表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/54

第十話 有り得ざる厄介事

 迷宮の入り口というのは、地上に存在している遺跡めいたものの一部であることが多い。迷宮がかつて滅んだ文明の遺跡である、という論調が根強いのは、そういった理由からだ。

 まあ今はそんなことはどうでもよく、僕が今最も強く思っていることは、このまま後ろなんて振り返らずに全力でこの場から逃げ出したい、ということであった。本能もそうしろと、全力で同意を示している真っ最中である。

 けれども、その欲求に逆らって、僕は振り返った。その欲求と同じぐらい、振り返らなければならないと思ったからだ。そうしなければきっと、後悔することになると思い――そのタイミングを見計らっていたかのように、二度目の轟音が響いた。

 その瞬間視界に映し出されたのは、内側から爆ぜ飛んだ破片。かつては迷宮の入り口であったその場所の、瓦礫と化した残骸だ。


「いやいや……冗談でしょ?」


 本当に冗談であれば、どれだけよかったか。先の衝撃で吹き飛ばされたのだろう、少し離れた場所で倒れている二人の守衛の人を気に掛けている余裕すらもない。

 衝撃によって立ち昇った砂塵が、僅かに揺れる。それは風によってであり――直後、その中から一つの影が顔を出した。

 ――僕が現在所持しているパッシブスキルの一つに、危険察知というものがある。それは文字通り危険なものや事があった場合、一定確率でそれを認識することが出来るというものだ。

 しかし基本的にそれの有効範囲は数メートルでしかない。その理由は単純であり、それ以上遠い場合は、例え危険なものがあったとしても即座の危険には繋がらないからだ。

 けれどもそれは逆に言うならば、即座に危険に陥る可能性が高ければ、例え百メートル先にあったものに対しても判定が発生するということである。ちなみにここから迷宮の入り口があった場所までは、優に数十メートルはあるだろう。

 唐突にこんなことを言い出したのは、勿論それが関係あることだからであり――つまるところアレは、この程度の距離などものともしない怪物だということであった。


『――――』


 吼えるでも叫ぶでもなく、それは悠然と姿を見せた。

 ゆらりと現れたその姿は、一種異様なものである。何が異様かって、目が一つしかない、とかいう時点でそれ以上言う必要はないだろう。付け加えるならば、三メートルはあるだろう巨身や、有り得ないぐらいに盛り上がった筋肉などもあるけれども、結局のところはその異様さを際立たせるものでしかない。

 とはいえ異様な存在ではあるものの、言ってしまえば魔物などは大抵がそんなものである。しかしその上で、それを知っていて尚異様だと思えるような何かが、それにはあった。

 そして僕は、それが何であるのかを知っていた。

 けれどもだからこそ、それが有り得ないということを、知っていた。


「……サイクロ、プス……?」


 その名を口にしながら、自然と口元が引き攣る。

 魔物としてはそこまで珍しいものではない。むしろその特徴的な外見から、そこそこ知られている方だろう。

 その巨身から放たれる一撃や、強固な肉体は厄介ではあるものの、どちらかと言えば単調な動き故にそこまで脅威でもない。迷宮に存在している魔物の中では、組し易い方ではないだろうか。

 ただしそれはあくまでも、アレが現れる階層まで行ける者にとっては、の話である。

 ――中級の迷宮、第十二階層。

 アレが現れる、本来の場所だ。まかり間違っても、こんな見習いが通うような迷宮に現れていいものではない。


「……っ」


 この場での僕の最も賢い選択は、即座に踵を返し、この異常事態を街に知らせに走ることであっただろう。きっと何処の誰に聞いたところで、それを否定する人はいないに違いない。

 それはこんな場所にサイクロプスが現れた――ということでは、ない。

 迷宮の魔物が、外に出てきてしまった、ということであった。

 魔物という存在そのものは、迷宮の外にも存在してはいる。けれども迷宮に居る魔物が外に出てくるということは、ない。そもそもの話、以前にも述べたけれども、迷宮の魔物というのは異なる階層に移動しないものなのだ。

