[1]ヴァルルーツ王子の決断
時は18時間ほど遡る。
2月9日明朝。
場所、ヴァルシウル王国、南西部国境線。
ヴァルシウル王国は、主に狼魔人と呼ばれる種族によって構成される単一種国家である。狼魔人は一見すると狼の特性が強い獣人のようだが、分類としては魔人種にあたる。魔臓と呼ばれる魔人種のみが持つ特殊な臓器を持っているためだ。
獣人と魔人、両方の特性を持つ狼魔人は、戦闘におけるポテンシャルが先天的に高いと言われている。実際、ヴァルシウル王国は神託之地の北端に位置した国家であり、長い年月、自力で怨人の脅威から国を守ってきた。
肉体的な優位性に加え、帰属意識の強い傾向にある狼魔人は、北方の国々の中でも頭一つ抜きん出た軍事力を持つ中堅国家である。
またヴァルシウル王国の歴史は長く、長命種や不死者が統治していないにもかかわらず、王室が1000年以上もの間途絶えていない。これは世界的に見ても特筆すべきヴァルシウル王国の特徴と言える。
だがこの日、ヴァルシウル王国第一王子たるヴァルルーツ・ヴァルシウルは、ここで王国の歴史が途絶えるかもしれない――という嫌な連想を抱かずにはいられなかった。
現在ヴァルシウル王国は戦時下にある。
隣国のレギリシス族長国連邦が侵攻を開始し、2月9日未明――すなわちつい今し方、ヴァルシウル王国の国境線へと到達していた。
レギリシス連邦軍の規模はおよそ20個師団。
対するヴァルシウル王国軍の国境防衛戦力は3個師団しかない。
数では圧倒的に劣勢。
だが、決して分の悪い戦争ではない。
理由はいくつかある。
レギリシス連邦軍は民間人や奴隷までを動員した烏合の衆であるが、ヴァルシウル王国軍は一人一人がしっかりと訓練を施された専業軍人だということ。
そして国境線の要所は堅牢な要塞が座しているのも大きい。北方地域は山岳が入り組んでおり、少数精鋭ならいざしらず、20個師団もの戦力が険しい山岳を越えるのは困難だ。レギリシス連邦軍は後顧の憂いを立つためにも、今後の補給線を確保するためにも、正面から要塞を攻略しなくてはならない。
そして最大の優位点は、ヴァルシウル王国軍が熟達した魔法技術を保有しているのに対し、レギリシス連邦軍は魔法・鬼道技術が未熟である点だ。
事実、5年前にもレギリシス連邦軍による侵略戦争はあったが、その時は要塞から放たれた遠距離魔法による攻撃で一方的な戦果をあげ大勝している。
そして軍事技術にまつわる術式水準は、5年かそこらでどうにかなるものではない。
故に今回も防衛線における大勝は確実。問題は戦後処理のほうだろう、というのがヴァルシウル王国側の見立てだった。
――まさか、魔女が出てくるとは……。
レギリシス連邦軍の上空には我が物顔で浮遊している者たちがいる。身の丈を超える厳かな杖を掲げ、全身はローブで身を包み、仮面で顔を隠している。
奴らはたったの一個小隊で、ヴァルシウル王国軍3個師団の大規模魔法による攻撃を軽々しく防いでいる。
奴らが魔女である直接的な証拠はないが、奴らの魔法技術の水準はヴァルシウル王国を大きく上回っている。これほどの差があるとすれば、世界三大列強国のいずれかくらいなものだ。そして情勢から鑑みて、最も可能性が高いのはマシリティ帝国だ。
マシリティ帝国――古の魔女によって建国され、近年ではレスティア皇国、神聖ラザネラ帝国と並び三大列強国の一角にまで成長を遂げた最西端の超大国だ。
もしマシリティ帝国が義勇軍を派遣していた場合、戦況の予測は大幅な修正が余儀なくされる。
事実、たったの1個小隊で、要塞から放たれる高出力の大魔法を軽くいなしている。
このままでは魔女に守られたレギリシス連邦軍が要塞へなだれ込んでくるだろう。そうなればいかに王国軍の一人一人が精鋭といえど、物量に押し切られる可能性が出てくる。
加えて、目先の地上軍への対応に追われれば、上空を占有している魔女による一方的な遠距離攻撃を受けかねない。陸から圧倒的な物量攻撃、そして空からは圧倒的な魔法技術による遠距離攻撃。それを受ければ以下に堅牢な要塞とはいえ、どれだけ持ちこたえられるか分からない。
だが絶対に、ここを突破される訳にはいかない――とヴァルルーツ王子は眉間に力が入る。
レギリシス連邦は人道や倫理など期待できない野蛮な国だ。もし奴らに要塞が突破され領内になだれ込まれれば、どれだけの悲劇が巻き起こることか分かったものではない。
だが王子は、今はそれを考えるべき状況ではない――と自分に言い聞かせ思考を目の前の戦況に集中させる。
しかし入ってくる報告はどれも芳しくない。
まだレギリシス連邦軍は要塞に到達していない。しかし、それも時間の問題だ。魔女らしきの小隊を攻略しなくてはならないが、その糸口がつかめない。
――駄目だ……。このままでは陥落する……。
そんな嫌な思考を振り払い、 ヴァルルーツ王子は要塞の司令室、その上座に座り思慮を巡らせる。
――考えろ。どうする……自分に何ができる!?
