[3]ラザネラ教会 中編 - 兄弟弟子として
世界の外側に跋扈する怨人は、なぜか人類の生存圏たる『神託之地』を避ける傾向にある。しかし全ての個体がそうというわけではない。
ごく一部、奇行に走る個体も存在しており、そういった個体は神託の地へ襲来してくることがある。全体の総数からしてみればごく一部に過ぎないが、怨人は個体数があまりに膨大のため、人類からすればそれなりの頻度でやってくるように感じる。
故に怨人が神託の地へ襲来することは決して珍しいことではない。それらが内陸へ向かわないよう避雷針のように誘導・駆除するための前線基地は世界各地にあり、ここ、ロゼス王国の城塞都市ベギンハイトもそのひとつだ。
言うなればここは、人類の聖域を守る最前線だ。
ここ、ロゼス王国南西端にある城塞都市ベギンハイトは、不浄の地との境界にある小高い山に陣を構える形で作られた前線基地だ。
当初は『前線基地』といって過不足のない規模だったが、時代と共に拡張を続け、今では裾野近くまで続き人口は10万人を超えるほどの城塞都市に成長している。
最前線に聳えるのは巨大な城壁だ。大型の怨人をも凌ぐそれは、三重の壁が築かれ、その守りは鉄壁と言って差し支えない。
事実、数百年前に最外周の壁が築かれて以来、ベギンハイトでは壁が破られたことはただの一度もない。
――だが昨晩のように、飛行型の怨人に対しては壁は無力だ。
スティアは遠景に見える壁に視線を向けながらそう考える。
――ダメだダメだ。今は目の前の任務に集中しないと!
そう自分に言い聞かせ、スティアは前を見る。
騎士団の捜索班を展開したのが朝の7時前。
それからおよそ5時間弱。すでに日は頭上に昇り、そろそろ正午になろうとしている。
スティアは歓楽街の街並みを見渡しながら、ミラティク司祭の言葉を思い返した。ミラティク司祭の予見は当たることが多い。だが今回は空振りだったのか、未だブリニーゼ歓楽街の周辺で有力な情報はない。
しかしそれも無理はない。
ベギンハイトにおいて有数の大型の歓楽街は、客は勤務上がりの兵士が入れ替わり立ち替わり。特に酒場の多いこの歓楽街の客はたいてい泥酔状態。店員は注文の処理で大忙し。ただでさえ毎日が多忙なのに、昨日は怨人の襲来まで発生していた。直接的な被害はなかったが、非常事態に兵士たちが一斉に行動したうえ、酒の後押しもあり、昨晩は少なくない混乱が発生していた。
――これではまともな目撃情報など出るはずもない。
さらに怨人襲撃のその日だ。警戒が続く現状、当時現場にいた兵士は――一部の泥酔者を除き――職務に就くか宿舎で待機している。一般客も不安や自粛によって客足が遠のき、まともに聞き込みできるのは歓楽街の店員が中心だ。
それでも可能な限り聞き込みや、酔い潰れている者が侵入者でないかの確認、近くの宿屋の宿泊客や路地裏に潜んでいないかなど、考えられる可能性は入念に調べてまわった。
だが手がかりは全くつかめないまま、かつ密に連絡を取り合っている教会の方でもこれといった動きがなく、時間だけが過ぎていく。
これだけの時間があれば件の人物が回復している可能性が高まる。
ロロベニカ副団長は捜索範囲を広げ、隠れられそうな裏路地や浮浪者の多い地点も捜索するが、今のところ成果はなくただただ時間だけが浪費されていく。
*
「スティア」
部下へ指示を出しつつ情報を整理するロロベニカは、合間のわずかな時間を見つけてスティアを呼び止める。
「はっ、はいっ!」
副団長であるロロベニカは兎人の男性だ。体格や手足は人と相違ないが、全体としては兎要素が強く、頭部はほぼ兎の特徴とほとんど変わらない。
