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第三話 溜息交じりの夕食時

 さて、というわけでファンタジーな世界である。まあ迷宮やらギルドやらがある時点で、今更な気もするけれども。

 ともあれ周囲の景色を眺めながら、僕は家路を辿っていた。

 そうして目に付くのは、やはりと言うかそこに立ち並んでいる建造物だ。木造建てのそれらは、世界観通りのものとでも言ったものか、所謂ファンタジー風の建物である。

 けれどもそれらを眺めていても、僕は何かを思うようなことはなかった。かつての僕ならば喜んだだろうに、今はただ見慣れたものを眺めているという感覚しかない。

 アイリスと話をしていた時点で何となく分かってはいたことではあるのだけれども、どうやらかつての記憶が蘇ったところで、僕に大した変化はないようである。文字通りに忘れていた記憶を思い出したとか、あったとしてもその程度の感覚だろうか。少なくとも僕自身に、何か変化があったという自覚は無い。

 というかおそらくは、僕の思考や性格は、元々この忘れていた記憶が土台になって形成されているのだろう。忘れていたというよりは、無意識下に押し寄せられ思い出せない状態だったというべきか。だからそれが表に出てきたところで、知識が引き出せるようになったという以上の変化は無いのだ。

 勿論それはあくまでも推測に過ぎないのだけれども、何となくそれが正しいのだという確信があった。そういえばと思い返してみれば、昔から妙に子供らしくないとか言われていたような気もする。ついでに何処か変な子扱いされていたことも。

 まあ何にせよ、僕は僕であることに違いはなく、かつての記憶が蘇ったところで何らかの支障が生じることはない、ということだ。むしろかつての記憶が引き出せるようになった分便利になったとも言えるだろう。

 もっともそれがどれだけ役に立つかは、また別の話だけれども。

 そんなことを考えながら、ふと立ち止まる。内側に向けていた意識を一旦中断し、周囲へと視線を向ければ、そこに広がっていたのは先ほどのそれとは少し異なる光景であった。先ほどのそれはそれなりに大きな建物が並び、何処となく特別な印象を与えていたけれども、今それよりも大分一般的に近付いてきた、というところだろうか。

 かつての記憶と照らし合わせて考えてみれば、最も近い雰囲気を持つのは商店街だろう。その内訳はかなり異なるけれども、様々な商品を扱う店が並んでいる、という意味では同じである。

 中でも最も分かりやすいのは、やはり武器屋やら防具屋か。看板に剣や鎧を掲げていることが多いため、一目で、それも直感的に分かりやすい。

 逆に分かりづらいのは、ポーション等の消耗品を扱う店々だろう。知っていれば簡単に見分けが付くのだけれども、知らなければ少々何処が何を扱っているのか判別しづらい。

 ――もっとも。その判別が付かないような人は、そもそもこの周辺に来ることはないだろうけれども。

 この周辺のある店は、商品というか、サンプルを店先に出してはいない。それはこの世界での一般的だというわけではなく、むしろ普通はサンプルを外に提示しておくものだ。だから普通は何処で何が売っているのかは看板で判断しなくても簡単に分かるし、それを見ることでその店で売っている品の質などを見極めることも出来るのである。

 とはいえ、この周辺の店には商売をする気がないからそうなっている、というわけではない。その必要がないからそうしていないだけなのだ。

 店頭に商品を並べるのは、それで客を釣る必要があるからだ。質を見極める必要があるのは、その店のそれに信頼を置いていないからだ。そんなことをしなくても客が来て且つ信頼されているのであれば、その必要が無いと、つまりはそういうことなのである。

