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[41]走馬灯

 そこからのリッチェの体感時間は、不思議と長く感じた。


 体が落下し続ける感覚の中で、何も考えていないはずなのに、不思議と古い記憶が脳裏に(よみがえ)ってくる。


 目に見えるもの全てが新鮮に思えた、無邪気な幼少期。

 友達と和気藹々(わきあいあい)と過ごしながらも充実した少女時代。


 憬れを抱き、夢を持ち、目標を定め、勉学に勤しんだ学生時代。魔法も勉強も友達と一緒に頑張ってきた。おかげで卒業試験では友達も次席に入りワンツーフィニッシュを決め、最高の学院生活を送ることができた。


 苦手な魔法を克服するために、テサロ(お母さん)は仕事で忙しい合間を縫って、練習に付き合ってくれていた。まったく嫌な顔をせず、それどころか成長の喜びを共に分かち合った。


 今になって思い返すと、テサロ(お母さん)のことを「師匠」と呼ぶというミグの提案はファインプレーだったかもしれない――とリッチェは思う。


 おかげで、反抗期や思春期といった多感な時期であっても「テサロが本当の母親かどうか」という猜疑心(さいぎしん)(さいな)まれるのを防いでくれた。あまり意識しないで済んだ。


 今となっては、本当の母親かどうかなんてどうでもいい話だ。

 テサロ・リドレナは、リッチェにとって間違いなく「いい母親」だったからだ。


「……」


 いや、気恥ずかしさという側面もある。


 師匠と呼ぶようになって、それに慣れると、改めて「お母さん」と呼ぶことに気恥ずかしさがあった。特に思春期に入ってからは特に顕著(けんちょ)だった――と、今になって思う。


 不浄之地(ふじょうのち)に飛ばされた昨晩、リッチェは思わず「でっ、でも! 師匠が……お母さんが……」と言い直していた。テサロのことを「お母さん」と呼んだのはずいぶんと久しぶりのことだ。


 ――もっと、お母さんって呼んだらよかった……。


 リッチェは今際(いまわ)(きわ)に、そんな一抹(いちまつ)の後悔を抱く。


「……」


 どこで、道を間違えてしまったのだろうか。


 そう考えると、大した能力もないくせに「憧れと好奇心を原動力に彁依物(アーティファクト)の調査に同行したい」と願い出てしまった時だろう。そして(おこ)がましくも、分不相応に同行する権利を手に入れてしまったところだろう。


 あそこが分水嶺(ぶんすいれい)だった。


 今にして、テサロやミグが「普通の幸せ」を望んだ理由が分かった気がした。


 加々良至誠という彁依物(アーティファクト)は、大きな特異性を持たず、脅威度は極めて低かった。だが、どのような超常現象が起こるか分からない状況下で神経をすり減らす毎日は、生きた心地がしなかった。


 そして不浄之地(ふじょうのち)という世界の外側にある異質な領域。そして怨人(えんじん)という冒涜的(ぼうとくてき)なバケモノ。


 それらは、一般人が安易に踏み入れていい領域ではない。



 それを、身をもって痛感した。



 レスティア皇国という国は一般人が思っているよりもはるかに恵まれている――そのことをリッチェは、今になって強く実感する。



 彁依物(アーティファクト)対策において世界の最先端を行き、神託之地(しんたくのち)の中心に座する国土は怨人(えんじん)が最も襲来しづらいといって過言ではない。加えて、国内は世界有数の治安の良さを誇り、世界最大の軍事力は他国との戦争も抑止している。