騎士として鍛え上げられた肉体は筋肉質ながら細身で、魔法を得意とし剣技にも長け、頭の回転も速い。まさに何でもそつなくこなす万能型の騎士だ。
「一度教会へ戻り、仮眠を取るように」
そんな彼の口調には配慮と呆れが含まれていた。
「えっ……い、いえ大丈夫です!」
そう声を張り上げるが、疲労と睡眠不足により思考力が落ちているのは明白だった。
「とてもそうは見えないですね。『祭事のあとは昼過ぎまで寝ないと疲れが取れない』と言っていたのは誰でしたか?」
「し、しかし、このような事態に――」
スティアの言葉はロロベニカの手によって覆われ塞がれる。逃亡者がいる件も、それが、強い力を持つ危険人物かもしれないなんてことが流布されれば、信徒が平穏でいられるはずがない。
察しの良い信徒なら有事に感づいているだろうが、それでもパニックが一斉に拡散するのは避けなければならない。だからこそ、事が広がる前に事態の収拾をはかっている。
にもかかわらず、スティアはそれを人前で口にしようとした。
それなりの声量で。
いつものスティアらしくないは明白――それがロロベニカの判断だった。
「も、申し訳ありません――ですが、対象の実力や練度が分からない以上、こちらも戦力の分散は避けるべきと――」
「ええ、その通りです。そして君が騎士団の中でも有数の実力者なのも知っています。しかし疲労をため込んだ状態ではその真価は発揮されません。はっきり言って足手まといです」
それでも騎士としてここで退くわけにはいかない――スティアはそう考えていた。
その会話に、ガハハハ――と豪快な笑い方で割り込んでくるのは、第3騎士団騎士長のルグキスだ。
「ロロよー、言い方ってもんがあるだろうが」
「貴方にだけは言われたくないですね」
ルグキスは団長であるベージェスよりもさらに一回も大きく屈強ながたいをした牛人の男性だ。つやのある茶色い毛をなびかせ、牛の特徴が強い顔が表情豊かに破顔する。
「ここはもっと優しく声をかけておけよ。スティアのことが好きなくせに。好感度が上がらんぞ?」
「兄弟子としての冗談は構いませんが、公務上の発言としては冗談では済まなくなりますよ」
ルグキスもロロベニカ、そしてスティアも、同じベージェス団長の元で研鑽と修行を重ねてきた兄弟弟子の間柄だ。いや、今の騎士団は実質的に全員ベージェス団長の教え子と言ってもいい。
そのため、日頃からプライベートにおけるルグキスの冗談はよく聞いてきた。だが騎士としての公務や任務の場においては、真面目に取り組むのが彼だ。時と場所をわきまえず冗談を言うのは久しく見ていない。
「スティア、最近のお前は焦りすぎだ」
急に冷静な口調に戻すルグキスをみて、ロロベニカはその意図をくみ取って言葉を引き継ぐ。
「そうですね。――スティアは並外れた鬼道の才覚を持ち、意欲も根性も並の男なんて比較になりません」
「全くだな。――俺がお前の年の頃はな、今のお前よりぜんぜん弱くてな。毎日血反吐を吐くんじゃないかってくらい団長にしごかれてたわけよ。そんでもって今は第3の騎士長にまでなった。なったはいいが、本当にきついのはここからだ」
「そうですね」
「俺もいろんな失敗をしてきたぜ? そんで団長に怒られてよ、何度ぶん殴られたことか。信じられないくらい吹っ飛ばされたこともあってな。比喩じゃねーぞ。大広間の端から端まで吹っ飛んだんだ」
「私も似たような経験がありますね。ですが、騎士とは信徒の道を切り開く矛であり、信徒を護る盾でなくてはならない。一人の背負う騎士としての重責は大変重い。しかし騎士長とは、何十何百の騎士の重みを、さらに背負っていかなくてはなりません」
――まさにその通りだ。自分はまだその重圧を背負い切れていないのに、すでにつぶれかけている。
