[18]交渉のテーブルへ
至誠とミグは、まずはラザネラ教会との交渉を以てテサロとヴァルルーツを助けることを優先することにした。
リッチェの安否は非常に気がかりだが、ここで下手に動いてはラザネラ教会との対話の目が失われるだろう。衝動と感情に身を任せ、無暗矢鱈な選択をすれば、全員を失いかねない。
そんな最悪の結末は避けなければならない。
交渉の中で「ラザネラ教会経由でリッチェの身柄を引き渡す」といった合意を飲ませられるように持っていければ――そんな至誠の思案の間に、さらに城壁を通り過ぎ、騎獣はさらに頂上へ向けて進んでいく。
ミグが口を開いたのはその直後のことだった。
『騎士の方の英傑を見つけた。名前は確か……ベージェスだったっけ。方角的に、たぶん教会堂で待ち構えているみたい』
ミグは至誠にだけ聞こえる声で状況を教えてくれる。
不思議とその声音は心なしか軽そうだった。
『うん、こっちは正道の強さって感じだね』
正道の強さ。すなわち彁依物と言った存在に依存しない強さを持っているようだ。逆を返せば、それだけの長い研鑽と場数を踏んでいると言うことだ。
それはそれで恐ろしく強いのだろうと想像し、至誠は口元を手で覆いながら小声で問いかける。
「もし戦闘になった場合ですが、勝てそうですか?」
『勝てるかは……勝負は時の運だし、英傑と言っても実力はピンキリだから断言はできない。ただまぁ彁依物よりはやりやすし、戦うことに集中できるぶん、気は楽かな』
至誠が納得していると、ミグは『ただまぁ』とトーンを落とす。
『もし誰かを人質としてとられながら戦うとなると、状況はかなり厳しいだろうね』
それは実力行使となった場合に限らない。
目の前で誰かが人質として取られながら交渉の席に着くケースも想定はしているが、その場合はまともなかなり不利な立場に置かれるだろうと至誠は覚悟している。
『こういうとき、テサロが戦える状況なら楽なんだけどね……。テサロはウチよりも断然強いし』
最後の台詞は自虐的な笑みが添えられていたので、至誠も緊張をほぐすように少しだけ軽口を叩く。
「僕よりは強いので自信を持って下さい」
『確かに』
ミグは軽口に乗ってくれて笑いながらそう答えた。
お互いにひとしきり笑みをこぼした後、ミグは気合いを入れ直すように『でもまぁ』と至誠を持ち上げて鼓舞する。
「ウチは政治のような権謀術数渦巻く中で生きてきたわけじゃないから、正直そっちは自信がない。頼りにしてるよ』
至誠としてもそんな自信はないのだが、しかしそれでも死力を尽くすしかない。失敗したときの対策は考える必要があるが、失敗に怯えていては萎縮するだけだ。謙遜も自虐も、今はしない方がいいだろう。
そのため至誠は、自分を奮起させるように「頑張ります」と答えた。
『もしも恫喝されたり、一触即発の雰囲気になったとしても至誠は堂々としてていいよ。いざとなったらウチが何とかするからね』
「その時はお願いしますね、先生」
そんなおり、ひときわ大きく豪勢な建造物が見えてくる。
この都市でこれまで見てきた建物の中では最も豪華絢爛で、それが教会堂であることは素人目にもすぐに察せられた。
教会前の広間に到達すると、周囲の騎士たちは散開し、距離を取る。
どうやら周辺を警備している騎士に合流するようだ。
当然、その警戒対象は至誠とミグだろう。
前方にロロベニカと後方にルグキスだけが残り、教会入り口へ近づく。周囲には何十人もの騎士がこちらを警戒しているが、教会を彩る豪勢な正門扉、その前にひときわ大きな体格をした男性の騎士が仁王立ちしている。
魔法や鬼道の気配を察することのできない至誠でも、その鋭い視線が突き刺さっているのを感じる。
彼が英傑級の騎士だろう――と思わせるには十分なほどの気迫だ。
年齢は一見すると四十代ほどの彫りの深い壮年男性で、人と相違ない外見をしている。強面というほどではないが、厳つい顔立ちからはベテランの騎士に相応しい重厚感が感じ取れる。
そして口火を切ったのはベージェスだ。
「天上の導きに感謝を。私はラザネラ教ロゼス王国ベギンハイト支部教会騎士団団長のベージェス・ムラギリウスだ。――報告は受けている。部下が、いぶんと世話になったようだな」
その口調は落ち着き払っているが、言葉の端々から覇気を感じる。いや、怒気だろうか。少なくとも、一切の油断のない警戒を向けられているのを肌で感じる。
そんな騎士団長と面と向かえば、たいていの常人は思わず萎縮してしまうだろう。
だが至誠は、妙に親近感を覚えた。
彼の落ち着いた話し方や身長、体格や年のほどが、ちょうど父親に近く感じられた。だからだろうか。至誠は自身が思っていたよりも緊張することなく、すらすらと言葉が出てくる。
