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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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声だけの戦い


 八人が空き地に集まったのは、復興作業が始まって四日目の朝だった。


 アスたち四人と、レイたち四人。ガルム戦で初めて組み、侵食編で街を共に守った八人が、同じ場所に立っている。以前とは空気が違った。ガルムのときは互いの力を探り合う緊張があった。侵食編のときは生き残ることに必死だった。今は——信頼があった。言葉にはしない。けれど全員が全員の背中を知っている。


 アリアドネが空き地の中央に立っていた。腕を組み、八人を見回している。道化の笑みはなかった。教官の顔だった。


「全員の現状を確認する。一人ずつ見る。文句は後で聞く」


 短い宣言。異論はなかった。


「まずレイ」


 レイが前に出た。剣を抜き、構える。アリアドネが向かい合い、手刀を構えた。武器は持たない。素手で受ける。


「来い」


 レイが踏み込んだ。三連撃。速い。ガルムのときより、侵食編のときより、明らかに鋭くなっている。堅実さの上に攻撃性が乗った。押すときは押す、引くときは引く。その切り替えが速くなっていた。


 アリアドネが三撃全てを手刀でいなした。軽く。けれど最後の一撃だけ、半歩退いた。以前は一歩も動かなかったはずだ。


「力はある。前より上だ」


 アリアドネが言った。レイが息を整えて聞いている。


「ただ、判断が一歩遅い。三撃目を打つか引くかの判断に、瞬き一回分の迷いがある。あの一瞬で相手は立て直す。お前の強さは堅実さだが、堅実さは慎重さと紙一重だ。紙の裏に落ちるな」


 レイの表情が引き締まった。悔しそうに——けれど否定せずに頷いた。この男は自分の弱さを認められる人間だった。最初からそうだった。


「次、シア」


 シアが前に出た。詠唱を始める。氷の槍が三本、空中に生成された。以前より太い。密度がある。一本一本に込められた魔力の量が違う。


 三本が同時に飛んだ。アリアドネが身体を捻って避ける。一本目をすり抜け、二本目を手で弾き、三本目が外套の裾を掠めた。掠めた。以前は触れもしなかった。


「精度は高い。腕も上がっている」


 アリアドネがシアを見た。


「ただ、感情を乗せろ」


「感情……?」


「お前の魔法は正確だが冷たい。精密機械みたいだ。それは強みでもあるが、限界でもある。ここぞという場面で壁を超えるのは、いつだって感情だ。綺麗に撃つことより、必死に撃つことを覚えろ」


 シアが唇を引き結んだ。何か言い返しそうな顔をして——飲み込んだ。無言で頷いた。クールなこの女が感情を認めることの難しさを、アリアドネはわかった上で言っている。


「クロ」


 クロが軽い足取りで前に出た。手には金属球。罠師の即席器具。


「実演しろ」


 クロが金属球を投げた。地面に着弾した瞬間、煙幕が広がった。その煙幕の中から細い糸が走り、アリアドネの足元に輪を作った。見えない罠。煙幕で視界を塞ぎ、その隙に設置する。


 アリアドネは輪を踏まなかった。煙幕の中でも正確に位置を把握している。けれど足を止めた。止めざるを得なかった。罠があるかもしれない場所を踏むか踏まないか、その判断に一瞬を使わせた。


「罠の発想は悪くない。侵食編で震動のタイミングをずらしたあの判断は光ってた」


 クロが照れくさそうに頭を掻いた。


「もっと大胆にやれ。お前は器用すぎて小さくまとまる癖がある。罠師の本領は、相手の想像の外から来ることだ。想定内の罠は罠じゃない」


「了解。もっとえげつなくやります」


「期待してる」


 クロが笑った。アリアドネも笑った。この二人は妙に波長が合う。


「ガルド」


 ガルドが前に出た。盾を構えた。無言で。いつも通り。


 アリアドネが拳を振った。全力ではない。けれど並の冒険者なら吹き飛ぶ一撃。ガルドの盾がそれを受け、びくともしなかった。足が一ミリも動いていない。


 二撃目。三撃目。四撃目。角度を変え、速度を変え、フェイントを混ぜて。全てを盾が正確に受け止めた。


 アリアドネが手を止めた。


「完璧だ」


 一言。全員が目を見開いた。アリアドネが誰かを「完璧」と評するのを、初めて聞いた。いつも何かしらの改善点を指摘する人が。


 ガルドが顎を引いた。それだけだった。それだけで済む男だった。


「お前はそのままでいい。盾は最後まで立っている者が最強だ。お前はそれができる」


 ガルドの盾は新調されていなかった。ガルム戦で歪み、侵食編でさらに傷がついた、あの盾のままだった。修繕の跡が何箇所もある。けれどまだ使っている。アスが剣を手放せないのと、同じ理由かもしれなかった。