 ただ、中には例外もあった。幾つかの店はその商品を店先に並べ、その姿を衆目に晒している。

 などというとちょっとアレな感じだけれども、何ということはない。その近くを通れば、空腹を刺激する匂いが漂ってくる。

 食品を扱う店であった。


「そういえば、今日は夕食の準備をしとく必要があるんだっけか」


 そしてそれによって、ふとそのことを思い出す。

 自然と商品へと目が移り――すぐに逸らした。途中でその値段が目に入ったからだ。

 うん、一個金貨一枚は有り得ないかな。何より恐ろしいのが、それがその中では安い方だったということだろう。百万で安いとかちょっと意味が分からないです。

 しかも、それでも食材だからこそその程度で済んでいるのであり、例えばそこら辺の適当な武器屋にでも入れば、それすらもはした金にしか思えないような金額のものが並べられていることだろう。それは防具であろうと、消耗品であろうとも同じである。

 しかしそれらはぼったくりではない。ここでは、それが普通なのだ。

 ここ、というのは、迷宮都市ラグナそのものを示しているわけでは、勿論ない。まあここ全体がそんな物価であったら、前回僕が迷宮で得られた金額からも分かる通り、とても暮らしてはいけないし。それでちゃんと暮らしていけるのかという問題は、また別の話だけれども。

 あくまでもそれはこの周辺――北に区分されている場所のことである。

 迷宮都市ラグナは、所謂城塞都市だ。四方を城壁で囲まれており、東西南北のそれぞれに城門が存在している。

 そしてそれに合わせるかのように、それぞれの方角で四つに区分けをされ――厳密に言うならば、中央区も合わせて五つになるのだけれども――さらにはそれぞれの場所で、ある特色を持つ。まあそれには理由があるのだけれども……その特色に従って、北に区分されているこの場所では、主に高級品――一流と呼ばれるようなものを扱う店が並ぶようになっているのだ。

 つまりはそこに並んでいる食材も、当然一流と呼ばれる高級品である。高いだけではなく、その分美味しくもあるはずだ。食べたことなどは勿論ないし、今の時点では縁遠い代物でしかないけれども。


「いつかは普通に買ってみたいけど……まあ、いつか、かな」


 そんないつかのことを想像しながら、僕は止まっていた足を動かした。いつまでもただ見ていては邪魔にしかならないだろうし、買えない物を物欲しげに眺めていたところで、意味などはないのである。

 そもそも今日の夕食に使う程度の食材は残っていたはずなので、わざわざ買う必要も無い。まあ買うにしても、ここら辺で買うということは有り得ないけれども。確かにこの周辺には一流どころの店が並んでいるけれども、少し道を外れればもっと一般的な店も存在しているのだ。

 ともあれ、店先のものを適当に眺めながら、その場を後にする。

 ちなみに僕が歩いているのは、城門から中央にまで真っ直ぐ伸びている、所謂大通りと呼ばれるような道だ。つまりこのまま歩いていけば城門に辿り着くわけだけれども、当然ながら僕が向かっているのはそこではない。

 途中で脇道に入ると、そのまま奥へと向かって進んでいく。目的地に着いたのは、それからさらにしばらく歩いてからのことだった。

 そうして僕の目の前に現れたのは、一件の建物だ。大通りに面していたようなものと比べれば、何の変哲も無いような建物である。

 まあただの住居なのだから、妙に変わっていても困るのだけれども。

 周囲には似たような家が並んでおり、見るからに住宅街、といった感じだ。もっともそれは、あくまでもこの世界の基準で見た場合は、というものではあるものの、だからといって何かが変だというわけでもない。

 視線の先にあるその家は、現在僕達の住んでいる家であった。


「ただいまー」


 扉を開けながら帰宅の言葉を発するも、当然ながら挨拶が返ってくることはない。この家のもう一人の住人は、今もギルドで就業中である。

 厳密に言うならば、もう一人の住人というか、むしろ家主と言うべきなのだろうけれども。

 世話になっている身である僕が家などを持っているわけがなく、当たり前のようにここの主はアイリスだ。一応は借家ではあるらしいのだけれども、借りているのが彼女である以上はそのことに変わりはない。僕はそこに転がり込んでいる、居候に過ぎないのである。家賃などを払ってもいないし、ヒモと言われたところで、反論する余地はない。

