2.果たすべき約束
「フレン嬢を主と仰ぐことができて、光栄です。あなたに、心からの忠誠を」
そう誓った騎士は、フレンの手を取ると、その甲にキスを落とした。
すぐにフレンの背後から、公爵のこほん、という咳払いが聞こえる。
騎士は慌てたように口を開いた。
「失礼しました。これはフレン嬢を守るという誓いのキスなので、お許しを」
すっと立ち上がった騎士に、フレンは尋ねる。
「あなたのお名前はなんですか。これからずっと一緒にいるのに、お名前が分からないなんて、あんまりです」
「申し遅れました。私のことは、気軽にノアとお呼びください。私からもお願いが。フレン嬢、私に敬語はおやめください。あなたは、私の主なのですから」
「ノア。これでいいの……?」
はい、と嬉しそうにノアは微笑む。
「では、ノアもわたしのことは呼び捨てにして。フレン嬢だなんて、よそよそしいもの」
「あなたの願いなら、そうさせていただきましょう。フレン、あなたには役目があると話していましたが、詳しいことを聞かせてもらえますか?」
「もちろんよ。……それではお父さま、わたしはノアと、部屋に戻りますね」
フレンの言葉に、公爵は首肯した。
「お前がなにをしようとしているのかは知らんが、好きに過ごしなさい。フリッツとの一件で、辛い思いをさせてしまった。もう、婚約を強制することはしない」
「ありがとうございます! ……ノア、こっちよ!」
言葉の後半、フレンはノアに語りかける。
ノアは公爵に一礼すると、フレンの一歩後ろをついてきた。
廊下を歩きながら、フレンは彼に問いかける。
「ノアは、どこのお家の人なの? 金髪に青い瞳なんて、まるで王族のようだけれど……」
金髪碧眼は、アーデル王国の王族の特徴だ。
フリッツが王太子でありながら、金茶の髪に琥珀色の瞳を宿しているために、劣等感を抱いていたことをフレンは知っている。
ノアは苦笑した。
「名乗るほどの家柄ではありませんよ。はるか昔、王族と血がつながっていたこともあるのかもしれませんが、貴族なんて皆、そんなものでしょう。ただの先祖返りですよ」
「そうなの……?」
いまいち納得できないが、彼が実家のことを話したくないのなら、これ以上追及はしないでおこう、とフレンは思った。
「ノアは何歳なの? わたしは、十七よ」
「二十四歳です。十二で騎士になりました」
自室につくと、フレンはノアを中に促す。
「しかし、淑女の部屋で二人きりになるのは……」
扉を開けると、フレンはノアの背を押した。
「大丈夫。ノアなら、一緒にいてもちっとも怖くないもの」
ノアを部屋に入れると、フレンは彼をソファに座らせた。
自分も、ノアの向かいの椅子に腰かける。
「では、わたしが果たさなければならない約束について、説明するわ。ノアにだけ話すんだもの、このことはわたしたち、二人だけの秘密よ」
「はい。誓って口外はいたしません」
真摯な表情のノアにひとつ頷いて、フレンは重々しい口調で話し始めた。
「実は、約束の相手はフリッツさまなの。フリッツさまは幼い頃、『自分が、婚約破棄をするような悪い男になったら、ざまあしてほしい』とわたしに頼んできたのよ。その願いを叶えることが、元婚約者として、わたしにできる最後のプレゼントなの」
「なるほど、素晴らしい思いやりです。では、ざまあとして王太子になにをしましょうか。国外追放ですか。いっそのこと、暗殺しましょうか」
ノアがとんでもないことを言い出した。フレンには優しくしてくれるが、本当のところは苛烈な性格なのかもしれない。
「違うわ。ざまあの内容はもう決まっているの。これが参考文献よ」
フレンは、ノアに『王太子殿下に婚約破棄されたので、華麗にざまあいたしますわ!』を差し出した。
彼は、素早くぺらぺらとページをめくる。それだけで、本の内容を理解したようだ。