「アテネ」


 アテネが前に出た。おっとりとした表情が少し引き締まっている。掌を前に出し、光を灯した。


「走りながら」


 アリアドネの指示。アテネが走り始めた。空き地の端まで走り、折り返し、走りながら光を灯し続ける。支援の魔法。腕輪が白く光り、途切れない。以前は六歩で消えた光が、今は空き地の端から端まで維持できている。


「動きながらの回復は合格点だ」


 アテネの顔が僅かに明るくなった。けれどアリアドネの目が変わった。


「ただ、お前はまだ自分を後回しにしすぎる」


 アテネの足が止まった。


「侵食編でも、自分の魔力が底をつくまで他人に注ぎ続けた。仲間を支えるのはお前の仕事だ。けれど自分が倒れたら支える人間がいなくなる。後衛が倒れることの意味を、お前はまだ軽く見てる」


 厳しい言葉だった。けれど的確だった。アテネは自分の限界を超えてでも仲間を支えようとする。それは美徳であると同時に弱点だった。


「自分を守ることも、仲間を守ることの一部だ。覚えておけ」


 アテネが小さく頷いた。口元が引き結ばれている。図星を突かれた顔だった。


「ロイド」


 ロイドが前に出た。大剣を抜いた。構える。アリアドネが向かい合った。


「振れ」


 ロイドが振った。一閃。空気が裂ける音が空き地に轟いた。以前と同じ大剣。同じ腕力。同じ技術。けれど——質が違った。迷いのない一振り。刃が空気を切る軌道に、一切の淀みがなかった。


「堕天使を倒した後、迷いが消えたな」


 アリアドネが言った。


「前は、無意識に力を溜めていた。次の敵のために。本当の敵のために。その枷が外れた。それだけで別人になった」


 ロイドの金色の瞳が、アリアドネを見ていた。何も言わなかった。


「あとは磨くだけだ。お前の中にあるものは、もう十分足りてる」


 ロイドが頷いた。無言で。けれどその無言は、以前の沈黙とは重さが違った。肯定の沈黙だった。


「アス」


 アスが前に出た。剣を抜く。炎を灯す。構える。


「ナイトブロウ、出せるか」


「……出そうとすると不安定です。自然に出るときは出るんですけど」


「正直だな。それでいい」


 アリアドネが腕を組み直した。


「ナイトブロウの制御はまだ甘い。意図的に出し入れする段階には至ってない。けれど侵食編で何かが変わった。バッシュのエンチャントを受けて、ナイトブロウと炎を融合させた。あの経験は大きい。お前の身体が覚えている。あとは頭が追いつけばいい」