 平和で安定した国。

 それがレスティア皇国だ。



 だがそれは「誰かが国や世界を整えてくれている」からだ。

 顔も知らない誰かが、(おのれ)が犠牲となることを(いと)わず、安寧(あんねい)をもたらしてくれていたからだ。



 それを今回、リッチェは身にしみて理解した。



 襲ってくる巨大な怨人(えんじん)は恐ろしかった。



 いつ何が起こるともしれない彁依物(アーティファクト)に精神はすり切れそうだった。




 そして。




 目の前に迫った死は、この上なく恐ろしい。




 ――生きていくうえで、死の恐怖を意識しなくていいなんて、なんと恵まれていたのだろう。




 ――当たり前のように夜が明けて、毎日が平穏無事に過ごせるなんて、どれほど恵まれていたのだろう。






「……」






 だが今さら気がついたところで手遅れだ。







 地面が近づいてくる。







 目を閉じていても、なんとなく理解(わか)ってしまった。








 次の瞬間、私はもう、死――




















「リッチェ!!!」






 不意に名前が呼ばれ、リッチェは反射的に目を見開く。


 声の主は手を伸ばし、両腕でリッチェを包み込むと、地面に激突する寸前で抱え上げ、地面との衝突を鬼道で緩和しながら、そして屋根の上に軟着陸していた。


「し、せい――?」


 リッチェは声の主を呼ぶ。


 加々良至誠。

 彁依物(アーティファクト)(おぼ)しき未知の人類――彼がリッチェを抱え上げている。


「えっ……え――?」


 状況の変化に追いつけないリッチェの思考を置き去るように、状況はとめどなく動き続ける。


 確かにリッチェは落下を(まぬが)れた。

 だが間髪を入れず、怨人(えんじん)の一部の拳がリッチェたちをとらえ、矛先をこちらに向ける。再び巨大な拳がリッチェの眼前に差し迫ってくる。


 すぐ隣でドサッと誰かが落下した。


 リッチェがつられるように振り返ると、意識を取り戻したムニファスが痛みに耐えるように唸り表情を歪めつつ地に伏せていた。


 と同時に、直前までムニファスを抱えていたであろう蒼い髪をした女性騎士が前へ飛び出す。彼女は剣を振るうと、迫り来る腕を次々と細切れにしていく。


 リッチェが改めて至誠の顔を見上げるとその目は真っ赤に充血しており、その段になってようやく、助けてくれたのが至誠ではなく「至誠の体を操るミグ」であることに気がついた。


 その間に何本もの腕が至誠のところへ向かうが、その全ては蒼い髪をした女性騎士が防いでいる。あるときは剣戟(けんげき)で、あるときは斬撃で、あるときは鬼道による遠距離攻撃で。


 時を同じくして、さらに別の騎士が飛び出し屋根の上を駆けはじめる。


 その騎士は、兎の特徴が色濃い額から血を流しつつも、戦意は衰えることなく怨人(えんじん)を見据えたロロベニカだった。





  *





「立てッ!!」


 ロロベニカの脳裏に古い記憶が蘇る。


 ここベギンハイト支部教会において、騎士の道を選び、見習いとなったひよっこ騎士には「ある洗礼」が待っている。


 最初の訓練でのことだ。いきなり限界まで鍛え抜かれ、しごかれる。それはとにかく追い詰められ追い立てられ、もう立っていることはおろか、指先ひとつ動かす余力がないほどに。


 そしてベテランの騎士は言う。


「立てッ!!!」


 と。


 理不尽な命令だ。

 それが嫌で騎士の道を諦める者もいる。


 当然ロロベニカも見習いとなったばかりの頃にその洗礼を受けた。


「どうした。お前たちは騎士になるんだろう? 人々を護る盾であり、未来を切り開く矛となるのだろう? ――いいか! 今お前たちの目の前には助けを求める子供がいる。妊婦がいる。老人がいる。怪我人がいる。家族や友人、愛すべき人がいる! さぁ、騎士としてどうあるべきか、行動で示してみろ!」


 当時のロロベニカは片膝をつくところまで体を起こしたものの、鎧の重みに耐えきれずに倒れた。


 それでも優秀な方だった。

 まったく動けない者が大半を占めている中では。


 当時のロロベニカも「自分はよくやった方」だと思っていた。


「『よくやった方』か。――そうだな。護れなかった亡骸(なきがら)や遺族を前にして同じことを言えるのならば、誇るといい」


 後日、ベージェス団長――当時はまだ副団長――にそう言われたことを、ロロベニカは今でもよく覚えている。


 それは訓練だった。


 実際に誰かが死んだ訳ではない。

 誰かを護れなかった訳ではない。


 しかし訓練でできないことが実戦で出来るだろうか?


 ――否。


 訓練ですら助けを求める人々を前に立ち上がれず、膝から崩れ落ちておいて、それで「よくやった方」だと本気で思っていたことを、当時のロロベニカは心の底から恥じた。


 ――違う。


 あの時の慚愧(ざんき)が、ロロベニカの心身に熱量を注ぎ続ける。


 騎士としての、かくあるべき姿はそうではない――ッ!!!