彼はヴァルシウル王国の継承権一位の王太子であり、次代の王だ。しかし王位に就くのはまだ先の話である。
ヴァルルーツ王子はまだ29歳の若輩者にすぎず、この場の最高指揮権を持っているものの、その実体がお飾りにすぎないと自覚していた。強いて言えば、王国軍の戦意高揚、士気向上のためにここに座っている。
実際、軍を指揮をしているのは王国軍の要塞の司令官だ。
ヴァルルーツ王子は理解している。無能な働き者は敵よりも厄介だ。それが上に立つ者ならば害悪でしかない。経験の浅い自分が余計な口を挟めば、きっと無駄に現場をかき乱すだけだ――と。
そもそも王子がここにいるのは、これほどまで戦況が劣勢になると予想されていなかったからに他ならない。
ヴァルルーツ王子は無力感を抱く。
だが確実に言えることがひとつあった。
――このような有事だからこそ、王族たる責務を全うしなくてはならない。この場における最高指揮権を持つ者が真っ先に逃げるなど、あってはならない。
国のために死ぬのであれば、ヴァルルーツは覚悟をしている。それが王族の血筋に生まれた自分の性だと理解していた。
――だが死を迎えるその時までここに座することが、本当に王族としての責務か?
ヴァルルーツは苦悩する。
――死ぬその時まで、国のため、民のために最良の結果を求めて足掻くことこそ、真に求められる王族の資質ではないのか? だが、無力な自分にいったい何ができる?
そんな思考が先ほどから延々と脳裏を巡る。
何度も何度も、同じところをループしている――していた。
どれほど繰り返したか分からない思考のループの中で、王子はひとつのひらめきを得た。
――これだ。これしかない。
そう、ヴァルルーツが決意を固めた直後、荒々しく呼ぶ声が聞こえてきた。
「――王子! ヴァルルーツ王子! 殿下!!」
「……すまない。考え込んでいた」
声の主は要塞の司令官だ。
ただの司令官ではない。ヴァルルーツ王子にとっては幼少の頃に戦いのイロハをたたき込んでくれた師範であり、育ての親のひとりと言って過言ではない相手だ。少なくとも「爺」と呼ぶほどには心を許している相手だ。
爺はいつだって優しく、そして厳しく、どんな事態でも悠々と構えるのが印象深い。
しかし今の爺には、まるで余裕が感じられない。それが戦況の劣勢を物語っていた。
「ここは我々が抑えます。殿下は早急に王都へ退避を!」
それが死を覚悟したものだと、ヴァルルーツ王子にはすぐに理解できた。
「いいや――」
「いいえ、退いてください!!!」
ヴァルルーツ王子は思いついた妙案を口にしようとしたが、ここを死地とすると思っている爺は一喝する。
慌ただしかった周囲の兵士たちは思わずその手を止め、視線が王子に集中するほどに声を荒げながら。
「貴方は次代の王たり得る人物です。ここで命を落とすようなことは、決してあってはなりません!」
爺は相変わらず人の話を聞かんな――と、内心で笑いながらも、ヴァルルーツ王子は真剣な眼差しで言葉を返す。
「王都には父上も第二王子もいる。私の命がここで尽きようとも、王族の血筋は絶えない」
「そのような考え方を持ってはなりません!」
ヴァルルーツ王子は思いついた妙案をすぐに口にするのではなく、爺を使って場の空気を作ることを優先した。
「だが爺よ、ここで我が身可愛さに逃げ出すことこそ、王族たり得ない行動だ。お前たちも、そんな王族に敬意を払いたくないだろう?」
ヴァルルーツ王子は声を張りながら、周囲の王国軍兵士に問いかける。
「殿下がそのような品格でないことはここにいる誰しもが存じております! 故に! だからこそ! ここで我らと共に礎となることなどあってはならぬのです!」
司令部にいる兵士たちは将官や士官など、王国軍の中でも選りすぐりのエリートたちだ。そんな彼らは、どうやら爺の言葉にこそ真に賛同するような雰囲気で満たされる。
「殿下、行ってください。殿下がここにいられては、攻勢に転じることができません」
壮年の将官が冗談めかして告げる。
