塩尻峠の餓狼
2020 3/26 誤字修正 6/20 指摘により修正
天文十七年三月十二日、雪解けの季節で足元の泥濘に苦しめられながら、行軍を行ってきた塩尻方面の大将小笠原孫次郎は、緩やかな傾斜の塩尻峠の上に現れた堅牢な砦に驚き、大声を上げて塩尻の領主三村駿州を呼べと叫んだ。
「なんだあれは、何故このような場所に砦があるのだ!!塩尻を統治してるのは、三村駿州ではなかったのか!!」
堅牢な砦の周囲は逆虎落と浅いながらも空堀に囲まれ、所々に土嚢を積んだ丸曲輪の作りは、簡単に占領出来るような砦ではなかった。
その砦には武田勢が大勢籠っており、小笠原領の境目だと思ってた場所が遥か昔から占拠されてる事実に、将兵達は愕然としていた。
「三村一族はどこか!?駿州を早くここに呼べ!!!」
「孫次郎様、大変です!!仁科勢、二木勢、西牧勢、山家勢が戦線を離脱して行きます!!」
「何!!己、嵌められた!!あ奴等武田へ通じておったのかっ!!!」
五千の兵を率いてた小笠原孫次郎は、武田に通じてた輩が勝手に離脱した為、一瞬のうちに二千人以上減らした事に愕然としたが、それでも闘志は尽きなかった為、残り三千の兵で、あの砦を攻撃する事にした。
「皆の者!!謀反起こした奴等の始末は目の前の戦を終えた後にしろ!!」
そう言うと戦場に留まってくれた犬甘大炊助、赤沢伊豆守、星野内膳正に檄を入れた。
小笠原勢三千は鯨波を上げながら、浅い空堀を越えて、逆虎狩を引き倒そうとしたら、砦内から、鉄砲の銃撃、矢や印地打が雨の様に飛んできて、次々と将兵達は撃ち倒されていった。
赤沢豆州とその家臣達は、父と共に京で管領細川家に仕えて、畿内での城攻めの経験は豊富だったので、武田勢の激しい抵抗と思いながらも将兵達に畿内に居た頃から使わせてた楯で身を護り、将兵の損耗を巧みに減らしていた。
しかし武田勢からの弓矢に当たり、小笠原右馬助の股肱の臣犬甘大炊助が武運拙く戦死してしまう。
これにより、大きく動揺した小笠原勢に対して、山縣三郎兵衛尉と工藤源左衛門尉の将兵千が丸曲輪から飛び出して、小笠原勢の中で散々暴れまわった。
「源左衛門尉よ、某と競争しないか?」
「三郎兵衛尉、何の競争だ?」
「どちらが多く大将頸を取るかだ!」
「ふっ、くだらんな。我は頸より、ただ御屋形様に勝利を捧げるのみ!!」
二人は、お互い憎まれ口を叩きながら、羊を追い回す餓狼の様に次々と小笠原勢を馬上槍で突き刺していくので、半刻もしない内に松本方面へ潰走していった。
「皆、踏みとどまれ!!敵は我等より少ないはず・・・・」
「其方は、ここの大将と御見受けした。我は武田家家臣、山縣三郎兵衛尉昌景与力小菅五郎兵衛信景なるぞ、いざ尋常に・・・・」
赤沢豆州が昔からの子飼いの将兵達の指揮を保とうとしたが、目の前に現れた赤備えの軍勢数百に散々蹴散らされて、仕舞には赤沢豆州自身が山縣三郎兵衛の従兄弟小菅五郎兵衛信景に討ち取られてしまった。
この状況に犬甘主馬助政国は、このままでは大将まで討ち取られると思い、小笠原孫次郎を逃すべく無理やり兜と具足を孫次郎から奪い取り、兵を纏めて退却を命じた。
「孫次郎様、この戦は完全に負けです。このままでは、孫次郎様の頸が狙われます。だから某に兜と具足を預けください。そして兵を纏めて、次の戦いに勝ってください。」
「主馬助、其方の思いは絶対に忘れぬ。だから死ぬな!!小笠原家は其方が必要なんだ。」
「某は、孫次郎様の指揮の元、最後に一緒に戦えて嬉しかったです。また次の世も小笠原家に仕えたいと思います。」
そう言うと武田勢の中に飛び込み小笠原孫次郎貞種と名乗り、工藤源左衛門尉昌豊の家臣増谷金五郎教具が犬甘主馬助と戦い、増谷金五郎に組討を挑まれ鎧通で頸の根を刺されて討ち取られてしまった。