 ロロベニカは意識を取り戻すと、自身に覆い被さる瓦礫(がれき)を払いのけながら立ち上がった。




 周囲には婦人服が散乱している。


 どこかの呉服店に突っ込んだのだろう。

 幸いにして周囲に人はいなかった。すでに避難しているようだ。


 ――不覚をとった。


 連日の激務、短い睡眠時間、長時間の緊張状態が続くことによる疲弊、度重なる戦闘による消耗。


 理由はいくつもある。


 だが騎士としてそれを失敗の言い訳にはできない。

 不覚を取ったという事実から目を背けるわけにはいかない。


 そして今回の失敗を(かて)に再び立ち上がり、未来を切り開くために進まねばならない。どれだけ細い道筋だと、光明の見えない暗闇の中であろうととも、四肢が動く限り――いや、四肢がもがれようとも足掻き続けなければならない。


 それが、それこそが「騎士のかくあるべき姿」だとロロベニカは信じている。




 身体へのダメージは少なくない。だが継戦能力はまだ残っている。魔法が使えるならば、全身を無理やり動かすことができる。


 それを確認し、ロロベニカは戦闘態勢を取る。


 と、同時に怨人(えんじん)の長い腕が追撃してくる。


 ――どうやら、意識を失っていたのは一瞬のようですね。


 怨人(えんじん)の攻撃が到達するまでの時間を逆算しながらそう結論づけ、ロロベニカはそれを回避する。そのまま駆け出し、吹き飛ばされた際に開いた壁の穴から飛び出し、大通りを越えて屋根の上に着地する。


 そして再び怨人(えんじん)に向かって屋根づたいに駆け出した時、すぐ隣の建物に別の騎士がいることに気がついた。


 ――スティア!?


 ここに居るはずがない騎士を目にし、ロロベニカは思わず目を丸くする。彼女はシセイによって体の自由を奪われ、今は教会堂にいるはずだ――と。だが周囲に目を向けてみると、リッチェを抱えたシセイの姿が目に入る。


 どういう経緯かは定かではないものの、彼が仲間を助けにここまで来たのだと理解できた。


 そして、彼が操るスティアの標的が同じ怨人(えんじん)であることを悟ったロロベニカは、対怨人(えんじん)用の術式を維持し、何を語りかけるでもなく屋根の上を駆け抜ける。


 それだけで向こうにも伝わったようだ。


 スティアの身体が屋根を飛び移りロロベニカの前に出ると、多方面から迫り来る怨人(えんじん)の腕全てを切り払い、鬼道による遠距離攻撃を織り交ぜ、(つゆ)を払っていく。その技術は洗練されていて、一切の漏らしがなかった。


 そして怨人(えんじん)に接近すると、スティアはよりいっそう強力な鬼道を刀身に込め、怨人(えんじん)めがけて横薙(よこな)ぎに一閃(いっせん)を放つ。


 それは先ほど護衛対象(リッチェ)が行った魔法攻撃と似ていたが、はるかに強力な威力を有していた。


 怨人(えんじん)に深い傷が入り()()る……が、まだ致命傷ではない。


 それでも中心部から生えている腕は根元から切り捨てられ、浮遊していた体がのたうち回りながら地に落ちる。多くの腕が切断され、本体が(あら)わになっている。


 ロロベニカは速度を維持したまま怨人(えんじん)に向かって跳躍(ちょうやく)すると、縦に一閃、全力で刃を振るう。


 彼の斬撃は見事に怨人(えんじん)を両断。

 その個体は大量の血飛沫(ちしぶき)をまき散らしながら倒れた。


「はぁ――ッ、はぁ――ッ」


 ロロベニカは息を切らす。大規模な魔法を行使したことによる疲弊とマナの消費、攻撃を受けたことによる肉体へのダメージを考えれば、限界は近かった。


 それでも周囲への警戒を続ける。他にもまだ怨人(えんじん)がいないとも限らない。何よりスティアの体を操る者が次にどうでるか、まだ分からない。


 そう身構えていると、屋根の上から声をかけられる。


「『大丈夫?』」


 スティアの体を支配する者はロロベニカに問いかける。

 それは(ねぎら)いでも心配でもなく、「まだ戦力として数えて問題ないか?」という意味だと察した。


 ロロベニカはすぐに息を整えると跳躍し、屋根の上に戻る。

 そして(きっさき)をスティアの方へ向け、強い語調で問いただす。


「なぜ貴様がここにいる。もし司祭様を害したのであれば、逃すわけにはいかない」

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