[33]MEA-564-Re|怨姫
『そんな……おかしい! なぜ――なぜ、そこから!?』
ミグは困惑し思わず声を荒らげる。
怨人に知性がなく、見つけた獲物を一直線に襲ってくる。そのため至誠たちを追って城塞都市にまでやってきた個体であれば、他の怨人と同じ方角からやってこなければ辻褄が合わない。
『これじゃまるで、都市の戦力が正面に集中するのを待ってから側面へ奇襲を仕掛けたような……そんな戦術的なこと、怨人がするはずは――』
ミグは息をのみ、『まさか――ッ!』と、何か心当たりがあるのか、不穏な口調をもらす。
『……怨姫が、……いる?』
至誠ははじめて聞く単語だ。
ヴァルルーツも知らなそうな表情を浮かべている。
怨人には怨姫と呼ばれる特殊な個体かなにかがいて、その特殊個体には知性があるのかもしれない――と、至誠はミグの独り言から推察する。
だが、その推察が合っているかどうか至誠は確認できなかった。
それほど、場の空気が緊迫しているためだ。
「ベージェス。西方戦線へ急行、死守してください」
「ハッ」
至誠が逡巡している間に、ミラティク司祭が出撃を命じる。ベージェスは即座に部下を連れて動き出そうとする。
「『お待ちください!』」
それを制止したのは至誠を介したミグだった。
「『方角やタイミングが怨人にしては異質です』」
間髪を入れず言葉を続けるミグに、ベージェスは足を止めて振り返る。同時に、ミラティク司祭や他の騎士たちも至誠の方へと視線を集中させる。
「『もし万が一、怨人の中に女型の小型怨人がいた場合は注意して下さい。我々はそれを怨姫ないし姫個体と呼び、知性を有した怨人か、怨人を模した人型彁依物であると考えています。特徴は目、胸部、局部を手のひらで隠していて、側頭部から2本、腰から1本、身の丈ほどの巨大な腕が生えています』」
ミグが一息に告げると、ベージェスは「情報、感謝する」と端的に答え、そして部下と共にテラスを飛び出した。
至誠がその背中を目で追っていると、ベージェスは空中を駆け衝撃波を生み出す程に加速して怨人の迫りつつある西北西に急行する。
その先には、頭部が百足のように数珠つなぎになっている超大型怨人がいる。その個体は城壁に向けて突進していたが、ベージェスの術式の気配に誘われたのか、先端にある頭部を持ち上げた。
そのまま進めば壁を突き破り瓦礫を都市内にまき散らし多大な被害が出ていただろう。だが先頭の頭が上がったことで、怨人の動きが壁を乗り越えようとする動きに変異していた。
*
突如として最前線となった西方地帯。
その城壁にいた王国軍兵士たちは持ちうる限りの手段を使って攻撃を続けている。しかしどれも百足のような超巨大な怨人には威力が不足している。
なにせ精鋭や主力部隊の多くが南方面に集められている。東方や西方の壁上に配置された部隊は、もし怨人に壁を突破された際に壁内に侵入した怨人を攻撃・駆除するのが任務である。
すなわち、実質的には予備戦力だ。
主力部隊と比べると練度に劣る。
そのため、超大型怨人に対して攻撃力は明らかに不足していた。身を挺して止めようにも、超大型怨人のサイズや質量はあまりにも巨大だ。
その超巨大な体躯が悠々と空堀を乗り越え、城壁に迫る。
数珠つなぎの頭部。その先端にあるのはやつれた女のような顔。その口が開き、兵士を、住人を、まるで都市ごと丸呑みにしてしまわんと目と鼻の先にまで差し迫る。
「――ッッ!!!」
恐慌状態に陥った兵士の行動は主に三種類に大別される。
思考を放棄してがむしゃらに同じ攻撃を続ける者。
腰が抜けて動けなくなる者。
そして、背を向けて逃げはじめる者。
怨人という巨大な存在は、ちっぽけな人類なんかでは抗うことのできない存在なのだと生存本能をかき立てられ、王国軍兵士の間に恐怖とパニックが伝播していく。
そして。
超大型怨人は城壁に到達し、その脚のひとつを城壁にかける。城壁上部にヒビが入り、逃げ遅れた兵士がその衝撃に巻き込まれる。
と、次の瞬間。
爆発音とも破裂音とも違う、大質量同士の物体がぶつかったかのような鈍い音が一帯に広がり――。
直後、圧倒的な質量を誇る怨人が仰け反った。
壁上の兵士たちへ、身体の芯にまで響くような衝撃波が到達する。
怨人の恐怖に飲まれていた多くの兵士はその瞬間を見逃したが、運良くその光景を見ていた者もいた。そして彼らは、総じて口をあんぐりとさせるしかなかった。
過去例を見ないほどの超巨大な怨人を、騎士団団長のベージェスが盾で殴り飛ばしていたのだから。
超大型怨人の体躯は空堀を超え、さらに不浄之地まで押し返し返されると、白い土煙をあげながら倒れ込んだ。
しかし怨人は絶命していない。
