表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/18

第十八話 最終話

続編の二回目の打ち合わせは、いつもの会議室で行われた。

今日は脚本の初稿が届いたばかりで、皆がそれぞれの手元に資料を広げている。

監督はいつも以上に張り切った様子で、開始前から何度も資料を整え直していた。

殿下は静かに、しかしどこか緊張した様子で席に着いている。

私もまた、何かが今日決着するような予感を抱きながら、その場に座っていた。


「では始めましょう! 今日は脚本の初稿について話します!」


監督の声が、いつも通り元気よく会議室に響いた。


「まず、婚約破棄後の日常編についてですが」


殿下が資料を開きながら切り出す。


「概ね原作の番外編に沿った構成になっていますね」


「そうです! ただ一点だけ変更が」


「……どこですか」


嫌な予感がした。

監督が嬉しそうに、ある一場面を指差す。


「ここです! 婚約破棄シーンの回想場面に、ドラゴンを出します!」


「原作にいません」


反射的に言った。

監督が笑顔のまま頷く。


「だから今から出すんです!」


その言葉に、私はしばらく言葉を失った。

これまで何度も聞いてきた台詞だ。

しかし今日に限って、その軽さがどうしても受け入れられなかった。

婚約破棄の回想場面は、アイリスが自分の過去と向き合う、原作の中でも特に静かで大切な場面だ。

そこにドラゴンを出すという発想自体が、もう何度目かの限界を超えていた。


「監督、あの場面に何故ドラゴンが必要なんですか」


「面白いからです!」


「面白さの問題ではありません」


「でも盛り上がるじゃないですか!」


「盛り上がる必要のない場面なんです」


監督がうーんと唸る。

いつもならここで殿下が割って入るところだが、今日は珍しく殿下も少し考え込むような表情をしていた。


「……すみません、少し休憩を頂けますか」


気づけば、そう口にしていた。

頭の中に、これまでの全ての戦いが一気に押し寄せてくるような感覚があった。

爆発、ミュージカル、滝修行、ジョルダン、馬、ドラゴン。

何度も何度も繰り返してきた、この同じやり取り。


「先生、大丈夫ですか」


エリスが心配そうに聞いた。


「……すいません。今日は帰ります」


気づけば、立ち上がっていた。


「先生」


殿下が呼んだが、私はそのまま会議室を出た。

廊下を歩きながら、自分でも驚くくらい速い足取りになっていた。

疲れているのだと思う。

あるいは、何かが少し限界に近かったのかもしれない。

それでも、誰かを責める気持ちはなかった。

ただ、少し一人になりたかった。

王都劇場を出ると、夕暮れの空が広がっていた。

橙色の光が、石畳の道に長い影を落としている。

ゆっくりと歩き出すと、後ろから足音が聞こえた。


「先生」


殿下だった。

少し息を切らせている。


「殿下、申し訳ありません。急に席を立って」


「いいえ。少し、お話があります」


殿下が、私の歩く速さに合わせて隣に並んだ。

夕暮れの道を、二人でゆっくりと歩いていく。


「ドラゴンの件は、私の方で改めて止めます。今日のところは、あの場面から外すよう監督に伝えます」


「……ありがとうございます」


「ただ、それとは別に」


殿下が、ふと足を止めた。

夕焼けの光が、その横顔を橙色に染めていた。


「祝賀会で言いかけたことを、今、お話ししたいと思います」


心臓が、大きく跳ねた。

周囲には、夕暮れの中を歩く人々の姿が遠くに見えるだけだった。


「先生」


殿下が、まっすぐにこちらを見た。


「私は、先生の作品が好きです。連載の頃から、ずっと」


「……はい」


「ですが、それだけではありません」


殿下の声が、わずかに揺れていた。

これまで聞いたことのない響きだった。


「先生自身のことも、好きです」


夕暮れの中で、その言葉が確かに響いた。

しばらく、何も言えなかった。

胸の奥から、何かが一気に溢れてくるような感覚があった。


「……いつから、ですか」


「正確には分かりません。ただ、打ち合わせを重ねるうちに、いつの間にか」


殿下が、少し言葉を選びながら続けた。


「先生が原作のために真剣に戦う姿を見て、心が動きました。アイリスのことを語る先生の言葉を聞くたびに、もっと知りたいと思うようになりました」


「……殿下」


「お返事は、すぐでなくても構いません。ただ、この気持ちを、いつまでも隠しておくことはできませんでした」


夕焼けの光が、二人の間を静かに包んでいた。

私は、これまでの数ヶ月を思い返した。

打ち合わせの度に交わした言葉、ロケ地で並んで歩いた時間、試写室で並んで見た映像、屋上で見上げた夜空。

その全てに、確かに殿下がいた。


「……お返事は、もう決まっています」


殿下が、わずかに目を見開いた。


「私も、殿下のことが好きです」


言葉にした瞬間、胸の中の何かが、ようやく落ち着いた気がした。

殿下が、これまで見たことのない、はっきりとした笑顔を見せた。


「……よかった」


それだけ言って、殿下は少し目を伏せた。

夕暮れの風が、二人の間を静かに通り過ぎていく。


「では、正式に」


殿下が、改めてこちらを向いた。


「私と婚約していただけますか」


「……はい」


迷いなく、そう答えた。

夕焼けの空の下で、二人は静かに、それでいて確かな約束を結んだ。

翌日、王都劇場の会議室に戻ると、監督が嬉しそうに駆け寄ってきた。


「先生! 殿下! お二人がご結婚されるという話、社長から聞きました!」


「……早いですね、話が伝わるのが」


「めでたいことですから!」


ロドリックも上機嫌に頷いている。


「これは大きな話題になりますね! 宣伝効果も抜群です!」


「……宣伝の話はやめてください」


殿下が静かに言った。

監督が、それでも嬉しそうに続けた。


「ところで、次回作は新婚旅行映画にしましょう!」


「絶対に嫌です!」


反射的に、そう叫んでしまった。

会議室に、小さな笑いが起きた。

エレナとカイルも、嬉しそうにこちらを見ている。

ガルドが、珍しく口元を緩めていた。

ジール・ウィンスが、誰も呼んでいないのに「おめでとうございます」と言いながら長い祝辞を始めようとしたが、ガルドに止められていた。

モールが、いつの間にか会議室の隅に座って、にこにこと頷いていた。

ドラゴンの件も、殿下の交渉によって最終的に外されることになった。

聖騎士団については、より控えめな形で続編に登場することで落ち着いた。

新しい戦いは、まだ続いていく。

それでも、今はその全てが、不思議と温かく感じられた。

会議室を出て、夕暮れの廊下を殿下と並んで歩く。


「先生いえ……リリア。これからも、よろしくお願いします」


「殿下……いいえ。レオン今後ともによろしくお願いします」


「映画の続編も、結婚の準備も、両方頑張りましょう」


「一緒に幸せになるように頑張ります」


殿下が、静かに笑った。

夕焼けの光が、二人の歩く廊下を橙色に染めていた。

アイリスの物語は、映画という形で多くの人に届いた。

そして、私自身の物語も、新たなエピソードを迎えようとしていた。

婚約破棄から始まった小説が、巡り巡って、私自身の婚約という形で結ばれる。


それは、自分でも予想していなかった、何より幸せな結末だった。



終幕



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