[42]研ぎ澄まされた刀身
時系列は少し巻き戻る。
ラザネラ教会の教会堂のルーフテラスで、ミグの思考が駆け巡る。
――どうする? どうすればいい?
怨姫がいることは想定されるが、今のところは確認できていない。だが確認するのを待ってから動いたのでは手遅れになるリスクが拭えない。しかしここで逃げ出せば、至誠の作り出した状況も関係も全て捨てることになる。
とはいえ、至誠の命には代えられない。
そしてラザネラ教を本気で敵に回した際のリスクもたいして変わらない。相手が一人や二人の英傑ならばまだなんとかなる。だが数十、数百人もの英傑がいれば――あるいは神格の域に達した騎士が1人でもいた場合、生殺与奪を相手に握られることになる。
もし飛翔術式を用いて離脱、レスティア皇国を目指すにしても、神託之地の南西端からレスティア皇国への直線上にはラザネラ帝国の浮遊大陸がある。そこを抜けるのは困難だ。
東に迂回するとラザネラ教圏を延々と移動することになり、西に迂回するとマシリティ帝国の勢力圏が近づく。昨晩の一件もある。できれば近づきたくない――というのがミグの感覚だ。
どの選択を取っても、一定のリスクが脳裏にへばりつく。
――どの選択が、最も至誠を安全にレスティア皇国へ連れて行ける?
テサロがいればもっと多くの選択肢があっただろう。だがテサロは頼れない。むしろミグがしくじれば、テサロの死が確定してしまうことになる。
ヴァルルーツは優秀だがまだ若い。加えて、レスティア皇国の命令系統外の存在だ。
――それにできることなら、リッチェを助けたい。
それがミグの真情だ。ミグはリッチェが赤子の頃から知っている。テサロがどれだけ愛情を注いできたのかも、そこにいたる苦難も知っている。
だから至誠がリッチェを助けようと動いてくれたことは嬉しかったし、たとえ囚われている間に身も心も傷ついたとしても、生きてさえいればいずれ傷は癒やせると、ミグは信じている。
そう、生きてさえいれば。
『――!』
そんな思考の水底から、ミグは術式の気配をひとつ感じ取った。
「『今のは――』」
術式には独特の気配がある。
そしてそれは、たとえ同じ術式でも、構築の精度や処理の仕方によって微妙に個人差がある。
無論それは誤差で、ほとんどの者は気にも止めない。
いや、気付くことすらできない程度の差異だ。
だがその差に、ミグは気がついた。
戦場にあふれかえる膨大な数の術式から、ミグの熟達した練度と、何年もそばで見続けたことで、そのなじみ深い気配を感じとれた。
『リッチェ――!』
ミグは至誠の体を借りてテラスから身を乗り出し、気配のした方角を凝視する。
そこは怨人の降下した地点で、すでに2体の怨人の内一体が誰かの攻撃を受けて大きくのけぞっていた。
――間違いない。あそこにリッチェがいる!
たった一言、ミグがリッチェの名前をこぼしただけでヴァルルーツは察し、至誠に近づき耳元で囁く。
「行ってください」
ミグが目を見開きながら振り返ると、ヴァルルーツは力強く言葉を続ける。
「ミグ殿と至誠殿は、リッチェ殿の救出を。私がここに残ります」
「『なら――』」
その先に言わんとしていることがヴァルルーツには予想できていた。
なら、王子も共に――と。
しかしヴァルルーツは遮るように断る。
「私はここに残ります。テサロ殿を一人残しておくわけにはまいりませんので」
「『……テサロは――』」
言葉を詰まらせるミグを遮るように、ヴァルルーツは「察しております」と背中を押す。
「たとえどのような状態であろうとも、捨て置くわけにはいかないでしょう。それに最終的な敵対勢力が怨人とは限りません。武力では敵わずとも、言葉による駆け引きならば時間を稼げましょう」
そんな自己犠牲を前提とした献身を、ミグは否定しようとする。
だが反論の余地をあたえず、ヴァルルーツは言葉を続けた。
「これでも王族の端くれ。のらりくらりとやり過ごす術は心得ております」
ヴァルルーツの表情は妙ににこやかだった。
自国の戦争でも、昨晩の不浄之地においても、ヴァルルーツは微力を尽くすしかなかった。
だが今は違う。
王族として教育を受けてきた経験がある。ならば言葉による駆け引きならばこれまでよりも真価を発揮でき、すなわちミグや至誠の力になれる。
そんなヴァルルーツの表情には、微塵も自己犠牲の影はなかった。
「行きましょう。行って、戻ってきましょう」
さらに至誠がミグの背中を押す。
一刻を争う状況で迷っている時間も、リスクを検討する時間もない。
ミグは頷きながら至誠の言葉を引用する。
『分かった。でも誰かが犠牲になって進むんじゃない。全員で生きて帰ろう。ウチは最後まで、そこを目指して足掻くよ』
