[43]奇行パターンの検証
至誠の体が跳躍と共に天高く舞い上がる。
当然それは至誠の力などではなく、ミグによる鬼道のおかげだ。現在、至誠の体はミグの制御下にあり、ほとんど自由がきかない。
『ごめんね』
急速に地面が離れていくのを漠然と理解している最中、ミグがつぶやいた。
『本当は逆の方がいいんだろうけど……』
至誠にはなんとなくミグの言わんとしていることが理解できた。
ミグの操る体は現在2つ。至誠とスティアだ。ならば怨人に向かって危険な飛行を行うのは、スティアの体を使うという選択肢だってあったはずだ。
少なくとも、至誠をレスティア皇国に連れて帰るのが最優先目標であるミグにとっては、リスクは少しでも減らして然るべきだろう。
「いえ。ミグさんにお任せします」
至誠は唯一自由のきく口元を動かし、柔らかい口調で答える。
ミグにどんな狙いがあって至誠の体で怨人に接近するのか、至誠には分からない。
だが無意味であるはずがない。ミグにはミグなりの考えがあるのだろう。そしてそれを事前に伝えたり承諾を求めたりするだけの時間的余裕がないのは理解できる。
ならば至誠にできることは、ミグのことを信用し、その身を委ねることだ。
どちらにしても、こと戦闘において至誠のできることなど何もない。逃げ惑う一般人と同じく、慌てふためいて逃げまわるのが関の山だ。
『助かるよ』
至誠のそんな心境を読み取ったのか、ミグもほほえむような口調で返す。
その会話の最中にも急上昇は続き、高度が上がっていく。仮に怨人が上空3000メートルとした場合、現在の至誠は1000メートルほどだ。
『――来た!』
ミグの言葉の直前、旋回飛行していた怨人のうち3体が降下を始める。
降下ルートは、至誠めがけて。
至誠の右手には納刀された状態の剣が握られ、左手は二本の鞘を手にしている。それを握っているのはミグの意思だ。
周囲には鬼道陣の術式が体にまとわりついたり空中に浮遊したりしながら、何かしらの効果を及ぼしている。頭のてっぺんから足のつま先、眼球運動に至るまで、至誠の体はすでにミグの支配下にある。
――これではドラマや映画を見ているのと変わらない。
至誠は自虐的にそう思った。自分の意思でその世界に介入することはできず、流れる情景を見ることしかできない。
現実という圧倒的リアリティを感じながらも、どこか他人事のような感覚も同居している。それはミグへの信頼か、自分には何もできないという現実的な諦念か。
至誠自身、その結論は出せていないが、それらの思考や感情を上塗りするほどの恐怖感が迫ってくる。
ミグと怨人は互いに高速で降下と上昇し、その間合いをあっと言う間に埋めていく。遠近法により、至誠の視界で肥大化するグロテスクな外見の怨人。その姿は、至誠の恐怖心をかきたてる。
テレビドラマや映画で感じることができるのは視覚と聴覚だけだ。
だが目の前の現実は五感全てが刺激されている。肌を伝う空気の流れも、雨が降る前兆のような湿っぽい嗅覚もある。味覚も渇いた口の中を敏感に感じ取っている。
圧倒的なリアリティ。
いや、これが現実なのだと、体は訴えている。
死んでもセーブポイントからやり直せるゲームとは違う。当然、ミグが失敗すれば至誠は怪我を負い、下手をすれば、いや、確実に死ぬことになるだろう。五感が残っているのなら、当然、痛覚も正常に働くはずだ。それがどれほど続くのかは皆目見当がつかない。
そのため、当然、至誠の心理には恐怖心がある。
だが不思議と『後悔』はなかった。
自分にできる範囲で最良の結果を求め、最大限の行動をしてきたつもりだ。
人事を尽くして天命を待つという諺がある。人事を尽くせたかどうか客観的な自己分析は難しいが、今の至誠にできることは天命を待つのみだ。
――死ぬのは怖い……けど、たとえここで死んだとしても、僕は自分の人生に価値を見いだせそうだ。少なくとも、最後まで諦めずに足掻いてきたのだから。
そう考えながら、至誠は命運の全てをミグに預けた。
*
3体の怨人はまるで隊列を組んでいるかのように縦列に並び、順次降下してきている。
ミグは至誠の体を操り、怨人に向かっていく。
至誠のことを第1に考え安全策を取るなら、至誠ではなくスティアの体で行うべきだろう。だがミグは検証しておかなくてはならない。『怨人が奇行に走る理由が至誠にあるかもしれない』という『仮説』について。
ミグは右手に持った鞘付きの剣を鬼道で強化していく。同時にいくつかの術式を仕込んでいく。それは地上でスティアの体を使って準備を進める術式と連動させるためのものだ。
急上昇する至誠と急降下する3体の怨人。
その距離が一気に縮まる。
そして。
先頭に位置した怨人が、目と鼻の先にまで迫る。
巨大な口を開け、中には何列も歯が並んでいた。
――ここ!