犬甘主馬助政国、赤沢伊豆守政経と五百余りが討ち取られたが、何とか撤退に成功した孫次郎は、残された二千余りの兵を纏めて、小笠原右馬助と合流すべく、塩尻の町に陣を引いてる小笠原右馬助との合流を目指した。
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塩尻方面の小笠原勢が、塩尻峠の砦と味方の離反に動揺して撤退した頃、狭い街道を勝鶴峠に向かって進んでた小笠原左衛門尉の部隊は、こちらも突如として砦の出現に驚いたが戦場での経験が豊富な左衛門尉は、一旦部隊を停止させ武田勢の奇襲を警戒しながら、武将達を集めて軍議を行う事にした。
軍議を行うと伝令から聞いて、一足先に叔父小笠原左衛門尉と合流した小笠原右馬助の次弟小笠原彦七郎は、怪訝な顔して勝鶴峠の砦を見ていた。
「塩尻領は、確か三村駿州殿の領地だったよな。何故このような砦が勝鶴峠に置かれているのだ?」
「某は、三村駿州殿があれだけの砦を見落としてたとは考えにくい。武田と通じてたと考えるのが自然だろう。」
「叔父上、そしたらここはもう敵地です。周囲のどこからでも攻められてもおかしくない。」
「まずは三村駿州殿の話を聞こうではないか。」
すると慌てた戻ってきた伝令が、三村勢、島立勢兵一千が退却してるとの報を持ってきた。
「叔父上、三村駿州に謀れたわっ!!」
それを聞いた小笠原左衛門尉は、集まった武将達にすぐに告げた。
「ここはもう敵地だ、すぐに撤退しようと思う。」
その様な事を語られた諸将は、すぐに承知したと言う話にはならなかった。草間源次郎は、塩尻峠は一里も離れてないので、半刻もあれば向こうの様子を確認してから撤退か戦闘かを考えたらいいと言う。
草間源次郎の考えに賛成する者は、日岐丹州、細萱河州、耳塚作左衛門が同意した為、塩尻方面へ伝令を送る事になった。
その頃、勝鶴峠の砦にも塩尻峠の山縣三郎兵衛尉と組弩源左衛門尉が戦果を上げた事が伝わると、春日弾正忠も出撃したいと直訴したが、勝鶴の小笠原勢が乱れてない様子を見てた馬場民部と諏訪刑部は攻撃に難色を示した。
「源五郎よ、今はまだ好機ではない。三郎兵衛尉と源左衛門尉に触発されて、己も戦果を上げたいと思うのは解るが、軽挙妄動を慎む事こそ御屋形様が、我らを勝鶴峠に派遣した真意と思うぞ。」
馬場民部は、春日弾正忠をそう諭して気持ちを落ち着かせる。
また諏訪刑部は、小笠原勢の事をじっくり観察してた事を語り始めた。
「小笠原勢は、このまま勝鶴峠に対陣してる訳にもいけまい。このまま対陣してると百姓の農作業に影響する。武田も動員を継続してるのはつらいが領内では、四郎の機転で昨年から流民や河原者、山家者に仕事を与えて、農作業の安定化を図ってるし、飢饉に強い作物や荒地や枯れた土地にも強い作物の栽培が積極的に行われてるので、領民達の飢餓を解消しつつあるのも大きい。」
すると春日弾正は言う。
「武田は敵に飢えた餓狼ですが、小笠原は食べ物に飢えた餓狼ですな。」
「武田も諏訪もつい最近まで、小笠原と同じでした。少しづつですが、民衆達にも食料事情に余裕が出てきましたが、まだまだ安心は出来ますまい。」
「そういえば、四郎はまた新しい事を今やろうとしてて、高遠家家臣達に仕事を任じてるらしい。」
三人は火鉢に身体を温めながら、こういった他愛の無い会話で、息抜きが出来るようになってきた武田家の事情が武田家発展の実感を受けていた。
逆虎落 騎馬に対して斜めに木々を組み合わせた防御施設。木々の先端を鋭くしてるので、馬が刺さる事を躊躇させる為、騎馬兵の行動を制限させる防護柵。
丸曲輪 武田家独自の曲輪で、曲輪の左右から兵士達を出撃させる出入り口がある。現代で言えばトーチカ(稜堡塁)に役割が似てる。有名な丸曲輪は、大阪城で真田幸村が作った真田丸。
印地打 投石攻撃。武田家には投石専門の足軽部隊がおり、投石攻撃で敵を殺傷出来る強力な攻撃を行う。




