[9]流血鬼の恐ろしさ
同年代くらいの若い兵士をなぎ倒すミグに対し、至誠は呆気にとられ、少し間を空けてから告げる。
「あの、ミグさん」
『ん?』
「前科がつくことも厭わないと言った手前とても言いにくいんですが――極力、手荒なことは控えてもらえると助かります」
至誠がミグとの会話が一段落した頃、近くでなにやら言い争っている声が聞こえてきた。裏路地はL字に曲がっていて、その角からこっそりと様子をうかがうと、3人の男性がいた。
1人は、純粋な人と同じ容姿をした男性だが、金属鎧を身につけている。身なりからして兵士か、それに類する業種だろう。
残りの2人はチベットスナギツネのような顔をした筋肉隆々な獣人男性と、鶏のような顔をした獣人――いや鳥人と呼ぶべきかもしれない――男性だった。
至誠は兵士がひとりになったタイミングを見計らって声をかけた。
目的は情報収集だ。
だが男は応じず立ち去ろうとした。
逃げだそうとした、と表現する方が適切かもしれない。
それに真っ先に反応したのがミグで、至誠の体を駆使し、逃げる男の足を引っかけて転倒させ、そのまま取り押さえていた。
男も驚いただろうが、なにより驚いたのは至誠だ。
『もちろん無用な暴力は振るわないよ』
ただ彼の場合――とミグは、凶行に及んだ理由を説明する。
『今の反応からして至誠に気がついてたと思う。昨晩、怨人を招き入れた元凶、もしくはその関係者だ――って』
挙動不審な彼の言動を思い返してみると、確かに一目散に逃げようとしていたようにも見えた。
ミグは、昨晩はできるだけ見られないように立ち回ったつもりだったけど――と、ぼやきつつ懸念を口にする。
『もう至誠の面が割れている前提で考えておいた方がいいかもね』
昨晩の至誠は途中で意識を失った。
そのため実際にどうかは分からないが、その憂慮は理解できる。
しかしその上で、至誠は「ですが――」と意見を述べておく。
「ラザネラ教との交渉時に『業務上過失』という文言が使えなくなるのは避けたいので、そこは可能な限りお願いします」
怨人を引き寄せてしまったことは過失かもしれないがその後の都市内における犯罪は違いますよね――などと言われかねない行動に出れば、自分たちの首を絞めることになりかねない。
ミグもそれは理解しているようで『そうだね、善処するよ』と相づちをうちつつも、『とはいえ――』と続けて意見を述べる。
『完全な非暴力というのは難しい。交渉は事前準備と情報料、そしてパワーバランスが大事だからね』
理想論で言えば対話で全ての問題を解決できればそれに越したことはない。しかし実際、ミグの言うことは正鵠を射ている――と至誠も感じる。
特に問題なのはパワーバランスだろう。そこの均衡が取れていない状態では交渉の席につくことすら困難だ。片方が圧倒的な力を持っていると、それはもはや交渉ではなく脅迫と呼ぶ方が相応しい。
もしこちらの力が圧倒しているのであれば、それでリッチェやテサロ、ヴァルルーツを楽に助けられるかもしれない。
だが相手の方が圧倒している場合は、逆に抑え込まれ一方的に処断される可能性が高い。今はミグが兵士を取り押さえているが、次の瞬間には自分たちがその立場になっている可能性だって充分にある。
「ミグさんとしては、現状のパワーバランスはどう思いますか?」
『後ろ盾となるレスティア皇国の威を使えば、かなり有利な立ち位置を取れるとは思う。けど、相手がそれを信じるかは別問題だし、脅迫と受け取られて態度を硬化させるかもしれない』
政治的なパワーバランスは優勢だが、扱いは細心の注意を払う必要がある――とミグは語る。
ミグは続けて、もっと直接的な武力の話に移る。
『戦力としては、現状ウチらはかなり不利だね。こちらは補給も退路もなくて、相手には地の利もある。それに、英傑と呼ばれるような兵士が最低2人いたのは確認した。英傑を同時に相手するのは、正直かなり厳しい』
「英傑――ですか?」
『そう。ああそうか……至誠には馴染みがないよね』
と、ミグはこちらの世界特有の言い回しをしていることに今気がついたようだ。
「字面から、かなりすごい力を持っていそうなイメージはあります。強さを格付けした概念――ってことですよね?」
『そうだね。戦いはコンディションとか時の運も絡むから、あくまで参考程度の話なんだけど、一般的に強さは五段階に分類して語ることが多い。例えば英傑と呼ばれるランクは上から2番目で、ウチもここに属してる』
「つまりミグさんと同格の強さを持つ相手が、この都市には2人いるってことですか?」
『正確には、最低2人だね。昨晩ウチが目撃したのは2人だけど、都市全体として何人いるかは分からないし、何だったら最上位の神格と呼ばれるような相手がいる可能性がある』
神格と呼ばれる強さは、時代によっては神と崇められてもおかしくないほどの強さを持つ者を意味し、リネーシャやエルミリディナはこの領域にいるとミグは補足する。
戦闘能力における格付けは下から「常人」「精鋭」「天才」「英傑」そして「神格」となるらしい。
戦いはコンディションや相性、時の運によっても結果が変わることから、ゲームのような分かりやすい数値化した形式ではないようだ。
――強引にJRPG風に落とし込むなら、常人がレベル1で、精鋭がレベル20、天才がレベル40で、英傑がレベル60。神格が80以上って感じかな?