「ずいぶん可愛らしいざまあですね。ですが、最後はよく書けている。婚約破棄された令嬢の魅力に、やっと気づいた王太子が再度婚約を申し込むが、すげなく断られる、と」
「そこまでは望んでいないのよ。わたしがやりたいのはあくまで、この本の令嬢がやる、数々のざまあなの。こんなに恐ろしいことを計画しているんだもの、ノアはわたしを嫌いになった?」
「いいえ。ますます、フレンへの忠誠心が深まりました。まずはなにから実行しましょうか」
フレンは罪悪感を抑えながら、ノアに告げた。
「夜会で、フリッツさまの弱点を言いふらしたいの。貴族たちの、目の前で」
「それはいい案です。ですが、王宮ではしばらく、パーティーの予定がありません」
「ええ。父に頼んで、このタウンハウスで夜会を開くしかないわ。ノア、準備を手伝ってくれる?」
「もちろんです。料理から暗殺まで、なんでもお任せあれ」
「だから、暗殺はしないの!」
思わずノアに突っ込んだフレンである。
公爵は、タウンハウスで夜会を開くことを認めてくれた。むしろ、娘の婚約破棄程度で、リース公爵家は揺らがないと示すいい機会になるらしい。
夜会は半月後に決まった。
執事は招待状の準備に、メイドを始めとする使用人たちは夜会の支度に大わらわだ。
ノアを専属騎士に迎えた翌日の昼過ぎ、フレンは彼に屋敷を案内していた。
「ここが厨房よ。うちの料理は、ノアの舌に合った?」
「ええ、とても美味でした。公爵家の料理人は優秀ですね」
フレンの専属騎士であり、(おそらく)貴族の子息であるノアは、公爵家で働く者の中で、飛び抜けて地位が高い。ゆえに、フレンと公爵は彼を自分たちの食事に招待したのだった。
フレンは公爵の一人娘で、公爵夫人であった母は既に亡くなっていた。いつも父と二人きりだった食卓に仲間が増えて、うきうきしているフレンである。
そのとき、厨房の奥から「きゃああ!」と女性の悲鳴が聞こえてきた。
フレンはノアと顔を見合わせると、声の聞こえた方向へ急ぐ。
「どうしたのっ! 大丈夫?」
すると、キッチンメイドがこちらを振り返った。
「お嬢さま……? うるさくしてごめんなさい! 夜会で出すお料理に必要な、小麦粉や砂糖が全然足りないことに気付いて、思わず大声を出しちゃいました」
年若いメイドは、気安い喋り方でぺこりと頭を下げた。
フレンは首をかたむける。
「でも、出入りの業者さんが、定期的に届けてくれるのではないの? 夜会まではまだ半月もあるのだし、何回か来てもらえば、間に合いそうなものだけれど」
「今まではそうだったんですけど、最近、業者の足が遠のいていて……。うちだけじゃなくて、他の貴族のタウンハウスも同じらしいです。なんでも、王都の治安が悪くなって、業者は馬車を使いたがらないそうですよ」
「王都の治安が悪い……?」
フレンは眉をひそめた。
貴族への商品の納品は、業者にとってはいい収入源になっているだろう。その頻度を減らしてでも馬車を出さないとなれば、王都の治安悪化は相当深刻なのかもしれない。
フレンは、メイドに視線を戻して宣言する。
「では、わたしが王都で小麦粉とお砂糖を買ってくるわ! 王都に悪いことが起きているなら、それも調べないと」
「お嬢さま、それは危ないです!」
「いいのよ。そもそも夜会を開きたいと言ったのはわたしだもの。責任をとらないとね」
「そんな、お嬢さまにもしもなにかあったら……」
あくまでも慎重なメイドの前に進み出たのは、ノアだ。
「メイド殿、心配はいりません。フレンのことは、私が守りますから」
「あなた、誰ですか? 屋敷で見たことがありませんけど」
「私は昨日付けで、フレンの専属騎士になったノアです。以後お見知りおきを」
メイドは、ノアから視線をふいと逸らす。
「顔がいいだけじゃあ、騎士は務まらないですよ! ちゃんとお嬢さまの護衛をしてくださいね!」
「ええ。我が命に代えても」