ヴァルルーツはミグの言葉を受けて、力強く「ええ」と頷き返した。
そしてミグは至誠の体を操り、ミラティク司祭に提案する。
「『我々が出ましょう。市街地での戦闘を承諾いただきたい』」
その提案にまわりの護衛騎士たちが顔をしかめる。当然だろう。部外者たる……いや、元凶である一行が市街地で武力行使をさせてくれと言えばそんな顔にもなる。
それでもミラティク司祭はまっすぐと至誠の顔を見すえ、そして頷いた。
「わかりました。建造物への被害は許容します。ですが、人的被害は最小限に抑えていただけますか?」
「『ええ、もちろんです』」
そう言ってミグは、至誠とスティアの体を動かし、鬼道を用いて滑空する準備に取りかかる。
同時にミグは、内心で別の覚悟も決める。
怨人が本当に至誠を探しているのかどうか、確かめないと――と。
それは賭けだ。
下手をしたら至誠を失う可能性がある。
もし至誠が目的であり、かつこのままレスティア皇国へ戻った場合、怨姫が無数の怨人を引き連れて内陸まで追いかけてくるかもしれない。そのような可能性を残しておけない。
もしそうなれば神託之地の文明は未曾有の災厄に見舞われることになる。
ミグはリネーシャ陛下の眷属だ。そのため真理の解明は命題ではあるものの、同時に世界終焉シナリオだけは何としてでも回避しなくてはならない。それもまた、眷属たる者の務めだ。
ミグがそう覚悟を決めた直後、街中で白い攻撃魔法が放たれる。すくい上げるように一閃、怨人に向かって放たれていた。
それはミグとテサロがリッチェに教えた魔法だった。彁依物の調査に同行することが決まってから自衛用に教えた急ごしらえの術式だ。
間違いなく、あの魔法の起点にリッチェがいる。
『リッチェ――今、助ける』
より正確な位置を把握できたミグはそう呟きながら、ミグはスティアと至誠の体を操りルーフテラスから飛び出すと空中を一気に加速した。
*
ギリギリのところでリッチェを助け、怨人も討伐した。そんなスティアの体を操る者に、ロロベニカは鋒を向け問いただす。
「なぜ貴様がここにいる。もし司祭様を害したのであれば、逃すわけにはいかない」
その疑問に答える前に、スティアの肉体は戦闘態勢を解除し、天を見上げた。
「『あれに気がついてる?』」
同じ方を見るよう催促する。そんなセリフを、スティアを操る者が口にする。
その行動にロロベニカは訝しむ。
罠かもしれない。
しかし直感が、罠ではなさそうだと囁く。
ロロベニカは警戒を解くことなく上空を一瞥し、思わず息を飲んだ。
「――ッ!」
4体の飛行型怨人が我が物顔で飛んでいたからだ。
再びスティアの声がして、ロロベニカは視線を地上へと戻すと、相手はすでにロロベニカの方を向いていた。
「『ミラティク司祭には承諾をもらってるよ。もちろん、害してもいない』」
そう、落ち着いた口調でさらに言葉を続ける。
「『君にとっては不本意で、気乗りしないかもしれない。けど、今は共闘してもらえると助かるよ。ウチとしても今、君と戦うなら手加減する余裕がないからね』」
殴られ吹き飛ばされた記憶がフラッシュバックしながらも、ロロベニカは値踏みするようにスティアを操る者を見つめる。
「……」
沈思黙考の末、ロロベニカは納刀しながら相手の意見を受け入れる。
「非常時です。司祭様が承諾されている旨、今は信用することにします。共闘も甘んじて受けましょう。――ですが、騎士を嘗めないでいただこう。騎士として、私情で剣筋が鈍るような鈍ではありません」
戦場に、静寂が流れる。
スティアを操る者はロロベニカの瞳を見据えたまま口を開かなかった。
が、数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「『分かった。君がウチを信用してくれたように、ウチも君を信頼しようと思う』」
スティアの声を聞きながら、ロロベニカは背後から近づいてくる気配に気がつき、振り返ると同時にドサッと何かを置いた音が聞こえる。
そこにはリッチェを抱えたシセイの姿があった。その後ろには3人の騎士が倒れている。状況から見てシセイが手を出したわけではないのは明白だ。むしろ怨人によって負傷していたところを回収してきたのだとみるべきだろう。
「『今回の怨人は行動が読めないから後手に回るのはリスクが大きい。だから上のヤツらはウチがなんとかする。その間、君はリッチェと他の騎士たちを守ってあげて』」
ロロベニカは目元を細め、再度スティアを視線で射貫く。
「邪魔をするな――と?」