すぐに体をうねらせ体勢を戻そうと動き始める。
ベージェスは間髪を入れず空中を跳躍し、怨人の直上に陣取ると、武具に込められた術式を起動する。
直後、数珠つなぎの身体全てを両断するように一閃。放たれた斬撃は巨大な体躯を縦に両断後、ベージェス自身も一気に急降下、斬撃の範囲外にあった怨人頭部を切り裂いていく。
その後。
ベージェスの攻撃によって生じた轟音と衝撃波が過ぎると、静寂が訪れた。
兵士たちは恐る恐る顔を起こし、その様子に目を向ける。
そして、ある者はすぐに思い出し、ある者はその場で理解する。
精鋭と呼ばれる兵士がいる。そんな精鋭が束になっても勝てないような天才が世の中にはいる。しかし、そんな天才たちをもってしても覆せないほどの戦況を、圧倒的なまでの劣勢を、その身ひとつでひっくり返す者がいる。
人を超越せし、圧倒的な武力の持ち主。
それが「英傑」であると。
ドッと王国軍兵士の歓声が響き渡る。
ベギンハイト三英傑のひとりにして、最も高潔で泥臭い英雄、騎士団団長ベージェス・ムラギリウスが都市の危機を救ったのだ――と。
*
ベージェスは背後で喝采する王国軍兵士たちの歓声には応じず、黙々と超巨大怨人の死滅を確認し、周囲を警戒する。
後詰めの騎士たちが現場に到着すると、ベージェスは武具をおおざっぱに振るう。その衝撃波によって周囲のオドを吹き飛ばし視界を確保していくと、3体の中型怨人が姿を現した。
後詰めの騎士たちが即座に対応を始めるなか、ベージェスはその討伐を部下に任せ、さらに広い範囲に警戒を広げていく。
そして、ある存在に気がついた。
人影だ。
不浄之地では霧のように可視化するほど高濃度なオドが点在している。
ベージェスはそんなオドの霧の中に人影を見つけた。
いつもならば小型の怨人程度にしか思わなかっただろう。何せ、先ほどまで城壁を軽々乗り越えるほどの怨人を目にしていたのだ。ベージェスとさほど変わらない身長の怨人であれば、小型の怨人と判断できる。
だがその怨人は、頭部から太く長い腕が生えているようなシルエットをしているが、胴体が女性的なシルエットをしているのが気になった。
――よもや……。
ベージェスが眉をひそめたのと同時に、シルエットを覆い隠すように巨大な影が浮き出ると、直後、オドの霧から別の大型怨人が出現した。
*
ミグは緊迫を声音に乗せながら至誠とヴァルルーツを呼び止める。
『2人とも、もし本当に姫個体――怨姫がいた場合は……何を措いても即時撤退、現状のまますぐにレスティア皇国に向かう。覚悟しておいて』
「――っ! し、しかし、まだ――」
ヴァルルーツの声は小さかったが、動揺があふれ出ていた。
リッチェが教会に引き渡されることが決まっている。それが履行されれば、彼女を助けられる可能性がぐんと高まる。しかし今すべてを投げ出してレスティア皇国へ逃げ帰るということは、リッチェのことは見捨てるということに他ならない。
『悔しいけど、怨姫はウチらがどうにかできる次元じゃない。知性を持ち、全ての怨人を従えていると言われてる。そして古い文献によれば、太古の昔、怨姫率いる数百万体の怨人が侵攻してきたことでいくつもの国が滅んだことがある』
城塞都市ベギンハイトでは王国軍の奮迅もあり、100体程度の怨人の侵攻に対し踏みとどまっている。
だがもし、数十万、数百万、あるいはさらに膨大な数の怨人が大挙して押し寄せてきたら……辺境の城塞都市など1日と保たず蹂躙されて終わることになる――とミグは予測する。
加えて、脅威はそれだけではないらしく、ミグは戦慄くように言葉を続ける。
『怨姫はここ数百年、目撃情報すらないからウチも記録でしか知らない……けど、十中八九、怨姫単体でもヤバイ存在なのは間違いない』
その理由を、レスティア皇国の記録を引き合いに出しながらミグは語る。
『リネーシャ陛下が古の勇者と組んで怨姫を撃退したという記録が残ってる。それによって、怨人の大規模侵攻から世界を救った――ってね。けど裏を返せば、地上最強といわれる陛下ですら怨姫を殺しきれなかったってことだよ』
その言葉に、最も息を飲んだのはヴァルルーツだ。
『英傑が何人いたって話にならない。相手は神話の領域――それも、神格の中でも最上級に位置するような存在。ウチらのような凡人の出る幕は、ない』
ヴァルルーツの引きつった表情から、どれだけヤバイ話なのか至誠も類推する。
『だからもし、怨姫が直々に攻めてくるような事態であれば、何をおいてでも逃げの一手――これしかない。リッチェのことは……諦める』
この判断は絶対に譲れない――と、ミグは断腸の思いで自分と至誠に釘を刺した。