ミグは右手に持っていた剣を振り遠心力で鞘を飛ばすと、怨人の口の中へ放り込む。と同時に、急上昇する速度をそのままに螺旋状に旋回し、怨人の肉体の横をすれすれで通り抜けた。
怨人の側面から乱雑に生えた腕や足、指や舌をかいくぐり一体目の怨人を回避すると、すぐ目の前に2体目の怨人が迫っていた。
ミグは一度納刀しつつ、怨人の体躯の直下に口がないことを確認する。
と、同時に横風をうまく捉え、推力偏向により直撃を回避、すれ違いざまに見つけた側面の大きな口の中へ鞘を投げ込む。
3体目との交差まではわずかに間があいたのでタイミングを充分に見計らい、再び螺旋状に旋回し突進を回避する。
すれ違いざまに再度剣を振るい、鞘を怨人の口の中へ放り込んだ。
そしてミグは上昇を維持しつつ、振り返ってすれ違った怨人へと視線を向ける。
すれ違った怨人の粗雑に喰おうとしてくる口の開き方、捕らえようとあるいは叩き潰そうとする手や足の動き方。あれは間違いなく、至誠の存在を認識していた動きだ。
一方で地上ではスティアの体を使った高出力の鬼道術式、その気配を垂れ流されている。加えて最前線では英傑級の騎士と兵士がいまだ怨人相手に戦闘を継続しており、その気配が上空にまで充分に届いている。
怨人が従来通りの挙動を示すなら最前線かスティアへと向かうはずだ。
――この状況でなお至誠のみを追ってくるようなことがあれば、その時は……。
怨人、あるいは怨姫が『至誠』を探している可能性が高くなる。その時は何を優先するべきか、ミグは決断を迫られるだろう。
「『……』」
だが。
――追って、こない……?
3体の怨人は至誠を認識し、至誠とすれ違ってなお降下をやめることなく、一路地上に向けて急降下を続けている。
――至誠を探している訳では……ない?
現時点で判断するのは早計だろう。しかし目の前の事実として、3体の怨人は至誠を追ってこない。その気配が微塵もない。
ミグは視線を上空へ向ける。
残った1体の怨人が、それまでと同じルートで旋回を続けている。
こちらも至誠に向かってくる気配はない。
ならば――と、ミグは手にした剣を握りそのまま上昇を続けた。
*
ミグはスティアの肉体を通じ、降下を続ける怨人を地上から見据える。
近くではロロベニカが回復を図りつつもリッチェや他の騎士を守るため、いつでも動ける体勢で待機している。どうやら、一時休戦の口約束を履行してくれるようだ――とミグは感じつつ、地上で鬼道術式の構築に専念する。
ミグは至誠の体を使い、3体の怨人の口に鞘を投げ込んだ。
それらはただの鞘ではない。
ミグによって新たに3種類の術式を埋め込んだ鞘だ。
ひとつ目は耐久性の強化。一瞬でかみ砕かれないようにすると同時に、投擲後に怨人の体内に食い込ませるために。その鬼道は内包したエスが切れるまでの短期的なものだが、攻撃を敢行するまでのわずかな時間であれば問題ない。
ふたつ目は強い術式の気配を発し続けるだけの誘導用の術式。怨人は無機物を食べることはない。故に中途半端に吐き出させないように保険として組み込んでいる。
そしてもっとも重要なのが、地上からの攻撃を誘導するための術式だ。
スティアの体は鬼道による遠距離攻撃体勢を整えると、右手の指先を天に掲げる。攻撃術式は発動を開始し、指先に光が収束する。
直後。
無数に放たれた光の帯は曲折しながら放たれる。いや、ただの光ではない。それは落雷に匹敵する威力の雷撃だ。
それが何本も同時に指先から上空に向けて放たれた。
雷撃は光の軌跡を残しながら舞い上がり、鞘に仕込まれた座標に向けて収束する。
電撃が怨人の体躯を駆け巡る。同時に無数の爆裂が発生し、怨人の体躯を一気に焦がし、細切れの肉塊に変貌させる。
一瞬にして怨人を爆砕させた雷撃は、間髪入れずに次の鞘に向かって収束する。そして座標を見失うまでそれは繰り返される。
2体目、3体目と爆散するのは一瞬の出来事だった。
そして目標の失った雷撃は至誠の持つ剣に向かっていく――が、その前にミグは残り1体の怨人に向けて剣を飛ばしていた。
それは鬼道を使った射出で、雷撃よりも遅いものの、雷撃の到達よりも先に剣先が怨人に届く速度はあった。
――これで上空の怨人は全て駆除でき、ひとまず制空権は取り戻せるだろう。
ミグはそう考えていた。
「『――なッ!?』」
だが最後の飛行型怨人は唐突に飛行ルートを変更、急旋回すると、飛来する剣を回避した。
当然、雷撃は剣に収束し、怨人には当たらない。
そして。
飛行型怨人は突如として進路を西へ変更すると、爆裂的な加速を見せながら降下を始めた。
どうやら街中に降りる気はないようだが、その向かう先はベージェスら騎士がいる西方の最前線だ。彼らが飛行型怨人に気がついているかは分からない。
そしてその飛行型怨人は、昨晩ミグたちを追いかけてきた個体など比較にならないほどの速度を見せる。易々と音の壁を突破し、衝撃と爆音が至誠の肉体にまで到達する。
西方の騎士に知らせるにしても怨人を追撃するにしても、ミグが準備を整えるより怨人の到達の方が早いのは明白だった。
――ダメだ、間に合わない!
ミグが内心で叫ぶ間にも、飛行型怨人との距離は加速度的に開いていった。