 第一階層に居る魔物は第二階層に下りることも外に出ることもなく、それはどの階層であろうとも変わらない。階層を跨いで存在している魔物も存在してはいるものの、それは階層を移動したからそうなっているのではなく、単にそれぞれの階層に元から居る、というだけなのだ。

 魔物は階層間を移動することはなく、外に出るなど以ての外。これはラグナに存在している迷宮のみならず、他の全ての迷宮においても常識なのである。

 少なくとも現在のところはそれが通説であり、実際その通りになっているのが現状なのだ。

 もっとも、未だ迷宮が発見されてから二十年弱。偶然その通りになっていただけ、と言われてしまえばそれまでなのだけれども。

 ともあれ、そういったわけであのオークキングは異常だったわけであり……コレに関しては既に言うまでもないだろう。

 ただ、そういった諸々の事情を考えるまでもなく、現状がどれだけ危険なのかは考えるまでもない。ここから街まではのんびり歩いて五分。あれが駆け出してしまえば、その半分どころか三分の一の時間すらも必要ないだろう。

 とはいえ城壁があるから即座にどうなることはないだろうものの、その城壁のせいであの街が目立ってしまっているとも言える。さらには偶然にも城門に辿り着いてしまえば、その周囲に居る人達が危険だ。

 何がやってきてもすぐに知ることが出来、対処が可能だとは言ったけれども……それはあくまでも常識の範囲内のものが対象である。迷宮産の魔物は――アレは、その範囲外だ。

 それでも全ての冒険者が迷宮に出かけているわけではないため、結局は討ち取られはするだろうけれども……それまでに果たしてどれだけの被害が出てしまうか。

 ――などと、殊勝なことを考えているわけではな、実はなかった。ぶっちゃけた話、見知らぬ人がどうなっても構わない……とまでは言わないまでも、その人達を助けるために自分の命を賭ける、と思うほどでもない。

 ただ、ここから最も近い城門は、東の門だ。そこは僕が日常的に出向く場所であり……リリィやソフィーなど、知っている人達が居る場所である。

 僕が街へと駆け出せば、きっとあれを招きよせることにもなるだろう。結果的にそれが一番確実ではあるし、おそらく僕が助かる可能性も一番高いものの、同時に少なくない被害が生じる。

 それに僕の知り合いが巻き込まれる確率は、きっと高くはないのだろう。けれども、おそらく低くもない。ついでに言うならば、僕が途中で追いつかれる可能性もあって……ああ、そうだ、それに、今地面に倒れている二人の守衛は、助からないだろう。

 僕は彼らの名前を知らない。彼らも僕の名前などは知らないだろう。けれども、遠めに眺めて知ってる顔だと分かる程度には、見知った関係だ。迷宮に来た時に許可証を提示して、それを確認して、一言二言言葉を交わす程度ではあるけれども――それでもきっと、知り合いと呼ぶには十分過ぎた。


「――オープン」


 気が付けば、僕はその言葉を紡いでいた。眼前に現れる透明な板を視線だけでなぞり、続けて一つの画面を出現させる。

 それはアイテム画面だ。そこにはギルド証などの僕が現在所有している――物理的に持ってはいないけれども――物が表示されており、けれども今必要なのは一つだけである。

 それ――アイコンと化している一つの剣を視線で掴むと、そのままアイテム画面の外へと向かうように誘導していく。そしてそれが外に出た瞬間、その場所にアイコンとよく似た、一振りの剣が現れた。

 予備の剣であり、今日は使う予定はなかったので、こっちに仕舞っていたのである。

 こうした現象を目の当たりにしてしまうと、本当にまるでゲームのようだとは思うものの……今はどうでもいいことだ。


「……さて」


 右手で掴み、構え、遠くに見えるその威容を眺める。何故か未だ動きはないものの、いつ動き出しても不思議ではない。集中を切らさないよう気を付けながら、ゆっくりと息を整えていく。