ヴァルルーツ王子が幼少の頃、その将官は王城の近衛隊長だった。故に王子にとってはよく見知った相手だ。
要塞の防衛すらままならない状況で攻勢に転じるなどあり得ない話だが、守るべきものがあっては身動きが取れないという建前で、ヴァルルーツ王子をここから脱出させようとしているのは明白だった。
「そうですよ。殿下は平時でこそ真価を発揮するタイプなんですから、血なまぐさいことは我々にお任せ下さい」
別の士官が気さくにそう言葉を書ける。彼はヴァルルーツ王子と同年代で、戦闘訓練時によく手合わせをしたものだ。
その後も爺の意向を汲んだ声が上がる。
いずれも、ヴァルルーツ王子を生かそうとする意志がそこにあった。
ヴァルルーツ王子はゆっくりと椅子から立ち上がる。
「爺や。皆も――その気遣いに感謝する。諸君らが気高き魂の持ち主であって、王太子として誇らしく思う。もし立場が逆だったなら、私も同じことを進言しただろう」
「おぉ、ではすぐにでも――」
そう声を上げる爺の言葉を、今度はヴァルルーツ王子が遮った。
「だが! 私は決して逃げない!」
「――!?」
爺は思わず目をまたたき、王子の言葉を止めることができなかった。
「我が名はヴァルルーツ・ヴァルシウル! 誇り高きヴァルシウル王国の第一王子にして王太子だ! 国は王族によって成り立っているに非ず! 民あってこその国。国あってこその王だ! 民を守れぬ王など不要だ!」
「なりません! 次代の王がこのようなところで斃れるなど、あってはなりませぬ!」
我に返り声を荒げる爺。そちらへヴァルルーツ王子は振り返り、王族としての覇気を含んだ口調で語りかける。
「爺や、兵の本分は戦うことだ。民の矛となり、そして盾とならねばならない」
「そうです! そして王子は兵士ではなく王族なのです!」
「だからこそだろう。王たる者の本分は何だ? 民を守り、国を豊かにし、次の世代へ受け渡すことだ。だがここが落ちれば、レギリシス連邦に負ける。それでは民が辛酸を嘗め屈辱を強いられることとなる。爺もそれは理解しているだろう?」
レギリシス族長国連邦は野蛮な国家だ。奴らに負けることは、凄惨な死か、屈辱にまみれた服従かを選ばなくてはならない。
利用価値のない老人は間引かれ、国の管理下で女性は子供を産むことを強制され、生まれた子供は取り上げられ洗脳教育がほどこされる。
男性だけは奴隷か兵士か選択肢が与えられ、兵士としてその次の戦争で戦果を挙げれば、二人分の市民権を得られる。妻や子供、大切な人がいる者ほど、矢面に立ち死んでいく。
運良く生き延びることができれば、市民権を得るために非道に手を染め、共犯者となっていく。
そうやって、ここ数十年で隣国を吸収し大きくなってきたのが独裁国家、レギリシス族長国連邦だ。
そんな国に負けることは、断じてあってはならない。そのような屈辱を、我が国民が味わうことなどあってはならない――そう、ヴァルルーツ・ヴァルシウル第一王子は決意を抱いている。
「たとえここで生き延びたとしても、私は王族たる矜恃を失うことになる。矜恃の大事さを教えてくれたのは、ほかならぬ爺だ」
「し、しかし……!」
王子の言いたいことは分かる。だが今はそのようなことを言える状況ではない――爺の弱々しい否定は、その心境を物語っていた。
「そのような顔をするな、爺。結果として私の『選択』は爺の求めるものに近い。だが『目的』が明確に違う。私は王族だ。だからこそ、やらねばならないことがある」
今必要なの生き残ることだと言わんとする爺を遮り、ヴァルルーツは宣言する。
「私はこれより、ザミエラフへ向かう!」
どよめきが部屋に響き渡る。
都市ザミエラフはヴァルシウル王国の最北端に近い鉱山都市だ。白狼銀の一大産地して知られ、ヴァルシウル王国の経済を支える主要産業のひとつである。
国境線からは遠く、むしろ不浄之地の方が近いような鉱山都市に、なぜこの有事において向かう必要があるのか、多くの王国軍兵士には理解できなかった。
――それと逃げるのと何が違うんだ?
