影武者の耳目
数日後、父晴信から返信の文が届いた。
高遠城の部屋で待たせてた服部党の文次郎を呼び出して、父晴信からの文の内容を教えた後、四郎の考えを伝える事にした。
「文次郎よ、父上は服部党が三河から離れて武田家に仕えたいと言うならば、受け入れても良いのと返事が来た。 そして武田家としては、当主を失って瓦解してきてる松平家の元から離れたいと言う者達がおるのなら、それらも受け入れても良いと言ってる。 なので近々今川家が再び安祥城へ出兵する時、武田からの援軍要請が来てるので、その際服部党の者達は武田勢に同行するようにとの命を受けた。」
四郎はそう言うと偽った事を書かれてない証として、父晴信の文を文次郎に見せて、この文を服部半三正種の元に持ち帰り見せなさいと伝えた。
「今、丁度駿河から太原崇孚殿が躑躅ヶ崎館を訪れていて、三河出兵の要請を行ってるそうだ。 その際父上は、跡部越中守行忠を大将に兵二千の軍勢を出すそうなので、服部半三殿には跡部越州の軍勢に与力するようにとの事である。」
「承知しました四郎様、しかと頭領にお伝えして武田勢に合力するように御伝えしておきます。」
あと四郎は、海たわしの捜索をしてる木下藤吉郎の家臣柳生新次郎宗厳の事を思い出した。
「今、思い出したのだが、今三河の道中を旅してる木下家家臣に協力してほしいと言う事も頭領に伝えて欲しい。」
「承知しました。 すぐにでも三河へ戻ります。」
すぐにでも三河へ出発しようとしてた文次郎を四郎は引き留めて、武田家としての目付も一緒に同行してもらう事を伝えた。
「文次郎よ、少し待って欲しい。 おい窪谷又五郎はいるか?」
「四郎様、ここに参上仕りました。」
「今、服部党の文次郎が三河に戻る故、誰か目付として同行してくれないか?」
「ならば、巽卯之助を同行させましょう。」
「身体は小柄ですが、状況判断に優れ冷静に物事を判断する事に秀でてますので、同行して軽率な事はやらぬでしょう。」
「又五郎、卯之助を文次郎と一緒に服部党の元へ同行して欲しい。」
「承知致しました。 只今より、卯之助を呼びますので少々御待ちください。」
四郎と文次郎は、窪谷又五郎が戻るまで少しの間、信州と隣接している三河の国の動向を聞く事にした。
「文次郎に少々聞きたいのだが、三河国は今川・松平連合対織田との鍔迫り合いが続いているのだが、今の状況だと織田家が盛り返しているのか?」
「今年の春までは、今川家が三河での覇権が確立されるはずでしたが、松平次郎三郎広忠が織田家に通じた家臣に斬殺された事を機に安祥城の戦いが発生し織田三郎五郎信広に大敗した為、松平次郎三郎亡き松平家は分解し、桜井松平家や三木松平家などが織田家に従属する事態になっております。 その為、昨年の小豆坂合戦からの痛手から立ち直りつつあり、三河国内の国人衆も動揺しております。」
「なるほど、その様な事態になっていたとは。 我々武田家も越後の長尾家から頼られた為、当面は越後方面を重視する状況になるだろうから、東海道方面での動きは静観せざる得ないだろうな。」
「このような状況下に武田家を頼るなど、我々は武士としての面目が立たないのですが、どうか服部一族の事を宜しくお願い申します。」
畳に額を擦り付ける程、頭を下げて平伏してる文次郎を見て、承知したと言わんばかりに頷いて、父晴信から新たな命があるまで、当面服部党を高遠家預かりにする事を伝えて、文次郎に服部半三の元を戻って伝えるようにと言った。
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文次郎が六月中旬に三河岡崎へ帰還すると、早速服部半三正種の元に武田家へ文を送った事の報告と反応を伝えた。
「半三様、只今帰還しました。 拙者は武田家の高遠四郎様に面会して、文を渡して躑躅ヶ崎館の武田大膳大夫晴信様からの返信を送られてくるまで、高遠城に滞在しておりました。」
半三ら服部党の幹部に報告している文次郎の表情が明るかったので、皆は服部党が武田家へ受け入れられたのかと思った。
「まず武田家の反応ですが、三河の情勢と松平家当主不在の状態を鑑みて、我々を受け入れると言う事です。 また今川家が近々再度出兵する際、武田家への援軍要請がなされており、跡部越中守行忠様を大将に三河に出兵するので、武田勢の支援と松平家を見限り致仕しようと考えてる者達がいるならば、仲介せよとの事。 その際の責任者は三河宝飯郡出身の山本勘助晴幸殿を通じて行うようにの事です。」
「後、高遠四郎様からは、先日我々が接触した木下藤吉郎の家臣柳生新次郎宗厳殿の使命を助けて欲しいとの事を要請されました。」
文次郎は、四郎がとても良く世話をしてくれた事を服部党の面々の前で誉め称え、今後も武田へ逃れる者がいるならば手助けしてやろうと言われた事を伝え、今後の方針を皆で談合する事にした。
「只今、文次郎からの報告があったが、まず今後の方針を決めようと思う。 今後は、服部党の大半は高田家に移管するが、一部を東海道に残し武田家の為に活動を行う事にする。 また東海道、特に三河で我々と考えを同じくする者がいるならば、武田家への橋渡しをする事にする。」
服部半三は、集めた者達の顔を見て、何か意見がある者はいないか尋ねた。
「父上、東海道にも服部党の一部を残すと言われたが、どの位の規模を考えておられるのか?」
服部半三の長男次右衛門保元がどのように組分けするのか聞いてきた。
「儂と次右衛門、四男勘十郎、五男久左衛門、六男弥太郎、七男半助は、皆を率いて武田へ向かおう。 次男市平保俊に三河に残り、武田家へ出仕を望む者達への仲介に当たれ。 また三男源兵衛保正は遠江での国人衆の繋がりを確保せよ。 遠州も今川家の版図とはいえ、未だ今川家の指示に従わぬ者がおるので、これらの国人衆との連絡を途切れさせるな。」
「市平には、補佐に新堂小太郎と同心二十人を付け、源兵衛には、山田八右衛門と同心十五人を付ける。 後の者達は、年内にも武田の地に移るので、皆準備せよ。」
「「「承知いたしました。」」」
服部党は瓦解してる松平家を見限り、七月上旬には服部半三と長男次右衛門が躑躅ヶ崎館を訪れて、武田大膳大夫晴信と面会して、服部党全体で知行二百五十貫の条件で合意し、拠点を信州伊那に構える事が決まり、当面は晴信の実弟孫六信廉の与力として働くようにと決められた。
服部党を与力として付けられた孫六信廉は、長兄晴信と瓜二つの姿形をしていた為、初めて面会した服部党の者達は驚愕したが、晴信の意図は孫六をある程度の実戦能力を付ける事で、孫六が影武者としての働きが効力を発揮させる積もりであったと言う。
武田孫六の方も元々芸術肌であったが、服部党と言う伊賀者を配下に付いた事で長兄晴信や次兄吉田典厩信繁より劣る軍才も服部党の働きと甥高遠四郎が元服後、孫六信廉の副将になる事によって、兄二人の軍勢に劣らぬ働きを行うようになった。
武田晴信の影武者孫六信廉の耳目として、服部党には働いてもらいます。