 とはいえそれには一応理由がある。迷宮に潜ることで多少なりとも稼いではいるものの、それは別のことに使わなければならないというのが実情なのだ。

 迷宮に潜るだけで何らかの料金が発生することはないものの、そのために必要なものは幾つもある。武器や防具のメンテナンス代、ポーション等の消耗品代などなど、だ。

 ちなみに言うまでもないだろうけれども、ポーションとは所謂傷の治療薬のことである。ただしその効果のほどはファンタジーな世界基準のものであり、もしかつての世界に持っていけるようなことがあれば大騒ぎとなるだろう。まあそんなこと有り得ないだろうけれども。

 迷宮という場所は非常に危険な場所であり、そういった品が不可欠となる。今のところメンテナス等はあまりする必要がないとはいえ、それだけもバカにはならない。

 ならばポーションを使わなければ金が溜まる、と考えるのは本当に初心者も初心者の頃だけだ。そんなことを続けようとすれば、呆気なく迷宮に住む魔物の餌になるだけ、とも言えるけれど。

 現実はゲームほど容易くは無く、迷宮は優しくできてはいない。消耗品をケチったところで、その分削られるのは命なのだ。

 今回は偶然金貨二枚という大金を手にする機会に恵まれたけれども、こんなことは滅多にない。というか、普通は有り得ない。カツカツではなく、多少の余裕を持てるようになるのには、普通は相応の危険を掻い潜るか、多量の時間が必要になるのだ。

 そういったことを考えても、僕はかなり恵まれていると言えるだろう。宿代が必要ないばかりか、宿屋に泊まる必要がないのだから。

 ラグナに住んでいる多数の冒険者の中で、借家を使用している人というのはかなり珍しい。大半が自宅を持っているというわけではなく、宿屋で済ませるのが一般的だからである。

 その理由は、単純だ。家を借りたり買ったりすれば、その分心の底から休むことが可能ではある。しかし幾らリラックスできたところで、次に迷宮に潜った時にその命はなくなっているかもしれないのだ。

 だから金は家ではなく、武器や防具、それに消耗品などに使われることになる。金に余裕が出てきたからといって、それを自分の命以外に使えるようになるには、さらに時間が必要なのだ。宿屋から出て自分の家を持つようになるのは、それでも金が余るような所謂一流の冒険者になってからである。

 そしてその数は、全冒険者の中でも数パーセント未満と言われている。宿屋を使用しているのが一般的だというのは、そういうことだ。


「んー、でもこれはあぶく銭だし、やっぱ半分ぐらいは渡しておくべきかなぁ」


 全部装備などに回せば、それなり以上のものを揃えることが出来るだろう。けれどそれはきっと、自分の力量に見合っていない、不相応なものでしかない。そういったものを使用し頼り切っていると、大抵は碌な目に合わないと相場が決まっているのだ。

 となれば、半分ぐらいは渡してしまっても問題はないように思える。

 問題は、その名目か。


「多分普通に渡しても受け取ってくれないだろうしなぁ……」


 実は以前も多少なりとも渡そうとしたことはあるのだ。けれどもそれは普通に突っ返された。そんなことを気にするぐらいならば、少しでも生き延びるために使え、と。

 そもそも普段世話になってるから、ということで金を渡すのは、それはそれで何か違うような気はする。

 ならば何か贈り物でもするか……。


「うーむ……」


 唸り、考えながらも、リビングとして使用している部屋を通り過ぎ、自分の部屋へと辿り着く。そこには少ないながらも僕の私物と、小さくともちゃんとした寝台が存在していた。

 この借家に用意されている部屋数は、三つだ。出入り口である扉に面しているリビングに、僕とアイリスの個人的な部屋が一つずつ。

 最初はただの居候なのだし、専用の部屋などは要らないと言ったのだけれども、どうせ余ってるのだからということで押し通された。ならば私と同じ部屋を使いますか、とか言われてうろたえた末に折れたわけなどでは、決してない。

