児雷也と綱手姫
猫有光江達は、大蝦蟇の背に乗った優男から攻撃を受けようとしていた時、七ツ池の傍にあった祠の方から、一人の少女が歩いてきた。
その少女は、児雷也と名乗る優男の妻であり、この地の持ち主だと言う事だった。
「先程、皆様方が武田家の者と御聞きしましたが、本当でしょうか?」
すると高安彦右衛門一益が代表として受け応えた。
「如何にも、その通りで御座る。 我々の代表者は、ここにいる猫有光江殿であり、武田家からの依頼で信越国境の地理を把握し、越後方が信州へ侵攻する道や拠点が無いか探索している者だ。 まさか黒姫山の麓を移動していたら、上から遺体が降って来たので只事では無いと思い、ここまで上がってきたのだ。」
「なるほど、そうでしたか。 初めまして、私は綱手と申します。 そして、そこにいる者は私の夫で、児雷也と申します。」
綱手姫は、光江達に攻撃しかけた夫児雷也を止めて、武田家の者達と一旦話し合いをしたいと夫に伝えた。
「児雷也、乱暴な事をするのは止めてください。 彼等は、私の実家と縁がある方々です。」
「ぬっ、奴らは先程の山賊共とは違うのか?」
「そうです。 貴方様は、敵味方問わず誰でも排除する積もりなのですか?」
「・・・・綱手姫、本当に済まなかった・・・・」
児雷也は、大蝦蟇の術を解き綱手姫の隣に寄り添って、何か綱手姫に危害があれば、すぐにでも動ける体制を取っていた。
光江達もこれでようやく話し合いが出来ると思い、綱手姫に話かけてきた。
「私はこの地で生まれて、父上と母上よりこの山の支配を引き継いだ者御座います。 この地には、山伏や狩人以外の者達は訪れる人は無く、我ら夫婦二人で慎ましやかに暮らしていた所、山賊達がこの地に拠点を作ろうとして争いになった次第でございます。」
「して貴女達は、武田家からの依頼でこの地の探索へ来たと申していましたが、以前山伏の方に武田家と高梨家とが姻戚関係になったとお聞きしましたが、それは真なのでしょうか?」
綱手姫は、現状の高梨家の事を聞きたいらしく、光江達に質問をしてきた。
「それは真で御座います。 一昨年に武田家と高梨家は婚姻を結んでおります。」
「なるほど、そうでしたか。 我々は外の情報などは、たまに通る山伏などを引き留めて聞く位なものでして、世の中の出来事などに疎いのです。」
「綱手姫様と児雷也様は、もしかして高梨家と何か所縁があるのでしょうか?」
「ええ、私の母上は黒姫と申しまして高梨家出身の者でしたが、然る縁が在りまして父上と結ばれて、この地で生活しておりましたが私を産んだ後母上は命を落とし、父上に暫く育てられましたが数年前に突然私の元に現れなくなりました。」
「綱手姫様は、そのような苦労お有りになられたのですか。 然らば何故、母上様の実家高梨家を頼りにしなかったのでしょうか?」
光江が母の実家高梨家の話をすると、綱手姫は言い辛そうにしてたので、夫の児雷也が答えてくれた。
「光江殿、それはここの山中に住んでる我が妻綱手姫は神様との誓約により、産まれた時からこの山中から出られないのである。」
「どのような誓約なんでしょうか?」
「妻綱手姫の父上は、この地域の庶民も知る伝説の黒龍、そして母上は高梨摂津守政頼殿。 伝説通り、この地を襲った大嵐を消す為に、黒姫様は黒龍殿と結ばれた。 しかし黒姫様は綱手姫を孕んだ時、どうしても出産する代わりに綱手姫は、この山から出られぬ誓約を立てて出産したのだ。 しかし出産の無理が祟ったのか、綱手姫を妙高山に住む拙者の師匠仙素道人が黒龍殿に頼まれて養育してたのだ。 黒龍殿は日ノ本中を飛び交っていたが、時折娘の綱手姫に会いに来ていたのが数年前より全く戻らなくなってしまい、また師匠の仙素道人も入寂してしまった為、拙者が師匠の代わりに綱手姫をお守り致して、我ら二人は夫婦になった次第で御座る。」
「この山から出られない事情は判りました。 我々も綱手姫様や児雷也様の静穏な暮らしを乱す積もりは在りませぬ。 しかしこの山の内情が知らぬ者達は次々と訪れるし、先程の上杉方の者達も犠牲を出したのですから、再びここに訪れるでしょう。 その辺りの事はお考えになさってますのでしょうか?」
光江から指摘された事に対して、二人からは上手く答えられないみたいなので、どうするべきなのか今後の事を一緒に考える事にした。
「綱手姫様、児雷也様、ここは山深き地なのですが、全く人が入り込めぬ秘境と言う訳ではありませぬ。 故に今まで誰からの支配を受けなかったのは、おそらく綱手姫様の父上の御力の御蔭でしょう。 ならば、父上をお探しになりここに戻られる事で解決出来ないでしょうか?」
「確かに父上が御戻りになられれば、この地は安泰である。 しかし我が父上は黒龍であり、神事の業を積んだ者しか見つけられぬぞ。 生身の者では見つけるのも無理であろう。」
綱手姫は残念そうに反論すると光江も黙ってしまった。
しかしそこで彦右衛門がふと閃いた。
「神事の業が必要ならば、拙者はたった一人だがよく知ってる者がおるぞ。」
彦右衛門の言葉を聞いた綱手姫と児雷也、それに光江も驚きの顔をして彦右衛門の方を見ていた。
「それは何方なのじゃ?」 「彦右衛門殿、それは何方でしょうか?」 「彦右衛門殿、そのような御方が、どこかにいるのか?」
三人は、それぞれ一斉に聞いたので、彦右衛門は答えてやった。
「俺の知る限りは諏訪大明神の申し子、高遠四郎様ならば判るんじゃないか?」
その名前を聞いて、一番驚いたのは綱手姫であった。
「まっ、まさか神の子がこの世に降臨しておりまするか?!」
「ああ、俺が会ったのは僅かな時間だけだが、どうやら何でも知ってるとの話だぜ。 ここにいる猫有光江さんも四郎様の家臣だからな。 四郎様はまだ四歳だけど、もし出会えるならば何か解るかもしれな。」
彦右衛門は、根拠無き出鱈目な事を皆に言ったのだが、光江も彦右衛門が言った言葉を否定する事は無かった。