スティアは二人の言わんとしていることを充分に理解できた。
「けどよ、経歴という面では、スティアは俺らなんかよりもはるかに早く進んでるんだぜ?」
理解している。理解はできているはずなのに、鬱屈した心はそれを素直に受け取ることができない。
「でもそれは……私が……。私が、ベギンハイト家の娘だからでしょう?」
ベギンハイト家の四女。
父親は城塞都市の領主にしてベギンハイト家の当主。母親もロゼス王国内の有力貴族の出身。
それが元々のスティアの立場だ。
だがスティアはいつの頃からか――いや、物心ついた頃には騎士に憧れていた。折れぬ刃と曲がらぬ鋼の意志で人々を護る騎士の姿に心酔し、自分もそうありたいと思った。
だからこそ、スティアは出家し騎士の道を選んだ。
確かに、それなりに戦いをこなせるようになった自負はある。戦闘訓練においては、ベギンハイト支部教会の中ではベテランの第1騎士隊や、戦闘特化の第3騎士隊の騎士を抑え、五指に入るほどの成績を収めたのだから。
だが、この若さで騎士長という地位に就いたのも、第4騎士隊を任されるようになったのも、結局のところ大貴族の娘であるという色眼鏡ではないのか――最近スティアはそんな懸念を感情の奥底に抱えていた。
――騎士長になる前の成績だって、裏で忖度されていないと誰が言えようか。
騎士団に入った10歳のころは気にならなかったが、今思い返してみればずいぶんと特別扱いだったように感じる記憶がいくつもある。
だがルグキスはスティアの懸念を真っ向から否定する。
「世間じゃそうだろうさ。それに、それは俺だって似たようなもんだ。母親が先代の団長だったんだからな。――だけどな、ベージェス団長は出自や血統で人を判断したりしないってのは断言しておくぞ」
ロロベニカも相好を崩しながら同調する。
「団長は出自とか全く見ていないですよね。貴族の出だからといって容赦する姿や元奴隷だからと篩にかける姿は見たことがありません。団長自身孤児院の出身ですし、その手の忖度はむしろ苦手な節までありますから」
「だな。――見るとしたら本人の素質と資質だ。団長はそういうのに長けている」
「で、ですが……私は人の上に立つような資質は――」
スティアが居心地が悪そうに視線を逸らすと、ルグキスは鼻で笑って指摘する。
「バッカお前、はじめは誰だってそうなんだよ。今は完璧に見えるベージェス団長だってな、昔はいろんな失敗をしてきてるんだぜ? その辺りの話はほれ、今度俺の母ちゃんに会ったら聞いてみろ。見習い時代の団長の話とか聞けるぞ」
「ああ、それは私も興味ありますね。今度の司祭協議会か司教評議会の際にお会いできたらぜひ聞いてみましょう」
寝不足を覚悟しておけよ――とルグキスはロロベニカに対してひとしきり笑い、呼吸を整えると改めてスティアへ向き直して落ち着いた口調で語りかける。
「これは俺の推論だがな、今スティアが不甲斐なさを感じているのは『騎士としての理想像』と『現実』の間に隔たりがあるからだと思う」
その指摘は、実に正鵠を射た見解に感じられた。
スティアは騎士に憧れた。物心ついた頃から取り憑かれたように「弱き者を救い、手を差し伸べられる騎士像」に心酔した。どのような困難も難局も、己の身ひとつで払拭できる――そんな英傑的な騎士像に。
だが騎士には、時に命の優先順位を付けなくてはならない時がある。子供か、信徒か、聖職者か――誰を護り、時には誰を見捨てるかを選択せねばならない場面がある。ひとりの騎士では、限られた腕の中で護れる数に限りがあるからだ。
それがスティアには苦痛で、だからこそ一兵卒の時は必死に修練に励んできた。
それでもその身ひとつでは限界を感じつつあった。