 ――怖くないのかと問われれば、怖くないわけがないと答えるだろう。一瞬先に肉塊と化している自分を幻視し、剣を握る腕が僅かに震える。

 それでも、と思えるのは……思ってしまえるのは、一度死んだ経験があるからか。あまり関係がなさそうだなぁ、と思いながらも、覚悟が決まってしまえば頭は冷えていく。

 まともに相手をする必要はない。というか、出来ない。それをするためには、こちらの力が根本的に不足していた。

 ただ、それも結局はやり方次第だ……と言いたいところだけれども、工夫をするにしても力の差がありすぎるだろう。それでも、少しでも可能性を引き寄せるために、探知を起動する。

 視界が薄い膜で覆われ、視界に映し出されるのはサイクロプスのステータス。探知は魔物のステータスも表示することが出来る……というよりは、そもそもこっちが本来の使い方だ。

 レベルは二十六。やはりこちらとは差がありすぎるものの、そこは予想の範囲内である。

 けれども、予想通りであったのはそこまでであった。


「……体力が半分以下に減ってる? いや、それよりも……恐慌?」


 表示されている現在の体力は最大値の半分以下であり、さらには現状の状態が恐慌となっている。明らかに普通ではなく……しかしよくよくそれを――ステータスではなく、それそのものの方を――見てみれば、なるほどと納得できるものであった。

 それ以上見ていても意味のないスキルを切り、明確になった視界に目を凝らす。サイクロプスの茶色の肌は遠目には分かり辛いものの、所々傷つき、また煤けていた。

 恐慌に関しては傍目には分からないものの……そう表示されていたということはそうなのだろう。吼えるでもなく悠然としているように見えるけれども、実際には混乱しそれどころではない、というところなのだろうか?


「ということは……」


 そうして考えていけば、現状の疑問に対する答えのようなものへと辿り着く。確証はないものの、これならば現状の説明が付くだろう。

 迷宮の魔物は階層を移動することがない。これは原則不変であるものの、実は一つだけ例外がある。

 それが、エリアボスだ。

 エリアボスとは十階層毎に存在する、云わば迷宮の壁となる魔物である。その階層に居る他の魔物に比べワンランク上の能力を持ち、先に進むにはそれを倒さなければならない。

 いやまあ厳密に言えば次の階層に行くための場所に陣取ったりしているわけではなく、その階層を徘徊しているだけなので、上手く移動すれば避けて通ることも可能ではある。けれども、普通はやらないだろう。

 何故ならば、どうせいつかはそれクラスの魔物と戦わなければならないのであり、迷宮は行きだけでなく帰りのことも考える必要がある。より疲労の濃い帰り道にそんなものに遭遇してしまったらどうなるかは……まあ、考えるまでもないだろう。

 ならば逃げればいい、というのは、浅はかな考えだ。確かに普通の魔物であればそれは有効である。魔物は何故かは分からないものの、階層を移動することが出来ない。

 けれども、エリアボスは例外だ。

 そう、エリアボスは階層を移動することが出来るのである。普段そうしないのは何らかの理由があるのか、逆に何らかの理由が生じた時のみそれが可能になるのか、それは不明ではあるものの、エリアボスが冒険者を追って階層を移動できる、ということだけは事実だ。

 なのでアレがエリアボスだとするならば、或いは外に出てくることも可能かもしれない。勿論それだけでは説明が付かないこともあるけれども……それをさらに補足するのが、現在の状態である恐慌だ。

 魔物は基本的に冒険者、というか敵対する存在を見かければ襲ってくる。ただしこれにも例外はあり、あまりにも実力の離れている相手の場合はそうしないどころか、逆に逃げることすら有り得るのだ。

 さらには多少知恵の回る魔物ならば、自分が不利な状況に陥った場合にも、逃走を図ることがある。サイクロプスはあまり知恵の回る魔物ではないはずだけれども……エリアボスだということを考えれば、有り得ない話ではない。