などと考えるが、しかし至誠は格による強さの違いについて実感できていないのでイメージはふんわりとしたままだ。
『話を戻すと、現状のウチらは英傑級の戦力がひとり。対して相手は倍以上の戦力に加え地の利も増援も補給も有利で、直接戦闘となった場合は分が悪い。戦力差を埋めるには、非人道的な手段が必要になってくるだろうね』
少し前にミグが語っていた、流血鬼という種族の特性を生かした非人道的な強化方法――それを選択すれば戦力的には一時的に好転するだろうが、一時しのぎにしかならず将来的には自分たちの首をさらに絞めることに繋がる。
『できればその選択はしたくないから、まずはブラフを用意しておきたい』
ミグの語るブラフはこうだ。
流血鬼が体を乗っ取るためには制約がある。体を乗っ取るには核となる部位を体内に侵入させる必要があり、通常は核はひとつしかない。そのため1人の体を乗っ取るのが関の山だが、ミグはこれが3つある。
3つの核の内、ひとつは至誠に、ひとつは治療のためにテサロの体内にある。つまり、残りひとつの核が空いている。
その核を使い、この都市にいる第三者の体を乗っ取り、ミグが2人いるように見せる――すなわち英傑級の戦力が2人いるかのようにブラフをかけるというアイデアだ。
これにより都市の英傑が2人ならばパワーバランスは均衡に近づき、他にいても交渉において見せ札は多いにこしたことはない。
ミグは説明を終えると同時に、取り押さえていた兵士を解放する。
「もしかして、彼の体を……もう乗っ取ったんですか?」
『うん――実際は取り押さえた瞬間にね。常人相手なら1秒くらい触れられれば支配できる。――もちろん相手が強ければこうは簡単にいかないけどね』
「なるほど……かつて流血鬼という種族が恐れられた片鱗が見えた気がします」
この世界には魔法や鬼道あり、多種多様な種族がいる。
昨晩から至誠が目にしてきた吸血鬼や魔女はいずれも個人が持つには強大すぎる力を持っているように感じられた。
だがおそらく、それはこの世界においてはかなりの上澄みだろう。
一般庶民レベル――すなわち至誠のような常人にとって、1秒ほど触れられれば簡単に体が乗っ取られてしまうというのは恐怖しかない。
『もちろん無差別に民間人を襲うようなことはしないよ。狙うのは兵士か騎士に限定するつもり』
「ラザネラ教としては、体を乗っ取ることに対し抵抗感というか――態度が硬化したりしませんか?」
『もちろん快く思わないだろうね。それでも軍人と民間人、どちらに手を出した方が心証が悪いかと言えば、後者なのは間違いない。だから、こちらから手を出すとすれば軍人に限定するつもりだよ。軍人は、命をかけるのも仕事のうちだからね』
世知辛い話ではあるが、ミグの語る優先順位に対し反論は思いつかなかった。
――せめて志願兵だといいんだけど……。
と、目の前の若い兵士が、無理やり徴兵されているわけではないことを願いつつ、至誠は話を進める。
「分かりました。ちなみに、流血鬼による支配後には後遺症はありますか?」
『解放後は特にないよ。支配している間にケガさせたらその限りじゃ無いけど――』
昔の流血鬼は体内に侵入後、宿主の脳や脊髄を破壊して物理的に制御していた者もいたらしいが、ミグの練度と技術をもってすれば後遺症は全くないらしい。
「いや、内部から脳を破壊するとか……」
『ヤバイよね……。結局、一部の流血鬼が好き勝手したせいで今じゃ絶滅危惧種だよ』
まったく――とミグは肩をすくめるが、しかし今はその流血鬼の特性というのが現状を打開するために必要不可欠な要素のひとつにある。
――僕には批判する資格はないだろうな。
などと思っていると、目の前の兵士が目を開き、そして突然しゃべり出す。
