折り紙
第一章 折り紙
折り紙だけは、誰にも負けなかった。
勉強も普通。
運動も普通。
顔だって、街を歩けば五分後には忘れられるような顔。
だから、何か一つくらい胸を張れるものが欲しかった。
それが折り紙だった。
一枚の紙から鶴を折る。
花を折る。
狐を折る。
誰かに褒められたくて始めたわけじゃない。
ただ、折り目をつける時間だけは、自分が少しだけ特別になれた。
「また折ってる。」
後ろから声がした。
振り返ると、窓際で笑う彼女がいた。
「暇だったから。」
「嘘。好きなんでしょ。」
「……好き。」
僕が答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見るためなら、何枚でも折れた。
その頃の僕は、本気でそう思っていた。
⸻
放課後になると、僕は毎日病院へ向かった。
白い廊下。
消毒液の匂い。
窓から差し込む夕日。
三〇七号室。
ノックをすると、彼女は決まって言う。
「入って。」
病室へ入ると、窓際に折り紙が並んでいた。
鶴。
兎。
金魚。
桜。
全部、僕が折ったもの。
「増えたね。」
「捨てられないから。」
「そんなに?」
「うん。」
彼女は一羽の鶴を指でつまんだ。
「紙なのに、生きてるみたい。」
僕は笑う。
「そんな大げさ。」
「本当だよ。」
彼女は窓へ透かした。
夕日を受けた鶴の羽が、少しだけ赤く染まる。
「ほら。」
「飛びそう。」
その横顔を見ているだけで、十分だった。
⸻
「卒業したらさ。」
彼女が言う。
「旅行したい。」
「どこ?」
「海。」
「泳げないじゃん。」
「泳がない。」
彼女は笑った。
「見るだけ。」
「それなら水族館でもいい。」
「イルカショーも。」
「夜景も。」
「全部。」
少しだけ間が空く。
彼女は窓の外を見たまま、小さく言った。
「……君と。」
心臓が止まりそうだった。
「僕も。」
それだけ言うのが精一杯だった。
彼女は僕を見た。
「それって。」
「うん。」
「同じ気持ち。」
病室には静かな機械音だけが流れていた。
僕らは恋人になった。
たった、それだけのことが世界で一番幸せだった。
⸻
その幸せは、一週間で終わった。
病名は聞いたこともなかった。
治療法なし。
原因不明。
進行性。
医師は淡々と説明した。
最後に一言だけ付け加えた。
「時間停止治療を提案します。」
時間停止。
病気の進行は止まる。
痛みも抑えられる。
でも、その代償として。
「身体の成長も止まります。」
十七歳のまま。
十八歳にも。
十九歳にも。
二十歳にもなれない。
医師の説明を聞き終えたあと、彼女は笑っていた。
「死ぬよりは、いいよね。」
僕は何も言えなかった。
そんな笑い方をしてほしくなかった。
⸻
治療の日。
病室には誰もいなかった。
彼女だけが窓を見ていた。
僕は紙袋から折り紙を取り出した。
青い紙。
昨日、一晩かけて折った。
少しだけ難しい折り方の蝶だった。
「完成。」
彼女は目を丸くした。
「きれい……。」
「今までで一番うまくできた。」
「ありがとう。」
彼女は蝶を胸に抱えた。
「ねえ。」
「うん。」
「約束して。」
「何?」
「会いに来て。」
「もちろん。」
「毎週。」
「毎週。」
「絶対?」
「絶対。」
僕は迷わず答えた。
あの時は、本当に守れると思っていた。
人は、大人になるだけだと思っていた。
忙しくなるなんて知らなかった。
失うものが増えるなんて知らなかった。
忘れることが、生きることの一部だなんて、もっと知らなかった。