 というか実際にこうして外に出てきている以上は、そう考える方が妥当だ。原因不明の異常事態が発生した、と考えるよりは、余程有り得る話である。

 ついでに言うならば、これによってオークキングがあんなところに居た理由も説明が付く。

 エリアボスには他にも特性があり、周囲の魔物の士気を上げ、各種ステータスを上昇させる能力――というか、スキルを持っているのだ。これが余計にその脅威度を上げているのだけれども……それは稀に、一つの副次的な効果を持たせることがある。

 それが、対峙している冒険者が逃走した場合、それを階層を超えてまで追いかける、というものだ。

 あのオークキングが、その効果を受けていたのならば。あの件もそれで説明が付く。

 ただ、オークキングが存在している階層はエリアボスが居る第十階層ではない、どころかそれよりも下だ。というかそもそも第十階層のエリアボスはとっくに倒されているはずであり、他の魔物とは異なり、一度倒されたエリアボスは特定の条件が発生しなければ復活することはないはずである。

 それらのことから考えると、流れとしてはこうか。

 まず、あのサイクロプスは、第二十階層のエリアボスだということ。東の迷宮の最大踏破階層は第十五階層であるので、それより下に居る魔物が中級の迷宮クラスのものであってもおかしくはない。

 そして誰かがそこへと向かった。けれどもそんなものが居るとは予想していなかったので、逃走し――しかしエリアボスであるから、当然サイクロプスは追いかけてくる。

 途中、第十三階層でオークキングがさらに加わり……或いは他にも加わり、少なくとも、そのまま第三階層までは逃げたはずだ。そこでついに力尽きたのか、或いは生贄を用いて逃げ延びたのか……まあ、大体そんなところだろう。

 多分に想像と推測が混じってはいる上に、不可解な部分も多い――最大踏破階層が第十五階層なのに、何故、誰が、第二十階層へと行けたのかなど――けれども……今のところ分かっている情報から、無理のないように推測して得られる結論は、これしかない。


「まあ、それが分かったからといって、どうしたのかって話なんだけれども」


 結局のところ重要なのは、おそらくアレは本来の階層よりも上の階層に居て、そこを誰かに襲われたのだろう、ということである。オークキングに関しては蛇足だ。

 そしてその誰かを、多分僕は知っていた。

 あの、朝早くからギルド前に居た彼女である。

 彼女ならばサイクロプスよりもレベルは上であるし、アイリスが言っていたのが彼女であるならば、中級の上位らしいからサイクロプスとも互角以上に戦えても不思議ではない。

 しかしそこで何らかのトラブルでもあったのか――ここの迷宮でサイクロプスに遭遇することが既にトラブルだけれども――サイクロプスが逃走し、こうして外に出てきてしまった。

 それもまた想像と予測が混ざったものに過ぎないし、半分ぐらいは希望的観測も含まれてはいるけれども……きっとそれほど間違ってもいない。

 となれば。


「僕がすることは、時間稼ぎ、かな?」


 恐慌。何かを恐れているということは、その対象を倒せてはいないということ。つまり時間を稼げさえすれば、彼女がここに戻ってくる可能性は高い。

 まあ、というか最初から時間稼ぎ以外のことをするつもりもないのだけれども。それしか出来ないとも言う。あんなものを今の僕が倒せるわけがないのである。

 もっともそれさえも出来るかどうかは、分からないけれど。

 そして、そうしてこちらが自分のすべきことを認識したのに合わせたかのように――目が合った。


「……ああ、なるほど」


 それなりの距離があるはずだけれども、その瞬間理解したような気がした。アレはやはり恐怖を感じ続けていたのだ。

 何もしていないように見えたのは、おそらくは一時的な安堵を覚えていただけ。少しの間だけ落ち着き……しかし周囲を見回し、自分に恐怖を与えたものと同じような存在を発見した瞬間、再び恐怖がぶり返した。そんなところだろう。

