[36]意表をつく行動
ロロベニカは早期に目の前の怨人を駆除するべく、攻撃の準備を整えていく。
状況は時間をかけるほど状況が悪化するのは明白だ。
剣を下段に構え、その刀身に攻撃魔法を収束させていく。
補助の魔法陣を周囲に展開しながら、一気に魔法攻撃の威力を底上げする。
対人戦闘では悠長に準備するタイミングなどない。
だが怨人の行動原理にはパターンがあり、条件を整えれば隙の大きな攻撃であっても十分な発動時間を得られる。
特に目の前の個体は、ロロベニカの発する術式に引き寄せられない特異個体だ。悠々と攻撃態勢を整えられる。
そしてロロベニカは魔法の準備を済ませると、地面が爆ぜ残像が見えかねないほどの高速移動で怨人に突撃する。
この段階になってようやく無数に生えた腕がロロベニカに向かってくる。
それを次々と回避しながら、怨人の懐に飛び込むと、その体躯を足場に跳躍する。
その衝撃で怨人は体勢を崩し、無人の建物に寄りかかる。しかし怨人の質量に耐えられなかった建物は倒壊し、瓦礫が怨人に降り注ぐと、重しとなってその動きを制限する。
ロロベニカはそのまま怨人の直上で身を翻し、空中を蹴り急転直下――怨人に向けて突っ込み、魔法の乗った剣戟をもって全力で怨人の体躯を両断する。
「――ッ」
刹那の間を置き、巨大な肉塊が割れると中からドロドロに濁った血液が噴き出す。そして無数かつ乱雑に配置された口からは絶叫のような甲高い断末魔が響き渡る。
少しして。
甲声は途切れ、巨大な体躯は力なく重力に従い動かなくなった。
「ふぅ――ッ、ふぅ――ッ」
ロロベニカは呼吸を整えつつも鋒を怨人に向けたまま様子をうかがう。
出し惜しみをして討伐できない事態は避けたかった。
そのためロロベニカは膨大なマナを消費し、体力気力ともに消耗する術式を選んだ。連続して何度も使える手ではない。
だが怨人がそれ以上動くことはなく、無事に一撃で怨人を倒せたようだ。
ロロベニカは念のため臨戦態勢を整えたままゆっくりと納刀する。と同時に、周囲から歓声が上がった。それは先ほどまでパニックに陥っていた住民たちだ。
「まだ怨人の脅威が去ったわけではありません! すぐに避難を!」
ロロベニカは声を張りながら民間人へ避難を勧告する。彼らの避難が完了するまで護衛してあげたいのは騎士として当然の心境だが、今は本来の護送任務を優先しなければならない。
だが一般信徒は訓練を受けた軍人ではなく、非常時において最適な行動を取るとは限らない。むしろ冷静な判断などできない前提で考えるべきだ。
そのため、ある者は助けられた感謝を伝えに、ある者はロロベニカの卓越した剣戟を称えるために近づいてくる。
これは一種の防衛反応、あるいは錯乱だ。
命の危機を脱した高揚感と安堵感、そしてもう危険は去ったのだと思い込みたい心理。そんな一部の者が始めた行為が伝播し、集団心理へと変わっていく。
このまま民間人に取り囲まれる訳にはいかない――そんなロロベニカが懸念を抱くの中、ちょうど王国軍兵士が近づいてくるのに気がついた。
彼らに民間人の避難誘導を任せ自分は護送任務に戻ろうと考える。しかし王国軍兵士は、民間人と一緒になってロロベニカに賞賛を向けてこようとするので「先に彼らの避難を!」一喝する。
幸いにして王国軍兵士はきちんと状況を理解してくれたようで、ロロベニカを取り囲もうとしている人々を散らし避難誘導をしていく。
周囲に一般人がいなくなるのを確認し、駆けつけた王国軍小隊の隊長を呼ぶ。討伐した怨人の後始末は王国軍に任せつつ、失った足を確保するため再度馬を借り受けようと考えていた。
最悪、乗り捨てられた馬を使う手もあるが、軍用に訓練された馬の方が扱いやすく、道中のリスクは少しでも減らしておきたい――と考えたためだ。
そう――この時のロロベニカは事後処理と護送任務の遂行に思考が奪われていた。
よもや『降下してきた怨人がもう一体いる』とはつゆほどにも思っていない。
現在ロロベニカのいる大通りの車道は広い。