そんな折りに騎士長を拝命した。
騎士を束ねる騎士長になれば、もっと多くの人々を護ることができる――当時のスティアはそう喜んだ。
しかし現実は理想通りにはいかず、己の無力さを痛感する機会はむしろ増え、理想との隔たりはむしろ広がった。
そんな鬱屈としたスティアに、ルグキスは「ってことはだ――」と柔らかい口調で語りかける。
「裏を返せばスティアの中にしっかりと騎士のあるべき姿――その理想像があるってことだ」
沈んでいたスティアの視線が、思わずルグキスの方へ向いた。
「そういう理想はな、たいてい見習いの時に打ち砕かれて現実的な考え方に収まるもんだ。目標に向かってひたすら頑張るより、目標そのものを下方修正した方が楽だからな。楽な方に流れる生き方が悪いって言うつもりはねぇけどよ、上に立つ騎士がはじめからそんなんじゃあ他の奴らはついてこねぇ。――けどよ、スティアにはしっかりと騎士としての理想が、芯が残ってる。それは騎士長や団長のような、人の上に立つ際に必要な素養だと俺は思うし、団長はお前のそういうところを評価しているんじゃないか? もちろん、これまでの努力と実績も含めてな。――だからな、スティア、そう急くな。今は一歩ずつ目の前のことをやれ」
「――っ」
兄弟子であるルグキスの言葉は、不思議とスティアの心にすんなりと、そしてじんわりと入ってくる。
ロロベニカも「そうですね」と同調する。
「せっかくですので私も言っておきますが――スティア、貴女はすぐに一人で抱え込む悪い癖があります。貴女の理想の騎士は『一人で何でもそつなくこなす完璧な騎士』かもしれませんが、もう少し周りを頼ることを覚えた方が良い。少なくとも、騎士長としてスティアよりも経験豊富な騎士が、ここにも二人もいるのですから」
「――っ!」
言われればその通りで当たり前のことだが、思い返せばスティアは騎士長としての悩みを2人の兄弟子に相談したことなどほとんどなかった。
自分に足りていなかった部分を自覚し、スティアは全身から無駄な力みが抜けていく。
「ですが、今はまず何をするべきなのか、スティアならば言わなくとも分かっているのでしょう?」
役に立たない状態で周りの騎士の足を引っ張るどころか、信徒よりも先に倒れるなど笑い話にもならない。
――分かっていた。
内心では分かってはいたが、ここのところ失敗続きで卑屈で意固地になっていた。
「……すみません」
出てきた謝罪は堅苦しい言葉ではなかった。騎士長としてではなく、兄弟子に対するそれだ。
「んなこた後でいいんだよ!」
「そうですよ。反省点の洗い出しは、落ち着いてから後日みっちりと行います。覚悟しておくように」
「は、はい……」
「とにかく今は、腹一杯食って寝ろ! ほれ!」
そう言いルグキスは1枚の紙を押しつけてくる。
突然の行動に戸惑いながら受け取ると、それは1万ラミ紙幣だった。
「こ、これは――」
「帰り道で目一杯食って寝ろ! 余った栄養は胸にため込んどくと、ロロがたいそう喜ぶぞ!」
ルグキスの余計な一言を聞いてロロベニカは大きなため息をこぼし、スティアに背を向けて歩き出す。
「最後のは完全に蛇足ですよね。そこだけはセクハラ事案としてきっちり報告を上げておきますんで」
「ちょちょちょ、待ってくれよ……なぁ――」
背を向ける二人の兄弟子は小さい頃から見てきたやり取りと何ら変わっていない気がした。だが彼らの背中はこれまでよりもはるかに大きく感じられた。
自分の不甲斐なさは拭えない――それでもそれ以上に、立派な教会と力強い師、そして頼れる同胞に恵まれたことは、スティアにとって大きな喜びに思え、その日はじめて相好が崩れた。