 一瞬で恐怖に濁ったその目から、漠然とそんなことを理解し――それ以上の思考を続ける暇はなかった。

 視界の中を巨体が駆け、臨戦態勢を取っていた僕の身体も動く。

 直後、周囲を轟音が響き渡った。













 ――冗談じゃない、というのが、その瞬間僕の頭を過ぎった思考であった。

 こちらに向かってくるサイクロプスの動きは素早いものではない。いや、十分速くはあったのだけれども、捉えられないほどではないし、反応出来ないほどでもない、という意味だ。棍棒のようなものを握った腕を振り上げたのも見えたし、それが振り下ろされる軌道の予測をするのもそれほど難しくはなかった。

 だから当たり前のようにそれを受け流し、続けて反撃するために動こうとし――瞬間走った悪寒に、半ば無意識のうちに地面を蹴っていた。

 それは攻撃を見切ってギリギリのところで避けるというものではなく、見栄などを一切排した全力での回避だ。両足が地面から離れ、一瞬にして後方へと数メートルほど飛び退く。

 そして。

 直後、巨身の腕が地面に叩きつけられ、爆ぜた。


「いやいや、本当に冗談じゃないって……」


 呟いたのは、余裕があるからではない。冗談のような光景に、それしか出来なかっただけだ。

 へこむなどと生易しいものではなく、それはまさに爆発であった。轟音と共に土が抉られ、衝撃によって諸共吹き飛ばされる。

 そうして出来上がったのは、小さなクレーターだ。深さの割に幅がないことが、どれだけ狭い範囲に威力を収束させていたのかを示している。

 しかもそれでいて周囲にも被害を出しているのだから、どうしようもない。直撃は勿論のこと、余波を受けただけでただでは済まないだろう。

 その事実に、ようやく思い出した。ぬるま湯のような――それでも手一杯ではあったのだけれども――戦闘ばかりで、すっかり忘れていた。

 これが、これこそが魔物だ。その戦闘は常に死と隣り合わせであり、特に力量差のある魔物とのそれは一瞬の油断が死を招く。

 まずその力量差がどれほどあるのかも把握できていないのに、接近戦を挑むなど愚の骨頂である。馬鹿と言われても、何一つ反論することは出来ない。

 そもそもアレが本来居る場所を考えれば、こちらと戦闘なんて発生するはずがないのである。発生するのは一方的な――否、一瞬の虐殺だ。

 下手をすれば昨日のオークキングとの戦闘よりも彼我の戦力差はあるかもしれないのである。それが曲がりなりにも戦闘になりそうなのは、アレの状態と、どうやら攻撃力特化でありそうなところからだ。おそらくその分速度などは控え目なはずであり、そうでなければ先の一撃で死んでいたかもしれない。

 本当に、ゾッとしない。


「そしてそれを思い出したところで、悠長に反省してる暇は与えられない、と!」


 当たり前のことを叫びながら、再度後方に大跳躍。地面が爆ぜるのを空中で眺めながら、さてどうしたものかと考えつつ着地した。

 当然のことを思い出したところで、やはり当然のように現状が変わることはない。精々が、今までよりもさらに慎重に動くようになったことぐらいだろうか。現状の打破に繋がることでないことは確かだ。

 もっとも現状の打破は、結局のところ最初から一貫して他人任せである。時間を稼ぐということを考えれば、慎重に動くのは悪いことではないだろう。


「まあ、あんまり慎重過ぎると別の問題が発生しそうだけど」


 それで他の物や場所に――例えば城壁などに興味を移されては、元も子もない。意識はこちらに向けさせつつ、慎重に相手のことを探りながら、ひたすらに時間を稼ぐ。

 言うだけならば簡単で、それを実行に移すのが難しいのは言うまでもないことだけれども――


「やるしかない、か」


 元より覚悟は決まっている。ならばやはりやることに違いはないと、地を蹴った。

 サイクロプスは一つ目の魔物である。その目は大きくとも、一つであることに違いはない。つまりは、二つ目の生物に比べて視界が狭いのだ。さらには三メートル強の巨身ということもあり、遠くが見やすい代わりに近くが見辛い。