 ……まあおかげで助かってはいるのだけれども。

 そうして何となく部屋の中を見回しながら、荷物を下ろしていく。既に何も入っていないバックパックに、剣や防具など。

 それから一つ息を吐き出すと、妙に身体がずっしりと重くなったような気がした。むしろ質量的には軽くなったはずなのだけれども……どうやら、思っていた以上に疲れていたらしい。そのままふらりと、導かれていくように寝台の上へと倒れこむ。柔らかいそれが僕の身体を受け止め、自然と瞼が落ち始める。

 まだ色々と考えることはあったのだけれども、その誘惑に逆らうことは出来ず――抵抗する間もなく、僕の意識は眠りにへと落ちていった。











 目が覚めたのは、香ばしい匂いに釣られるようにしてであった。

 最初に良い匂いだなと思い、次に空腹を思い出し、何かを忘れているような気がし――跳ね起きた。反射的に窓の外を眺め、やってしまったことに思い至る。

 そこから望める景色は、黒に沈んだそれ。完全に日は沈んでいた。

 この匂いから察するに、アイリスはとうに帰宅し夕食の準備も終えているのだろう。頼まれていたというのに、結局何もしてはいない。失態以外の何物でもなかった。

 けれどもここで項垂れている場合ではない。もう手伝うようなことはなさそうな予感はするけれども、もしかしたら何か出来ることがあるかもしれないし、本当になかった場合は速やかに謝らなければ。

 眠気などはとうに吹き飛んでいる。急いで立ち上がると、駆け出す。扉に向かい、開け放ち――瞬間、リビングの様子と、テーブルに食器を並べている最中のアイリスの姿が目に入った。


「あー……」


 それと同時に、もう自分にはすることが残されていないということを悟る。料理は勿論のこと、おそらくは並べるものすらももうないだろう。

 食器が置かれる音と共に、アイリスの視線がこちらを向いた。


「おはようございます、トウマさん。そろそろ起こそうと思っていたところでしたので、ちょうどいいタイミングでしたね」


 しかし意外にもと言うか、その表情にも掛けられた言葉にも、怒っている様子は見られない。表に出していないだけ……というわけでも、なさそうだ。

 そのことに若干の疑問を抱くものの、とりあえず僕が約束を破ったことに違いは無い。それ以上何かを言われるよりも先に、素直に頭を下げる。


「ごめん。安請負しといて、何もしてなかった」

「いえ、トウマさんが謝る必要はありません。今回は、私の失態が原因ですから」


 何を言い出すのだろうかと頭を上げてみれば、アイリスの顔は冗談を言っているものではなかった。勿論、嫌味や皮肉といったわけでもなさそうである。アイリスは、本気でそう思っているのだ。

 けれどもアイリスの失態と言われても、僕には思いつくことがない。僕の失態に関してならば、今日だけで幾つか数えることが出来るのだけれども……何の自慢にもならないけど。

 首を傾げ問いかける。


「アイリスの失態って……失態をしたのはどう考えても寝ちゃった僕の方だと思うけど?」

「いえ、トウマさんがそうなってしまうことが、考えてみれば当たり前のことだったのです。そもそも私が今日遅くなると言ったのは、トウマさんがオークキングに遭遇したからです」

「僕がオークキングに遭遇したから……?」


 それが何故アイリスの失態に繋がるのか。僕の失態だというのならば、十分過ぎるほどに分かるのだけれども。


「はい。トウマさんはオークキングと、第三階層で出会ったのですよね?」

「そうだけど……あれ? そういえば……」


 その言い方で、ふと思い出したというか、気付いたことがあった。むしろそれはあの時点で気付いていなければならないことではあったのだけれども、或いはあの時点で疲れによって既に頭が回っていなかったのだろうか。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。今問題とすべきなのは、アイリスが口にした言葉である。

