なさでいっぱいになる。
「騎士たちの暴挙は、いつ頃から始まったのですか」
ノアの問いに、店主は答えた。
「ひと月ほど前からです。騎士団でなにが起こっているのかは分かりませんが、元をたどれば王家の責任でしょう。こんな不始末を放置しているのですから」
たくさん砂糖を買って、荷馬車に積み込んだ頃には、日が傾いていた。
「必要なものは揃いましたし、屋敷へ戻りましょうか」
荷馬車の前で、ノアが語りかけてくる。
「ええ……。でも、民の暮らしをもっと知りたいわ」
「フレン、あなたの気持ちは立派ですが、王都は王家直轄領です。騎士団の問題をあなたが背負う必要はないのですよ」
「そうかもしれないけれど、わたしにできることがあれば、少しでも役に立ちたいの」
そう答えたとき、どこからか、男たちの陽気な笑い声が聞こえてきた。
――道は閑散としているのに、どこに人が集まっているのかしら。
視線を巡らせると、商店街の奥まったところにある、大きな建物が目に留まった。
「ノア、あそこはなんのお店かしら?」
「宿屋のようですね。宿には大抵、酒場が併設されているので、飲んだくれが騒いでいるのでしょう」
「酒場なら、人がたくさんいるのね。わたし、そこでお客さんの話を聞きたいわ!」
ノアを見上げると、彼は素早く首を横に振った。
「いけません。年頃の女性が行くところではありませんよ」
「でも、ノアが一緒にいてくれるなら、なにも心配はいらないでしょう? お願い!」
手を握り合わせて頼み込むと、ノアは困ったように眉尻を下げた。
「フレンにお願いされたら、だめとは言えませんね……。あなたの安全のために、あまり長居はできません。それでもいいですか?」
「もちろんよ! ありがとう、ノア」
荷馬車を操って、宿屋まで。
本来なら宿泊者用の厩に、ノアは荷馬車を預けた。勝手に荷物を改めるという騎士たちから、荷を守るためだろう。
酒場に入ると、たちまち酒精のにおいがたちこめた。
明らかに酔っている男たちが、いくつもの丸テーブルを囲み、ガハハと豪快に笑っている。
「気分が悪くなったら、すぐに言ってください。荷馬車まで運びますから」
心配そうに囁いてくるノアに、頷いてみせる。
――まずは誰に話しかけようかしら……。
調子っぱずれな歌を歌ったり、周囲の人間に絡んで回ったり。社交界ではお目にかかったことのない人物ばかりだ。
戸惑っていると、テーブルの上にひとりの青年が上って、高らかにジョッキを掲げた。
「うえーい! 皆、盛り上がってるか? 今日はオレのおごりだぜ」
おおっ、と歓声が上がる。
「さすが坊ちゃん」
「気前がいいな」
男たちが、青年に向かって乾杯する。
――坊ちゃん……?
テーブルの上に立っている、黒髪黒瞳の青年をよくよく見れば、それはフレンの知っている顔だった。
「ああっ、大酒飲みのアンガスさん!」
そこにいたのは、王太子フリッツの悪友五人衆のひとり、アンガスだった。




