今川家への援軍
今川家の使者太原崇孚が躑躅ヶ崎館を訪れて、三河の安祥城攻めの為に武田家へ正式に援軍要請を行い、父晴信はその要請を受諾して跡部越中守行忠を大将に御宿藤七郎綱清を副将に任じて、七月下旬に兵二千を駿府へ派兵した。
駿府に武田勢二千が到着すると今川治部大輔義元が援軍の到着に大いに喜び、甲斐国から追放されていた前当主武田信虎に対面させた。
信虎は駿河に追放された後、数年間上洛して京都南遊を行い京での交流を深めて駿河へ帰国しており、その際に国主復帰を諦め隠居を受け入れて出家した。出家して名を無人斎道有と改めた信虎は、今川家中では親族衆の中で嫡男龍王丸、尼御台と呼ばれた義元の母寿桂尼の次に発言権を持つ有力な今川一門となり御舅殿と呼ばれてた。
無人斎道有は、甲州から派遣されてきた跡部越州と御宿藤七郎に会うと、平服している二人に最初にまず息子晴信への恨み節を語り始めた。
「跡部越州、御宿藤七郎、久しぶりだな。 二人とも面を上げい。 其方等とは八年振りに会うが、あの時の仕打ちは未だ忘れておらぬぞ。」
「信虎様、我々は信虎様が御壮健な事を知り、大いに安堵しております。 此度今川家の援軍として駿府を訪れた際、信虎様に面会叶った事喜びに絶えませぬ。」
無人斎道有が怒りを含みながら話かけてくるので、二人は大変恐縮し冷や汗をかきまくりながら、受け答えを行ってた。
「まあ、いい。 晴信の代となり、信州や西上毛を領国に加えた事で、儂の溜飲も下がったぞ。 後は願わくば、甲州への帰還が叶う事が本望なるぞ。 後、儂は上洛して将軍家や浄土真宗と誼を通じておいたから、武田領内の一向一揆を封じておいた故、晴信には儂に感謝するように伝えよ。」
「ははっ、御意で御座いまする。」
「後、此度の武田勢には武田一門の者が何方も出征しておらずのは、聊か些か気になるのう。 儂の手元に鶴千代信顯と蝶之介信是がまだ初陣を済ませておらぬので、此度の戦に其方等の近習として連れて行ってくれぬか?」
「我々は遊びで援兵に来たのではありませぬ。 もし不覚を取る事あろうと、軍規に則り処断させていただきます。」
「よくぞ言った!! それでこそ甲州武士なるぞ!! 儂は例え息子であろうとも名族の血を汚すような輩を息子に持ったつもりはないぞ!!」
無人斎道有から、まだ十代前半の庶子二人の初陣を頼まれた跡部越州と御宿藤七郎は、これは困った御荷物を押し付けられたと思いながらも、軍令に背いた時は例え武田一門であっても厳正な処置を取る事を条件に無人斎道有の願いを受け入れる事になった。
翌日以降、無人斎道有の庶子鶴千代信顯と蝶之介信是が甲州勢に参加し、さらに今回の武田勢に加わる事で手柄を上げて、甲州へ帰参の願いを望む者達が二百人余りが合流したので、それらの者達と一緒に今川勢が出征するまで調練を繰り返した。
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暫く駿府に滞在してた武田勢は八月下旬に今川勢が出陣した後、一日遅れで駿府から出陣し、一旦遠江の曳馬城に立ち寄り、将兵を癒してから九月上旬には三河幡豆郡荒川山へ今川勢兵一万五千と武田勢兵二千、それに今川方に与力する三河国人衆兵三千の計二万余り集めて、総大将太原崇孚は安祥城の再度攻略の軍議を開いた。
「各々方、安祥城の織田三郎五郎信広は織田家中一の驍将である。 三月の時は、後少しの所で遅れを取って敗れたが、此度義元様は武田大膳太夫殿の援軍と堺の商人を通じて、種子島を五百丁余りを入手した。 特に種子島五百丁は三好筑前守長慶殿との交渉を行い、優先的に完成した種子島を譲ってもらった。 これらを使い尾張から来る救援を迎撃を行う。」
さらに太原崇孚は言葉を続ける。
「まず織田三河守信秀の甥、桜井松平内膳正清定がいる三河上野城と大給松平源次郎親乗の大給城、後東条吉良三郎義安の西条城を安祥城を攻める前に制圧する。 三河衆には大給城、遠江衆には西条城、跡部越州殿には上野城を攻めてもらいたいのだが、如何かな?」
「承知しました。 甲州勢は上野城を奪い、今川治部大輔様に献上しましょう。」
「もし織田方の援軍が派遣された時は無理せず織田勢を釘付けにしてもらい、安祥城へ向かわぬ様に御願いします。」
「承知しました。」
跡部越州は軍議で上野城攻めを任されると、翌日には上野城方面へ甲州勢を動かして早速攻城戦を仕掛けた。
甲州勢の襲撃に驚いた桜井松平家の者達は慌てて城を護るが、御宿藤七郎が次々と城門を大太刀にて破り、四つの城門を打ち破った御宿藤七郎は、身体中傷だらけになりながらも本丸まで攻め寄せて、僅か二刻余りで上野城を陥落させて、桜井松平家を降伏させてしまった。
この事は後日今川治部大輔義元の耳に入り、感状と共に御宿藤七郎の親族ある駿河葛山家から所領を贈与されそうになったが、藤七郎は謝辞して今川家から銅銭五百貫を賜った。