中にはそう考えた者もいた。しかしその疑問を払拭させるように、ヴァルルーツ王子は声高に宣言する。
「公に公表されてはいないが、現在ザミエラフ近辺にはレスティア皇国の使節団がいる。ならば王族たる私の成すべきは、折衝に他ならない!」
レスティア皇国も三大列強国の一角に座る超大国だ。
それも、近年になって列強国と囁かれるようになったマシリティ帝国の比にならない年月を、その一角に座している。
もしレスティア皇国の助力を受けることができたならば、仮にマシリティ帝国と全面戦争となったとしても戦うことができるだろう。
「全員聞いてくれ! 私は必ず! 必ずやレスティア皇国の助力を引き出してくる! それまで、何としてでも要塞を死守してくれ!」
王子の言葉は「命を賭して時間をかせいでくれ」と言っているにも等しい。言い換えれば「ここで死んでくれ」と受け取られるものだ。
だが一人の若い士官が「それでこそ殿下だ!」と歓声を上げると、その勢いはすぐに伝播し、咆哮へと変わる。まるでヴァルルーツの人徳を表しているかのように、不平不満を口にするものはなく、ただただ士気が上がった。
唯一、爺だけが心配そうな面持ちを向けている。
「爺や。そういうことだ。私が戻る場所を、何としても守ってくれ」
「……」
「頼んだぞ」
「……分かりました」
爺の顔には納得はしていないが受け入れる、と言わんばかりの表情が浮かんでいた。
「それから、私は一人で向かう。護衛は不要だ」
「い、いけません。さすがにそれは――」
「護衛をつける余裕もないと、少しでもレスティア皇国の同情を引きたい」
「だとしても、危険すぎます!」
「仮に私が斃れても、第2王子がいる。大丈夫だ。あいつなら良い国にしてくれる。王都へはそう報告しておいてくれ」
軍師の憂いを遮るように、ヴァルルーツはまっすぐと見据え、落ち着いた口調で語りかける。
「爺。必ず戻る」
「まったく……あなたといい国王陛下といい、どうしてこう……。いえ。分かりました。ここは何としてでも耐えてみせましょう」
「いつもすまないな」
爺の説得を終えるとヴァルルーツ王子はすぐに要塞を後にした。
*
ヴァルルーツ王子は高低差の激しい山岳を避け、かつ鉱山都市ザミエラフへの最短ルートを突き進む。
その速度は馬よりもはるかに早く、深雪の雪上を魔法を駆使した高速移動で駆け抜ける。
それでも鉱山都市ザミエラフまでの道のりは長い。
日が昇り、そして日が沈む。
半日以上、一切の休憩を取ることなく駆け抜けた。
そして月が昇り、時刻は日をまたごうという深夜。既に要塞を出て17時間以上が経過したころ、ヴァルルーツ王子はようやく鉱山都市ザミエラフが見えてくる。
だがヴァルルーツ王子のルートはザミエラフへ向かうルートからわずかにそれている。しかしそれは決して道を間違えたわけではない。
ヴァルルーツ王子が要塞内で宣言した内容に嘘はないが、正確には2つ情報をぼかしていた。
目的地は鉱山都市ザミエラフそのものではなく、山岳の中腹、人気のない立地にポツンと立つ屋敷だ。
そして屋敷にいるのはレスティア皇国の使節団ではなく調査団だ。それもレスティア皇国皇帝および第一皇女という国賓がいる。
この情報はトップシークレットのため王国内でも一握りの者しか知らないが、ヴァルルーツ王子は王太子として知っていた。
大使ではなく、レスティア皇国の皇帝から直接助力を引き出すことが出来れば、それが最短で王国を救う手立てだとヴァルルーツ王子は考えていた。
「ッ!?」
屋敷まであと少し――そんなおり、いきなり足下がすくわれたかと思えば、何者かによって捕らわれ担がれていた。