 アスは頷いた。静かに。以前なら焦りが滲んだかもしれない。今は違った。自分の現在地が見えている。足りないものもわかっている。わかった上で、一歩ずつ進む。


「次」


 アリアドネの目が動いた。最後の一人。


「ミル」


 ミルが前に出た。メモ帳を胸に抱えたまま。武器はない。武器を持たないサポーターが、八人の中で最後に名を呼ばれた。


 アリアドネがミルを見た。いつもなら即座に評価が飛ぶ。けれど今日は違った。少し間があった。切れ長の目がミルの顔を見ている。何かを測っている。


「お前は後で話がある」


 それだけだった。評価がなかった。良いとも悪いとも言わなかった。「後で話がある」。その一言だけを残して、アリアドネは次の段階に進んだ。


 ミルの表情は動かなかった。いつもの無表情。けれどメモ帳を抱える指が、僅かに白くなっていた。


        *


 訓練本番は模擬戦だった。


 八人が二組に分かれる。アス、レイ、アテネ、クロの四人と、ロイド、シア、ミル、ガルドの四人。アリアドネが審判を務める。


「実戦想定。建物がある。逃げ遅れた人がいる想定。ただ倒すんじゃなく、守りながら戦え」


 空き地に木箱を並べて簡易的な建物を作り、その中に石を置いた。石が「守るべき人」の代わり。石を壊されたら負け。


 アスとレイが前線に並んだ。二人の前衛が同時に動く。ガルム戦以来の呼吸。レイが右から切り込み、アスが左から。ロイドの大剣がレイを受け、アスの炎をガルドの盾が弾く。


 後方でシアの氷とアテネの光が交差した。二人のエルフの後衛が魔法で牽制し合い、クロの罠がシアの足元に仕掛けられる。シアが罠を避け、クロが次の手を打つ。


 ミルが声を出した。


「ロイドの右脚、着地が遅い。左から回り込める。アス、三秒後に右に——」


 指示が飛ぶ。冷静に。正確に。ミルの声に従ってアスが動き、レイが合わせ、クロが隙を突く。ミルの指示は戦場を動かす鍵だった。


 けれどミルの内側では、別のものが積み重なっていた。


 声を出している。指示を出している。全体を見て、分析して、最適な行動を導いている。それがミルの戦い方だ。武器を持たない者の戦い。声だけの戦い。


 侵食編の記憶が蘇った。


 結界が割れた瞬間。悪魔が流れ込んできた瞬間。ミルは分析した。声を出した。指示を飛ばした。それが自分の仕事だった。それしかできなかった。


 アスが剣を振って悪魔を斬った。ロイドが大剣で群れを薙ぎ払った。アテネが回復の光を飛ばした。レイが前線で踏ん張った。シアが魔法で壁を作った。クロが罠で時間を稼いだ。ガルドが盾で人を守った。


 全員が何かをしていた。身体を動かし、力を使い、自分の手で何かを守っていた。


 ミルだけが——声を出していた。


 声だけだった。


 指示を出して、分析して、数字を並べて。それでアスたちの動きが良くなった。戦場が回った。被害が最小限に抑えられた。頭ではわかっている。自分の仕事には意味がある。サポーターがいなければ前衛は目を失う。それはわかっている。


 けれど侵食編のあの瞬間——東の通りで誰かが死んだとき、ミルは何をしていた。


 声を出していた。


 声を出していただけだった。


 分析して、指示を出して、最適な配置を計算して。その間に人が死んだ。自分の指示が正しかったから被害が「最小限」で済んだ。けれどゼロではなかった。二十三人が死んだ。ミルの分析が一秒速ければ、一人でも助かったかもしれない。ミルの判断が一つ違えば、もう一人守れたかもしれない。


 声だけでは、届かない場所がある。


 声だけでは、守れない命がある。


 模擬戦が終わった。アリアドネが手を叩いて終了を告げた。八人が疲弊して座り込む。


 会話が飛び交った。レイが笑い、クロが冗談を言い、アスがアテネに水を渡し、ロイドとガルドが無言で並んで座っている。シアが髪を直しながら、クロの冗談に眉をひそめている。日常の延長線上にある、訓練後のいつもの風景。


 ミルだけが少し離れた場所にいた。


 メモ帳を膝に置いて、座っている。ペンは動いていない。皆の方を見ている。見ているが、混じっていない。距離がある。物理的な距離ではなく——心の中の距離。


 声だけの戦い。自分にはそれしかない。剣もない。魔法もない。盾もない。罠もない。あるのは頭と目と声だけ。それで十分だと言われてきた。ミル自身もそう思ってきた。


 本当にそうなのか。


 本当にこのままでいいのか。


 両親は深層で消えた。情報があれば死なずに済む場面がある——そう思って、この道を選んだ。情報を武器に変える。分析で仲間を守る。それがミルの生き方だった。


 けれど侵食編で突きつけられた。声だけでは届かない場所がある。分析だけでは守れない命がある。二十三人。その数字が、メモ帳の裏に刻まれたまま消えない。


 八人が解散した。レイたちが手を振って去り、ロイドが宿に向かい、アテネがアスと並んで歩き出した。


 ミルは動かなかった。


 空き地に残っていた。日が傾き始めている。影が長くなり、草が風に揺れている。


 アリアドネがまだいた。


 木の幹にもたれて立っていた。八人の訓練を見守っていた場所から動いていない。ミルが残っていることに、最初から気づいていたのだろう。


「アリアドネさん」


 ミルが立ち上がった。メモ帳を閉じて、胸に抱えた。


「話がある、って言ってましたよね」


「ああ。俺からの話もある。けど——お前からもあるだろ」


 見透かされていた。当然だった。この人は最初から全部見ている。ミルの内面が積み重なっていることも、侵食編の何がミルに刺さったかも。


「聞こう」


 アリアドネが言った。笑っていなかった。道化の仮面がない顔で、ミルを真っ直ぐ見ていた。


 ミルはメモ帳を握りしめた。指が白くなるほど強く。


 夕陽が二人の影を長く引いている。空き地に、二つの影だけが残っていた。


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