しかし、ひとたび脇道に逸れると小道裏道が入り組み、兵士向けの宿舎が立ち並ぶ。
そしてこの辺りは少し前に派兵期間が終わったため今は無人の一角だ。だからこそ、ロロベニカは怨人を倒壊した建物で動きを封じるという選択ができた。もし建物の中にも人が取り残されていれば、そのような戦い方はできなかっただろう。
だがしかし、無人だからこそ、ソレに気がついた者はいなかった。
細道を総当たりするように伸びていた腕があった。
それは降下してきたもう一体の怨人によるもので、まるで何かを探しているかのように、まんべんなく触手のような手を伸ばしている。
その内の一本が小道から飛び出す。
そして、目にもとまらない速度でロロベニカの背後に迫っていた。
*
「副団長ッ!!!」
生き残っていた3人の騎士。
その中で唯一の男性騎士が声を荒らげる。
その逼迫した口調にロロベニカは納刀した剣の柄に手を添えながら振り返ると、すでに目の前には身の丈の倍はあろうかという怨人の手が迫っていた。
思考する猶予は残っていなかった。
そして考えるよりも先に体が動いていた。
体をねじりつつ、大きく前に踏み出しながら前転する。
指を最大まで広げた怨人の手、その指と指のわずかな隙間に体をねじ込んだ。
怨人の指の隙間に入り込み回避すると、間髪を入れず前転途中の体勢のまま抜刀し怨人その手首を切り落とす。人間の胴よりも太い手首はロロベニカの卓越した剣戟によってきれいな断面が露となり、濁った血を噴き出す。
本体から切り離された手は、回避できなかった王国軍の小隊長を巻き込み近くの建物に追突した。
ロロベニカは体勢を整え、小隊長が即死したことを把握しつつ、今は目の前の新たな脅威に全ての神経を集中させる。
腕は鞭のように波打つ。
常人ならば、それだけでも命を落としかねない脅威だ。しかしロロベニカは、今度は余裕を持って回避すると、腕の根元へと斬撃を飛ばして切断する。
再び斬られた腕が路地裏へと戻っていく。
ロロベニカがその腕に追撃をしなかったのは、他の死角から攻撃される可能性を警戒したためだ。それよりも、怨人の本体を探すべく索敵術式の範囲を広げていく。
すると、すぐに本体の位置が判明する。
その直後、住宅街の奥から怨人が起き上がり、索敵術式の必要がなかったと思えるほどの巨体を露わにする。
その個体はまるで毛糸の玉のように長い腕がぐるぐる巻きになった怨人だった。怨人の腕が迫ってきたのは伸びたのではなく、本体を回転させながら絡みつく腕をほどいていた様子だ。事実、周囲の建物よりも頭一つ高く、顔を出した怨人は腕を回収するために回転している。
腕のスキマからは無数の目と口をのぞかせ、唾液らしき液体を撒き散らしている。
その個体は重力を無視するかのようにゆっくりと宙に浮き上がった。
翼は無いが、間違いなく飛行型の怨人だ。
ロロベニカは危機感を覚える。
すでに消耗は激しい。先ほどと同じような攻撃はそう何度も行えない。加えて攻撃を加えたことで怨人の矛先がすでにロロベニカに向いている可能性がある。今度は悠長に魔法の準備する時間がないかもしれない。
さらに怨人までの距離がそれなりにある。相手は飛行型の怨人であり、今なお上昇しつつある。跳躍で届かない距離にまで昇られれば、討伐は難しくなる。
そんな折だった。
ロロベニカはこれまでに感じたことのない魔法術式の気配を感じとる。
魔法や鬼道には独特の気配があり、それを感じ取れるだけでも相当な練度がいる。だがさらに練度を高めると、同じ術式を発動したとしても気配に個人差があることに気がつけるようになる。
それはごくわずかなもので、術式に対する深い造詣と感性、繊細さが必要になるが、ロロベニカはその領域にいた。
そして、その魔法術式の気配が気心しれた騎士のものでも、王国軍兵士のものでもなかった。
「いけません! 今は安静に――」
魔法の発生地点は、騎士ムニファスのすぐ隣だ。ロロベニカが目をやると、ムニファスが護衛対象にそう声をかけていた。