「本日はお忙しい中このような貴重な機会を設けていただき誠にありがとうございます。至誠と申します。本名が必要であればミグ・レキャリシアルですが、今は至誠と呼んでいただけますと幸いです。また、あいにくラザネラ教における礼儀や作法には疎く、お見苦しい点はあるかと存じますが、平にご容赦ください」
至誠は敵意がないことを最大限表すための笑顔を浮かべる。あまりやり過ぎると胡散臭くなると思ったので、できるだけ自然体で臨む。
それを見下ろすベージェスの視線がさらに鋭く貫いている。
「……では、案内しよう」
ベージェスはそれ以上何か言うわけでもなく、至誠に背を向けると教会の扉を開けて中へ歩き出す。
至誠は彼のあとを追い教会堂に足を踏み入れるが、スティアの体が至誠とベージェスの間に割り込む方が先だった。
ミグがベージェスに対して警戒しているのが分かる。
背後からはロロベニカとルグキス、他数名の騎士もついてきているが、ミグはその他大勢よりも、ベージェス一人の方が脅威だと判断している様子だ。
その間に至誠は周囲を一瞥する。建築技術に関する知識は乏しいため適切なたとえが出てこなかったが、素人目でも多額の建築費と膨大な時間、そして妥協なき手間暇をかけて建てられていると理解できる。
至誠は親戚の結婚式でキリスト系の小さな教会に行ったことがあるが、その時の建物とはまるで規模も迫力も違う。建物の大きさも桁違いであり、室内の装飾もどこぞの世界文化遺産だと言われても納得できるほどの精細さと豪華さをしている。
もしこれが観光ならば、その壮大さに感嘆の息をこぼしただろう。だが今はその余裕はない。至誠はそのことを残念に思いつつ、同時に、これだけの建築を行えるラザネラ教の巨大な権力の一端を見せつけられたような気がした。
*
足音だけが響く静寂を打ち破り、至誠は「ところで」と問いかける。
「不幸な行き違いがなければこちらが対話を望んでいると旨、既にご承知かと思います。それはこれから対応いただけると考えて、問題ないでしょうか」
ベージェスは至誠を一瞥するが足を止めることなく肯定し、同時にその相手が自分ではないことを告げる。
「ロゼス王国から『ベギンハイト家領主代理ガルフ・ベギンハイト』氏が、ラザネラ教会からは『司祭補佐シルグ・ヴィレタス』様が対応なされる」
ベージェスが至誠を一瞥する。
その視線の奥で、彼が何を思っているのかは分からない。
くれぐれも早まった行動をしてくれるな――と言っているのか、さっさと問題を起こしてさっさと力ずくで対応させろ――と言っているのか、そのどちらかな気がした。
『司祭補佐か……結構上の方だと思うけど、どのくらいの地位だったかな……』
ミグが脳裏でつぶやいたのを受けて、至誠はベージェスに問いかける。
「失礼ですが、司祭補佐というとどの程度の立場の方か、伺ってもよろしいでしょうか?」
ベージェスはため息の一つでもつきたそうな間を開けた後、口を開く。
「ここのような支部教会を任されているのが司祭様だ。司祭補佐という階位は、司祭様に次ぐ地位となっている」
その言葉が正しければ、どうやらこの教会堂内におけるNo.2らしい。
『一番上が出てこないのはこっちの能力を警戒してのことだろうね……。最悪の状況になった場合は一番上を乗っ取れば――とも思ってたけど、さすがにそうは問屋が卸さないか』
言葉を交わしながらも一行は豪勢な廊下を歩く。
途中にいくつか扉があったがそれは素通りしてきたが、次に見えてきた扉の前には精強な騎士が二人立っていた。
一行が到着すると扉を警備していた騎士は無言で扉を開け、中へ通してくれる。
室内はかなりの広さがある広間になっている。部屋の中心に2列の長机が鎮座し、椅子が4つ用意されている。空席の数からして至誠とスティアの分のようだ。そしてミグの寄生能力を警戒してか、机同士の距離が開いている。
対面の席にはすでに2人座っていた。
1人は30代後半を思わせる凜とした男性で、貴族を思わせる豪華で細かい刺繍と装飾がなされた服を着飾り、その上から厳めしく外套を羽織っている。
もうひとりの女性も同年代の印象を受けるが、整った顔立ちの中に疲労がうかがえる。その服装は隣の男性に比べて軽装に思えるが、やはり細かい刺繍や装飾が豪華さを主張している。
交渉相手が2人なら、グッドガイ・バッドガイ――片方が強い要求や態度を示し、もう片方があえてそれを制し仲裁する体を装って相手に要求を飲ませようとする交渉術――に注意が必要だ、と至誠は肝に銘じつつ、周囲の様子も確認しておく。
交渉相手の2人の後ろには護衛が4人立っている。その金属鎧のデザインから、女性側に立っているのは騎士で、男性側に立っているのは王国軍兵士のようだ。
――となると、女性が教会の司祭補佐で、男性が領主代理かな?