 第三階層にオークキングが現れる……? それは有り得ない――というよりも、起こりえてはいけないことのはずであった。


「トウマさんが今気付いた通り、オークキングが本来出現する階層は、第十三階層です。第三階層になど、いるわけがありません」

「だよね……」


 迷宮というものは、横に広がっているものではなく、縦に広がっているものだ。しかもそれは基本的に上ではなく下に伸びしている。奥に向かうというのは、即ち下に潜っていくということであり、しかし迷宮という名前からも分かる通り、それは一本道ではない。幾つもの階層が連なり、一つの迷宮となっているのだ。

 その階層を上から順に第一階層第二階層、と呼んでいるのだけれども、基本的には階層が下がれば下がるほど強力な魔物が出現するようになっている。その理由は現在のところ不明だけれども、それが事実であることだけは確かだ。

 そしてそれは、たった一つですらも時には馬鹿にならない。第一階層の魔物を余裕で倒せるようになった人達が、第二階層も行けるだろうと調子に乗って痛い目を見るというのは、割とよくある話なのだ。……どこかで聞いたような話なのは、気にしない方向で。

 今重要なのは、これまた理由は不明なのだけれども、基本的に下の階層の魔物は上の階層には現れない、ということだ。というよりは、他の階層に移動はしない、というべきだろうか。

 一応基本的にはなので、極稀にそういったことが起こることもあるそうだけれども……さすがに十階層も下の魔物がやってくるなどは有り得ない。

 どう考えても、何らかの異常事態が発生したか、少なくとも発生していたのは間違いないだろう。

 ついでに言うならば、あの時アイリスが釈然としていない様子であった理由にも、ようやく思い至った。

 十階層も下の魔物と遭遇などしようものならば、その瞬間にミンチと化していてもおかしくはない……いや、そうなっていなくてはおかしいのだ。運が介在する余地などなく、一瞬で殺される。十階層も下の魔物と遭遇するということは、そういうことなのだ。

 或いはそれも、この異常事態が関係しているのかもしれないけれども……ともあれ。


「アイリスが今日遅れたのは、その異常の調査のため?」

「正確には、その異常の調査を依頼するため、ですね。前代未聞過ぎますから、相応の人に頼む必要がありますし」


 その言葉に、なるほどと納得する。確かに今まで聞いたことがないような事態なのだから、万全の態勢で挑むのが一番だろう。これが他の迷宮であったのならば迅速さも要求されるところだろうけれども、あの迷宮に関しては必要ないし。

 しかし納得はしたものの、今言ったことは全て、僕がどれほどの異常事態に遭遇したのかということの説明と、アイリスが今日遅くなったことの理由だ。そこにアイリスの落ち度は一つもない。

 結局のところ、アイリスの失態とは何なのか。


「単純な話です。そんな異常事態に遭遇したトウマさんのことを、いつも通りに扱ってしまったことです。幾ら何重もの偶然が味方し生還したのだとしても、トウマさんの様子がいつも通りに見えたのだとしても、異常事態に遭遇しておきながら、いつも通りであったわけがないのですから」

「いや、でもそれは……アイリスは最初から異常事態だって気付いてたみたいだし、そのせいで焦ったってことも……」

「確かに、前代未聞の事態に多少の焦りがあったことは否定しません。ですがそれはトウマさんを蔑ろにしていい理由にはなりませんし、間違いなく私の失態なのです」

「それは……」


 咄嗟に反論しようと口を開きかけ、しかし思い浮かばずに閉じる。結果だけを見れば、それが事実であることに違いはないからだ。

 けれどもそれはつまり、アイリスが僕のことを考えてくれているからであり、しかし僕に責任がないかというとそういうわけでもなく――


「……はぁ」


 空回りしかけた思考を、溜息を吐き出すことで止める。というか多分咄嗟に反論出来なかった時点で、僕にはそれを受け止める道しか残されていないのだ。何を言おうとも、アイリスはそれを譲らないだろうし。