 それらの事実は即ち、至近距離での死角となる範囲が広くなる、ということを示していた。

 接近した瞬間にその腕が振り上げられ、恐怖に竦みそうになる身体を強引に動かす。振り下ろされるよりも先に一歩を、叩きつけられるよりも前に二歩を。

 衝撃だけでも受けてしまえば、きっとその瞬間に足は止まる。そして次に動き出すのよりも早く、僕の身体は肉の塊になるだろう。

 明確に描き出せる未来を、しかし僕は駆け抜けることで否定した。ただ一歩でも多く前に、一センチでも多く先に。前に辿り着き、横に並び、後方へと追い越す。

 瞬間、後方から響いたのは轟音。けれども、衝撃が僕に届くことはなかった。

 普通衝撃というものは周囲に伝わるものだ。しかしそれが強すぎ、さらには至近で発生した場合、当然ながら自分もその余波を受けてしまう。それは、あまりに間抜け過ぎる攻撃だ。

 だから、サイクロプスの攻撃はそうではないのだと考えたのである。或いは単に耐えているのではという可能性も考えたのだけれども、上空から見た光景がそれを否定していた。

 真正面から平面的に見た場合は分かりづらかったけれども、上空から立体的に見れば一目瞭然。衝撃は、サイクロプスの前方にのみ発生していたのだ。

 それは技術なのか、或いはスキルによるなのかは分からないけれども、どちらであろうとも違いはない。つまりやはりサイクロプスは攻撃による余波を受けてはおらず、こちらもその横を抜けてしまえばそれを受けることはない、ということである。

 もっとも、少しでも遅れていればそこで終わりだっただろうけれども、危険を冒さずにどうにか出来るほど、生易しい相手ではない。慎重に動くということは、危険に足を踏み入れない、ということではないのだ。

 そして轟音を耳にした次の瞬間には、僕の身体は動き始めていた。

 攻撃の瞬間に隙が生じるのは、どんな生物であろうと、魔物であろうとも変わりはない。そこを突くのは基本であり、そのために敢えて危険に飛び込んだのだから、むしろそれをしない理由の方が存在しないだろう。

 踏み込んだ足を軸にして、その場で回転。それと共に、剣を持った右腕が振り抜かれた。

 移動によって生じた力を回転に変換し、それをそのまま乗せた剣が、自身の力と合わせて叩き込まれる。

 さらには、合わさる力はそれだけではない。視界に映っているのは一つの画面。


 ――アクティブスキル、アタックスキル:スマッシュ。


 僕が現在所持している、唯一の攻撃用のスキル。オークキングに使った時には効果が分かりづらかったけれども、このスキルは本来攻撃の瞬間一度だけその衝撃を増加させる、という、効果を持つものだ。その説明文からは効果の程がいまいち分かり辛いものだけれども……まあ、要するに攻撃力を増加させるという解釈で間違ってはいない。

 それら全てが混ざり合った剣が、サイクロプスの胴体へと吸い込まれていき――


「――なっ!?」


 硬質な手応えと共に、腕ごと刀身が弾かれた。

 単純に攻撃力が足りていなかったのか、それとも相手の防御力の方が圧倒的に上だったのか……或いは、それ以外の何らかの要因か。しかし何が原因であろうとも、攻撃が通じなかったことに違いはない。

 そして、攻撃の直後に隙が生じるのは、やはり僕も変わりはなく、そのことをそれ以上考えている暇はなかった。


「っ!」


 ――アクティブスキル、サポートスキル:ハイジャンプ。


 脇目を振るう余裕もなく、スキルまで使用しての全力逃走。一瞬にして身体が重力の楔から外れ、轟音と衝撃がその場を襲ったのはその直後だ。

 間一髪、といったところではあるけれども……全てが上手くいくはずないのは道理である。


「っ……掠った、か……でも、この程度で済んで僥倖、ってところ、かな」


 掠った先は左足だ。痛みに顔を顰め、そのせいで着地に失敗して無様に地面を転がる。

 けれども、わざわざスキルを使用した意味はあった。スキルを使用していなければもっと近くで転がっており、さらなる追撃を避けることは出来なかっただろう。

 今も追撃が来たらどうにか出来る自信はないけれども、それまでにはほんの少しとはいえ時間がある。その間にアイテム画面を表示させ、一つのアイテムを視線でその画面外へと移動させていく。