「『ちなみに、こっちでしゃべることもできるよ』」
「――!?」
と、兵士の声とミグの声が重なって聞こえてくる。
「『ごめんごめん、いきなりで驚かせちゃったね。乗っ取った相手になりすまして動けるってのも、流血鬼が恐れられた特性なんだよね。ただ現状では、至誠が独り言を言い続けるような怪しい仕草をカモフラージュできるくらいかな。下手になりすませば交渉において心証を悪くするだけだろうし』」
と、ミグは若い兵士の体を使って身振り手振りを加えながら言葉を返す。
これまでのミグの言葉は脳裏に響くだけだった。これに至誠が返事をすると、対外的に見れば独り言をブツブツと言い続けるヤバイ絵面だったはずだ。それが改善できるというのは大きいだろう。
「それって、僕の体を使ってしゃべることもできる――ってことですか?」
「『できるよ』」
と至誠の疑問に返事をしたのは至誠の口だった。
「これは……不思議な感覚ですね」
恐ろしく感じるのは否定できないが、それでも現状では頼りになるという感情のほうが上回る。
「もし僕が知らないことがあったら、代わりに話して貰えますか?」
「『分かった。基本的には従来通りか、こっちの体を使ってしゃべるけど、代わりにしゃべって欲しいときは何か合図を送って。合図を決めておこうか』」
と、ミグは若い兵士の体を使って提案する。
*
いくつかの合図を決めた後、今後についての話をミグはさらに深掘りする。
「『一度状況を整理するよ。最終的な目標は、5人全員で無事にレスティア皇国に到達すること。そのためには、捕らわれている3人を助ける必要があり、ラザネラ教との交渉によって勝ち取る必要がある。最初の壁は、なにより交渉の席に着くこと。それまでに交渉材料やブラフの用意、パワーバランスの強化、情報収集といった準備が必要になる。ここまでは大丈夫?』」
至誠が「はい」と頷くと、ミグは再び口を開く。
「『まずは情報収集からだね。この体の持ち主に、いろいろと教えてもらおうと思う』」
「記憶をのぞくってことですか?」
「『いや、一回起こして尋問だね』」
記憶というのは案外、不確定要素が大きいとミグは語る。
時間とともに記憶は欠落したり変異したりする。勘違いや思い込みによって真実と異なる情報が記憶されている場合がある。
昨晩の不浄之地や先ほどのニコラ・テスラの一件のように視たい視覚情報と時間が確定している状況ならいざ知らず、広く浅く記憶を探ると言うのは難しいようだ。
少なくとも、莫大な記憶情報の中から探す手間も、情報が本当に正しいものか精査する時間もかなり必要になってくるらしい。
「『ウチは宿主の心理状態を察知するのが得意だからね。尋問して、返事に意図的な嘘が含まれていないか調べた方が効率よく情報収集ができるよ』」
至誠は「なるほど――」と理解を示しつつ、今は無関係な理解が脳裏をよぎる。
――つまり昨晩リネーシャさんたちと話していた時、そこに嘘がないか診られていたってことか。
思い返すと、昨晩のミグの口数は少なかった。
それに、これは口にするべきかどうか――と悩んでいた際に背中を押したのもミグだった。
今にして思えば、リネーシャたちとの会話で、至誠の発言に疑いの目を向けられたことはなかった。それはすなわち「至誠が意図して嘘をついていない」ことをミグが診ていたからなのだろうと至誠は察する。
――まぁ、今それを考えても仕方ないか。
と、頭を切り替え、現実に焦点を合わせる。
「『ってな訳で、尋問のために少しの間だけ至誠の体を借りたいんだけど、構わないかな?』」
「分かりました。ただ、できるだけ手荒なことはしない方向でお願いします」
「『もちろん善処するよ』」




