ダンタリオンの狙い
「誰です、気安くワタシの名を呼ぶのは?」
ダンタリオンと呼ばれた悪魔は、そう言いながらもゆっくりとこちらに振り返った。仮面で表情は読み取れないが、声からは不快感がありありと滲み出ている。
しかし、ティルの姿を見るとその声色は一変した。
「その顔……もしやティルヴィングですか!? おぉ、なんと懐かしい……およそ三百年ぶりでしょうか。よもやこんなところでアナタに会うとは思いませんでした」
先ほどの冷たい声がまるで嘘のように親し気な反応を返すダンタリオン。だがティル方はと言えば、嫌悪感を全く隠すことなく吐き捨てた。
「こっちはオマエの顔などこれっぽっちも見たくなかったわ。今度こそ引導をくれてやるから、大人しく滅ぼされなさい」
「悲しいですねぇ、そのようにつれないことを言わないでください。……おや、そこにいるニンゲンがアナタの新たな持ち主ですか?」
言葉の途中でようやく俺の存在に気付いたのか、ダンタリオンの腹部分にある無数の目玉が一斉にこちらを向いた。そして値踏みするかのようにしばらく蠢いていたが、やがて興味を失くしたように瞳を閉じると顔の部分からため息を漏らした。
「はぁ……。マリクならいざ知らず、この程度の使い手でワタシを滅ぼそうなど正気の沙汰とは思えませんね。耄碌しましたか、ティルヴィング?」
酷い言われようだが、さすがにマリクと比べられたらどうしようもない。
「耳を貸す必要はないわよ。ソイツはそうやって人の心に動揺を生み、隙間から入り込んでくるんだから。元下級魔族が生き残るために編み出した、小賢しい作戦よ」
「わ、分かった」
いつにもまして刺々しいティルの言葉に頷きつつも、再びダンタリオンを観察する。膨大な魔力は感じられるけど、存在感は妙に希薄というか底が見えない。
「くくく、ワタシの力を計りかねているのでしょう? ですが、あのマリクですらワタシの真の力を計れなかったのです。アナタ如きでは到底無理というものですよ」
話の矛先は俺だけにとどまらず、マリクにまで向けられた。よほど人間という存在を下に見ているのか、だんだんとその声色が嘲るようなものに変化していく。
「まあ、そのマリクの最期も結局は無駄死にでしたがねぇ」
「……」
その言葉が発せられた瞬間、ティルが音も無く人から剣の姿に戻った。
一方でダンタリオンは自分の話に酔っているのか、それとも余裕の現れなのか気にした様子もない。だけどこれは好機だ、使わないともったいない。
それにどうやら、相棒がどうしようもなくやる気みたいだからね。
「いくら魔王を倒すためとはいえ、自らの命を賭けるなど……本当に愚かなものです。まあニンゲン如きが考えることなど、理解する必要も――」
「ふっ!」
こちらを気にも留めず話し続ける悪魔に向けて、魔力を十分に込めた斬撃を放つ。
「やれやれ、まだ話の途中だというのに……」
攻撃が放たれたことで、ダンタリオンはようやく反応を示した。
手に持った魔導書を開こうとしているが、今から詠唱したところで間に合うはずもない。その予想は的中し、魔力の刃はそのまま体に吸い込まれ大爆発を起こした。
直後、凄まじい勢いの爆風が大地を駆け抜けた。それを何とか踏ん張って耐え、もうもうと立ち込める砂埃を見ながらも思う。
これだけの威力が直撃したなら、いくら魔将でも無事では済まないはずだと。
だがそう思ったのも束の間、直ぐに違和感に気付く。斬撃が当たったのなら、ヤツの体は切り裂かれたはずだ。消滅するならまだしも、爆発するのはおかしいと。
嫌な予感がして爆発が起こった方角を確認する。徐々に煙が晴れていき、開けた視界の先には――無傷のダンタリオンが悠然と佇んでいた。
「ウソだろ……」
まさか、あの状況から斬撃を防いだっていうのか? 魔導書を開いたのは見えていたが、あのタイミングだと防御魔法を展開する時間なんて無かったはずだ。
それに、もし防御魔法があったとしてもあの威力で無傷なんて……。
(いや、ちゃんと効いてるわ)
「え?」
(アイツの足元よく見てみなさい)
言われるがまま足元に視線を向けると、そこにはさっきの爆発で吹き飛んだのか頭部に付いていた仮面がいくつか地面に転がっていた。
(あの仮面はね、一つ一つが身代わりなのよ。おそらくアイツの配下の魔物が入ってたんだろうけど、そいつらが防ぎきれなかった爆発を受けたのね)
「自分の手下を盾にしたのか!?」
(言ったでしょう。どこまでも用心深く、狡猾なヤツだって)
確かにそう聞いていたけど、まさかここまでとは思わなかった。
それにヤツの頭部にはまだ大量の仮面が残っている。あれを全て削り切らないと、本体にはダメージすら与えられないってことか。
「厄介過ぎるな、まだ攻撃を防いだ方法だって分かってないのに……」
(それについては心当たりがあるわ。攻撃が防がれたのは多分あの魔導書のせいよ)
「魔導書? 呪文を使った様子はなかったと思うけど」
(あの魔導書はページに魔法を記録して、無詠唱魔法として行使できるの。おそらく予め記録していた防御魔法のページを使って防いだんでしょう。向こうがアンタをなめくさっていたおかげで、どうやら完全には防ぎきれなかったみたいだけどね)
「そういうことか」
しかしタネは分かったものの、同じように攻撃をしても防がれるはずだ。魔導書にはまだページが残っているし、もうこちらの攻撃も素直に受けてくれないだろう。
「さて、どう攻めたもんか」
そう呟いた時、沈黙を保っていたダンタリオンがようやくその口を開いた。
「くくく、ワタシとしたことがいささ油断しすぎましたかねぇ。腐ってもティルヴィングが選んだ魔法使い、と言ったところでしょうか」
やはり油断はしていたのか。出来ればもう少しダメージを与えておきたかったところだけど、あの仮面に入っている身代わりがどの程度かにもよるな。
「この仮面が気になりますか? 実はこの仮面には大悪魔を入れていたんですよ。まさか複数持っていかれるとは思いませんでしたがね」
おっと、予想以上にたいそうなヤツらが入ってたって訳か。
そいつらを複数倒せるほど威力が出でいたのは朗報だが、それは同時に仮面の数だけ身代わりとなっている大悪魔を倒さなければならないということだ。
「残念ですよ……えぇ、とても。ワタシは久方ぶりの知り合いと旧交を温めようと思っていただけなのに、こうまでされると――少し本気を出したくなりますねぇ!」
その直後、ダンタリオンから放たれる威圧感が急激に増した。体から一気に汗が噴き出し、背筋が凍りそうになるほどの殺気が向けられている。
あぁ、ティルが警戒していた理由が良く分かった。こいつは正真正銘の化け物だ。
「聖女の血を引く者と一緒に、キサマもこの場で殺して差し上げますよ!」
ヤツの狙いはサーニャか!?