 この少女は、割とそういうところは頑固なのである。


「分かった。今回はアイリスの方が悪いってことで」

「はい」


 でも。


「僕にも責任があったのも事実だ。だから、次の機会には挽回するよ」

「……分かりました。では、その時を楽しみにしています」


 苦笑と共に、仕方ないですね、みたいな目で見られたけれども、年下に全ての責任をおっ被せて平気でいられるほど、僕は図太くないのである。


「年下、ですか……」

「うん?」

「いえ。それではすっきりしたところで、そろそろ夕食にしましょうか」


 その言葉には、特に異論はなかった。まだ目覚めたばかりではあるけれども、考えてみれば昼食も碌に摂らないままずっと寝続けていたのである。それを意識したことと、何よりもこの場に漂っている匂いが、空腹を刺激してやまない。

 頷き、アイリスに続いて椅子に座る。

 そして。


「いただきます」

「いただきます」


 言葉と共に手を合わせ――ふと、疑問に思った。これはこの世界としてはどういう扱いになるのだろうか、と。

 考えてみれば、いただきます、というのはかつての世界でも全ての国で使用されていた挨拶ではないはずだ。アイリスも普通にしているのは、僕達の住んでいた村では普通に使われていたからだろう。

 ただしラグナに住んでいる人達がどうなのかは、分からない。一緒に食事を取るような機会が、今のところないからだ。

 同じなのか、違うのか。違うのであれば、何であの村では――


「……トウマさん? もしかして、何か気に入らないものがありましたか?」


 と、ついそんなことを考え始めてしまったため、両手を合わせたまま料理を見ているという、妙な格好のままとなっていた。それを勘違いしたのか、アイリスより訝しげな視線を向けられるも、笑って誤魔化す。


「あ、ううん、ごめん。ちょっと考え事してた」

「食事の最中に考え事をするのは、あまりいいことではありませんよ?」

「うん、ごめん。それじゃ、改めて、いただきます」

「はい、めしあがれ」


 こういったやり取りも何処かかつての世界ちっくだなぁ、などと思いながらも、どうでもいいことかと思い直す。大体その疑問が晴れたところで、何かが変わるわけでもないのだ。それよりも食欲を優先させるべきだと、料理へと手を伸ばした。

 ちなみに現在使用しているのは箸である。これもまたかつての世界を彷彿とさせるものではあるけれども、少なくともこれは割と一般的に普及しているものだ。

 もっとも主食がパンである辺り、意識してしまうと若干の違和感も覚えてしまうけれども。僕はどちらかというとご飯派だったのだ。

 ただそれも、かつてのそれと比較してしまえばの話である。この世界ではこれが普通であったので、実際はそれほどでもない。パンを片手に噛み千切りながら、炒め物らしきものを箸で掴み口に運ぶ。


「味はどうですか? 今日はあまり時間がなかったので、簡単に炒めただけなんですけど」

「うん、大丈夫。いつも通り美味しいよ」


 それは本当のことである。いつも通りなのもそうだし、美味しいと思っているのも事実だ。

 けれど同時に、かつての記憶と一瞬比較してしまい、ちょっと物足りないかもしれない、と思ってしまったのも間違いなかった。

 多分そう思ってしまうのは、使用されている調味料の少なさからだ。かつて味わい慣れたそれらに比べ、これにはそれが足りていない。

 ただこれはアイリスの料理がどうこうというわけではなく、この世界の料理全般がそうなのだ。少なくとも僕が食べたことのあるものは、大体こんな感じであった。

 しかし十六年それで過ごしてきた記憶があるとはいえ――或いは、だからこそ、醤油や味噌といった味が恋しいと僅かにでも思ってしまうのは、仕方の無い事だと思うのである。

 とはいえそんなことを言ったところで、それを入手する手段などはない。ない以上は、諦めるしかないのだ。

 それにおそらくはこの感覚も、数日もすればなくなるだろう。元々不満があったわけでもなく、普通に美味しいと思っていたのだ。記憶が蘇ったばかりだからそれを強烈に意識してしまうだけであり、それが薄れればいつも通りになるだろう。