室内には他にも大勢いるが、そのほとんどが壁を背に立ち、こちらに鋭い視線を向けている。七割ほどは騎士で、二割が兵士、残りは司祭補佐と同じような服装をし、部屋の隅で机に向かっているので教会の職員か何かなのだろう――と至誠は理解する。
「どうぞ」
シルグ司祭補佐はそう呼び掛け、至誠とスティアに着席を促す。
至誠はこの世界の礼儀作法は分からないが、自分なりに敬意と礼儀は込めた所作で近づき、椅子に座る前に口を開く。
「この度はこのような貴重な場を設けていただき、厚く御礼申し上げます。レスティア皇国、眷属所属、ミグ・レキャリシアル――今は至誠と申します。よろしければ至誠とお呼びいただけますと幸いです」
至誠は自分とミグの名前をあわせて告げる。
今はまだミグという流血鬼の存在を開示するタイミングではない。かといって、レスティア皇国へ照会を促すのであればミグの名前は必要になってくる。
故に、本名が『ミグ』で、『至誠』はあたかもコードネームであるかのように名乗る。
「我らが天上の御導きによって暗雲に一縷の光が差し込みましたこと、万感の思いでございます。シセイ様、どうぞ平平たる安寧を崩されませんよう足元にはお気を付けておかけ下さい」
司祭補佐であるシルグが挨拶を返してくるが、難しい言い回しを多用する。
はじめの「我らが天上の御導きによって」までは初対面の挨拶のようだ。似たような言葉をベージェスも言っていた。
その後に続く「暗雲に一縷の光が差し込んだ」は、問題が起こっている中でようやく進展があったと意味した定型文だろうか?
そこから「万感の思い」って続くのは、良くない感情をたくさん持っていますよという意味で合っているだろうか? あるいは、これだけの問題を起こしておいてよく顔を出せたな――的な意味合いだろうか?
最後の「安寧を崩さないように足元に気をつけろ」というのは、椅子に座るのを催促するだけではなく、これ以上問題を大きくするような言動には十分に気をつけろ――と含んでいるのだろうか?
これが教会や貴族の用いる言い回しなら、実に面倒くさい。まず相手の言葉の意味や意図を探るところから始めなくてはならないからだ。
だが元貴族であり騎士であるスティアの言葉づかいや、ベージェスやロロベニカの口調とはだいぶ違っている。
ならばこれは教会や貴族といった上流階級における言葉、それも公式の場で用いる言葉遣いなのだろう。
至誠も可能な限り合わせた方が良さそうな気がしたが、すぐにメッキが剥がれるのは目に見えている。意図が曲解して伝わるリスクを鑑みれば、可能な範囲で丁寧に対応するのがいいだろう――と結論づけた。
そんな至誠の思案の最中にも、シルグの言葉は続く。
「申し遅れました、司祭補佐のシルグ・ヴィレタスと申します。どうぞシルグとお呼び下さいませ。そして天上より賜った安寧を確乎として抜くことなく、ラザネラ教ロゼス王国ベギンハイト支部教会を代表し、用向きをお伺い致します」
シルグ司祭補佐は刺すような視線を向けながらそう名乗った。