「『そうじゃないよ。ただ、機先を制するのに君は消耗しすぎている。地上で回復をはかりつつ、次の事態に備えててほしい。そして、君のことを信用して――ウチが怨人を討伐してる間、仲間のことは任せる』」
これまでの言動から、彼らが仲間を何より大事にしていることはロロベニカも理解していた。その仲間を任せるというのは、すなわちロロベニカを信用していると裏付けているように聞こえた。
――ともかく今は、怨人討伐と任務遂行が最優先ですね。
仮に何らかの罠だったとしても、護衛対象の身柄がこちらにある以上、任務遂行自体は可能だ。そう、ロロベニカはリッチェを一瞥する。
そして再び天を見上げて、飛行型怨人を観察する。
ヤツらははるか上空を我が物顔で旋回し続けている。
そんな怨人に「機先を制する」と語る。
当然、跳躍では届かない高度だ。高度な飛行技術を持ち合わせていなければできない芸当であり、ロロベニカには届かない領域だ。
「……いいでしょう。そのお手並み、拝見させていただこう」
ロロベニカが承諾すると、シセイはリッチェを屋根の上に優しく降ろす。
「ミグ――」
リッチェがスティアに向かって虚ろ気味に口を開くが、それをシセイが「『大丈夫。よく頑張ったね』」と慰め、引きとめる。
シセイはリッチェをロロベニカに預け、倒れた騎士から剣と鞘を拝借し始める。剣を失っている2人からは鞘を、ムニファスからは納刀された剣を鞘ごとだ。
「『こちら、もらいますね』」
そしてシセイとスティアの体が鬼道を展開し始める。その出力はロロベニカの実力をはるかに上回り、仮に消耗がなく万全の状態でも届かない力量差だと思い知らしめる。
スティアの体を介して準備される術式は、おそらく鬼道による遠距離攻撃だろう。
――彼の方は……これは、これが飛行術式か?
少なくともロロベニカが感じたことのない鬼道の気配を感じ取っていると、シセイが軽く跳躍する。
そして、そのまま上空の怨人に向けて舞い上がった。
*
ミグと至誠、それから蒼い髪をした女性騎士が教会堂のルーフテラスから飛び出していくのをヴァルルーツは見送った。
そのスピードは尋常ならざる速度で、あっと言う間に降下した怨人の近くにまで到達していた。
しかし現場まではかなり距離がある。
ヴァルルーツの視力では目視できない。
そのためヴァルルーツは、周囲のラザネラ教関係者にも気を張る。今のところ動きはない。何かを仕掛けてくるような素振りや気配は感じられない。
そんな中、上空を監視していた騎士の1人が声を張り上げる。
「降下してきますッ! さらに3体ッ!!」
ヴァルルーツもつられて見上げると、新たに3体の怨人が降下を始めていた。
状況は予断を許さない。
緊迫した空気がさらに張り詰めるのを肌で感じた。
「――?」
そんな張り詰めた空気の中でヴァルルーツはふと、ひんやりとした視線を感じた。
視線を地上へ戻す。
周囲を見渡してみるが、司祭も騎士も上空を見上げたままだ。
釈然としない感覚に導かれるように、ヴァルルーツはゆっくりと振り返り、背後を見た。
「……」
誰もいない。
――気のせいか……。
そう結論づける。
緊迫した空気に当てられたか――と、再び視線を空へ向ける。向けようとした。だが、その視界の端で『白い何』かがはためいていることに気がついて思わず視線が吸い寄せられる。
ヴァルルーツの視線の先にには『人らしきナニカ』がいた。
人の素足が教会堂の最も高い場所を踏みしめている。一枚の純白な布で全身を覆い、風に揺らめくと布の上からは女性的なシルエットが、布の切れ間からはスレンダーで美しい素足が見え隠れしていた。そして顔の位置には子供のラクガキのような目が描かれている。
両腕はなぜか胴体から離れ浮遊しており、風に揺られているのとはまた違った揺らめきを描いていた。
そんな異質な存在にヴァルルーツが目をまたたいた直後、彼女の背後の空間に縦の切り込みが入る。何もない空間に、だ。少なくともヴァルルーツにはそう見えた。
直後、空間は切り開かれ、中から大量の腕が這い出てくる。それらが『人らしきナニカ』の体にまとわりつくと、一気に空間の切れ間に連れ込んだ。
間髪を入れず空間は塞がり、はじめから誰も居なかったかのように元に戻る。
「――今のは……いったい……」
そして、ヴァルルーツが狼狽する間にも、状況は進み続ける。
「報告!」
声を荒らげて報告を上げるのは、先ほどテラスから出撃したばかりのベテラン騎士のひとりだ。
「ベージェス団長より『異常行動を取る小型怨人を確認。身体的特徴から、姫個体の可能性あり』と——!」
その報告はヴァルルーツの耳にも届いており、内心の混迷と狼狽がいっそう深みを増した。