そう思ったのも束の間、俺の足元に紙片が一枚はらりと落ちてきた。
(フリッツ、後ろに跳んで!)
「っ!」
自分では特に意識していなかったが、体が弾かれたように動いた。そしてほとんど間を置かず、先ほどまで自分がいた地点に大きな火球が現れ一気に爆ぜた。
激しい明滅と耳を突き刺さんばかりの爆音で、思わず手で顔を覆ってしまう。それだけに留まらず、呪文で砕け散った地面の破片が容赦なく襲い掛かってきた。
ティルの呼びかけで直撃は避けられたが、この威力だと後方に残してきたサーニャとクロエが心配だ。二人がいる地点まで距離はあるが、万が一ということもある。
それに先ほどの言葉を信じるなら、ヤツの狙いはサーニャだ。
であれば、この先には絶対に行かせる訳にはいかない。まだ居場所がバレていない内に、何とか逃げるように伝えてくれる人がいればいいんだけど。
「フリッツ君!」
そんなことを考えていると、まさかの声が近くから聞こえてきた。
「ヘインズさん!? どうしてここに」
爆発の煙に紛れて姿を現したのは、裏門に向かったはずのヘインズさんだった。
「やはり気になってこちらに援軍に来たのだ! 聖女の血を引く者の護衛はわたしに任せたまえ。それで、彼女はどこに?」
「すいません、助かります! 後方にクロエと一緒に待機しているので、そっちに向かって彼女たちにこの場から離れるよう伝えてください」
「了解した!」
そう答えると、ヘインズさんはサーニャたちのいる後方に駆けて行った。
これで心置きなく戦いに集中できる。爆風のおかげで先ほどのやり取りは補足されていないはずだし、後はここで足止め出来さえすれば二人の安全も確保できる。
だけど、何だこの違和感は? 何かとてつもなく嫌な予感がする。
そもそもヘインズさんが来た方向には、ダンタリオンがいたはずだ。あれだけ執拗に兵士を追い回していたヤツが、煙に紛れていたとはいえを見逃すだろうか?
それにさっき俺は『フリッツ君』と呼ばれた。これまでずっと『フリッツ殿』だったのに、急に呼び方が変わるものだろうか? それにサーニャのことだって――。
(フリッツ! 正面じゃない、後ろのヘインズよ!)
「……まさか!」
俺とティルが気づいたのは、ほぼ同時だった。
あれはヘインズさんじゃない、彼に化けたダンタリオンだ。だがそれに気付いた時には、既に俺の足は地面に縫い付けられたかのように動かなくなっていた。
「くっ、足が!」
(ちっ、束縛魔法か!)
どうやら顔は動かせるようなので周囲を確認すると、地面にちぎられた魔導書のページが一枚落ちていた。さっきすれ違った時か、くそ!
(しかもこの術式は広範囲魔法……まずいわよフリッツ、この距離ならサーニャとクロエにも影響が出ているかもしれないわ)
頼む、動いてくれ! たとえ引き千切れたって構わない。二人を助けに行かないと……誓ったんだ、必ず守るって!
(ダメよフリッツ! それ以上魔法に抵抗しようとしたら)
珍しく焦るような声が届いたが、こればっかりは聞くことが出来ない。何としてもこの呪文を打ち破って二人を助けにいかないと――そう思った時だった。
「悪魔を相手にする時は状態異常に気を付けるべし。そう教えたはずだがのう?」
「え?」
頭上から声がいきなり声が降ってきた。しかもどこか懐かさを感じさせる声で、俺は魔法に抗おうとしていたことも忘れ思わず声がした方を見上げてしまう。
そこには、ここにいるはずがない人がいた。
「な、何で?」
思わずそう言ってしまうほど、この場にいる理由が全く分からなかった。
「やれやれ、ようやく見つけたわい。探したぞバカ弟子めが」
なにせその人は、数年前に別れたっきりのただ一人の師匠だったからだ。
次話は明日の19時頃に投稿を予定しておりますー