「そういえば、トウマさんは明日何か用事はありますか?」


 そんなことを考えながら料理を口に運んでいると、ふとアイリスから明日の用事について尋ねられた。自然と明日のことへと思考が行くも、特に用事は思い浮かばない。まあ予定が埋まってることの方が珍しいのだけれども。

 だからあるとすれば迷宮に行くかどうかぐらいだろうけれども、僕はあまりスケジュールをガチガチに組むタイプではない。前日に多少考えることもあるけれども、その日に何をするかを考えることの方が多いのである。

 とはいえそれでも。


「今日はさすがにアレだったし、さすがに明日一日は適当に休むかな?」

「そうですか……なら問題はなさそうですね」

「明日って何かあったっけ?」

「いえ、先ほどの異常の調査の件にも関わってくるのですが、その調査のために明日は一日東の迷宮は閉鎖される予定なんです」

「ああ、なるほど」


 前代未聞の事態だし、そのぐらいの対処は必要だろう。もっともそれは調査が大規模なものになるというよりは、おそらく安全の為なのだろうけれども。十も上の階層にやってきた魔物が居る以上は、他にもそういったものが居ないとも限らないし。

 基本的に迷宮で起こったことは、全て冒険者本人の責任となる。けれども本来では有り得ないような危険な事が起こる可能性があるのに、何もせずに放置するというのは、さすがにただのギルドの怠慢となってしまうだろう。管理を任されている以上は、それに対処する責任もある、ということである。

 尚、東の迷宮というのは、僕が行っている迷宮の正式名称だ。ラグナの東にあるから、というのが命名の理由ではあるらしいけれども……分かりやすくはあるものの、もうちょっと何とかならなかったのかとは思わなくもない。言ってもどうしようもないことだけれども。

 それに今はそんなことよりも大事なことがある。


「それって明日一日だけ?」

「厳密に言うならば、トウマさんから報告があった時点で検証に回され、トウマさんがギルドを出た頃には閉鎖のための処置がされていましたが、それでも予定では明日で終わる予定ですね。もっとも何か見つかった場合などは、その限りではありませんが」

「その時はどうなるか分からない、か」

「はい」


 まあそれは仕方の無いことだろう。管理を任されている以上は、雑に終わらせるわけにもいかないだろうし。

 もっともそれに遭遇した本人としては、何も見つからずに解放されてしまう方が、ある意味では不安があるのだけれども……それも言っても仕方のないことだ。


「ま、とりあえず今日は臨時収入があったし、仮に何日か閉鎖されることになっても問題はないかな」


 臨時収入とは、言うまでもなくオークキングでのことだ。

 まあ何日かというか、これまでの稼ぎから考えれば、百日だろうとも問題はないのだけれども。

 というか、それ以前に――


「そもそも私が養っているのですから、何日続いたところで問題はありませんけどね」

「……まあその通りなんだけど」


 自分で言うのは良いのに、人から言われると胸に来るのは何故なのだろうか。いや自分で言っていてもこないわけではないのだけれども。

 と、そうだ。


「臨時収入が入ったんだし――」

「以前にも言ったように、お金は受け取りませんよ?」


 無理だろうと思ってはいたけれども、言葉の途中で遮られた上で断られた。


「むぅ……」

「不満があるんでしたら、早く自分一人で生活できるようになってください。ただし」

「無茶は禁物、でしょ? 分かってるって。僕だって死にたくはないし」

「トウマさん、説得力という言葉を知っていますか?」

「……意味だけなら知ってるかな?」


 視線を逸らしながら、答える。まあ確かに、今日やらかした人間の台詞ではないけれども。

 それでも、死にたくはないのも、死ぬつもりもないのも事実だ。それは前から変わっていないことではあるけれども、今はそこにさらなる理由が付け足されている。何せ折角転生したということを思い出したのだ。それを無駄にするつもりはない。

 アイリスからジト目を向けられているのを感じながらも、ひっそりとそのことを再確認するのであった。

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