 そうしてそれを解放すれば、虚空には一つのアイテムが出現した。試験管のような……というか試験管そのままの容器に、中には緑色の液体が入っている。

 それを手で掴み、見詰め、迷い――一気に喉に流し込んだ。


「……っ、相変わらず、まず」


 味は最悪と言ってよかった。未だ口の中と喉に残っている不快感に、先の痛み以上に顔を顰める。

 けれども、効果はすぐに現れた。足の痛みが消え去ったのである。

 今飲んだのが、ポーションだ。昨日全部使い切ってしまったものだけれども、実はここに来る途中で念のために補充しておいたのである。まあさすがになければ戦おうとは思わなかっただろうけれども。

 ポーションは所謂治療薬ではあるものの、もう少し具体的に言うならば、肉体の疲れや、ある程度ならば傷まで癒してくれる薬、だ。その原理は不明ではあるものの、高級なものであれば切断された腕さえくっ付くとか。

 これは最低級のものではあるものの、この程度の傷を治すには十分である。

 とはいえ疲労等であればともかく、これは傷を一瞬で治すことが出来るものではない。あくまでも徐々に治していくものであり、それでも一時的にならば鎮痛剤的な使い方が可能である。

 そこで無茶をすれば治るまでに時間がかかったり、さらなるポーションが必要になってしまうこともあるけれども……この状況で片足が使えないよりはマシだ。


「……よし、何とかなりそう、かな」


 立ち上がると共に左足で軽く地面を蹴り、痛みが走らないことを確認する。外傷はないのだし、この状態で動き回ってもそれほど酷いことにはならないだろう。

 まあ、どちらにせよ、そんなことを気にしていられる余裕はないのだけれども。

 そうしてサイクロプスのことを改めて眺め――


「……立ち直る切欠を与えちゃったかな、これは?」


 その瞳を目にし、口元が引き攣った。

 恐怖と混乱で濁っていたそれが、明らかに元に戻りつつある。このまま冷静さを取り戻されたら、今の僕では時間稼ぎすら出来るか分からない……というか、無理だろう。

 かといって、回避ばかりを続けていたところで、結局は同じ結果になったに違いない。それを何とかするために、危険を承知で飛び込んだのだけれども……まさかまったく攻撃が通じないとは思わなかった。

 サイクロプス自身も、僕の攻撃が通じないということは分かってしまっただろうし、もう攻撃はフェイントにすら使えはしないだろう。

 これで実は先ほどのが手加減していたもので、油断したところで一撃をかます、という作戦だったらよかったのだけれども、生憎と先ほどのは今の僕が考えうる最強の攻撃だ。あれが通用しなかったらもうどうしようもない。

 あと考えられるのは、この戦闘中にサイクロプスにも通用するスキルを覚える、ということだけれども……常識的に考えて無理だろう。

 一応可能性としてはあるものの、それよりも僕が肉塊に変わる確率の方が圧倒的に高い。さすがにそれは、無茶や無謀といったものだ。


「僕が漫画の主人公とかだったら、ここで何らかの力に目覚めたりするんだろうけどなぁ……」


 どうしようもなさに、ついそんな戯言が漏れる。というかまあ、つい先日目覚めたばかりだけれども。

 しかし主人公ではないからか、それは今すぐ役に立つようなものではなかったし、この状況でもやはり役には立ちそうにもない。


「まあそれでも、どうにかするしかないか」


 構えながら、溜息を吐き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