三州安祥城合戦③
痺れ薬が塗られた矢を受けて、思うように戦えなくなった柴田権六郎勝家はあわや落命する所、父柴田土佐守勝義から支援を命じられた佐々隼人正政次・孫介成経兄弟が駆けつけ、柴田権六郎に群がる今川兵を蹴散らして、動けぬ権六郎を郎党達に命じて後方に引き上げる事に成功した。
しかし柴田権六郎の負傷は今川勢の士気を盛り返し、兵力の劣る織田・大給松平連合軍の士気を大いに落とした。
そして織田方の指揮官柴田土州は、連合軍の不利を悟り大給城救出が叶わぬ事理解し、最低限城外で奮戦している大給松平家の将兵を救出して、戦場から離脱する事を判断する。
「皆々(みなみな)、権六郎が負傷した。 幸い佐々兄弟に救われたが、飯尾勢の勢いは盛んだ。 これにより大給城の救援は断念せざるえないが、大給松平家の者達は城から出撃して我々と一緒に戦っていた事が、尾張へ一緒に引き上げやすくなった。 儂が殿となり、ただちに大給松平家の者達と一緒に尾張へ下がるぞ。」
「とっ、殿!! 我々が殿になります故、殿は御下がりくださいませ!!」
元今川家家臣で、今川義元と諍いを起こして出奔した賀島帯刀長重が、自ら捨て石となって今川勢を足止めするので主君柴田土州に進言すると、柴田土州は僅かな時間逡巡すると自らの考えを皆に伝えた。
「皆の者!! 我々は賀島帯刀勢二百を残して、大給松平殿と一緒に尾張へ撤退する。ただちに大給松平殿へ伝えよ!!」
柴田土州は素早く将兵に指示を出すと、自らの太刀を賀島帯刀へ渡した後、語りかけた。
「賀島よ、その太刀は我が柴田家の祖先が宗家の斯波家に仕えていた時代、宗家から褒美として賜った物を柴田家の家宝にしてる太刀よ。 その太刀を必ずや儂の元へ持ち帰れ!!」
「ははっ、再び上社城にて殿に会い、この太刀を御返し御座いまする!!」
柴田土州から太刀を受け取った賀島帯刀は、賀島衆兵二百にこの場所で今川勢を食い止めると宣言し、味方の織田勢と大給松平勢合わせて兵千二百余りを見送った。
そして撤退した織田勢を見送った後、撤退する織田勢に追撃を開始した今川勢は早速賀島帯刀へ襲い掛かった。
「各々方、織田勢は大給城を捨てて尾張へ逃げ去るぞ!! 織田勢を三河から生きて返すな!!」
追撃する今川勢の先頭に垣塚右衛門郷友が、足軽達を煽りながら自ら手柄を立てようと前のめりに追撃を行うと、賀島帯刀が方陣を組んで垣塚右衛門の先鋒を正面から受け止めた。
「最初に来たのは、垣塚右衛門かっ!! 右衛門よ、ここから先には行けぬと思え!!」
賀島帯刀は、数年前まで今川家で同僚だった垣塚右衛門が先頭にいるのを発見すると、ニヤリと笑みを浮かべて、足軽達に長槍で垣塚右衛門を突かせた。
「そこにいるのは、裏切り者の賀島帯刀かっ!! 者共、裏切り者の賀島帯刀の頸を狙え!!」
群がる今川勢に対し、賀島衆二百は数が劣勢なのにも関わらず誰一人も引かず、逆に垣塚勢を蹴散らし始めた。
兵が賀島衆の二倍近く預かってた垣塚右衛門は賀島衆二百の勢いに押され、僅かの時間に百人近くの足軽が討ち取られて、裏切り者の賀島帯刀に面目を潰された事で、我武者羅に賀島帯刀の頸を取るのに突撃を行った。 そして垣塚右衛門自ら突撃してきた事で、賀島帯刀は直接垣塚右衛門と相対し一騎打ちを挑んだ。
「垣塚右衛門、ここから先は拙者を討ち取らねば行けぬぞ!!」
「賀島帯刀、ならば其方の頸を殿の元に献上しようぞ!!」
乱戦の中、賀島帯刀と垣塚右衛門は十数合の槍合わせを行ったが、最初に賀島帯刀の槍が折れたので、垣塚右衛門は優勢になったが、柴田土州から預かった太刀で垣塚右衛門の槍を切断した。
お互い槍を失い太刀での斬り合いになったが、決死の覚悟を持ってた賀島帯刀は垣塚右衛門の左脇から心臓付近を突き刺して、よろめいた所に垣塚右衛門の頸を跳ね飛ばした。
垣塚右衛門を討ち取りって、垣塚勢は狼狽して逃げ出す足軽達が多くいたが、休む暇なく続いて第二陣の江馬加賀守時茂の軍勢が現れ始めた。
江馬加州がまさか垣塚右衛門が討ち取られた事に大い驚き、逃げてきた垣塚勢からこの先で待ち構えているのは、裏切り者の賀島帯刀だと知った。
「なんと!! 裏切り者の賀島帯刀が殿なのか。 垣塚右衛門は手柄を焦ったな。」
そういうと、柴田権六郎を傷付ける功を挙げた谷部次郎右衛門を再び呼び、垣塚右衛門が討ち取られた事を伝えて、賀島帯刀を討ち取れないか?と話した。
「殿、賀島帯刀は恐らく死兵と化してるでしょう。 ならばこのまま足軽を前に出しても犠牲が増え続けますので、兵を分けて横からつついて方陣を崩した所、攻撃を行うのはどうでしょうか?」
「別動隊の動きを察知されたら、攻撃がうまくいかなくなるな。 ならば儂が賀島帯刀に正面から圧をかけて拘束するので、其方は別動隊を率いて賀島衆の裏に回れ。」
「承知しました。」
江馬加州は、谷部次郎右衛門に兵二百を与え、自らは江馬衆と大将を失った垣塚勢残党を合わせて五百余りで賀島衆に当たった。
三倍以上の江馬勢から攻撃を受けた賀島衆は一刻近く耐えたが、尾張方面に廻り込んだ谷部次郎右衛門に対して、とうとう崩れてしまった。
もはやここまでと思った賀島帯刀は、傍にいる老臣藤木作衛門に介錯を頼み、今川勢に打ち取られる前に自刃してしまう。
そして藤木作衛門も主君に続いて自害しようとしたが、死ぬ直前に太刀を貸してくれた柴田土州の元へ戻るように命じられた事で、命からがら尾張上社城まで太刀を持って逃げる事に成功した。
藤木作衛門が柴田土州の元へ戻って、太刀を返そうとすると柴田土州は賀島帯刀の忘れ形見賀島亀次郎を呼び出して、再び太刀を与えた。
「賀島亀次郎よ、其方の父上賀島帯刀は儂や柴田権六郎の命の恩人だ。 そのような賀島家を御無体に扱う訳にはいかん。 其方には賀島帯刀が亡くなるまで使ってたこの太刀を譲ろうぞ。 今日からこの太刀は、賀島家の物にせよ。」
柴田土州からの言葉に、幼い主賀島亀次郎の傍にいた藤木作衛門は、号泣して幼い亀次郎が一人前になるまで、支え続ける事を心に誓った。
しかし三州安祥城合戦はまだ序盤戦に過ぎず、一度尾張へ戻った柴田土州は翌月十月になると、部隊の再編制や補充の後再び三河へ出兵を命じられる事となった。




